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なぜ産科医は減っているのか 医療安全と勤労時間・労基法 目次
(投稿:by 僻地の産科医)
すっごく手抜きで申し訳ありません。
M3より。刈谷時間外訴訟の文章、M3からです(>▽<)!!!
子持ち産婦人科女医・当直民事訴訟奮闘記◆Vol.3
2012年2月7日 野村麻実(愛知県在住、産婦人科医)
http://www.m3.com/iryoIshin/article/147012/
労働事件の時効は、民事事件で2年、刑事事件で3年です。もはや刈谷労働基準監督署に相手にされなくなっていた私にとって、病院のさせている労働の違法性を病院幹部に認識してもらう手段は、民事裁判に頼るより他に手がなくなっていました。以前にも述べた通り、私の在職期間は2009年4月から9月末の期間です。2010年7月、ついに思い立って代理人となってくれる弁護士さんを探し始めることにしたのです。
■なかなか見つからない弁護人
たやすく見つかると思っていたのですが、身近な知り合いの弁護士に相談してみたところ、「うーん、弁護士にも専門があるんだよ」との答えが返ってきました。振り返ってみれば知り合いの弁護士は医療事件しか扱わない病院側弁護士ばかりです。「労務関係に詳しい人教えて!」と頼み込んでも、「ごめん、分からない」の返答が続くのには困り果てました。弁護士は外からでは何が得意なのかさっぱり分からないのです。病院のように専門分野を標榜してくれたらどんなに楽だろうと思ったものです。
そこでインターネットで調べ、「労務」「無料相談」をうたっている弁護士事務所に電話をしてみました。無料なのだから得意なのかどうか分かるだろうと思ったのです。ところが出てきた女性弁護士に「このような違法性が…」と説明したところ、「じゃあ、そこまで分かっているなら貴女自分で勝手にやればいいじゃないの!」と叫ばれて電話を切られてしまいました。唖然としたものの、おかげで「病気の電話無料相談と同じで、無料相談は一般的な答えしか得られないんだ」と気づき、まずは予約を取って事務所に行って委託できる人かどうかを話さなければならないと行動を始めた時には、民事裁判を念頭に置き始めてからもう2週間が経過していました。
■とにかく予約を取りまくる
弁護士事務所は病院とは違い、タダでは話を聞いてくれません。中部地区ではこれが相場なのでしょうか、30分5000円のところが多かったです。先日の電話の失敗から、とにかく「素人に一からレクチャーするつもりで挑まないと!」という気分で、
・雇用契約書
・給料明細
・全科当直表数か月分
・産婦人科当直表 在職中分
・数日間分の当直日誌のコピー
・7月の分娩時間のグラフ(講演のために作ったもの)
・就業規則
・刈谷豊田総合病院の当直届が存在しないという文書(情報公開法に基づく)
など個人的・個別的資料に加え、関係法令から厚労省通達、奈良県立奈良病院産婦人科時間外訴訟の判決文全文(『「医師の宿日直は通常勤務」、高裁判決の全国への影響大』を参照)、 関連判決文などを、バッグに詰め込んで出陣しました。結論としてこの戦術は的中しました。最初に駆け込んだ弁護士さんが労務関係がご専門の方だったのです。とても皮肉なことに説得で最も役に立ったのが 刈谷豊田総合病院のホームページでの24時間救急受付のうたい文句や、産婦人科ホームページの「1週間の分娩形式別の分布」 のグラフで(刈谷豊田総合病院のホームページ)、これらが休日と平日関係なく経膣分娩を扱っていることなどの事実を端的に示していました。
「これなら多分、内容証明のやり取りくらいでパパっと済んじゃうと思う」。弁護士さんが応諾してくださったときのセリフです。
■裁判の始まり
2010年6月下旬に、弁護士さんが、刈谷豊田総合病院宛ての内容証明郵便の文面を作成しました。
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通知人は、貴院との間で交わされた労働契約書に定められた所定労働時間以外にも、貴院から当直・日直を命じられ、所定労働時間外、深夜および休日に勤務を行っておりました。
実務上解釈準則となる通達によれば、宿日直は、所定労働基準監督署長の許可を受けた場合であって、当該労働者の本来業務は処理せず、構内巡視、文書、電話の収受又は非常事態に備えて待機するもの等であって常態としてほとんど労働する必要がない場合に限り、割増賃金の支払義務を免れることになります。
しかし、通知人は、曜日や時刻等に関わらず発生する緊急帝王切開や経膣分娩を当直・日直のときでも所定労働時間と同様に行ってきました。貴院産婦人科は、平成21年度の分娩数は1000件を超えるほどの多数であり、多忙を極める貴院において、通知人は、分娩のみならず回診などの通常業務も、当直・日直の勤務中に行ってきました。
