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(投稿:by 僻地の産科医)
看護師の勤務、緊急調査へ=相次ぐ過労死で協会-1万人対象
時事通信 2008年11月16日
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008111600121
長時間労働や不規則勤務が原因で看護師が過労死と認定されるケースが相次いでいることから、日本看護協会は16日までに、全国1万人の病院勤務の看護師を対象に、残業時間や夜勤、交代制勤務などの実態を緊急調査することを決めた。来年3月までに調査結果をまとめる予定。
同協会は1965年以降4年ごとに「看護職員実態調査」を実施。直近の2005年調査では残業時間は月平均14時間余りだった。しかし、先月過労死認定された高橋愛依さん=当時(24)=のケースで、認定された残業時間が月平均80時間近くに上り、病院の就業記録に比べ大幅に多いことが分かった。
協会は「看護師の業務は急激に増え、密度も濃くなっている。過労死が二度と起きないよう、調査で労働環境をくまなく点検したい」としている。
薬剤師の労災認めず-東京地裁
キャリアブレイン 2008年11月13日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/19152.html
青森労災病院(青森県八戸市)に勤務していた薬剤師三浦恵吾さん(当時39歳)が、うつ病を発症して自殺したのは、薬剤師の業務に加えて、「コンピューター西暦2000年問題」に対応する病院の薬剤管理システムの開発責任を負うなど、過重な労働が原因として、妻の久美子さんが国に対して労災不支給の取り消しを求めた行政訴訟の判決が11月13日、東京地裁であり、中西茂裁判長は「業務とうつ病の発症には、因果関係が認められない」などとして訴えを棄却した。
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判決によると、三浦さんは1997年4月から同病院で主任薬剤師として勤務し、2000年12月11日に亡くなった。
当時の同病院の薬剤管理システムでは、「コンピューター西暦2000年問題」に対応できないことから、新たなシステムを導入するに当たり、三浦さんが中心的な役割を任された。このため、三浦さんは薬剤師の業務に加え、99年6月に仕様書を作成した後は、業者と連絡を取りながら、同年12月末をめどに新薬剤管理システムを構築する業務に当たった。
三浦さんのうつ病発症の業務起因性について、原告側は「薬剤師としての本来業務と薬剤管理システムを構築する業務に従事し、99年9月から12月にかけて月50-80時間の時間外労働をするなど、同システムに関する業務が大変なストレスになっていた」と主張。また、同年10-11月には、システム開発に向け多忙な時期だったにもかかわらず、薬剤師としての研究発表のため、3回にわたる出張を命じられるなど、「仕事の質・量共に相当の負荷が掛かっていた」として、「同年12月20日ごろ、うつ病を発症した」と訴えていた。
一方、国側は「(三浦さんが)2000年4月に脳梗塞と診断され、強い心理的負荷を受けた」などとして、うつ病発症を同年5月中旬ごろと主張。これに基づき、「同システムに関する業務が、うつ病の発症に強い影響を与えた可能性が高いとは言えない。時間外労働も最大で月41.25時間で、長時間労働による負荷があったとは認められない」とするとともに、研究発表の出張については「私的研究」としていた。
判決では、原告側と国側で異なるうつ病発症の時期などを特定せず、同システムについて「開発自体は外注されており、うつ病を発症させるほどの強度の心理的負荷があったとは認められない」と判断。また、出張については「既に行った研究の発表であり、負荷はなかった」とした。これらに基づき、中西裁判長は「業務とうつ病発症には因果関係が認められず、業務に起因するとの原告の主張は採用できない」と述べ、原告側の訴えを退けた。
三浦さんの「過労死」については、久美子さんが01年3月27日、八戸労働基準監督署に労災申請した。しかし、同監督署は03年2月18日、不支給を決定。以降、審査請求、再審査請求が棄却され、昨年2月26日、労災不支給の取り消しを求め、東京地裁に提訴した。
【コンピューター西暦2000年問題】
