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(投稿:by 僻地の産科医)
2008年6月28日(土)シンポジウム紹介とともに
周産期医療の地域的展開
~1次・2次・3次施設の連携~
田中啓一
日経メディカルオンライン 2008. 6. 13
(1)http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/opinion/mric/200806/506837.html
(2)http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/opinion/mric/200806/506837_2.html
初めに
田口空一郎氏によって「新生児の生命と日本医療の未来~周産期医療の崩壊から見た医療再建の道~」と題された論考が発表された(MRIC メルマガ臨時vol .77)。ここに力強い擁護者を発見したことに周産期医療に携わる者として心強く思った。意をつくして論点が整理されており、もはや付言を要しないのであるけれども、用語の使い方や重点の置き方など別異の表現もあり得るかと考え、拙文を構想した。
(1)周産期医療という用語について
胎児の在胎22週以降から出生後7日までの期間を周産期という。これは母子保健統計の要請を考慮して定義されているわけである。だからといって、妊娠22週未満に行われる医療について、周産期医療にふくめることが禁じられているのではない。
しかし用語上の混乱を起こり得るので、それを防ぐためには妊娠初期から出産後7日までの期間を示すために、妊娠出産医療というような呼称を用いる方がよい。また単体の施設がおこなっているのではなく、全国の多数の施設の総体が関わっていることを示すには、本稿では出産医療体制という語を使用することにする。また田口氏の論考が出産医療体制について述べられたものと解することは可能である。
(2)出産医療体制に関わる人々の疲弊により、出産医療体制の維持が困難になってきている。この行き詰った出産医療体制を再建するために、種々の解決策が論じられている。田口氏が弥縫策と批判する女性医師の活用、医師配分の見直し、医療従事者の間の業務分担の推進の三策のほか、分娩施設の集約化、助産師の活用などさらに解決策が二個提案されている。以上五策のうち、本稿では分娩施設の集約化が解決策になり得るのかを考察する。
(3)分娩施設の集約化は出産医療体制を救うのか?
(a) 1990年代初頭、母体死亡事案の解析の結果、出産施設が小規模のために救命可能な母体が死亡に至ったとする報告書が提出されたことに端を発する。改善策として集約化された巨大出産施設の建設が提案された。しかし、提案された出産施設の集約は提唱者に賛同する医師らの努力にもかかわらず、いまだ実現されず、巨大分娩施設は建設されず今日に至っている。また論者の主張に反するかのように、その間にも周産期の成績は向上し続けてきた。昨今、分娩施設の集約化が起きているのは、産科医の欠員によりやむを得ず非常事態として起きているのである。
(b) 出産施設の集約化案が唱道されるにつれて、分娩施設集約化案の反対の極にあるものとして、小規模出産施設や中小病院産科が軽視される論調がしだいに強まってきた。総出生数の約半数をになっているにもかかわらず、また、周産期の優良な成績をあげているにもかかわらず、無用無価値の存在とみなされるようになってしまったのである。
(c) 私の立場は小規模出産施設を1次施設として、その上に2次施設、さらにその上には3次施設からなる現状の出産医療体制を肯定するものである。田口氏の論考は現状の1次施設・2次施設・3次施設の地域連携を基本的に肯定的にとらえる点で筆者と共通点がある。つまり現状は妊娠出産医療の成績の点ですでに最適であり、現状を維持・発展できるような種々の方策がとられるべきであると主張するものである。巨大出産施設の構想に賛成しない理由は以下の四点にある。
第一に、集約化された巨大出産施設は現に存在しない。まだ存在しないものが存在する現状よりもすぐれているとするのはあくまでも理論上の話にすぎない。巨大出産施設を建設し、周産期医療の成績を出してみた上で、実績をして語らせればよい。