このように、本来的業務を所定労働時間と変わらず行ってきたという勤務実態からすれば、当直・日直の時間は、時間外割増賃金、深夜割増賃金および休日割増賃金支払いの対象となることは明らかです。
裁判例においても、本件と同様の事案について割増賃金の支払義務を認められております。
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このような骨子の内容で、当直とされて院内拘束されていた時間を、時間外手当として計算し、そこから当直料としてお給料でもらっていたものを差し引いた差額をいただきたいという旨が記してありました。しかし、現実には私たちの予想は簡単に覆りました。驚いたことに病院からは「必要であれば訴訟を」という回答をいただいたのです。そして2010年9月21日、ついに民事訴訟として名古屋地方裁判所に提訴するに至りました。
■裁判官が3人
初回の口頭弁論ですが、最近は、普通の労務関係の280万円程度(これで半年分です)を請求する裁判であれば、裁判官は一人に簡略化されていることが多いそうなのですが、1回目の口頭弁論から帰ってきた弁護士さんは、「重大性を重く見たのか、裁判官が3人もついている…」と驚いていました。さらに驚いたのが、相手方の代理人です。東京から大勢の弁護団が来ていて、その上、労務関係ではとても有名な弁護士さんだったようです。「今からでも辞めたい」と冗談でおっしゃるほど。また「当直許可がない」という愛知県労働局による情報開示はどうやら嘘ではあったようで、1963年の宿日直許可書まで出てきました。コピーからはほとんど何を書いてあるか読み取れない古い年代物の代物です。
このあと1年間の間に何回かの口頭弁論が開かれました。弁護士さんが対応してくださったので、私はいずれにも出席せずに済んだのですが、病院側弁護団から提出される反論は、いちいち神経を逆なでさせられる内容でした。「当院ではほとんど分娩は助産師が診ており、医師が関与する時間はほとんどない」といったような、医師は病院にいただけで何もせず、労働などとは片腹痛い、まるで寝ていたのと同じだという主張で、こちらを泥棒扱いするような文章が並んでいました。
長年、過労死裁判の原告であった中原のり子さんからは、「被告の主張を読むと鬱屈してイライラしてしまうから読まないほうがいいよ」と忠告を受けるほど、それは酷いものでしたが、知ってはいたものの、「ああ、裁判とは出るところに出た子供の喧嘩とほとんど変わらないものなんだなぁ」と痛感しました。ただ、私の関与した当直日の当直日誌がすべて提出されたことや、私の行った当直日誌に記載されている分娩台帳の写しが手に入ったことがとても大きな成果となりました。
■突然の出廷要請
もう忘れられているのかもしれないと思い始めた翌2011年8月頃になって、突然、弁護士さんから出廷要請がありました。裁判官が話し合いたい意向で、和解の勧告が目的であるとのこと。「今頃になって和解?」と疑問に思いましたが、民事裁判の多くは一度和解を勧められるのが定石のようでした。
2011年9月1日、名古屋地裁。小さな円卓の会議室のようなところで、 相手方弁護士6人と、こちらは弁護士さんと私の二人。しばらくすると裁判官の方々と書記官が入ってきて、皆が一礼して席に着きます。「まずは原告の意思を確認したい」。裁判長の一言で、被告側の方々がぞろぞろと廊下に出ます。いったい何が起ころうとしているのでしょうか。
裁判長がおもむろに口を開きます。
「和解の意思はありますか?」
「ありません。判決文が欲しいです」
「もし和解するとして、どんな条件ならOKですか?」
「まず非公開条件をつけないことにしてください。判決であれ、和解であれ、必ず発表します。 まずそのことを念頭に置いて、その旨、伝えた上で、 “非公開条件ナシ”が絶対条件です」
「そうですか。では被告側と話をします」
今度は私たちが休憩室で待たされることになりました。常識的に考えて非公開条件がないのであれば、病院側は早期和解のメリットがないので和解するはずがないと思ったのです。
するとすぐに呼ばれて、
「非公開条件はなくていいそうです」
「え、そうですか?」
計算が外れて私は動揺しました。
「どうしましょう?」
「え・・・。だから判決文が欲しいです」
「・・・えーと、そうするとですね…」
裁判官は様々な説得を始めました。こういう裁判はストレスになるし、仲間たちの労務環境をよくしたいと考えるなら、民事裁判では時効が2年しかない。あなたの残っている仲間の先生方にとって機会が少なくなってしまう。また判決となると、どちらもきっと控訴するだろうから、何年もかかるだろう、とか何とかいろいろ……。
「あの、判決文がほしいんですけれど」
「和解額を見れば判決と同じくらいの意味がありますから」
私の「和解したくない」という意を理解しているのか、無視しているのか、それとも法律界では「民事訴訟では判決を回避して和解を」というのが常識なのかよく分かりません。