1980年代までのコンピューターは、日付のデータを処理する際、西暦の4ケタの数字のうち、上2ケタの「19」を省略するのが一般的だった。この場合、2000年は「00年」となるが、省略した上2ケタは「19」のため、コンピューターが西暦1900年と認識して誤作動などさまざまな障害を起こす可能性が指摘され、当時、行政機関や企業などが対応に追われた。
争点を判断しない判決に批判相次ぐ-薬剤師の過労死裁判
キャリアブレイン 2008年11月13日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/19154.html
うつ病をいつ発症したかという最大の争点について明確に認定しない不当判決だ-。青森労災病院(青森県八戸市)に勤めていた薬剤師三浦恵吾さん(当時39歳)の「過労自殺」をめぐり、労災不支給の取り消しを求めた妻、久美子さんの訴えを棄却した東京地裁の判決。「本来の薬剤師の業務に加えて、コンピューターのシステム開発の中心業務を負う過重な労働の負荷について、司法は全く正しく判断していない」などと、判決を見守った約40人の支援者らからは批判が相次いだ。
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閉廷後の集会で、原告側の弁護士岡村親宜さんがまず、判決について「三浦さんのうつ病発症について、わたしたちは1999年12月20日ごろ、国側は2000年5月中旬ごろと、大きく異なっており、いつ発症したかが最大の争点だった。しかし、発症時期のいずれの主張についても、明確に判断しなかった」と批判した。その上で、「判決は、『原告は99年12月20日ごろに発症したとしているが、その前の6か月間の業務を見てみると、うつ病を発症するような原因はない』としている。しかし、薬剤師としての日常業務に加え、99年の6月ごろから新薬剤管理システムの責任者に据えられ、同年12月の“タイムリミット”までに間違いなく構築しなければならないなど、過度のストレスがうつ病発症の原因で、それ以外に理由はない」と指摘した。
大手コンピューターメーカーで設計開発に携わっていた支援者は、「判決は、三浦さんがコンピューターに慣れていたとしているが、それは当てはまらない。三浦さんは、パソコン関係の個人的なシステムに慣れていただけで、新薬剤管理システムなど大型の汎用コンピューターの開発に慣れてはいなかった」と指摘。他の労災病院でも進められていた新薬剤管理システムの導入について触れ、「システムを請け負う業者によって、進ちょく度が大きく異なった。青森労災病院では当時、トラブルが多く、三浦さんには相当の手間がかかった。こうしたことをきちんと区別できる人がいれば、三浦さんがうつ病を発症することはなかった」と強調した。
また、「働くもののいのちと健康を守る東京センター」事務局次長の色部祐さんは、「コンピューターのシステム開発は本来、薬剤師がやるものではない。薬剤師を責任者にしていた病院は、ほかにはないだろう。背景には、当時、全国の労災病院が厚生労働省の管轄から『労働者健康福祉機構』へ移行する中、“構造改革”に基づくコストダウンや人員減が進められた。三浦さんは、そうした流れの犠牲者ではないか」と、国の姿勢を批判した。
久美子さんは、「多くの人に夫の過労死について知ってもらいたい。医師、看護師、薬剤師、事務員など労働者と使用者との問題で、皆さんと共に手を取り合って闘っていきたい。特に、次の世代と未来をよりよく築いていきたい」と支援者に訴えた。
医師の過労死 解決金200万円 士別市、両親に
北海道新聞 2008年11月12日
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/128643.html
【士別】士別市は十一日までに、市立士別総合病院(現士別市立病院)から民間病院へ転勤直後の二〇〇三年十月に死亡し、過労死と認定された小児科医の男性=当時(31)=の両親に対し、解決金二百万円を支払う方針を固めた。
両親は東京在住。北海道労働局が医師は月百時間を超す時間外労働による過労死だったと労災認定したことなどを受け、今年一月、息子の死で精神的苦痛を受けたとして同市に慰謝料一千万円を請求していた。 同市は「争いを早期に解決する」として、解決金支払いの議案を十八日開会の定例市議会に提案する。
小児科医は〇二年十月-〇三年七月に臨時職員、〇三年八-九月は正職員として同病院に勤務。富良野市の民間病院に移って六日目に突然死。今年八月、地方公務員災害補償基金道支部が同病院での過労蓄積による公務災害と認定した。市側の解決金の支払いについて、両親の代理人弁護士は「話し合いの最中なので、答えられない」としている。
