(関連目次)→ 大野事件 癒着胎盤 目次
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【大野事件、これまでの日程と今後】
第1回公判 1月26日 冒頭陳述
第2回公判 2月23日 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3月16日 手術室にいた助産師と麻酔科医
第4回公判 4月27日 手術室にいた看護師 院長
第5回公判 5月25日 子宮の病理鑑定医師
第6回公判 7月20日 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8月31日 加藤医師本人に対する尋問
第8回公判 9月28日 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10月26日 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判11月30日 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)
第11回公判12月21日 加藤医師本人に対する尋問
第12回公判 08年1月25日 患者御遺族の証言 (←今ココ)
第?回公判 08年3月14日 論告求刑
第?回公判 08年5月09日 弁護側の最終尋問
(投稿:by 僻地の産科医)
大野事件公判、第11回目ですo(^-^)o
今回もロハス川口さまが傍聴に行ってくださいました..。*♡
読んでいると涙が出てきます。
産科を第一線でやりつづけていれば、
10年やれば新生児死亡、
20年やれば母体死亡にかかわるといわれる世界(;;)。
続けていくということは、
こんな思いを、こんな扱いを味わわねばならないのでしょうか?
母体死亡も新生児死亡も、けしてゼロにはなりません。。。
福島県立大野病院事件第11回公判(0)
ロハス・メディカルブログ 2007年12月21日
http://lohasmedical.jp/blog/2007/12/post_990.php
福島県立大野病院事件第11回公判(1)
ロハス・メディカルブログ 2007年12月21日
http://lohasmedical.jp/blog/2007/12/post_991.php
加藤医師 事故調査委員会の結果が出た時、その説明をするからということで病院に来ていただいて説明しました。墓前にも報告して謝罪してくれというので行きました。お墓を教えるから土下座してきてくれと言われたので、してきました。
弁護人 どういう気持ちでしたか。
加藤医師 亡くならせてしまったという気持ちが強くて本当に謝罪したいと自然に土下座しました。
弁護人 その後もお墓参りに行っていますね。
加藤医師 はい、逮捕前までは、月命日の前後の休日に行かせていただいていました。逮捕後は年1回命日に行っています。
弁護人 まさに命日が過ぎたばかりですが今年も行きましたね。
加藤医師 はい。
(略)
弁護人 最後にAさんとご家族に対して、どう思っていますか。
加藤医師 私を信頼して受診してくださっていたのに、亡くなってしまう悪い結果になって本当に申し訳なく思っております。当時、突然亡くなられて私もかなりショックでした。亡くなられてから一日中、初めて受診した日からお見送りした日までの色々な場面が頭に浮かんで離れませんでした。ご家族の方に分かっていただきたいとは思っておりますが、なかなか受け入れていただくのは難しいのかなと考えております。こういう風にすれば良かったのかなとか、いい方法はなかったかなと思いますが、あの状況で他のそれ以上の良い方法が思い浮かばないでいます。亡くなってしまった現場に私がいて、その現場の責任者が私のわけで、亡くなってしまったという事実があるわけで、その事実に対して責任があると思われるのも当然だと思います。できる限りのことは一生懸命しました。亡くなってしまったという結果はもう変えようのない結果ですし、私も非常に重い事実として受け止めております。申し訳ありませんでした。最後になりましたが、Aさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
1時間ほどで弁護側質問が終わり、検察側の質問。
相変わらずS検事が口調は穏やかだが
何を聞きたいのか分からないような事でネチネチ食い下がる。
