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(投稿: by 僻地の産科医)
読売ウィークリー 2007年10月14日号
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
にあった文章です。
うん。わたしもそうおもう。開業医の時代じゃないかもしれない。
でもそんな事言ったら、もっと助産院の時代じゃない!
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ssd's Diary 2007年10月 3日
http://ssd.dyndns.info/Diary/2007/10/03.html
助産所からの搬送例は有意に死亡率が高い
http://obgy.typepad.jp/blog/2007/09/post_6869.html
では、どうぞ。 ある産婦人科医の独白 「もう開業医の時代じゃないのかも」 20年以上、地域のお産を担ってきた関東地方のある産婦人科診療所のベテラン医師が今年、お産の取り扱いをやめた。激務に心身共に疲れ果てたためだ。彼の今の心境を聞いた。
(読売ウィークリー2007年10月14日号 p82-87)
◇
病院勤務医を経て父親が経営していた診療所を継いだ後、二十数年で7000人以上の赤ちゃんを取り上げた。新しい命が誕生する瞬間は、いつも感動的だ。その幸福な瞬間を母親たちと共有してきた。難しい帝王切開の手術を成功させ、白々と明ける空を見ながらガッツポーズをしたこともあった。
1年365日働き、夜中の呼び出しは週平均2,3日。お産はいつ何が起こるかわからない。自宅でシャワーを浴びていても、当直看護師からの内線電話の呼び出し音の幻聴に悩む。そして、ホンモノの着信音が鳴るたびに気が張りつめる。
「入院直後の患者の子宮口が開いており、すぐお産が始まります」
と告げられるのか、それとも
「胎児の心拍数が落ちています」と緊急呼び出しを受けるのか……。
分娩台を前にして、顔面が蒼白になった経験は数え切れない。産後出血が止まらない、吸引分娩を試みても産道から赤ちゃんが出ない、産まれた赤ちゃんが泣かない。産婦人科医なら必ず直面する事例ぱかりで、そのたびに危機を乗り越えてきた。頼れるのは自分だけ。人の命を預かる精神的ストレスは強烈だ。
「分娩室で、死んでいく赤ちゃんを前に立ち尽くしている」――。
そんなゾッとする夢にうなされたこともある。
今まで裁判ざたになるような医療事故はなかったが、これは運もある。そう、産婦人科医には「運」が大切だ。医師に過失がなくても、母親や赤ちゃんが万一死亡したら、たちまち口コミやインターネット上で悪評が広がり、妊婦は寄りつかなくなる。長年築き上げてきた信用も一瞬で吹き飛ぶ。実際、病院を閉鎖して引きこもりになった知り合いの医師もいた。
この仕事に強い誇りを、意気込みを持っていた私がお産をやめた契機は、妻の一言だった。最近は仕事を終えた後、疲労感が重くのしかかるようになっていた。帝王切開の手術にも以前より時間がかかり、その分、産婦の出血量も増えた。体力と気力の限界を感じた。朝から晩までため息ばかりの私に、妻が「そんなにつらいなら、お産をやめたら」と告げた。
逆説的だが、産婦人科医の夢は「お産をやめること」だ。実際には、日々の生活や診療所建築費返済などを思うと、簡単にやめるわけにはいかないのだが。今は産科病棟を閉鎖し、外来患者を診察する毎日。心底ほっとし、今まで味わったことのない解放感を満喫している。友人の医師たちからは「おめでとう」のメッセージも届く。
息子も医大生だが、この診療所を継がせるつもりはない。私のような昭和の戦後世代と違い、暖房付きの便座を使って育ってきた若者世代には、厳しすぎる仕事だ。予期せぬ医療事故が起きれば、すぐ訴えられる。多くの医療訴訟で医師側が勝訴しているが、たとえ勝っても、それまでの年月、精神的負担は重い。若い医師が激務で体をこわしたのも見てきた。
大病院ならば、産婦人科、小児科の医師や助産師が何十人もいて、医療機器類も整っている。流れ作業的だが、開業医よりは、妊婦にとって安全な分娩ができる確率は多少高いだろう。トラブル時の責任も分散される。気心の知れた開業医と手作りのお産をするのも良いけど、万一事故があれば取り返しがつかない。「お産の現場は、もう開業医の時代ではないのかも」と思う。
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