「医療者の過労死の助長を阻止」、過労死裁判で上告
m3com橋本編集長 2008/11/04
http://mrkun.m3.com/DRRouterServlet?pageFrom=CONCIERGE&operation=showMessageInDetail&pageContext=CONCIERGE&msgId=200811041921796135&mrId=ADM0000000&onSubmitTimeStamp=1225899367557&onLoadTimeStamp=1225899365620
「10月22日の高裁判決は到底、承服できるものではないので、私自身の意志で、子供たちの了解の下、最高裁に上告受理申立をした。この判決が今後使われることになれば、医療者、そして一般の方の過労死、過重労働を助長してしまうのではないか。この高裁判決を取り消してもらいたいと思っている」
11月4日の午後、中原のり子氏は記者会見の席上でこう述べ、10月22日の東京高裁の判決を不服とし、最高裁に上告受理の申立をしたことを明らかにしました。
この事件は、立正佼成会付属佼成病院(東京都中野区)の小児科医だった中原利郎氏(当時44歳)が1999年、過労自殺した件で、遺族らが勤務先病院を相手取り、損害賠償を請求していたものです。
2007年3月の行政訴訟では中原氏の死亡が労災であると認定されました。これに対し、10月の東京高裁の民事訴訟の判決では、自殺の原因となったうつ病は業務に起因すると認められましたが、使用者である病院の安全配慮義務違反および注意義務違反は否定され、損害賠償請求は却下されました。
上告の理由は、以下の5つです。代理人の川人博氏は、次のようにコメントしています。
「過労死については、2000年3月24日の最高裁判決が先例となる。一般論としては最高裁で覆すのは難しいが、今回の高裁判決はこの最高裁判決に照らすと、おかしい点が多々ある。最高裁にはしっかりと本件の記録を読み、大切さを理解して、高裁判決を改めてもらいたい。
「世論がこの裁判を注目すれば、判断が変わる可能性はあると考えている」
「ご遺族にとっては、中原氏の死亡から9年が経ち、上告で10年以上かかることは避けられなくなった。しかし、事の重大性を踏まえ、ご遺族は決意された」
例えば、下記の「2」の関連で、2000年の最高裁判決では、「過労や心理的な負荷が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険があるのは周知の事実である」と規定して、使用者(病院の管理者)の責任を論じています。この最高裁では「心と体の健康」を一体的に論じているのに対し、今回の高裁判決は「精神の異変を予見できたかどうか」に限定している点を川人氏は問題視、「予見可能性のハードルを高くしている」(川人氏)。
なお、今回の上告受理申立について意見を求めたところ、11月3日の1日間だけで、添付のように40人以上の全国の医療者から支援の声が集まったそうです。
【上告受理の申立理由】(中原氏の配布資料による)
1.労働基準法41条違反と安全配慮義務違反との関係
睡眠確保や深夜労働の規制立法違反の有無は、賠償責任問題に影響する。
2.予見可能性の解釈適用
精神的異変の予見を条件にしているが、病気の種類にかかわらず、健康悪化の予見が可能であれば、責任あり。
3.理由齟齬
相当因果関係で3月から6月の過重性を認めながら、予見可能性では、3月のみの一時的な過重としている。
4.使用者の安全配慮義務違反解釈の誤り
組織の人事権財政権ない者(中間管理職)への責任転嫁。
5.状況を把握する作為義務と安全配慮義務違反の関係
ある程度の調査を尽くさなければ、安全配慮義務を免れることはできないのではないか。
東京地裁での損害賠償請求棄却を受け
nikkei BPnet 2008年11月5日
http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20081105/109995/
去る10月22日、東京地裁が損害賠償請求を棄却した小児科医・中原利郎氏の過労自殺を巡る民事訴訟で、原告は11月4日、最高裁に上告受理の申立を行った。同日、司法記者クラブで開いた記者会見で発表した(関連記事、関連記事)。
