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(投稿:by 僻地の産科医)
あれ?先週号になっちゃってるようです。
AERA 10月22日号
http://opendoors.asahi.com/data/detail/8458.shtml
うちも、親に子供をみてもらっていますo(^-^)o。
(というか、時々間違われますけれど、男性ではなくって(笑)。実は子持ち女医なんです。当直、男性医師と同じようにやらせていただいていますけれど!)
それで思うんですけれど、
働けるのは親が元気なうちだけだと思うんです。先行きはとっても不安。このまま療養型病床もなくなって、急性期病院だけになって、「自宅介護」が基本になってきたりすると、絶対に働けないんですよね~。かなり切実(;;)。
そんなわけで。将来ってどうなるのかな~とおもいつつ。
働く女性ってやっぱり、それなりに不安定なんです..。*♡
今はたとえ良かったとしても。。。どうぞ!
しのびよる不安 親の老いが怖い
核家家族・晩婚世代の胸のうち
(AERA '07.10.22 p14-17)
つい最近まであなたの「子ども」だと思っていた。甘えて頼っていたのに、ふと気づくと、こんなに背中が小さくなっていたなんて。まだ、心構えもできてないのに。
ライター 石臥薫子 三宅玲子 編集部 片桐圭子
「虫の大合唱がすごいね」
何げなく発したこの一言が、彼女(41)が「父の老い」を実感するきっかけだった。
両親と姉(44)が暮らす実家に、帰省した夜のこと。母(76)と姉は旅行に出かけ、久しぶりに父(80)と布団を並べて横になった。テレビを消した途端、聞こえてきた鈴虫の大合唱に思わず声をかけだのだが、父は怪冴そうな顔をしている。
「そんなの、聞こえるか?」
え? 聞こえてないの?
補聴器を耳にはめ込んだ父は、
「あ、ホントだ」
とつぶやくと、つけたばかりの補聴器を乱暴に外して、頭から布団をかぶり眠ってしまった。横になった背中が小さく見えて、
「こっちのほうが、静かでいいや」
という捨てゼリフが耳に残ったあんな大きな鳴き声が聞こえなくなっていたなんて。
あれから10年がたち、父は80歳になった。この間、常に万歩計を身につけて歩き、「耳も頭もだめだけど、体だけは」と言いながら.室内用に短くした木刀で剣道の素振りを続けた。体調を崩して素振りを休み、血管が沈んで病院での採血がしにくくなると、もっと筋肉をつけるのだと木刀を鉄パイプに持ち替えて、素振りを再開しか心の準備もしたくない それでも5年ほど前からは、昼間からうとうとしていることが増え、最近ではテーブルの上に置かれためがねに汚れが目立つ。ふと気がつくと、目も濁ったようになっていた。きっと、めがねの汚れが気にならないくらいぼんやりとしか、見えてないんだろうな。
もともと父母と姉、そして彼女の4人家族だった。小さな会社を経営していた父は従業員にも尽くしたが、いつだって誰よりも家族のために尽くしてくれた。
自宅から離れた私立中学まで毎朝送ってくれたのも父。母のためのコーヒー、姉のためのミルクティー、彼女のためのレモンティーを入れて、「みんなでご飯を食べよう」と起こしにきたのも父。
「自分の好きなことはしがみついてでもやり通せ」と繰り返したのは、戦中戦後に青春を過ごした父自身が、そうできなかったからだろう。
「老い」は彼女に、そんな父の「不在」を連想させるのだ。
友人の死に接した父が「墓はいらない。パパの遺骨は海に流してくれ」などと言うのを聞くと、そろそろ心の準備をしなくちゃいけないかなと思う。でも、
「やっぱり、それはしたくない。準備しちやうと、ホントに逝っちゃうような気がするから」
初めて直面する「老い」 リリー・フランキーさん(43)が 『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』を出版したのは2年前の6月だが、この自伝的小説はドラマや映画、舞台になり、220万邦を超えてなお売れ続けている。何のてらいもなくつづられた、老いゆく母への思いや母を失う不安感が、多くの人の思いを代弁していたからだろう。
