(関連目次)→医療事故安全調査委員会 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
個人用のパブコメ中間発表の整理を始めてみました。
OCRですので、誤字脱字はお許しください。
あとざっと独断と偏見でまとめを。
↓ 今までの分です
ちょっぴり長かったので、今日はいっこだけo(^-^)o ..。*♡
お楽しみください。中村先生です!
【218】 中村利仁先生 40代 医師 p406
第3次試案公表後の経緯について
公表後、検討会座長をはじめとした関係者が、様々な機会にこの試案に記載されていないことについて多様かつ時に整合性に欠ける発言を行っている。試案を公表し、意見を徴する以上は、その後の発言内容についても随時検討会に於いて意見をまとめ、付していくべきと考えるが、如何か。
試案に追記できないようなことであるというのであれば、あたかもこれを既にコンセンサスの形成されているものであるかの如く公の場で述べることは些かならず穏当ではないと考えるが、如何か。せめて発言内容を厚生労働省に於いて文書化し、各々の発言に責任を持たれるようにされては如何か。
第3次試案の全体について
記述が膨大な割に議論のポイントが不明確で、散漫であると同時に記述が不充分である。また専門用語が説明もされずに使用されている。一般に意見を問うのであれば、厚生労働行政の専門外の者にもわかりやすい簡明でコンパクトな記述が為されるべきであると考えるが、如何か。
「1 はじめに」について
まず(1)において「医療関係者には、その願いに応えるよう、最大限の努力を講ずることが求められる。」とされているが、現場の医療関係者の努力だけで「国民の切なる願い」が実現可能であるかのような無責任な記述には首肯できない。これは現場の努力不足という怠慢が「国民の切なる願い」の実現を妨げているという不当な指摘そのものであると考えるが、如何か。
厚生労働省の内外で医療安全確保のために割かれている人員、予算の少なさが、何よりも國の医療政策上の優先度の低さを証明していると考えるが、如何か。
現に日本の医療の現場は、今のところ必ずしも臨床指標の悪化などの質と量の低下を伴うものではないが、分娩や小児救急医療などの急性期医療の分野から崩壊とすら表現されるような量的供給減少が既に始まっている。先進諸国中最低の国民負担によって抑制された医療費水準は、その実現方法のひとつとして医師、看護師の養成の抑制あるいは消極性が採用された事とも相俟って、深刻な人手不足と、労働基準法の種種の規定を全く無視した労働環境を現場にもたらしている。
この絶対的人手不足という労働環境下で、現場が最大限の努力を怠っているという厚生労働省の指摘は、自らの行うべき事をせずして、一方的に他者の責任だけを声高に難じるものであると考えるが、如何か。却って現場の信頼を深刻に毀損しているものであることを自覚されるべきであると考えるが、如何か。
現場に潤沢な資金、充分な人員配置が為されていてもなお全く然るべき努力が為されていないのであればともかく、まず厚生労働省が、現場に充分な資源。人員を配置する然るべき「努力」をされた上で、斯様な人を見下ろしたようなことを言われるのであれば致し方ないが、現状ではとてものことに首肯しかねる。
あまりにも無責任な現状認識しかできない厚生労働省が、中立的な立場を主張するなど、少なくとも医療者の納得を広く獲得できるものとは思わないと考えるが、如何か。
少しは反省され、しかるべき認識を示される努力ぐらいはされるべきと考えるが、如何か。
また、終局的に多くの事例分析によって医療安全対策にはより多くの人員、資金を投下する必要が明らかとなるであろうことが十分に予想される。これらの資源投下の追加無くして医療安全の実現はないと考えるが、その仕組みの記載が全くないのはなぜなのか理解できない。最大限の努力が求められているのは、医療関係者だけではなく、むしろ資源投下を抑制している厚生労働省自身であると考えるが、如何か。