1999年、小児科医だった中原氏が過重な勤務からうつ病になり、勤務先の病院屋上から投身自殺した。これを、病院が安全配慮義務を怠ったためであるとして、遺族は2002年に病院を相手取った損害賠償請求訴訟を提起した。しかし2007年3月に東京地裁は原告の訴えを棄却(関連記事)。これを不服として遺族が東京地裁に控訴したが、10月22日に再度、この損害賠償請求が棄却された。これとは別に、遺族が労災認定を求めた行政訴訟では、2007年3月に勝訴が確定していた(関連記事)。
10月に損害賠償請求を棄却した東京地裁は、一審では否定された業務の過重性を認定し、過重な業務と中原氏のうつ病の発症には因果関係があるとした。しかし、中原氏がうつ病にかかることを予想することは困難であり、安全配慮義務ならびに注意義務を怠ったとは言えないとして、病院側の責任を認めなかった。
「国は上告しないで」-看護師過労死裁判で「支援する会」が要請
キャリアブレイン 2008年11月5日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/19001.html
国立循環器病センター(大阪府吹田市)に勤務していた看護師村上優子さん(当時25歳)の過労死を「公務災害」と認定した10月30日の大阪高裁の控訴審判決を受け、「村上優子さんの過労死認定・裁判を支援する会」(脇田滋会長)と大阪医療労働組合連合会(西原美鶴執行委員長)は11月5日、舛添要一厚生労働相あてに上告しないよう求める要請書を提出した。
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看護師の過労死「公務災害」と認定-大阪高裁
第2回「壊れる医療現場」(連載企画「KAROSHI-問われる医療労働」)
第1回「増える過労死」(連載企画「KAROSHI-問われる医療労働」)
看護職員確保法の改正と看護師増員を―大阪医労連
笑顔で支援者に謝意―村上裁判で両親ら
両団体のメンバーらは、厚労省大臣官房課と国立病院課を訪ね、▽大阪高裁の判決を尊重して上告せず解決してほしい▽同様の悲劇が二度と起きないよう、国立病院の看護職員らの勤務実態を改善してほしい―と要請した。
優子さんの母加代子さんは、現役看護師の立場から「国立循環器病センターはいまだにタイムカードもなく、労働環境が変わっていない。国もいまだにサービス残業の存在を認めていない」と指摘。その上で、「娘の死を無駄にしないでほしい。国は医療現場の過酷な状況を認め、改善してほしい」と訴えた。大阪高裁の判決に対しては、「労働の質的過重性、量的過重性の両方をきちんと認めてくれ、ありがたいと思う」と高く評価した。
両団体は同日、日本看護協会と各政党の厚生労働委員も訪ね、要請の内容について説明し、協力を求めた。
控訴審判決にあらためて批判
キャリアブレイン 2008年11月5日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18992.html
「中原医師が全国の小児科を憂い、残してくれた遺書の一字一句を、裁判所が読み取れなかった事実に、多くの小児科医が落胆した」-。当直回数が最大で月8回、月平均5.7回と一般の小児科医の平均の1.7倍に上るなど、過重な業務によって過労自殺した小児科医中原利郎さん(当時44歳)の民事訴訟で、遺族ら原告が求めた病院側の「安全配慮義務違反」を認めず、訴えを棄却した10月22日の東京高裁判決に、医師や過労死の遺族らからの批判と抗議が相次いでいる。一方、妻のり子さんら原告が11月4日、最高裁に「上告受理」を申し立てたことに対し、「司法が正しい判断を示すべき」と支援の輪が広がっている。
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のり子さんら遺族を支援してきた「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」(以下、「支援する会」)の会長で、船橋二和病院(千葉県船橋市)心臓血管外科部長の守月理さんは、昨年3月の行政訴訟判決で労災認定され、民事訴訟の控訴審判決でも業務の過重性と中原さんのうつ病発症との因果関係を明確に認めながら、病院側の「安全配慮義務違反」を認めなかったことに対して、「控訴審判決は、全国の病院で常態化している労働基準法、労働安全衛生法違反を追認するばかりか、(医師の労働)環境改善を怠る病院や国に格好の免罪符を与えることになりかねない」と厳しく批判し、原告への支援を呼び掛けている。
