思春期のリプロダクティブヘルス
北村邦夫
(周産期医療 vol.37 No.8 2007-8 p951-955)
WHOは本稿のテーマであるリプロダクティブヘルス(reproductive health:RH)について
「生殖の過程に単に病気や異常が存在しないだけではなく,生殖の過程が身体的,精神的および杜会的に完全に良好な状態(well-being)で遂行されること」と定義している。これを受けて,1992年日本産科婦人科学会主催の招請講演でSciarra博士は,RHの基本要素として,
① 妊孕性を調節し抑制できること。これは単に避妊にとどまらず,あるカップルにとっては不妊の治療も含む
② すべての女性にとって安全な妊娠と出産
③ すべての新生児が健康な小児期を享受できる新生児の健全性
④性感染症からの自由,をあげている1)。
RHが国際的に注目されるようになったのが1994年,エジプト・カイロで開催された国連主催の人口開発会議( International Conferenceon Population and Development: ICPD)においてである。2015年をゴールとする行動計画の中でRH,特に「思春期のセクシュアル・リプロダクティブヘルス(SRH)」の重要性が謳われている。中間評価2004年にICPD+10と銘打った報告書が発行されSRHについて「セクシュアリティに対する理解を深めるため,さらには望まない妊娠,性感染症,その後に起こる危険性のある不妊リスクを防止するために,思春期に必要な情報やサービスが提供される必要がある」(筆者仮訳)としている。目を我が国に転じた時,はたして思春期のSRHはどのような状況にあるか,本稿を通じて検証してみよう。
思春期の性行動と避妊・中絶
厚生労働科学研究(主任研究者東京大学医学部武谷雄二教授)の一環として実施した「男女の生活と意識に関する調査」2)(表1)はすでに3回目を終えた。これによれば,ほかの先進諸国のデータが1990~1996年とやや古いことをもってしても,最近の我が国の若者の性行動は,ほかの先進国に比べて低年齢化,加速化しているとは言い難い。国際的には,禁欲あるいは一性交開始年齢を遅らせることなどが思春期のSRHの重要課題の一つになっているが,我が国の性交経験率がこの程度にとどまっているのはなぜか。今後の検討が待たれるところである。
その一方で,妊娠の可能性があるのは生殖可能年齢にある女性だけであって,男性には絶対に起こり得ないにもかかわらず,我が国には妊娠が自分の問題であることを認識している女性がことのほか少ない。「初交時避妊を行った」との回答は18~20歳では7割程度,それ以下では17歳58.1%,16歳52.8%,15歳50.0%とさらに低くなっている。特に,年少で性交を経験していながら避妊を実行できないだけでなく,避妊を男性に依存している姿が目立っている。この調査結果と先進国の避妊法選択のデータとを重ね合わせると,我が国においては避妊を男性に委ねている姿がさらに浮き彫りにされる。
表2の上段は「初交時の避妊法選択」,下段は「最近の避妊法選択」についてまとめたもので,我が国もほかの国々も初交時にはコンドームが広く用いられているものの,最近の避妊法について尋ねると,ほかの国々ではピルに傾斜していくものの,我が国ではあくまでもコンドーム単独の避妊法にとどまっている。
性感染症予防としてのコンドーム使用の必要性を否定するわけではないが,妊娠が女性にのみ起こる現象である以上,避妊を男性任せにしていては,妊娠を確実に回避することは難しい。このような男性依存の避妊行動を変えられない限り,妊娠は当然の結果ではないだろうか。しかも未婚の母や婚外子に対して厳しい国であることから,人工妊娠中絶を選択せざるを得ない。
2005年度の衛生行政報告例によれば,人工妊娠中絶実施総数は289,127件で史上初めて30万件を割る一方,20歳未満は30,119件となり前年比4,626件減少している。15歳未満でも308件の中絶が行われていることが判明している。1995年以降直線的に増加していた15~19歳の女子人口千対の人工妊娠中絶実施率は,2001年13.0をピークに,2002年度12.8.2003年度11.9.2004年度10.5.2005年度9.4とここ4年ほど減少傾向を示しているが,依然として高率であることに変わりはない(図1)。
ちなみに,我が国の女性では14.2%が人工妊娠中絶を経験し,そのうちの反復中絶が23.6%にも及んでいる2)。「相手が中絶をしたことがある」との回答が男性の9.7%にすぎないことを考慮すると,男性に知らせることなく中絶手術を受けている女性が相当数いることがわかる。
