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(投稿:by 僻地の産科医)
日本でも時々思い出したかのように話題になる『死刑』ですが、
日本と同じように死刑の存在する米国での原稿をいただきました。
もともとは朝日新聞の原稿なのだそうですけれど
朝日新聞の記事(最下段)が削られすぎたのか、
意味不明になってしまったので、再掲載してほしいと(>▽<)!
ちょっといろいろ最近は刑法についてもお勉強中(?) ..。*♡
ということでいただきました!
【参考ブログ】
判決下した裁判官を何と呼ぶ
freeanesthe June 22, 2008
http://anesthesia.cocolog-nifty.com/freeanesthe/2008/06/post_6453.html
仮釈放のない無期刑
―手に入るものには注意せよ―
デビッド・ジョンソン ハワイ大教授(社会学)
日本の裁判員制度が二〇〇九年五月に始まる。占領期以来の刑事司法の大改革の準備が進んでいるが、ここへ来て、量刑制度を検討する超党派の国会議員のグループによって、二つの新しい改革が提案された。
第一の提案は、死刑事件を判断する三人の裁判官と六人の裁判員の一致した意見を要求するものである。もしこの提案が法律になれば、死刑判決を言い渡すためには九人全員の意見の一致が必要になる。この提案は、他の事件に適用される「特別な多数決制」と異なるが、死刑事件には有意義である。なぜなら、刑罰が究極であり、またアメリカにおける重罪陪審裁判では、全員一致が要求されると評議はより十分に行われるとの調査結果があるからである。
第二の提案は、現在の死刑と無期との間に存在するギャップを埋めるために仮釈放のない無期刑(重無期刑)を創設しようとするものである。重無期刑は、代替的な厳罰を提供することで、死刑判決を減らすことができると期待する人もいる。しかし、この提案は、実際的にも法哲学的にも問題があると思う。
まず、日本以外に先進民主国で死刑制度を存置させている唯一の国、アメリカの現実を見てみよう。死刑制度を存置している三十六州のうち三十五州が重無期刑も採用している。これらの州の多くでは、死刑廃止論者は重無期刑の導入に賛成した。なぜなら、死刑に代わる厳罰があることは死刑判決の数を減らすと信じていたからである。しかし結果は、期待したほどではなかった。ほとんどの州では、重無期刑は死刑判決の数には少しの影響を与えただけで、執行を減らすことにはほとんど影響を与えなかった。なぜなら、重無期刑で死を避けることができたように見えた被告は、この新しい刑罰がなくても、いずれにしろ死刑を避けられた人々であったからである。
同時に、重無期刑の存在は、死刑事件以外の多くの被告の刑を重くしている。過去十年の間、死刑を存置しているアメリカの州の三分の二以上で重無期刑囚の人口が五十パーセント以上増加し、これら重無期刑率の高い州では、死刑の利用も高くなっているのである。全米では、死刑囚より重無期刑囚が十倍以上になっている。
要するに、死刑が存在するアメリカの州では、重無期刑の出現は、死刑への影響はほとんどなかった反面、死刑事件以外の多くの被告の処罰を厳しくする方向に作用した。哲学者のジョージ・サンタヤナは「過去を記憶できない者は、それを繰り返す」と言っている。日本の刑事司法にこの金言を当てはめれば、「他人の経験から学ぼうとしない者は、彼らの過ちを繰り返す」ということになろうか。この意味で、アメリカは、日本にとって良い反面教師となりうるかもしれない。
アメリカ以外の世界の刑事政策に関する調査は、重無期刑の妥当性への疑問に新たな理由を付け加えてくれる。イギリスでは、重無期刑が導入されるずっと前に死刑は廃止されたが、死刑のない中で、重無期刑は、量刑を重くする方向にほとんど作用していない。しかしこれは、日本が今回採ろうとしている道ではない。
世界で最も人口の多い民主国であるインドでは、重無期刑はなく、「無期」は通常14年から20年の拘束を意味する。日本よりも死刑と無期の間のギャップは大きいが、インドでは過去10年の間に一人の死刑執行しか行われていない。韓国では、重無期刑はないが、1997年以降死刑執行は全く行われていない。これらの国の経験は、重無期刑に頼ることなく死刑をコントロールできることを示唆している。
重無期刑の導入を思いとどまるべき理由には、これら実際上の理由だけでなく、法哲学上の理由もある。ドイツでは、連邦憲法裁判所は、囚人が釈放のあらゆる希望を絶たれることは人間の尊厳の侵害であると判断した。フランスとイタリアでも同様の判断が示されている。ヨーロッパでは、死刑を存置しているのは独裁国ベラルーシだけであるが、ノルウェー、スペイン、ポルトガル、クロアチア、スロベニアなど多くの国が重無期刑を禁止している。東ヨーロッパの旧独裁国では、最も凶悪な犯罪者に対しても、15年から20年の範囲での拘禁で十分と考えられている。