中原さんと同じ小児科医として、埼玉県済生会栗橋病院副院長で小児科部長の白髪宏司さんは、中原さんの遺書にも触れ、「日本の小児医療の在り方を学べなくてどうする。医療スタッフの労働環境や心身の健康に留意する姿勢は病院経営の根幹であり、よい医療提供の必須条件。今後の正しい判決により、行政への指導改革を含め病院経営の在り方を再考しなければ、同じことが繰り返される」などと警告している。
また、「過労死・自死相談センター」名誉会員で、「全国過労死を考える家族の会」元代表の馬淵郁子さんは、控訴審判決について、「『うつ病の治療をすれば自死しないで済んだはず』と主張するが、業務の過重性と過密な仕事内容を分析し、治療する時間があったかどうかの重要な個所には言及していない」と疑問を呈した上で、「病院側が過重な業務を課しながら、うつ病を予見できなかったこと、司法が下した判断、その問題の大きさに怒りが込み上げる。『安全配慮義務違反』の黙認で、過労死が増産される」などと抗議している。
さらに、小児科医を志している現役の医大生(4年)は、「裁判で、法的に病院が医師を支えてくれないと分かり、卒業後に研修病院に配属される時、何の支えもないまま医療の世界に飛び込まなくてはならないことに、背筋が凍る思い。判決が小児科を志す学生に影を落とさないこと、子どもを助けようと懸命に働く小児科医が傷つかない世界になることを願う」との意見を「支援する会」に寄せている。
控訴審判決への意見などは既に40件を超えており、「支援する会」では今後、司法に正しい判断を求めるとして、http://kat.cc/0462a0で支援の声などを募集している。
医師「過労死裁判」で遺族ら上告
キャリアブレイン 2008年11月5日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18991.html
小児科医・中原利郎さん(当時44歳)の過労自殺をめぐり、遺族らが勤務先の病院を運営していた立正佼成会を相手取って損害賠償を求めた民事訴訟の控訴審で、東京高裁が使用者の「安全配慮義務違反」を認めなかったことを不服として、妻のり子さんらが11月4日、最高裁に「上告受理」の申し立てを行った。同日開いた記者会見で、原告弁護団の川人博主任弁護士は、電通社員の過労自殺をめぐる2000年の最高裁判例(以下、電通最高裁判決)と労働基準法などに控訴審判決が違反しているとして、最高裁に審理を求めていく考えを強調した。電通最高裁判決は、「長時間労働が継続して疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険がある。使用者は労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」として、使用者の「安全配慮義務違反」を認定している。
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会見で、弁護団は「電通最高裁判決に照らしてみれば、本件のように一か月に当直8回、休日2日のみという状況では、心身の健康を損なう可能性は十分だ。病気の種類にかかわらず、健康悪化の予見が可能であれば、使用者の責任がある。ある程度、調査をしなければ、『安全配慮義務違反』を免れることはできない」と指摘。その上で、「『精神の変調が予見可能だったか』と問題をすり替えて『安全配慮義務違反』のハードルを高くし、使用者の責任を認めなかった」と控訴審判決を批判した。
また、控訴審判決が労働基準法と労働衛生安全法に反しているとも指摘。川人弁護士は「(両法は)労働者の健康を守るために作られたものだと論旨に書いてある。電通最高裁判決でも、(両法に)違反することは、使用者の責任につながると指摘している。ところが、控訴審では(両法への)違反があってもなくても使用者の責任はないとの論旨を展開しており、この点でも電通最高裁判決に違反している」と述べた。のり子さんは「あのような控訴審判決が認められれば、医療者だけでなく一般の労働者たちの過労死を助長してしまう。控訴審の判決を取り消してほしいと思っている」と強く訴えた。
一審・東京地裁の3月29日の判決では、中原さんの当時の業務を「過重ではなかった」として原告側の訴えを棄却。のり子さんらが東京高裁に控訴した。10月22日の控訴審判決では、「過重な業務とうつ病の因果関係」は認めたものの、「病院側が(中原さんの心身の変調を)具体的に予見することはできなかった」として原告側の訴えを棄却。この判決を受け、遺族と支援者らが上告に向けて検討を進めていた。
