(関連目次)→産科医療の現実 目次 産婦人科医の勤労状況
(投稿:by 僻地の産科医)
都立病院の産婦人科医の立場から見た妊婦搬送問題
医師不足や公立病院の構造的問題が背景に
低賃金・長時間労働、兼業禁止、首長・議会に左右…
都立府中病院産婦人科部長
桑江千鶴子
m3.com 2008年11月10・12日
(1)http://www.m3.com/tools/IryoIshin/081110_2.html
(2)http://www.m3.com/tools/IryoIshin/081112_2.html
都立墨東病院の件をはじめ昨今、妊婦の搬送が社会問題化している。今回と次回に分けて、「なぜこうした問題が起こったのか」を、都立病院に勤務する立場から検証するとともに、その後、その解決策を探ってみる。
1.分娩施設不足・産科医不足が顕著になってきた
日本産婦人科医会の調査によると、2007年には分娩取扱い病院は全国で1281あったのが2008年には1177に減った。たった1年で104病院8%が分娩を扱わなくなった。このまま減少が続けば、単純に計算したら10年後にはゼロになってしまう。分娩取扱い施設は有床診療所を入れると全国で2839あり、病院41%、診療所59%の割合である。扱っている分娩数は、総計約100万分娩で、病院と診療所が約50%ずつ担っているが、施設数全体も減り続けている。分娩を取り扱っている病院では年間の分娩数が数百くらいは増えても何とかやっていけるが、ある程度以上は無理であるし、医師が一人辞めればとたんに扱えなくなる。現在はその余裕が全くなくなった状態であると思う。
都立病院でも、分娩取扱い施設は以前は6施設あったが現在は4施設で、うち1つが今回問題になった都立墨東病院だ。都立病院全体で見ても、本来の状態では分娩取扱いはできていない。つまり施設数としては3分の2、各施設の産婦人科医数の減少もあるので、可能な医療内容としては半分になっている。今回のような事例は都立病院であれば、以前はどこでも受け入れ可能であったが、その可能性が半分になっていると考えてもらえばいい。
医師が多いと言われる東京でも、産科、特にハイリスクを扱う施設、救急を扱う施設は不足している。私の勤務する病院はNICUがないので、年に20例以上の母体搬送を余儀なくされるが、その時は医師が一人電話に張り付いて周産期センターに電話をかけまくる。それでも受け入れてもらえずに、数日間にわたりかけることも珍しくない。特に妊娠早期の多胎は容易には受け入れてもらえない。急を要する時には、今回の都立墨東病院と同様の事態になる可能性は高い。今回は最初の問い合わせから1時間20分で搬送が決まったのは、われわれ産婦人科医の感覚で言えば早い方である。重症の恐れがあるため、最終的に都立墨東病院は無理して受け入れた。NICUは足らず、産科でも特に重症例を扱える施設は減り、医師もいなくなっている。
2.総合周産期センターの構造的な問題がある
1996年に国は周産期事業を開始して、母体死亡や新生児死亡を減らそう、周産期障害率を減らそうとした。それ自体は誠に結構な意図であった。しかしその策定内容は「絵に描いた餅」の部分があった。
国が決めた周産期センターの基準によれば、地域周産期センターと総合周産期センターの違いはMFICU があるかどうかだけである。その後の改定によって、当初12床とされたMFICUは6床まで減らされた。複数当直が必要とされた当直体制は、6床であれば「1列当直」でよいとされた。産科の実情に合わなかったと推察される。
MFICU6床であれば専任産科医は1人当直で、緊急の事態にはもう一人をオンコールで呼び出すことでよいが、9床以上あると専任産科医の複数当直が必要である。専任の意味は他の仕事をしてはいけない、ということである。大抵の総合周産期センターを要するような大病院は、婦人科病棟や一般産科病棟もあるし、救急もやっている。しかし、「専任」とするためにはもう1列当直体制を取らなければならないので、国の基準通り厳密にやれば産科医3人当直体制となる。つまり1カ月で90単位を埋めるとすると、1週間に1度の当直としても(それでも32~36時間連続勤務であることには変わりないが)90÷4=22.5つまり23人の産婦人科医師が必要となる。