ラテンアメリカでは、メキシコの最高裁判所は、重無期刑は「残虐で異常な刑罰」であると判断しているため、メキシコ政府は、自国民が重無期刑に処せられる可能性がある場合、被疑者のアメリカへの引渡しを拒んでいる。
重無期刑は犯罪者処遇に関する国際ルールにも違反しているように見える。国際刑事裁判所のローマ規約によれば、同裁判所における最高刑である無期刑判決は、25年後に再吟味されるべきことを求めており、国連の自由権規約は、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる」と述べている。釈放のあらゆる希望を絶つ刑罰が、いかに人間としての償いの可能性を切り捨てるのか、いかに犯罪者の「人間固有の尊厳」を取り戻せるのかを判断することは難しい。実際、アメリカの死刑囚を対象に行われた調査では、多くの死刑囚は、重無期刑を死刑よりも残酷な刑罰だと受け止めていたのである。
アメリカには「手に入るかもしれないから欲しい、というものには気をつけよ。」という箴言がある。日本では重無期刑は、アメリカとは異なり、死刑に影響を与えるかもしれない。しかしそれでもなお、日本の推進論者は、死刑にほとんど影響を与えず、同時に死刑事件以外の厳罰化に油を注ぐかもしれない刑罰の導入には慎重であるべきだろう。
私は、日本の多くの重無期刑推進論者の動機は理解しているつもりである。しかし、世界の証拠が示すものは、重無期刑は、必要性もなく、また死刑廃止への有効なステップにもならないということである。より根本的には、重無期刑はそれ自体が「緩やかな死刑」であり、死刑が持つのと同様の多くの人権問題を提起するのである。不測の結果をもたらすかもしれない新しい刑罰を推進することより、なぜアジアで最も先進的なこの民主国のリーダーたちは、死刑問題により直接的に立ち向かわないのだろうか。韓国のリーダーたちは、この問題にもう10年も取り組んでいるのである。
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【元記事】
朝日新聞 私の視点(2008年6月20日朝刊掲載)
終身刑導入 死刑抑止には直結せず
デビッド・ジョンソン ハワイ大教授(社会学)
日本で裁判員制度が09年に始まるのを前に、超党派の国会議員グループは、死刑と無期懲役刑のギャップを埋めるため、仮釈放のない無期刑(終身刑)を創設する改革を提案した。
私は約20年間、日米の検察官制度や日本とアジアの死刑制度の研究を続けてきた。その成果や他の研究に基づく限り、今回の提案には問題があると思う。
まず、日本以外の先進民主主義国で唯一、死刑制度がある米国の現実を見てみよう。死刑のある36州のうち35州が終身刑を採用している。これらの州の多くで、死刑廃止論者は終身刑導入に賛成した。死刑に代わる厳罰があれば、死刑の数が減ると信じたからだ。
しかし、ほとんどの州では、終身刑が導入されても、死刑判決の数には少ししか影響がなかった。終身刑になった被告の多くは、たとえ終身刑がなくても死刑判決を避けられた人々だった。また、死刑が実際に執行された数を見ると、終身刑導入後に死刑判決がわずかに減った州でも、死刑執行数への影響はほとんどなかった。
逆に、米国では、終身刑が存在することで刑が重くなる傾向にある。過去10年間、死刑のある州の3分の2以上で終身刑囚が50%以上増えており、これらの州では死刑判決も多い。全米では終身刑囚の数が、死刑囚の10倍以上に上っている。
米国の死刑判決と執行は、90年代後半をピークに減り続けている。ただ、主な理由は終身刑のためというより、殺人の発生率が大幅に下がったということ、誤判が相次いだ結果、死刑に対する社会の支持が弱まったことによる。
世界で最も人口の多い民主主義国のインドに終身刑はなく、「無期」は通常14~20年の拘束を意味する。日本より死刑と無期のギャップは大きい。テロ犯罪の深刻な問題も抱えるが、過去10年間で死刑が執行されたのは1人だけだ。インド最高裁が、死刑は極端に例外的な事件にのみ適用すべきだとしていることと、恩赦が適用されるからだ。
韓国にも終身刑はないが、97年以降死刑執行は全くない。政治的指導者たちが国際人権法を受け入れようと努めたからだ。英国では死刑は廃止された。世論が死刑を強く死指示していても、終身刑に頼らず死刑をコントロールできるということだ。
米国には「求めたいものには注意せよ。本当に手に入るかもしれないから」という箴言(しんげん)がある。死刑判決と執行の加速を憂える日本の改革論者は、終身刑を求めることには慎重になるべきだ。実際に手に入れば、不測の結果に落胆するかもしれない。
根本的には終身刑は「緩やかな死刑」であり、死刑と同様の多くの人権問題を引き起こす。
アジアで最も先進的な民主主義国のリーダーたちは、なぜ死刑問題に対し、もっと直接的に立ち向かわないのだろうか。
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