アエラネットの会員に「親の老いは怖いですか?」と聞いたところ、回答した169人のうち4割が「非常に怖い」と答えた。「少し怖い」と合わせれば8割強の人が親の老いを怖いと感じている。
回答者は圧倒的に30代、40代が多かった。核家族が当たり前の世代に育ち、祖父母の老いと死を直接体験せずに大人になった世代である。
ウェブ制作会社に勤める女性(41)もそうだ。
小学生の頃に祖母と同居したことはあるが、すでに家にやってきた時点で祖母は老いていた。同居以前は離れて暮らしていたし、短期間患っただけで亡くなったので喪失の実感もない。一人っ子の自分が初めて間近で直面する肉親の老いと死が、父(74)であり、母(74)なのだ。
両親と共に暮らしたのは22歳までだが、その後も同じ都内に住んで月に1回以上は帰省してきた。母は料理好きで、夫(35)と帰省するたびにテーブルいっぱいの手料理を振る舞ってくれたのに、いつの頃からか、「外で食べようか?」 「何か買っていこうか?」という提案を喜ぶようになった。料理が面倒だと口に出すわけではないけれど、最近では、テーブルに並ぶ手料理は1・2品だ。
これから母や父はどうなるのか。そもそも両親自身が自らの老いを受け入れられるのか。
そんな思いにとらわれるのは、自分に子どもがいないことも関係しているのではないか、と最近になって思う。子どもができて、両親の呼び方が「おじいちゃん≒おばあちゃん」に変われば、心の準備も自然とできるんじゃないか。両親はもう、自分より弱い存在だと思えるんじゃないか。
晩婚化が進み、高齢出産も増えた。子どもを持たない選択をする人も珍しくない。そんないまの30代、40代は長く「子ども」でいた分、親から愛情も手間もたっぷりと注いでもらった。だからこそ、
「十分な孝行や介護で両親に報いたい」という思いが強く、親の老いを怖がる気持ちにもつながる。取材を通じてそう感じた。
病気も失業もできない
大阪在任の女性(35)は、母(65)と二人暮らし。毎目顔を合わせている母と久しぶりに外で待ち合わせをしたとき、約束の阪急梅田駅前に立っていたのは、小さくしぼんだ、どこから見ても「おばあさん」になった母だった。
父は11年前に他界。弟はもう結婚した。母を支える人間は自分しかいないのだと思うと、
「私か病気をしたり失業したりすることはあってはならないのだ、という危機感が強まりました」
母の母、彼女にとっての祖母(88)は、母の弟一家と同じ敷地内に暮らすが、数年前からたびたび母に来てほしいと頼むようになった。気丈で愚痴や文句を言わない人だった祖母がいまは近所の人に、
「娘は『行く、行く』と言ってなかなか来ない」
とこぼし、せっせと食事を作った母を、
「あなたのせいで太った」と責める。
いまの母のまま老いていくとは限らない。
もし母が、祖母のようにわがままを言うようになったら。それでも母を支えていける経済力や体力、精神力を早く身につけなければというプレッシャーが、日に日に強くなっていく。
都内で働く女性(40)は出張のための航空券をネットで予約するたび、「介護帰省割引」の枠に目がいく。実家は九州。往復の航空券は通常で7万円、介護帰省割引を使っても5万円――。
両親いなくなれば崩壊
1歳だった次女が高熱を出し、駆け込んだ大学病院で肝炎と診断されて即入院となった日のことは忘れられない。
当時5歳だった長女の世話、穴をあけられない仕事のことなどが順に渦巻く中、思わず実家に電話をかけると、「すぐに行くから」という母(73)の穏やかな声。最終便で上京してきた母と、病院の廊下で会ったときの安堵感といったらなかった。
突然の電話で、母が脳梗塞で倒れたと知らされたのは、1年半前の日曜日。受話器を持ったまま声を上げて泣いてしまい、夫(43)と娘たちが驚いて駆け寄ってきてもにわかには母の病を告げられなかった。前後して、長く無事故無違反を自慢してきた父(73)が、渋滞中の上り坂で追突事故を起こした 両親、とりわけ育児を支えてくれた母にはできる限りのことをしたい。でも、離れて暮らし、仕事を持つ自分はいざというとき、母がしてくれたように、すぐに駆けつけられるだろうか。