第二に、既存の中小出産施設が運営しにくくなるように追い込みながら、巨大出産施設を唱道するのは手法として疑問がある。たとえていえば都市をいったん中小施設のない更地にしておいてから巨大出産施設の建設にとりかかろうとしているかに思われる。願わくば、小規模出産施設を容認する一方で、巨大出産施設建設へと努力を傾けていただきたいのである。
第三に、技術の進展は常に個別化へ向かうことである。かつての巨大コンピュータからパーソナル・コンピュータへ。発電についても巨大施設建設から都市部への長大な送電線利用による配電よりは個別の住宅・中小建築物における電力生産で補強する仕組みができつつある。
第四に、社会工学的な発想が勝ち過ぎている。近年の医療制度改革すべてに共通するのであるが、国家が目標を定めれば、種々の医療資源の徴用はおのずとできると考えているふしがあるのではないか。医師を集め、看護師を集め、准看護師を集めることも、助産師を集めることも、自由自在にできるかのように考えているふしがある。個々人の職業人としての使命感や誇りあるいは私生活も生きがいもまったく考慮されていないかのようだ。
日本が到達した世界最高水準の妊娠出産医療の実績は1次・2次・3次施設の連携の中から、個々の施設の絶えざる努力の集合として帰結されたものである。国家目標として世界最高水準の妊娠出産医療の成績の獲得が最初に掲げられ、その実現のために個々の医療従事者が協力した結果として得られたものでは決してない。個々人の自発性のないところに創意も工夫も、また情熱も献身もないのだろう。
(4)宮崎県の試み
田口氏によって、総合周産期母子医療センターの設置されていない県の一つとして、宮崎県があげられている。同施設がないところではさぞ貧弱な妊娠出産医療が展開されているだろうと想像する向きもあるかもしれない。ところが、現実には全国トップクラスの妊娠出産医療の成績を毎年あげ続けているのである(池ノ上克「宮崎県での周産期医療システムの取り組み」「日本医師会雑誌」平成19年10月、第136巻第7号)。
いったいどのような秘密があって、そのような成績をあげつづけているのか、関係者のみならず、妊娠出産医療に関心をいだく人ならば、興味と好奇心がわいてくるにちがいない。私もまたそういった関心をいだく者の一人である。
来たる2008年6月28日(土)、京都市において、宮崎大学医学部教授の池ノ上克氏による講演がある。第2回「日本のお産を守る会」主催シンポジウム‘ 周産期医療の地域的展開~1次・2次・3次施設の連携‘が開催され、同氏が基調講演を行なう予定になっている。詳細は同会のHPをご覧いただきたい。そして、ぜひ、参加していただきたい。宮崎県の試みのうち、研修医教育の工夫についてだけ、ここで紹介しておきたい。産婦人科研修医に対しても、新生児管理に関して習熟するように教えているのである。田口氏が強調しておられる新生児科医の業務の一部をになうところまでこうして到達するのである。
(5)妊娠出産医療体制をよみがえらせるために
第一に、出産医療の利用者支払額の増額が必要なことを出産施設運営者が訴え、納得を得て、実行する勇気を持つことである。すでに費用の原価計算がなされて久しい。今こそ、世に訴える時である。もしこの訴えに成功すれば、医療施設の人員に余裕をもたせることができ、その結果として、より良い成績をあげる一方で、施設人員の意欲、能力が一層高まるだろう。そうして後、産婦人科、小児科に進む医学生や、また妊娠出産医療施設の勤務を希望する看護学生等もふえていくだろう。
第二に、国家予算の見地からは道路関連への投資によって得られるものは、国内での利便性の向上に限られているのに対し、妊娠出産医療体制への投資は世界的展開の可能性を秘めている。日本人医師の派遣や海外からの留学生受け入れなどの国際医療協力、創薬での世界貢献、健康状態改善による国内・世界GDPへの貢献など測り知れない。
第三に出産医療体制を支える医療チームに複数モデルを認める柔軟性を持つことである。アメリカ出産医療のように医師、看護師からなるチームをも許容することである。種々のチームが競い合って、さらに優良な妊娠出産医療の成績をあげることが可能になってくるだろう。
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