「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」は3日、全国の過労死家族会や医療関係者らから、控訴審への批判と抗議のコメントを集めた。川人弁護士は集まったコメントを何らかの形で最高裁に提出する意向だ。
コメントは、同会のホームページからも受け付けている。
http://kat.cc/0462a0
http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/
看護師の労働環境の改善を
キャリアブレイン 2008年10月30日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18916.html
国立循環器病センター(大阪府吹田市)の看護師だった村上優子さん(当時25歳)のくも膜下出血による死亡について、大阪高裁が10月30日、公務災害と認定する判決を下した。高裁は、村上さんの時間外労働を月50-60時間と算定。これは、過労死の「認定基準」を下回る“数字”だ。しかし高裁は、「過労死認定の判断は、時間外労働時間の量のみに基づくのは相当ではなく、その量に併せ、業務の質的な面を加味して総合的に判断する必要がある」と、労働の質的な過重性について踏み込んだ見解を示した。社会問題化している過労死が、減るどころか増えている現状にあって、今回の判決は大きな意義を持つ。
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看護職月8日夜勤など法的規制を
村上さんは1997年4月から同センターで勤務していた。判決では、同センターについて、「循環器疾病に対する高度の専門的医療・調査・研究を担っている。ここに勤務する医師や看護師は日夜、先端的な医療、新しい医療技術の開発などに専心しており、求められる業務の水準も自ずと高度であり、身体的負担や精神的緊張の程度も大きい」と指摘。その上で、村上さんが担当していた脳神経外科病棟の業務を挙げ、「主に脳血管外科の手術待機患者や回復期の患者が入院しており、外来や一般病棟に比べると、勤務内容の負担が高く、恒常的に時間外勤務をせざるを得ない状況だった」ことを重視した。
看護労働の質的な過重性に関しては、変則的な夜勤や交代制勤務の問題を取り上げ、「勤務シフトの変更度合い、一つひとつの勤務間隔、深夜勤務の頻度などの観点から検討し、評価すべき」と、時間の長さだけでは測れない労働の過重性に言及している。こうした観点に基づき、村上さんがこなしていた日勤から深夜勤、準夜勤から日勤のシフト間隔が5時間程度しかなかったことを重視し、「勤務間隔の全部を睡眠に当てたとしても、最適な睡眠時間を確保することは不可能。通勤や家事に要する時間を考慮すると、確保できる睡眠時間は3、4時間程度に過ぎず、村上さんが疲労回復のための十分な睡眠を取れなかった」として、短い間隔での勤務や恒常的な残業など、労働の質にかかわる過重性を総合的に判断する必要性を強調した。
関西大教授で労働問題に多数の著書がある森岡孝二さんが厚生労働省の調査を基にまとめた「過労死・過労自殺などの労災認定状況」によると、例えば、脳・心臓疾患での死亡が1999年の48人から2005年には157人に急増している。
過労死が増える労働現場にあって、今回の判決は「発症前1か月間に概ね100時間、または2か月間ないし6か月間にわたって1か月当たり概ね80時間を超える時間外労働が認められる場合、業務と発症との関連性が強いと判断される」とする「過労死認定基準」の“妥当性”を問う内容とも評価できる。
しかし、看護師不足はなお深刻で、看護職の労働条件の根幹をなす夜勤・交代制勤務について、夜勤体制が3人以上の病院は5割に過ぎず、2人や2人未満の病院もある。
1965年の人事院の夜勤判定から40年以上が経過しているにもかかわらず、いまだに「月8日以内夜勤」は実現しておらず、夜勤が月に9日以上の病院が2割を超えている。
入院日数の短縮化や医療安全対策、医療・看護内容の高度化で、看護の現場の忙しさが増している。夜勤・交代制の不規則な勤務でありながら、仕事が終わらず数時間の残業が常態化し、疲れ果てて燃え尽き離職していく看護師も少なくない。過密な業務と少ない人員体制では、患者の命と安全の確保にも否定的な影響を与える。