加藤医師は弁護側に答える時はゆっくりしっかり話していたのだが
検察側の質問には声が小さくなり言い淀む場面が増える。
もっと胸を張って堂々と話せば良いのにと思って、ふと気づいた。
まるで「いじめっこ」の前に出た「いじめられっこ」のようなのだ。
素人がこんなことを軽々しく言うべきではないのだが
加藤医師は検察によるPTSD状態ではないか。
たとえ無罪判決が出ても
リスクのある周産期医療の現場はもちろん
臨床現場に復帰できないかもしれない、そんな気がした。
警察を招き入れることになった県の調査報告書の罪
そういう報告書を出さざるを得なかった役所の論理の罪に
強い怒りを覚えた。
(略)
福島県立大野病院事件◆Vol.6
「異状死の届け出はしなくていい」
医師法第21条で加藤医師への尋問、院長との会話が明らかに
橋本佳子(m3.com編集長)2007年12月25日
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/071225_1.html
大野病院院長:「医療過誤はあったのか」
加藤医師:「いえ、ありません」
大野病院院長:「それでは、異状死の届け出はしなくていい」
福島県立大野病院で、女性が大量出血で死亡したのは2004年12月17日のこと。当日の夜、被告である加藤克彦医師と同病院の院長との間で、こんな会話が交わされたという。加藤医師は、業務上過失致死罪に加えて、異状死の届け出をしなかったとして医師法第21条違反にも問われている。先週末の12月21日に開かれた第11回公判では、加藤医師は、「異状死の届け出対象は医療過誤で、施設長である院長が届け出る」という認識を持っていたと述べた。
加藤医師は当時の厚生省指針に準拠
この日の公判では、25人分の一般傍聴席を求め、並んだのは63人。午前10時開廷で、午前中は12時まで、午後は1時から3時まで、被告人質問が行われた。
医師法第21条に基づく異状死の届け出について、加藤医師の認識や院内でのやり取りが明らかになったことが、この日の一番のポイントだ。そのほか、女性の死亡に伴い、被告の加藤医師がどんな心境に陥ったか、また遺族側といかなるやり取りがなされたかなど、当時の様子が語られ、非常に興味深い展開になった(これらの点については、「墓前で自然な気持ちで土下座した」を参照)。
医師法第21条は、「医師が異状死体を検案した場合は、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と定めている。しかし、何が「異状死体」に当たるのかなど、21条の解釈をめぐっては、日本法医学会や日本外科学会、厚生労働省など様々な団体が異なる解釈を出しており、医療現場は混乱しているのが現状だ。
加藤医師は、21条について、「事件や事故で死亡した場合や医療過誤で死亡した場合に、施設長である院長が警察に届け出るという認識だった」と語った。ここでいう「医療過誤」とは、「医療準則に反した行為」などを想定したという。加藤医師の頭には、当時の厚生省保健医療局国立病院部が2000年に作成した「リスクマネージメントマニュアル作成指針」が念頭にあった。この指針では、「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載している。また大野病院の「医療事故防止のための安全管理マニュアル」も、この指針に沿った内容になっている。加藤医師は、大野病院のマニュアルの存在は知っていたものの、内容は読んでいなかった。
「過誤がないなら、届け出はしなくていい」と院長
手術当日、加藤医師は、異状死の届け出について、院長と2回話す機会があった。1回目は、女性の死亡直後の19時半ごろで、手術室から出た直後、廊下で立ち話をした際だ。加藤医師が「届け出はしますか」と聞いたところ、院長は「届け出はしなくていい」と、「届け出は君の仕事ではないから」というニュアンスで話したという。
2回目は、22時40分ごろに女性の死亡退院を見送った後、院長と話し合いをした際だ。手術を担当した麻酔科医が同席して、手術の経過を説明するとともに、死亡原因については出血性ショックによる心室細動であると説明した。