繰り返すが、いくら精緻な死因究明を行っても、資源投下無くして医療安全の実現はない。相変わらず同じような事故事例が繰り返され、患者さんは次々と避けられるべき死を重ねていくであろう。結果として紛争や訴訟が減るべくもない。いったい、厚生労働省自身の果たすべき今後の責任について如何考えられているのか。記載が為されて然るべきと考えるが、如何か。
そもそも、この國においては公衆衛生上の必要としての死因の解明が疎かにされてきているが、その基盤がないところで診療に関連した死亡についてだけを特別扱いにすることとしても、おそらく実際の運用は極めて困難である。公衆衛生上の必要としての死因究明制度全体についての検討と体制の整備が平行して不可欠と考えるが、如何か。
警察行政、司法行政においても、国民の死亡に対してそれが何者かの責任を追及されるべき死であるか否かの段階の手続きが不明確で判断の根拠に乏しく、しばしば問題が指摘されている。これについても検討が為されて然るべきと考えるが、如何か。といって、これを厚生労働省の所管でないと言ってしまっては、診療に関連した死亡の死因究明を正当化するのが困難となると考えるが、如何か。
(2)において「医療の安全を向上させていくためには、医療事故による死亡(以下「医療死亡事故」という。)が発生した際に、…」とあるが、死亡事故という結果の重大な事例のみが再発防止のトリガーとなるというような認識は、医療安全に留まらず、たとえばハインリッヒの法則(”Industrial Accident Prevention - A Scientific Approach”1931年)に見られるような安全対策の原則そのものに反している。この意識の低さは、とてもではないが現場の安全確保に寄与できるような程度の知識、能力のある人の書かれたものとは思えない。講学的知識と訓練に欠けているものと思われる。まず、制度を検討して立案する立場の担当者ご自身が、充分な知識と現場の経験を通じて能力を蓄えられることが必要と考えるが、如何か。
担当者にあっては、心理と能力の深いところで遺族の願いに応える能力と切迫感が不足しているのではないかと懸念される。如何か。
(3)において「…、結果として民事手続や刑事手続にその解決が期待されている現状にあるが、これらは必ずしも原因の究明につながるものではない。」とされているが、そもそも2000年に表面化した歯科医師救命救急研修事件(現在公判中)において、厚生労働省医政局の大原光博課長補佐(当時)らが、詳細な事情調査なくしてこれを医師法違反と一方的に決めつけた上で、警察による捜査、検察による公訴に再検討を求めるどころか、むしろ積極的に推進したのが最近の不当とも言える医療刑事訴訟の割合の急増に大きく寄与しているのは疑いの余地がない。
言わば、刑事手続の厚生行政への導入は、これまで少なくとも8年間に亘って厚生労働省医政局自身の手によって警察・検察に対して積極的な働きかけが行われ、推進されてきた結果である。現在では厚生行政に対する他官庁からの過剰な干渉を招いているわけであるが、その点についての反省もなく、あたかも警察と検察の勝手な独走によって現状が形成されてきたかのような言及はあまりにも無責任と考えるが、如何か。また同時に、厚生労働省自身が、警察による捜査を経ずして死因究明に関与する能力のないことを主張してきているものとも考えるが、如何か。
さらに言えば、民事手続や刑事手続には、各々独自の目的がある。そしてそれを医療事故から分離することができるのか、分離すべきものであるか否かの検討が死因究明とは別に必要である。
むしろ、この点について医療者の深刻なニーズがある。にも拘わらず、今次試案においては明確な記載がない。また、警察庁の米田壯刑事局長は、平成20年4月4日の衆議院厚生労働委員会における質疑の中で、「現在検討されていますこの委員会の、枠組みの中では、刑法上の業務上過失はそのままでございます。で、警察は警察捜査をする義務がございます。従いまして、その患者さんあるいは御遺族の方からの訴えがあれば、それは私どもとしては捜査せざるを得ない。」等と述べ、試案の期待するところ(後述)とは関係なく、刑事訴訟手続きの進むことを明言されている。