「前回、30万や50万だったら和解してもいいと病院側が言われたそうですが、それを見て世間の人が勝ったと思いますか?裁判長は、あの昭和38年の日当直400円という額(当時、宿日直許可を届けた際の金額)、内容も全く違う宿日直届が実態に即していると思いますか? 違法か適法か二択しかあり得ないと思うんですが」
「いや、和解と言うのは判決ではないので・・」
「だから和解ではなく、判決が欲しいんですけれど」
「民事の和解っていうのは、金額で判断するもので・・・」
「法的判断も示さずに和解ですか?医療裁判ではいくらでも謝罪文書けとか謝罪しろなどというものもありますけれど、法的判断を盛り込むことはできないのでしょうか」
「そういう例があることはあるのですが特殊でして・・・それは相談してみます」
「金額で内容判断だっていうなら、こちらが提起している280万近くでないと法律家はともかく、民間人には分かりません。こちらの提示した金額と乖離のある金額での和解するのであれば、法的判断を入れていただきたいし、そうでなくてもぜひとも判決文が欲しいんです」
もみ合った挙句、しばし病院側との相談ということで追い出されてしまいました。「病院側だって全額なんてのまないでしょ」 と弁護士さん。 「のまないでしょうねぇ」 と私。
しかし、すぐに呼び返されてしまいました。「どのような和解文の内容にするか、話し合ってみましょう。 主張通りで折り合うように工夫します」
え。工夫するんですか?今までの罵詈雑言に近い病院側の主張はなんだったんでしょう?次回の期日は11月に決まりました。裁判って、何なのでしょう。
■判決文を得るって難しい!
11月の期日には、全面的に私の主張に沿った2つの和解案、
・180万円程度の和解額で、「病院側がやらせていたのは、当直ではなく、時間外労働であった」と裁判所の判断を入れる和解文とする
・280万円(ほぼ要求額と同程度)支払う
が提示されました。この結論にほとんど和解は決裂しそうになり、てっきり決裂するものと私は喜んで帰宅の途に就こうとしたのですが、なぜか病院側がこの話し合いの後、居残りを命じられました。
2011年12月14日、この日はまずは病院側からの聴き取りから始まりました。すぐに聴取は終わり、呼ばれて席に着くなり、「では和解案の2で」と裁判長。
いったい裁判長はどういうマジックを使ったものか、結局、「280万1290円支払えとの訴状に対し、被告は280万円の支払いを1月16日までに支払うことで和解とする」ことで決着を見たのです。残念ながらそこに法的な解釈が盛り込まれることはなく、しかしながら金額から誰が見ても勝利的和解だと分かるようにとの配慮はなされていました。判決文が欲しかっただけに残念な決着となりました。
■裁判とは何なのだろう
地元紙の中日新聞からインタビューで私は、「病院が不当な労働を認識したと和解を受け止めた。全国では医師の労働環境が悪い病院が多く、環境改善につなげてほしい」としか答えられなかったのですが、刈谷豊田総合病院側は「長期間の紛争を続けるのは本意ではない。円満な和解による解決をした」とのコメントを出したそうです。
法的に違法な長時間労働を医師が強いられている現状は、そろそろ周知のこととなってきています。しかし、改善の兆しを我々現場の人間が実感することはほとんどありません。内部から変えようとしても、労働基準監督署に何度訴えかけても、裁判を起こしても、どのように労働現場が変わったのかは少しも分からないのです。
夜間緊急や出動することの多い科では、夜間の労働を昼間と同じくらいに評価されなければ、どんどんそういう評価されにくい科を選ぶ人数も減り、モチベーションも保ちにくくなります。義務感だけでは続きません。
また昨今増え続けている女性医師ですが、女性医師は男性医師とは違ったライフサイクルがあり、男性社会とはなじみにくい部分があるのも確かです。当直・夜勤が免除されなければ働けない医師がいる一方、家族などのサポートがあるからといって男性と同じように当直をしていたとしても、家に帰れば「母」や「妻」なる役割が求められるのは当然です。夫とのすれ違い結婚で離婚に至ったという話もよくあるのが医療業界です。
男性にも女性にも優しい、長期的に続けられる職場が当然になるのはいつの日のことでしょうか。この裁判は判決を得ることができず、私には残念な結果になりましたが、いつか医師の労務環境が整って、少しでも多くの後に続く志高い若者たちが、仕事ばかりに埋没させられるのではなく、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(日本国憲法第二十五条)医師であれるようにと願ってやみません。
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