院長は「過誤はあったのか」と質問したが、加藤医師は「いえ、ありません」と答えた。同様の質問をされた麻酔科医も「ありません」と答えた。院長は、「医療過誤がないから、届け出はしなくていい」との趣旨の発言をして、話し合いは終わった。その直後、院長は福島県の病院局長との電話で、「過誤ではないから、届け出はしなくていい」という趣旨の話をしていた。その後、12月20日に各診療科部長などが集まった会議の席上でも、「過誤はないと考えられるので、届け出はしなかった」と院長は説明したという。
医師法第21条に関する証人尋問は、第4回公判で院長に対して行われたのみ。弁護側は、高名な法学者の21条に関する意見書を証拠として出したが、採用はされなかった。それだけに、加藤医師のこの日の証言は重要な意味を持つ。ただ、たとえ院長が「届け出なくていい」と言ったとしても、法律上は「異状死体を検案した医師が届け出る」となっている。また、前述のように「異状死体」の定義は必ずしも明確ではない。加藤医師が21条違反の罪に問われるか否かは、微妙なところだ。
「検察官は何をお聞きになりたいのですか」と裁判長
そのほか、第11回公判では、裁判長が検察官の尋問のやり方を問題視するという、珍しい場面があったので、触れておく。裁判長の心証がうかがえた場面でもある。加藤医師の法廷での証言には、起訴前の取り調べの際の供述調書などと食い違う点が幾つかある。例えば、供述調書では、「胎盤を子宮から剥離する際、クーパーを使用した」としているが、この日は、「クーパーと用手剥離を併用した」と話した。
その理由を聞かれた加藤医師は、「記載はないが、そういう(クーパーを併用しているという)気持ちで説明した」と話した。検察側は加藤医師の記憶の曖昧さを問題視し、証言の信憑(しんぴょう)性に疑問を投げかけようとしたのか、何度か同じ質問を繰り返したところ、裁判長が「要するに、検察官は何をお聞きになりたいのですか。もうお答えになっているじゃないですか。検察官が思った答えが出ないというだけではないのですか」と制した。
「検察は立証に失敗している」と弁護団
公判後、午後4時半すぎから開かれた記者会見で、主任弁護人の平岩敬一氏は、「弁護団は、検察は立証に失敗しているとみている。これまでの証人尋問により、検察が主張する用手剥離の中断は、臨床現場では行われていないことが明らかになった」と語った。検察の訴因は、「用手剥離で出血を来した場合は剥離を中断して、子宮摘出に移行すべきである。しかし、用手剥離を継続した。そのことが大量出血を招き、死亡につながった」という点だ。だが、これまで証人尋問を受けた周産期医療の専門家は、剥離の完遂により子宮収縮が期待でき、止血作業もやりやすくなると証言している。次回の公判は来年の1月25日。供述調書などの証拠調べのほか、遺族3人(死亡した女性の夫、父、弟)の意見陳述が行われる。
福島県立大野病院事件◆Vol.7
「墓前で自然な気持ちで土下座した」
加藤医師が事故後の心境や遺族とのやり取りを語る
橋本佳子(m3.com編集長)2007年12月25日
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/071225_2.html
「私を信頼して、受診してくださったのに、亡くなってしまうという悪い結果になったことを本当に申し訳なく思っています。突然お亡くなりになり、本当に私もショックでした。亡くなってしまってからは、(女性が)受診したときからのいろいろな場面が頭に浮かんできて、頭から離れない状態になりました。家族の方には分かっていただきたいと思ってはいるのですが、なかなか受け入れていただくことは難しいのかなと考えています。
こうすればよかった、他にいい方法があったのかとも思いますが、あの状況でそれ以上のいい方法は思い浮かびませんでした。
亡くなってしまった現場に私がいて、私がその現場の責任者で、亡くなってしまったという事実があるわけで、その事実に対して責任があると思われるのも、当然のことだと感じています。
できる限りのことは、一生懸命にやりました。ただ、亡くなってしまったという結果は、もう変えようもない結果ですので、非常に重い事実として受け止めています。申し訳ありませんでした。最後になりますけれども、ご冥福を心からお祈りします」
「すみません」とずっと頭を下げていた
福島県立大野病院事件の第11回公判では、女性の死亡後、被告である加藤克彦医師と、遺族との間でどんなやり取りがあったのか、その詳細が加藤医師本人の口から語られた(公判の概要は、「異状死の届け出はしなくていい」を参照。前述したのは、弁護士が一連の経過を尋ねた後に、「最後に遺族に対して」とコメントを求めた際、加藤医師が語った言葉だ。