表記の現状認識自体は概ね是とするが、これまでの議論が他省庁含む行政全体の中でどのような位置付けとなっているのか、甚だ曖昧である。およそ意図的に形成された錯誤によって医療者が今次試案に賛同したとしても、それは錯誤させるような努力の巧緻であることを意味しているだけのことで、現状認識によって然るべき制度設計の為されることに医療者が十分な説明の上で同意したことを意味しない。
関係各省庁とのcosmeticでないコンセンサスの形成が必要と考えるが、如何か。
民事手続は経済学的には損害や債務の所有権の法的な確定が目的であるとされる。事実や証拠はそのために裁判所に提出される法的判断の材料の一つに過ぎない。また、民事手続の結果、医療機関や医療従事者に課された支払い義務は、間接的に国民の負担する医療費から支払われることとなる。民事手続きを通して、公的医療費の増大が座視できないものとなっていくことも当然に予想されるが、この点についての検討がなされていない。
医療費抑制について非常に熱心な厚生労働省が、この民事訴訟を通した医療費の増大については全く関心無く、他人事であるが、如何なものであろうか。
そもそも刑事手続については、専ら司法と司法行政に関することであって、最初から厚生労働省が何かを言える立場にはない。この検討会が厚生労働省に設置されたこと自体から来る本質的な限界であると考えるが、如何か。
この國に於ける業務上過失致死傷罪の在り方の議論が避けられないと考えるが、如何か。その検討は厚生行政の枠組みを大きく外れるものと考えるが、如何か。
(4)において「医師等が萎縮することなく医療を行える環境の整備にも資するものと考えられる。」とされているが、前段で述べたように、それは錯誤による賛同を狙った記述としか考えられない。如何か。
そのような状況下でなされた分析が、本当の意味で量的供給減少を防止したり防衛医療の蔓延を防止したりはできないと考えるが、如何か。
また、不確実性の高い事象に対して存在するのは、期待であって信頼ではない。個々の事例の分析によって得られるのは、失われた期待の回復ではない。得られるのは信頼であり、それは不確実性の高い事象に反復して従事する者自身の、高い倫理性と求道の姿勢が表現されたとき、そのことにのみ依るのであろう。
行政がそれを代行することはできない。行政にできることは、せいぜいが従事者自身の自己規律を支援するに留まる。
仕組みとしてはそこが最も大切であると考えるが、如何か。
(5)については、冒頭に記したように公表後の発言の多くが検証不可能なままに放置されているが、改善されて然るべきと考える。如何か。
「2 医療安全調査委員会(仮称)について」について
【委員会の設置】の項
(6)において(別紙1参照)とされているので、ここで別紙1について述べる。
別紙1においては、(医師法21条に基づく届出は不要)とされているが、これは医師法21条の条文をそのままにとも解釈が可能である。警察への届出が為されるべきであったかどうかの判断は、結局の所、警察、検察官、裁判所の法的判断に任されることとなる。
明記が必要と考えるが、如何か。
遺族からの届出が為されることとなっているが、医療機関と届出の必要に於いて見解を異にした場合、たとえ調査委員会に対する届出があったとしても、それを知った警察としては当然に医師法21条違反に基づいて従前通りの捜査を行う必要がある。また現状で刑事告発による捜査を押しとどめる方法はない。刑訴法の改正は為される予定となっているのかどうか、明記されるべきと考えるが、如何か。
「医療者を中心とした調査」とされているが、中心とは何かが分明でない。何を意味するのか明記すべきであると考えるが、如何か。
調査報告書の内容が問題なしと問題ありとに二分されることとなっているが、死亡事例の分析である以上、問題のないわけがない。問題がないとする報告書はどのようなものであるのかが明記されるべきと考えるが、如何か。問題があるとは、個人に帰責できるものということであるのか。であれば、それは当然に責任追及以外の何ものでもない。如何か。