現在、75の総合周産期センターがあり、その大半は大学病院あるいは大規模の公立病院に設置されているが、この基準を満たせる病院はいくつあるだろうか。恐らく5病院あるかどうかだろう。大抵のところは基準を満たしていないが、それでも多数の命を救っている。しかも、基準を満たしているところも大変無理をしているので、1人の医師が月に10回もの当直をしている。他の病院の当直を入れれば、1人の産科医が月に15回もの当直をこなしている状況もあり、余裕というものが全くない。自分の時間も生活もない。このような状態で10年も20年も働いていけるわけがない。現在は過酷な勤務をこなせても、いずれ皆、辞めていくであろうし、新しく入ってくる医師はいないか、いても少ない。男性医師は特に少ない。
若い世代は女性医師の比率が多いので、現在は総合周産期センターの運営ができているところも、早晩破たんすることは目に見えている。1996年にできた基準から12年たって、現在はその当時より産科医療事情は数段悪化している。当時ですら産科の現場は「複数当直なんて無理」と言っていた。周産期事業はイコールNICU事業と考えられていて、産科側の事情が斟酌されていたとは思えない。総合周産期センターといっても、「こども病院」のような小児科に特化していて母体の合併症を診ることができない病院も多く、それが県で唯一の総合周産期センターであるところもあり、産科医の確保と赤字に苦しんでいる状態が大半である。
3.都立病院=公立病院という問題
日本の病床数は諸外国に比べると格段に多く、在院日数も長いので、国は病床数の削減と在院日数の短縮化に熱心に取り組んできた。そのために(ばかりでもないだろうが)医療費を削減して保険点数を下げ、病床数を減らそうとしてきた。しかし、その結果が思ったようにはいかなかった、つまり急性期医療と不採算医療が成り立たなくなってしまったのではないかと個人的には考えている。
本来、個人病院・私立病院は黒字にしなければやっていけないから、赤字になる部分は手を出していなかった。しかし、必要な医療は国民の要望があるので、そうした不採算医療については全国に約1000ある公立病院が引き受けてきた。「お産」も以前は「儲かる」医療だったかもしれないが、「出産育児一時金」が数十年間据え置かれて30万円という低額が続き(現在は35万円)、分娩をやれば病院の持ち出しになるため不採算医療になった。
戦後のベビーブーム時代は年間260万件あった分娩も今は約100万件に減った。しかし、医師以外のスタッフの給与や材料費は当然のことながら上昇したために「儲かる」医療ではなくなった。それに加えて患者の権利意識が高まり、それ自体はいいことだと思うが、医療事故があった時の産科医療や産科医への非難や攻撃が激しくなり、"クレーマー"も増えた。診療所では看護師による内診問題と助産師不足があり、医師への負担が増した。本来、お産は危険なもので母体も胎児も死亡することが内在している医療であるが、それが世間的には容認されなくなり、結果が悪ければすべて医師が悪い、というマスコミの攻撃と訴訟の敗訴が立て続けにあり、民事の賠償額も高額になった。極めつけは「福島県立大野病院事件」で、医師が逮捕される刑事事件が起こるようになってしまったことだ。
診療所では高齢化が著しいが、後継者がいない。病院医療では産科医がいなくなった。さらに、公立病院は、詳細は後述するが、産科でなくても「低賃金長時間労働」であるなど勤務条件が悪い。重症例やどこも引き受けないような困難例が多く、救急もやっているので訴訟になりやすく、"クレーマー"も多い。ほとんどすべての医師を大学教室からの派遣に頼っている。
こうした悪条件のために医局員は公立病院を嫌がる傾向があり、新研修医制度をきっかけにして、公立病院からの医師引き揚げがまず起こり、医師不足が露呈した。その先鋒を産科が担った。まず医師不足に陥り、採算が取れなくなり公立病院が閉院する、という経過をたどる。