加藤医師の証言を基に、当時のやり取りを再現しよう。
本事件で、帝王切開手術を受けた女性が死亡したのは、2004年12月17日の19時1分。死亡直後、加藤医師は突然の死亡にかなりショックを受け、茫然として、頭が真っ白になったという。手術室にいたスタッフ全員で合掌。その後、腹部の縫合や点滴ラインの抜管、死亡後の処置などを行い、19時30分すぎにやや広めの病室に遺体を運んだ。その後、遺族のほか、それ以外の人も含めて十数人が集まった。最初は沈痛な雰囲気で遺族らは遺体の手を握って、泣いていた。加藤医師は、手術の経過を説明しようと思っていたが、遺族以外の人もいたため、説明を控えていた。いろいろな人が加藤医師の前に来たが、中には罵声を浴びせるような人もいた。そのように言う気持ちは当然だとは思いつつも、「この時は、かなりこたえた」(加藤医師)という。その病室にいたのは約1時間。「すみません」と何度も言いながら、ずっと頭を下げている状態だった。その後、別室に移り、死亡した女性の夫と、夫妻の双方の両親、病棟の看護師長、助産師が同席し、加藤医師は入院から手術、死亡に至る経過を説明した。
本件の手術は、14時26分に開始した。術中、輸血用の血液を追加発注し、その到着までに約1時間半ほどかかった。手術中に説明がなかったことを遺族から指摘され、この点については、加藤医師は「説明する余裕がなかったので、申し訳ありません」と謝罪した。家族への説明は約1時間かかった。この説明の際に書いた紙も、コピーして手渡した。
加藤医師は、死亡原因を知りたいとの考えから病理解剖を勧めたが、「これ以上、体に傷を付けたくない」との理由から断られた。その後、加藤医師は、死亡診断書を書いた。「妊娠36週の帝王切開手術で、癒着胎盤があり、出血性ショックを来し、心室細動が起こり、心停止した」という旨を記した。死因については麻酔科医と話し合ったこともあり、あまり迷わずに書いたという。
遺族が遺体とともに病院を後にしたのは、22時40分ごろ。病院の裏の玄関まで行き、加藤医師をはじめとするスタッフが見送った。「非常に悲しかった。遺族に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった」(加藤医師)。
「土下座してくれ」と遺族に言われる
加藤医師は、死亡した女性の告別式には出席しなかった。病院や県の病院局と話し合った結果だ。女性のことは、ふと頭に浮かんだり、カルテを整理しているときなど、頻繁に考えていたという。死亡から約10日後の12月26日、院長、事務長、麻酔科医とともに、加藤医師は女性宅を尋ねた。手術の経過を改めて説明するとともに、「精一杯がんばったけれども、こんな結果になって申し訳ありませんでした」と謝罪した。
大野病院の事故調査委員会は、翌2005年3月に、事故の調査報告書をまとめている。その際にも遺族に会ったが、「墓前にも報告してくれ。お墓のところで、土下座してくれ」と言われたという。「死亡させてしまったという気持ちが強く、本当に申し訳ないと思い、自然な気持ちで土下座しました」(加藤医師)。
その後、2006年2月の逮捕前までは月命日の前後の休日に、逮捕後は命日に墓参をしているという。女性の死亡直後も、また今でも加藤医師は、「自分の手技に問題があったとは考えていない」としている。それでも、女性の突然の死亡にショックを受け、強い謝罪の気持ちを今に至るまで持ち続けている。
被告医師が女性死亡後の経緯を語る
「検察の思った答えが出ないだけでは」と裁判長、福島県立大野病院事件第11回公判
OhmyNews 軸丸 靖子 2007-12-21
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071221/18838
2004年12月に福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した加藤克彦医師が業務上過失致死と異状死の届け出違反(医師法21条違反)に問われている事件の第11回公判が21日、福島地裁で開かれた。今回は、8月の第7回公判で終わらなかった被告本人への尋問の続き。21条違反があったかについて、弁護側は、女性が亡くなってからの医師と病院側の対応を問いただした。
患者死亡後の経緯生々しく