「医療事故の情報や再発防止策を全国の医療機関が共有」とされているが、その共有の方法が明確でない。方法を明記すべきと考えるが、如何か。
医療機関に対する新たな行政処分の根拠法令が明確でない。新法によるのか法改正等によるのか明記すべきと考えるが、如何か。
警察への通知として「いわゆるリピーター医師」という記述があるが、このリピーター医師とは何を指すのか明記すべきであると考えるが、如何か。「故意や重大な過失」という記述があるが、故意とはどのようにして判断されるのか。そもそも設置予定の委員会は医療者を中心とするとされているのに、故意の法的判断をどのようにして担保するのか。故意と断定して誤った場合、その責任を負わないのであればあまりに無責任であるし、責任を回避すべき法的根拠もない。また、故意の疑いを持った場合、その調査をどのようにして進めていくのか。犯罪捜査を専門とする警察官であっても故意の判断は難事であるのに、この委員会の機能としてそこまで担うことができるのか。これら全てについて明記が必要と考えるが、如何か。重大な過失とは何か、ここに明記すべきであると考えるが、如何か。
また、調査報告書の述べる「責任」は何かを為し得た可能性のある医療従事者についての検討以外の何ものでもないが、警察としては法的概念である過失責任について独自の判断を行うこととなる。通知の有無とは全く関連がないとも思われるが、如何か。
(7)は結果として医療関係者の個人責任が追及されることを妨げないという意味にも取れるが、如何か。この委員会は警察や裁判所の事務の下請けをも為すべき存在なのか。如何か。
(8)で、今後さらに検討するといっても、厚生労働省が他の省庁の下に設置される可能性のある委員会の事務内容を検討することに何の意味があるのか。その場合、結局、この第3次試案の位置付けは何であるのか分明でない。
検討するとは、結局のところは当初方針通り、厚生労働省への設置を堅持するという意味なのか。言いたいことが分明でないと考えるが、如何か。
(9)で、「地方ブロック単位に設置する委員会(調査を主目的とする委員会。以下「地方委員会」という。)」とされているが、調査を主目的とする委員会が地方毎に分置されるのはなぜかが明確でない。
そもそも、特に急性期医療においては技術の進歩が著しく、職種が異なったり専門とする診療科が異なったりした場合には事案の全体像の把握が容易でない。
専門家による事故調査を謳うからには、初期調査に当たる調査チームのメンバーはともかく、より上位に委員会等を設置するのであればむしろ専門分野ごとのadvisory board 等にするべきであると考えるが、如何か。
また、属人主義的な判断を回避し、調査の中立性を確保するためにこれまで多くの院外調査委員会で行われてきたように、むしろ経歴を異にして同窓、同一医療機関、同一医局等に属したことのない、診療科や専門分野を同じくする人材を他地域から調査や評価に投入するべきと考えるが、如何か。
「中央に設置する委員会(医療の安全を確保するために講ずべき再発防止策の提言を主目的とする委員会。)とされているが、これは個別事例の調査報告書の中ではこの種の提言をしないという意味であろうか。そうであればむしろ中央に設置する委員会の方が無用の存在と考えるが、如何か。
また、人事や予算配分の権限を誰が担うかの説明がない。
当該委員会の長はその責任の重さを考えると認証官とし、独立した人事権と予算等、中立性と独立性を担保するに充分なものが与えられて然るべきと考えるが、如何か。
(10)で、解剖担当医2 名、臨床医等5~6 名、法律家やその他の有識者1~2 名という構成であるが、この人数が患者の死亡が発生してから短時間で解剖に至るまでに決定されるとしたら、年間数千例から数万例に至ると思われる状況の中で、どれだけの人材プールが確保されるのか分明でない。検討のために明記されるべきであると考えるが、如何か。
また、これだけの人数を全国で毎日7〜8チームも新規に投入し続けるとすると、これを非常勤やボランティアで賄うことは考えられない。