親の老いがさらに切実なのは、親の手助けなしには生活が立ちゆかない子育て中の共働き世帯だ。
夫(40)と二人、事業を手がける女性(40)は、小4を頭に3人の子育ての真っ最中。4年前、3人目を出産すると同時に隣県から両親を呼び寄せた。
以来、車で5分のマンションから午前7時に女性宅に「出勤」するのが、母(66)の日課になっている。子どもたちの登園・登校準備を手伝い夫婦を送り出すと、掃除洗濯、買い物、食事の支度とフル回転だ。午後には父(69)も「出勤」してきて、子どもたちをお稽古ごとや塾へと送り迎えしてくれる。
夕食も両親が子どもたちに食べさせ、風呂にも入れてくれたうえ、どんなに遅くなっても女性の帰宅を待っていてくれる。そして、翌日はまた午前7時に、「おはよう」と女性宅のドアが開く。
「いま両親に倒れられたら、わが家は崩壊の危機です」
という言葉に、実感がこもる。
そして、怖さを倍加させるのが、子育て・介護同時進行の不安だ。
都内在住の会社員女性(41)は、母(66)が26歳のときの子ども。89歳でなくなった祖母は当時49歳だったから、「おばあちゃん」とはいえピンピンしていた。しかし、自分の出産はつい2年前の39歳。同じく都内に暮らし、フルタイムで働きながら2人の子どもを育てる妹(39)と、神奈川県内に住む母を取り合う毎日が続く。
老い加速させる孫育て
しかし、元気だと思っていた母が最近になって言い出した。
「孫の世話はもう限界。『あと1人』は勘弁してね」
第2子をもうけた同僚男性は、親が高齢で上の子の世話を頼めない、と育児休業を取った。
「高齢出産の私たちは、親を頼れないどころか、子育てと親の介護が一気に来てしまう危険が高いんですよね」
孫育ては老親に生活の「張り」をもたらす一方で、老いを加速させる。
夫(38)も自分も公務員だという女性(45)は、子育てを手伝ってもらう過程で、母(80)の変化をつぶさに見てきた。
長女(12)と長男(5)を実質的に育ててきたのは、彼女の母だ。長男が生まれたとき、母はすでに74歳。知的障害があった長男は内臓も弱く、たびたび入院した。母は女性宅に20分の「バス通勤」をして、家族の生活を支えてくれた。
保育園から女性宅までは緩やかな上り坂が続く。その20分の道のりを、母は毎日ベビーカーを押して歩いた。タクシーを使うように言っても頑固に歩くと言い張った母が、長男の体重が13キロを超えた2年前、ついに音を上げた。
以前はどんなに遅くなっても自宅に帰った母が、いまは帰宅を億劫がって泊まりこむ。保育園の迎えは彼女の仕事になった。さらに母は長男の世話と台所仕事を同時にはできなくなり、いまは夕食の支度も、女性が出勤前にしている。
いつまでも親に甘えるな、という批判もあるだろう。だが、現実に親があってなんとか成り立っていた仕事と子育て。その親の老いを実感させる出来事のひとつひとつに、「大人」たちは心を震わせている。
確かに親の老いは不安ですね。考えさせられる話です。
うちは女二人の兄弟。二人とも現役医師です。
うちの親が倒れたら、当然介護したい。でも仕事もあるし、主人の父母の話もあるし・・・。
投稿情報: 白熊もどき | 2007年10 月22日 (月) 15:39
うう。白熊もどきさまのおうちも大変そうですよね~。
この国はどうなっちゃうんでしょうか。
適度な働き方ってできないものか。
(働き甲斐を求めると、責任が重過ぎて過重労働になってしまいますし(;;)。)
投稿情報: 僻地の産科医 | 2007年10 月22日 (月) 18:43
我が家も兄は遠く北海道。自分の両親は達者だけど、それでも81と76だしねえ。いつまでも頼れる年齢ではないです。
いい加減、介護に対して心構えをしなくっちゃと思いつつ、今日も母の用意したご飯を食べてます。
投稿情報: 山口(産婦人科) | 2007年10 月22日 (月) 22:37
ええ、もう今日も母の作ったご飯をおいしくいただきました。。。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2007年10 月22日 (月) 22:44