手術室で女性の死亡が確認されたのは04年12月17日午後7時1分。そのときの心境を問われた加藤医師は、「突然亡くなられたので、かなりショックで呆然として頭が真っ白だった。信頼して受診していただいたのに悪い結果になってしまって、本当に申し訳ないと思った」と話した。
手術室ではその後、スタッフ全員で合掌。腹部を縫合し、点滴などの管を抜いてガーゼを充填、病室へ戻す準備をした。広めの病室へ運ぶと、女性の家族ら10数人が入ってきた。死亡に至った経過を説明しようとしたが、目の前に次々にいろいろな人が立ち、罵声を浴びせられることもあって説明できる状態になかったという。
「かなりこたえた。そう言われるのも当然だろうと思い、1時間くらいはその部屋にいた。(結果的に何も言えず)すみませんと何度も頭を下げていた」(加藤医師)
その後、別室で女性の夫と双方の両親に経過を説明した。午後2時26分に始まった手術で4時間以上、輸血を待っていた1時間のあいだにも説明がなかったことを家族に指摘されたという。加藤医師はその後、死亡診断書を書き、午後10時半過ぎに退院する女性と家族を病院の裏口まで見送った。
その足で院長室へ向かい、麻酔医とともに、女性の受診から術中死亡までの経緯を説明。胎盤剥離の経過やクーパーの使用についても説明したが、「医療過誤はないから異状死の届け出はしなくてよい」と院長が判断した。手術直後、および数日後にあった院内の会議でも同様の話が出たが、いずれも届け出は不要と言われたという。
女性の葬儀には、病院と県病院局の判断で参列しないことになったが、数日後に女性の自宅で謝罪した。
「『お墓で土下座してきてくれ』と言われたので、行った。女性を亡くならせてしまったという気持ちが強く、本当に謝罪したいという思いで自然に土下座した。(その後も)お墓を教えていただいたので、逮捕前までは月命日の前後の休日に行っていた。逮捕後は年1回の命日に行っている」と語った。
ただ、女性の死亡に関して医療過誤があったかに関して、医療過誤の定義を問われた加藤医師は、医療準則に反した場合に被害が生じた場合」と明言。この件では準則に反しておらず、医療過誤ではないと考えているとの見解を改めて示した。
「検察は何が聞きたいの?」
一方の検察側は、応援医師を依頼するときのやりとりや、術中エコーでの所見、クーパー(手術用はさみ)の使い方などについて、過去の尋問ですでに行ったのと同じ問いを繰り返し、加藤医師の証言の揺れや、供述調書と証言の矛盾を突いた。特に、癒着した胎盤の剥離にクーパーを用いた考えや使い方については、細かく追及。供述調書では「クーパーで剥離した」となっているのに、法廷では「クーパーと指を併用した」となっていることについて、「頭の中に(併用は当たり前という考えが)あったというが、声に出して言ったのか?」「この件については前回の証言で何と答えたか?」と記憶を試すような問いを繰り返したため、弁護団の異議を受けた鈴木信行裁判長が「裁判所としては、それについては答えが出ている」と口をはさむ場面も。
「要するに、検察官は何をお聞きになりたいんですか? もう答えているじゃないですか」といさめても「まだ」と食い下がる検察官を「(検察が)思った答えが(被告から)出ないというだけじゃないでしょうか」と制し、傍聴席を驚かせた。次回は1月25日で、証拠の採否が決まるほか、女性の家族が意見陳述に立つ予定。
大野病院事件 「過失ないと判断」
朝日新聞 2007年12月22日
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000712220005
県立大野病院で04年、女性(当時29)が帝王切開の手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた産科医・加藤克彦被告(40)の被告人質問が21日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。手術後、警察に届け出なかった理由について加藤被告は「過誤はなく、院長も届け出の必要がないと判断していた」と述べ、医師法違反にはあたらないとの認識を示した。 検察側は、加藤被告が子宮とへその緒を結ぶ「胎盤」が子宮に癒着しているのを認識したのに、クーパー(手術用はさみ)で無理にはがし、子宮摘出に移らなかったと指摘。過失の認識があったのに警察に届けなかったのは、医師法21条の届け出義務に違反すると主張している。