常勤とすべきと考えるが、如何か。
また、非常勤としたことによって、新規に生じる事業であるにも拘わらず、新たに生じる医療者等の必要数が検討されていない。非常勤であったとしても、これだけの事務量となるとその必要人員確保は、それでなくとも人手不足の法医学教室、病理学教室、医療現場にとって極めて重い負担となる。専門職の養成数増加などもきちんと検討する必要があると考えるが、如何か。
法律家となるとその多くは弁護士であるが、人員確保の検討が為された形跡がない。その費用支払いも含めて明記されるべきと考えるが、如何か。
法律家については利益排反やインセンティブについての検討についての記載がない。中立性・独立性と公平性の確保のため、明記されるべきと考えるが、如何か。
さらに言えば、数少ない解剖担当医をその都度に依頼することには何の必然性もない。行政解剖の一部として位置付け、監察医制度のない地域においても行政解剖を行う根拠とするか、あるいは解剖関係法令を整理して一括し、その中で独立した解剖専門組織を設置して、ここが全てを担うとしては如何か。
(11)については、(9)についてでも言及したが、地域ブロックごとに分置されることのメリットはないと考える。むしろ、中立性・独立性や透明性確保のために有害であり、専門性確保の上で却って不利となる。肝心の事故分析が機能しない。
むしろ専門分野ごとに合同して、調査の進展について調査チームに助言した上で、最終的に報告書案を authorize した方が好ましいと考えるが、如何か。
(12)については、人事権、予算等についての言及がない。中立性・独立性の担保が為されるとは思われない。明記すべきと考えるが、如何か。関係行政機関等への勧告・建議等の権限とあるが、厚生労働省内の一部門が省内他部門や他の省庁に対して何を言っても無視されるだけであろう。今回の警察庁、法務省の対応で十分に経験済みであろうし、効果が期待できないと考えるが、如何か。この件についてだけでも、厚労省内の設置には無理があると考えるが、如何か。
(13)について、文面はともかく、別紙2では中央に設置する委員会に、学会、有識者、病院団体、医師会等、法曹界のいずれからも矢印が伸びていない。これはすなわち、その構成はこれらによらないで厚生労働省などがいわば勝手に任命すると言うことであると理解されるが、如何か。
また、有識者(医療を受ける立場を代表する者等)とされているが、その代表性は誰が検討し、誰が担保するのかが分明でない。
医療訴訟に現に従事している者はもちろん、過去に従事していた者等が中立的な判断が可能であるとは思われないが、他方、これらを排除することが技術的に可能であるとも思われない。感情的な発言や根拠のない疑念で調査が停滞し、議論が空転し、あるいは報告書に歪みが生じることが予想されるが、如何か。
透明性の確保ということであれば、それは調査報告書が速やかに公開されることと、会議録などの諸記録の長期保存と充分な期間を置いた上での公開によって事後的に確保されうると考えるが、如何か。
どうしても有識者の参加が必要ということであれば、一定の範囲で組織統治に参画するに止めるのが適当と考えるが、如何か。
(14)については、(9)でも述べたとおり、乏しい人材プールを考えると、関係者たる専門分野の医療従事者を地方委員会から排除することは困難である。地方に分置するかどうかよりも、専門分野単位で充分な多様性を確保することを重視するべきと考えるが、如何か。
容易に不正がなし得る状況であれば、不正を為していないことを証明し、信頼されることは甚だ困難である。中立性と高い倫理観を求めるのであれば、それが疑われない状況を作ることも必要であると考えるが、如何か。疑わしい状況を意図的に創り出そうとしているとの疑いすら感じるが、如何か。
(15)で言及される事務局とは、何か。その機能、人員について検討するためには予め明確にされるべきと考えるが、如何か。調査チームとの分掌はどうなっているのか。実際の人事権を掌握し、予算策定を行うのがその事務局の長であるとするならば、この組織の支配者は他ならぬその人物であろう。権限と責任の分離は組織の健全性を損なう。如何か。