若い世代に広がる性感染症(STD)
我が国で実施された性器クラミジア感染症の疫学調査からも3),若い世代での罹患率の高いことが指摘されている(図2)。ピークは20~24歳にあって,その男女比は女性のほうが2.55倍多いことも注目に値する。しかも,女性の場合,重症化することが少なくない。
クラミジア感染の結果として,女性では子宮頸管炎や骨盤内感染症などを併発し,時には卵管炎から不妊症になったり,肝周囲膿瘍が発見されることさえある。また,HIVに感染する危険性が3~4倍に増大する。妊婦が感染すると,生まれた子どもの封入体結膜炎や肺炎などが問題になることもある。クラミジアや淋菌が,最近では性器からだけでなく咽頭粘膜からも検出されるようになった。オーラルセックス(口腔性交)の結果だ。
性行動の多様化は,STDの感染経路にも大きく影響を及ぼしている。性器から性器,性器から口,口から口,口から性器という具合だ。それもこれも,フェラチオと膣外射精などが主流であるアダルトビデオからセックスを学ぶ現代若者像を反映しているとはいえないだろうか。
HlV/AlDS予算が減少している
2006年度の国家予算の.うちAIDS対策費は89億円。ただし,そのうちの半分近くは研究費にあてられているという。さらに,性感染症対策費は3億円。この数字をどう評価するか。1年間に必要とされるHIV感染症治療費は1人当たりおよそ280万円と聞いている。適正な治療が行われるならば,HIV感染症は生活習慣病の範疇に入れられるべき疾患となっている今日,1人のHIV感染症の治療費は生涯1~2億円ほどかかることになる。
ということは,HIV感染症の予防対策費を増大させることによって,これらの生涯治療費の削減を可能にし,我が国の医療費の増大をも抑止することができる。誤解して欲しくないのは,現在治療を要する感染者・患者へのサポートをないがしろにするよう求めているのでは決してない。感染の予防こそ重要であることを強調したいのだ。それにもかかわらず東京都をはじめとした地方自治体のHIV/AIDS関連予算は減少の一途をたどっていることは憂慮すべきことである(図3)。特に,東京都においては1日に2人程度の新規HIV感染者が報告される時代に入っているにもかかわらずにである。
さらに,目を世界に向けると表3のように,10代の若者が公私を問わずクリニックを利用するのは無料であり,確実な避妊法を選択する際にも,最初の3,4周期のピルは無料で提供され,その後も極めて格安であることなどをみると,我が国における若い世代に対する健康支援がいかにお粗末かは明白である。
おわりに
性教育の提供は若者の性行動を加速させるという根拠もない政治的圧力に屈してか学校性教育の立ち後れが目立っている。米国に遅れること40年を経てやっと発売された低用量経口避妊薬も若者が入手するには経済的負担が少なくない。性感染症の不安を抱くことがあっても,セックスが関与していては親に話すこともできず国民皆保険の恩恵にあずかることが叶わない若者。結局は早期発見・早期治療が遅れHIV/AIDSの拡大要因にさえなっている。コンドーム破損などに際して利用する最後の避妊手段である緊急避妊法*4)が公に承認されていないなど,我が国の若者達のRHが脅かされている。「10億の思春期の若者のために」との表題のついた世界人口白書(2003年)には,「思春期の若者の健康と権利への投資は次世代に大きな利益をもたらす」とのメッセージがあるが,「思春期の若者のRHがないがしろにされている我が国の未来は暗いよ」とあえて読み替えてしまうのは筆者の思いすごしだろうか。先進国とは名ばかりの我が国の若者達のおかれているRHの現状をもづと深刻に捉える必要があろう。
‡日本家族計画協会が運営している「緊急避妊ホットライン」(TEL:03-3235-2638,月~金曜,午前10時~午後4時)では,緊急避妊ピルを処方してくれる全国約1,500施設を無料で紹介しています。
文献
1)sciarraJJ:21世紀にむけての産婦人科.日産婦誌45:S-l17.1992
2)主任研究者武谷雄二,分担研究者北村邦夫:平成18年度厚生労働科学研究費補助金(子ども家庭総合研究事業)研究「全国的実態調査に基づいた人工妊娠中絶の減少に向けた包括的研究」第3回男女の生活と意識に関する調査報告書,東京,2007
3)性感染症サーベイランス研究班(班長熊本悦明):日本における性感染症サーベイランスー2002年度調査報告一.日性感染症会誌15(1):18-5.2004
4)北村邦夫:緊急避妊法とその実際.産婦の実際56(3):493_498.2007
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