公立病院は、医師にとっては魅力のない病院が多いので、大学も引き揚げやすかったと思われる。都立墨東病院の産婦人科は現在は大学教室からの派遣がないので、研修医で補おうとしていたが、それができていなかったために問題になったのが、今回の事例の背景についての解釈である。最後に、亡くなられた患者さんのご冥福をお祈りするとともにお子様の健やかな成長を心よりお祈り申し上げるばかりである。
4.医師側から見た病院の問題
公立病院は、医師側から見れば、待遇の悪さなどの様々な働きにくさがある。以下に列記する。
(1)低賃金・長時間労働である
医師の給与は病院の設立母体によって変わるので、「勤務医」としてひとくくりにすることはできないが、民間病院はおおむね需要と供給の原則に基づいて決まる部分があるが、公立病院は「公務員」であり、基本は一般の公務員給与と同じである。
ただ、それではあまりに待遇が悪く、医師の確保ができないので、医師には「初任給調整手当」がある。これは公立病院の医師確保のために1961年より始まったということだ。医師の仕事は長時間に及ぶが、時間外手当はまず全額出ることはないどころか、ほとんど出ない。緊急で病院に行く際などの特殊勤務手当は、低額の上に基本給の25%まで、という制約がある。特に昨年までの都立病院医師の給与は、総務省の調査では全国61自治体立病院の61番目で最低であった。
武弘道先生の著書『こうしたら病院はよくなった!』でも、都立病院の医師給与が全国的にも低いことに触れていて、「生活費が最も高い東京において、医師の給与総額がこんなに低く抑えられているのは納得いかない」と書いてくださっている。この時のデータでは、他の公立病院との比較で、年間で約500万円の差があった。自治体立病院であるから、基本給やボーナス、その他手当はまず変わらないが、時間外手当と特殊勤務手当で大きく違っていた。私は22年間都立病院に勤務しているので、他の公立病院に勤務していた場合と比べると、単純計算で約1億1000万円は損をしていることになる。公立病院の中ですらこれほど差があるのに、他の民間病院と比較したら、その差は歴然としており、都立病院に勤務する医師がいなくても当然だろう。
都立病院産婦人科勤務医は「都立病院産婦人科連絡協議会」という任意の会を作って、都の病院経営本部にも参加してもらい、過去数年間にわたって様々な問題を協議してきた。特に産婦人科医の待遇改善がなされなければ希望する医師はいなくなり、分娩扱いを維持することはできないと警鐘を鳴らし、具体的な要求もしてきた。しかし、全く改善されることはなく、要求は無視されてきた。最近になり、2006年の都立豊島病院(当時)の産科閉鎖、都立荏原病院(当時)の産科閉鎖、都立墨東病院の産婦人科医定員割れと相次ぎ、ようやく今年4月より待遇改善されたが、これはたまたま優れた担当課長が赴任してきて、われわれ主張に耳を傾けてくれたという偶然の要素であると思う。(ただし、産婦人科に特化しているのは、異常分娩手当(1件につき1人4750円)だけである。
(2)コメディカルが「働かない」傾向がある
看護師をはじめとするコメディカルが、公務員的働き方をするため、医師にとっては仕事がやりにくい、端的に言えば「働かない」病院がある。院長は医師であるが、現場の医師の味方にはなってくれないので、大抵の仕事は医師がやることになる。確かに医師の指示がなければできないというのが、今の保険医療の建前であるが、事務的仕事から他の病院であれば他の職種の仕事まで医師がやることになり、在院時間が多くなる。
(3)制約が多い
「公務員」なので制約が多く、学会活動や医学研究がやりにくい。時間的制約もさることながら、講演活動、学会活動、研究費などにも制約が多い。
(4)兼業禁止
兼業は、本来業務が忙しいので実際には難しいとも思うが、私立大学は教育関連病院の維持に他の病院からの応援が欠かせないため、兼業禁止があると派遣できないところが多い。金銭的な問題だけではない。相互に行き来して地域の病院を応援したいと思ってもできない。オープン病院にしたくても、開業している他の医師が出入りできるような身分条件が難しいため実現困難である。
(5)事務方が医療にあまり精通せず