【医療死亡事故の届出】の項
(17)について、(16)では、その届出の目的を医療死亡事故の再発防止と透明性の確保としているにも拘わらず、死亡事例の中からさらに選別を行うとしている。
いったい、意図的にバイアスを生じさせた群を検討して、何を言いうるのかわからないが、如何か。
単に委員会が直接に調査を行うのか、医療機関の院内あるいは外部委員会が行った調査結果を報告させるのかの別を記せば足りると考えるが、如何か。
そうしてはじめて、直接に調査に従事しない中央に設置する委員会の検討に意味が生じてくると考えるが、如何か。
(18)において、届出先を所管大臣としているが、たとえば厚生労働大臣が届出先となったのでは、中立性・独立性は担保できないと考えるが、如何か。事務を担当する厚生労働省職員自身の手によって、厚生行政の不備や不作為は免責され、医療現場の責任ばかりが強調される結果となることが十分に予想されるが、如何か。
届出先は中央に設置する委員会の長であるべきと考えるが、如何か。その責任は当然に重く、国務大臣に準じた認証官とすべきであると考えるが、如何か。
(19)において医師法21条改正に言及されているが、刑法211条1項がそのままとされている限り、患者やその家族は犯罪の疑いは依然として残ると考えることもでき、21条改正によって警察への異状死体の届出をしなかった場合も、これは特に公的病院であっては刑事訴訟法239条2項によって故意による犯罪の発生を認めつつ警察に通報しなかった場合と同然であり、実態として効果が期待できないと考えるが、如何か。
(20)であるが、このような届出事例であっても再発防止のための分析が必要であることは論を待たないが、特に「誤った医療を行ったことは明らかではないが、行った医療に起因して患者が死亡した事例」の認識は困難である。また、しばしば医療機関の判断と患者遺族の判断が異なる場面も見られる。実効性がないと考えるが、如何か。
さらに言えば、このような医療機関にとって認識が容易な事例ばかりを集めた場合、認識が難しい事例は全く検討の対象となることができないが、これでは再発防止に寄与したとしてもその効果はあまり期待できないと考えるが、如何か。
(21)であるが、文面を素直に読めば、医師法21条の異状死体届出義務とは別に、新たに医療法に診療に関連した死亡の届出の義務が管理者に対して課されると考えられるが、それに相違ないか。その場合、公的病院の管理者が届出を怠った場合、死体を検案した医師は医師法21条に基づいて別途に警察に対して届出の義務が生じるものと解釈できるが、それに相違ないか。
(22)であるが、前項に示したように、医療機関の管理者の届出が為されない場合、それは行政処分の対象として考慮されるが刑事罰の課される心配のない一方、死体検案に当たった医師については依然として医師法21条に基づいて刑事告発と加罰の対象となる可能性があると解することができると考えるが、それに相違ないか。
(23)であるが、遺族による刑事告発が為された場合、医療機関の管理者の届出が為されない場合、それは行政処分の対象として考慮されて刑事罰の課される心配のない一方、死体検案に当たった医師については依然として医師法21条に基づいて刑事告発と加罰の対象となる可能性があると解することができると考えるが、それに相違ないか。
(24)であるが、人の死はしばしば週日の日中ではなく、夜間や早朝や休日に起こる。日本の多くの地域に於いて、死体は葬礼のために可能な限り早く家族が引き取っていくという風習がしばしば見られる。その場合、早朝や深夜であっても、事務局や調査チームは相談業務に従事することになるが、それに相違ないか。
(25)であるが、死体の検案に当たった医師自身が医療機関の管理者と意見を異にした場合、(22)や(23)で見たように自身が刑事罰の対象になることを知りつつ、届出の機会を失うものと考えられるが、それに相違ないか。また、死体の検案にあたらなかった医師や他の医療従事者はどうか。やはりしばしば刑事訴訟法239条2項に反することとなるが、如何か。