加藤被告は「事件・事故や、医療準則に反する過誤があって死亡した場合は24時間以内に届けると知っていた」と証言。00年に厚生省(現厚生労働省)が作ったマニュアルにのっとり、施設長が届けるとの認識があった、と述べた。 そのうえで院長には、「クーパーの使用も含めて説明した」と述べ、「過誤はありません」と伝えたという。警察への届け出について尋ねると、院長からは「届ける必要はない。君の仕事じゃない」と言われたという。結論として加藤被告は「医療過誤や、医療準則に反していたことはない」と述べ、検察側の主張を否定した。これに対して検察側は、加藤被告が捜査段階では報告するべきだったとの認識を持っていたとして、「医療準則に反したのでは」と質問したが、加藤被告は「癒着胎盤をクーパーではがすのをみたことがないので迷いがあったが、院長に報告前に解消した」と述べた。
次回公判は来年1月25日で、証拠書類の採否を決める。論告求刑は同3月14日、最終弁論は同5月9日を予定している。
医師があらためて無罪を主張
NHK 2007年12月22日
http://www.nhk.or.jp/fukushima/lnews/06.html
県立大野病院の産婦人科の医師が、帝王切開の手術で女性を死亡させたとされる事件の裁判で、被告の医師は、「手術にミスは無かった」と述べあらためて無罪を主張しました。
この裁判は来年の5月に審理が終わる見通しです。
大熊町にある県立大野病院の医師の、加藤克彦被告(40)は、3年前、帝王切開の手術の際に女性の胎盤を無理にはがし、大量出血を引き起こして死亡させたとして、業務上過失致死などの罪に問われています。
21日、福島地方裁判所で開かれた裁判では、加藤医師に対する3回目の被告人質問が行われました。このなかで、加藤医師は、まず、手術前の対応について、「事前の診断では危険な状態と判断するような所見はなかったが、輸血用の血液製剤などは準備しており、十分な態勢で手術に臨んだ」と述べました。
また、手術中の対応について、加藤医師は、「子宮から胎盤をはがす際に手術用のはさみを使ったのは子宮を傷つけずに素早くはがすためだった。手術にミスは無かった」と述べあらためて無罪を主張しました。
次回の裁判は、来年1月25日に開かれる予定で、すべての審理が終わるのは来年5月になる見通しです。
届け出義務「当たらない」 大野病院事件で医師
福島民報 2007年12月22日
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&mode=0&classId=&blockId=451320&newsMode=article
福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた大熊町下野上、産婦人科医加藤克彦被告(40)の第11回公判は21日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれ、三度目となる被告人質問を行った。加藤被告は医師法21条にある異状死の届け出義務について「今回はその(届ける)ケースに当たらない」と、医師法違反をあらためて否定した。
通常処置かどうか「迷った」大野病院裁判 加藤被告が供述
2007年12月21日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20071220-OYT8T00714.htm
大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われている産婦人科医、加藤克彦被告(40)の第11回公判が21日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれ、3回目の被告人質問が行われた。
加藤被告は、女性の死亡を富岡署に届けなかったことについて「院長がするものと思っていた」と述べた。医師法は死体を検案した医師に届け出義務を課しているが、2000年に当時の厚生省が作成した指針と大野病院のマニュアルは、院長が届けるとしている。