昨年7月、月8日以内の夜勤、勤務間隔の12時間以上確保、夜勤後の時間外労働の禁止などを求める「看護職員確保法」の改正を求める請願が参院で採択された。しかし、いまだに実現していない。
今回の判決も踏まえ、看護師が健康で安心して働き続けられる職場をつくることに、国など関係機関が全力で取り組むことが求められている。
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キャリアブレイン 2008年10月28日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18884.html
「日勤が忙しくて、帰ったのは午後10時前。寝る時間がほとんどなく、そのまま深夜勤に突入。始まったときからふらふら」、「深夜明けの後にも仕事があり、ほとんど寝ていない。すっごい、疲れたようー」…。国立循環器病センター(大阪府吹田市)に勤めていた看護師村上優子さんが2001年2月13日、くも膜下出血で倒れ、翌3月10日、同センターで息を引き取った。25歳。看護師になって、まだ4年目だった。同センターの労働条件は過酷だったが、看護職に誇りを持ち、疲労を極めながらも懸命に頑張る様子がメールに残されていた。「二度と娘のような悲劇を繰り返さないで」と、看護師の職場環境改善を求め、父雅行さんと母加代子さんらが闘ってきた訴訟に、あす10月30日、司法の判断が示される。
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国立高度専門医療センターで看護師“バーンアウト”
「看護職員確保法」の早期改正を
村上さんは、1997年4月から同センターで勤務。重症患者が多い脳神経外科病棟を担当していた。しかし、厳しい労働条件から、同センターでは当時、看護師の平均在職年数がわずか2.9年に過ぎなかった。このため、3、4年目になると「中堅」に位置づけられ、村上さんは2000年から、新人の教育係を兼務していたほか、看護研究などで休日を含めて日常的に時間外労働を強いられていた。村上さんは、「日勤」(午前8時半-午後5時)、「準夜」(午後4時半-午前1時)、「深夜」(午前零時半-同9時)などのシフト勤務をこなしていたが、業務開始前の“準備”や「定時」を超えた後の残業(時間外労働)が絶えなかった。中には、午後5時までの日勤の後、4時間の残業があり、帰宅が午後10時になり、そのまま午前零時半から始まる深夜勤に入る時もあった。一日の勤務を終えたにもかかわらず、5時間前後で次の勤務に入ることが多く、体力が回復しない状態で働くことが長く続いた。
そして01年2月13日。この日は午前11時から午後7時半までの「遅出勤務」だったが、帰宅は午後9時45分ごろになった。友人に「とりあえず帰ってきた。眠すぎる!」とのメールを送った。それから約1時間半後、「頭痛が治まらない。救急車を呼んだ方がいいかな」と友人に電話し、同センターに搬送される途中に意識がなくなった。一度も意識を取り戻すことなく、3月10日に亡くなった。
両親は02年7月31日、使用者である国の「安全配慮義務違反」を理由に損害賠償請求を求める民事訴訟を大阪地裁に起こした。過労死をめぐる訴訟で、使用者としての国に賠償を求めるのは初めての事例だった。民事訴訟では、大阪地裁が04年10月25日、「公務と発症の因果関係はない」と認定。両親が控訴したが、大阪高裁が07年2月28日、控訴を棄却した。最高裁も同年10月23日、「上告不受理」と決定し、「国の使用者責任はない」ことが確定している。一方、公務災害の認定を求めた行政訴訟では、大阪地裁が今年1月16日、「日勤の終了から次の勤務(深夜勤)までの間隔が5時間程度しかなかった日が月平均で5回はあった」などとして、勤務実態から過重な労働による公務災害と判断し、国家公務員災害補償法に基づく遺族補償の支払いを命じた。国が控訴した大阪高裁の判決が10月30日に下される。
大阪地裁は、村上さんの時間外労働を月50時間超と算定。「過労死(公務災害)」の認定基準の月80時間を下回るが、十分な休養を取れない短い間隔での仕事を余儀なくされていたことなど、労働の量的過重性と質的過重性の総合的評価を求める認定基準にも即した判決を下した。控訴審では「日勤から深夜勤などの勤務間隔が平均で5時間程度しかなく、心身への負荷が大きかった。くも膜下出血を発症するだけの質的な過重性が認められる」と、原告側が主張。国側は、「過労死認定基準を超えていない。決められたスケジュールで働いており、変則勤務による質的な負荷はない」などと反論した。