事務局長や課長など事務の管理職は、すぐ交代してしまう。長くても2年、短い時は半年で転勤してしまうこともある。彼らは本庁に戻ることが前提であり、現場の医療にはあまり熱心ではないようだ。また医療に詳しいエキスパートも少ない。絶えず交代してしまうので、継続性を持って事業ができない。そのため医師が働きやすい、医師の希望を入れた病院づくりができにくい。「今まで通り」「昨日までやってきたことを今日もやり、明日もやる」という態度で、新しいことは「前例がない」と言ってやりたがらず、変化を嫌う。自分がいるときは「大過なく」という感じで、旧態依然の雰囲気になる。やる気のある医師ほど嫌になってしまう。
(6)税金で補てんされているために起こること
公立病院の患者は、民間病院と比べると、受診態度が悪い人が少なくない。医療者に対して「税金で雇われているのに態度が悪い」などという投書が珍しくない。「税金を払っているのだから、サービスを受けるのは当たり前」という態度の患者もいる。このことが前提にあるので医療上のトラブルになりやすく、「クレーマー」や「モンスターペイシェント」の発生率が高いように感じる。しかし、事務方は、転勤が多いので慣れていない人が多く、結局、医師が対応しなければならないことも多い。
(7)首長・議会の決定によって方針が決まる
公立病院は、設立母体の首長の方針や議会の決定によって運営されている。建前上は民主主義であるから、選挙で選ばれた首長や議員、都立病院であれば都知事や都議会議員の決定に従うことになる。これ自体は当然のことであるが、このような立場の人は医療には素人であることが多いので、決定が現場に混乱をもたらすことも少なくない。
この点が民間病院あるいは公的病院(例えば日赤、保険病院、厚生年金病院など)とは決定的に異なる。例えば私の勤務する病院では、以前より救急は熱心に病院内の各科が連携良く行っていたという歴史があった。しかし、2001年の「東京ER」の開始とともに、現在でいうところの「コンビニ受診」が膨大な数で押し寄せた。当時の整形外科がまず耐えられなくなり、5月のゴールデンウイークやお正月休みの整形受診を制限し始めた。普通の仕事である外来・手術・開業医からの紹介救急患者などに対応しながらのERであり、そのための余分な人手があるわけではなかったので、医師の健康被害も出ようかという状態だった。
しかし、病院側、東京都側は整形外科の対応を理解せずに、部長・医長を他の都立病院へ強引に移動させた。住民からも署名運動が起こった。病院医局も反発して、医局会を開いて医局として弁護士を雇い「36協定」を結んだり、抗議をしたりした。救急医療が地域に必要であることは理解できるが、十分な準備もなく、議論もなく開始すれば現場は当然混乱する。この時のことが、いまだに尾を引いていると思われる。
都立墨東病院産婦人科は、大学病院からの派遣医師は現在いないので、独自に研修医を募集して、従来からの常勤医師と研修医で総合周産期センターを運営していた。しかし、上記のような都立病院固有の問題があり、今回の妊婦搬送問題につながったと思われる。研修医が育成されるまではまだ時間がかかったであろう。2006年に都立豊島病院の地域周産期センターがなくなり、来年4月より都立大塚病院に総合周産期センターを開設するべく、MFICU を作るために現在工事中であった。それまでの間、東京都としては都立墨東病院のセンターを維持しておく必要があったとも考えられる。しかし、産科医も無理をして8-10回の当直をこなしていたと聞いており、同じ産婦人科医としては限界を感じる。
桑江 千鶴子氏
1977年信州大学卒、2年間病理医として、JR東京総合病院勤務後、東京医科歯科大学産婦人科教室入局、都立荒川産院を経て、1982年から都立府中病院勤務、2002年より現職。東京医科歯科大学産婦人科臨床教授、2006年日本産科婦人科学会内に「女性医師の継続的就労支援委員会」を立ち上げ、委員長として調査提言など行う。『医療崩壊はこうすれば防げる!』(洋泉社)分担執筆。
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