患者が死亡した際に届け出が必要なのは、通常と違う方法で処置をした場合とされるが、子宮から胎盤をはがす際に手術用ハサミを使う方法が通常の処置だったかどうかは、過去に同じ方法を見たことがないため「迷った」と話した。また、女性の大量出血について検察官から「死亡診断書を作成した時、癒着胎盤をはがしたことによる大量出血という認識はあったのか」と問われ、「一つの原因として考えてはいた」と述べた。検察側は手術用ハサミを使った理由などで加藤被告の供述が変遷している点も追及した。
「医療行為は適切」 大野病院事件福島地裁公判
河北新報 2007年12月21日金曜日
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/12/20071222t63024.htm
福島県立大野病院(大熊町)で2004年、帝王切開中に子宮に癒着した胎盤を剥離(はくり)した判断の誤りから女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医加藤克彦被告(40)の第11回公判が21日、福島地裁であった。3度目となる被告人質問で加藤被告は「亡くなられたことは重く受け止めるが、できることは一生懸命やった。適切な医療行為だった」と無罪を主張した。
警察に医療過誤と届け出なかった点について、加藤被告は「届け出は院長の役割。手術後、院長から過誤ではないから届けないと言われた」と説明。手術直後に自分から届け出るかと院長に聞いた事実を挙げ、「クーパー(医療用はさみ)使用が適切だったかなど正直迷ったが、当日夜には正しかったと悩みは解消していた」と述べた。患者の死亡については「胎盤剥離が大量出血の原因の1つ」と認めながらも、「剥離を途中で中断しないのが普通だ」と強調した。
起訴状によると、加藤被告は2004年12月17日、女性の帝王切開手術で胎盤と子宮の癒着を確認し剥離を開始。継続すれば大量出血すると予見できる状況になっても剥離を続け、女性を失血死させた。
大野病院の産婦人科医 過失は無いと繰り返す
FCTニュース 2007年12月21日
http://www.fct.co.jp/news/#200712215182659
大熊町の県立大野病院で、帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の裁判で、11回目の公判が開かれました。
証言に立った被告の医師は、過失はなかったと、これまでどおりの主張を繰り返しました。
業務上過失致死などの罪に問われている県立大野病院の産婦人科医・加藤克彦被告は、2004年に、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、無理に癒着した胎盤を引き剥がして死亡させたとされています。
きょうの公判では、3回目の被告人質問が行われました。
この中で加藤被告は「癒着した胎盤を扱う手術は初めてだったため、当初は自分の処置が正しかったのか、少し迷ったこともあった」と明らかにしました。
その上で、加藤被告は「胎盤の癒着が予測できたか」との争点について、予測は不可能だったと改めて主張しました。
また、「当時の状況で、自分が行った以上の良い方法は思い浮かばなかった」と、過失はなかったことを強調しました。
裁判は、これで証拠調べがほぼ終わり、年明けの公判で結審する見通しです。
周産期医療の崩壊をくい止める会(まだ)
http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=FrontPage
大野病院事件で被告人質問
FTV スーパーニュース 2007年12月21日
http://www.fukushima-tv.co.jp/news/news.htm#12210002
3年前、大熊町の県立大野病院で手術を受けた女性が死亡した事件の裁判で、被告の執刀医は医療行為は適切だったと改めて主張しました。この事件は平成16年12月県立大野病院で帝王切開手術を受けた当時29歳の女性が死亡したもので執刀した加藤克彦被告が業務上過失致死などの罪に問われています。福島地方裁判所で開かれているきょうの公判では加藤被告に対する被告人質問が行われています。このなかで加藤被告は「胎盤の癒着の兆候はなかった」と述べ改めて医療行為は適切だったと主張しました。また、24時間以内に警察に届け出なかったことについては医療ミスには当たらないと判断し当時の病院長からも「届け出なくても良い」という趣旨のことを言われたと述べました。
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