裁判の争点となっている看護労働の変則勤務の過重性などについては、大阪医療労働組合連合会(大阪医労連)や全日本国立医療労働組合(全医労)などでつくる「看護師村上優子さんの過労死認定裁判を支援する会」(会長=脇田進・龍谷大教授)が、全国の国立病院の看護師の声を集めた「過労死する前にナースを救って欲しいと思います」と題した冊子を作成している。看護師の労働実態を示す資料として、裁判所に提出している。
冊子には、村上さんと同じ循環器病センターに勤務していた元同僚も声を寄せており、「日勤の場合は2、3時間の仮眠で深夜に入ったり、深夜の場合は帰りが昼過ぎになったりするなど、業務や残業時間が多すぎた」、「同センターは最先端の病院で、看護の内容が他の病院よりも濃く、睡眠時間が本当に少ない。夕食を食べられず、ずっと続けて勤務したことは数知れない。起きても眠く、仕事でミスをしないよう神経をぴりぴりとさせていないといけなかった。また、休日も看護研究などがあり、気が安らぐ日がなかった」などの厳しい実態を挙げている。
奈良県立病院の研修医死亡、過重労働認定
MSN産経ニュース 2008年9月11日
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080911/trl0809111207007-n1.htm
奈良県立三室病院(同県三郷町)に勤務していた男性臨床研修医=当時(26)=が平成16年1月、公務災害基準を超える時間外労働で死亡したとして、研修医の両親が荒井正吾知事を相手取り、約1億5600万円の損害賠償を求めた訴訟で、県が両親に対し、8300万円の損害賠償金を支払うことで奈良地裁で和解が成立したことが11日、分かった。県によると、この研修医は平成15年4月から同病院に勤務。同年10~12月の時間外勤務は1カ月平均で114時間に達し、公務災害基準とされる80時間を超えていた。研修医は16年1月、インフルエンザを発症し、2日後に心不全で死亡した。
両親は18年5月、奈良地裁に提訴し、地裁が今年7月、和解を勧告。研修医は18年12月、公務災害に認定されていた。県医療管理課は「公務災害基準を超えていることを考慮して勧告に応じた」としている。
研修医急死、県が8300万円賠償 奈良
朝日新聞 2008年9月11日
http://www.asahi.com/national/update/0911/OSK200809110036.html
奈良県は11日、04年に県立三室病院(同県三郷町)で研修中に急死した臨床研修医の男性(当時26)の遺族に対し、長時間にわたって過重な負担をかけるなど県の安全配慮が不十分だったとして、8300万円の損害賠償を支払う方針を明らかにした。9月定例県議会に提案する。
県医療管理課によると、研修医は03年4月から同病院で内科の研修医として勤務。04年1月、敷地内の宿舎で心臓の発作を起こし、救急車で運ばれたが翌日死亡した。研修医の03年7~12月の時間外の拘束時間は月68~139時間にのぼっており、別に月3回、1回あたり8~16時間の当直勤務もこなしていた。
両親は06年5月、長時間かつ精神的緊張の高い労働が死因になったとして、奈良地裁に約1億5600万円の損害賠償請求を提訴。地裁は今年7月に和解を勧告していた。同課は「体調にあわせて勤務を制限するなど、研修医の健康状態への配慮に欠けていた」と話している。
過労自殺:医師が長時間労働…両親と病院和解 大阪高裁
毎日新聞 2008年9月5日
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080905k0000e040039000c.html
04年に自殺した女性医師(当時28歳)の両親が「過労によるうつ病が原因」として勤め先の「十全総合病院」=愛媛県新居浜市=を運営する財団法人に対し、約1億9000万円の損害賠償を求めた訴訟が、病院側が和解金6600万円を支払うことで大阪高裁で和解した。和解は8月28日付。両親の代理人は「うつ病の発症と長時間労働の因果関係は認められなかったが、司法が病院側の安全配慮義務を幅広く認定した意義は大きい」と話している。
07年5月の1審・大阪地裁判決は、医師の過労自殺を巡る訴訟で病院側の法的責任を初めて認定し、約7700万円の賠償を命じた。だが、過失相殺の割合を不服とした両親と病院側の双方が控訴していた。
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