(26)であるが、人の死はしばしばオフィスアワーではなく、夜間や早朝に起こる。日本の多くの地域に於いて、死体は葬礼のために可能な限り早く家族が引き取っていくという風習がしばしば見られる。その場合、早朝や深夜であっても、都道府県等の医療安全支援センターは相談業務に従事することになるが、それに相違ないか。都道府県等との意見の交換は既になされたり、了承が得られたりしたという記載はないが、如何なのか。国民に周知する方法についての記載がないが、誰の責任でどのように行うのか。患者の死亡の度に医師や医療従事者が説明の義務を負わされるのでは、良好なコミュニケーションを大いに阻害することが予想され、無用な検討事例が相当量に発生することが予想されるが、如何か。
(27)であるが、まず、死因の究明が再発予防、すなわち公衆衛生上の必要によって行われるのであれば、遺族の同意は不要と考えるが、如何か。公衆衛生上の必要があるにも拘わらず、強いて遺族の承諾を求める理由はどこにあるのか。説明があって然るべきと考えるが、如何か。
聞き取り調査は調査チームの事務ではないようであるが、これまで事務局の構成が分明でない。記載の上で言及が為されるべきと考えるが、如何か。
証拠物件の押収が為されるようであるが、警察や検察官との採証権限はどちらが優先されるべきであるのかが分明でない。記載の上で言及が為されるべきと考えるが、如何か。
解剖においては先入観を持ってこれを為すべきではないと考えるが、如何か。
臨床経過を法律家が評価するなら、それは法的な過失責任の判断の見地から為される。法律家でない医療関係者にはその妥当性を評価する能力がないが、調査報告書に記載されることとなっている。これは法律家の意見であって医療従事者の意見ではない。再発予防や医療安全の確保とも直接の関係を持たない。それでも調査報告書への記載が必要であるとする根拠はどこにあるのか。根拠を明確に記載した上で言及が為されるべきと考えるが、如何か。
委員会を地方に分置すべき根拠はどこにあるのか。
そもそも、特に急性期医療においては技術の進歩が著しく、職種が異なったり専門とする診療科が異なったりした場合には事案の全体像の把握が容易でない。
専門家による事故調査を謳うからには、初期調査に当たる調査チームのメンバーはともかく、より上位に委員会等を設置するのであればむしろ専門分野ごとのadvisory board 等にするべきであると考えるが、如何か。
調査報告書の公表を行うとした点は高く評価すべきであるが、純粋に医学的見地から為されたものであるか否かについて、記載内容の点で厳重な隔離が為されるべきであり、法律家の医学的見地を無視した法的な過失責任についての記載が各所に混在されるべきではないと考えるが、如何か。
調査チームや委員会の尋問への回答は強制されないとされているが、いったい、担当者は日本国憲法第38条1項を読んだことがないのか。この國においては、何人も、自己に不利益な供述を強要されないとされているのである。あまりにも不見識であろう。同99条も、読んだことのない人には効果がないのであろう。
また、遺族があまりにも疎かにされている。調査終了前に事情を徴する機会を設けるなどということでなく、親しい者の死に直面して混乱し、悲嘆に暮れる家族こそ、最も大切にされるべき存在であると考えるが、この文言の中ではそのための機能が全く検討されていない。むしろ大きな柱として記載されるべきと考えるが、如何か。
(28)で専門用語についての配慮が求められているが、現場を知らない者の戯言としか思えない。医学・医療での専門用語を収集し、これについて注釈を行うことはしばしばなされており、多くの辞書・事典の類が発行されている。それでも一般の国民が医療の内容を理解するのに困難を覚えるのは、それが長期に亘る専門教育を必要とする知識体系と言語化の困難な暗黙知に基づいているからに他ならない。
一般的に言っても、判る者は、判らない者がなぜ分からないのか、なかなか分からぬものであろう。
その上で考えるに、求められる十分な配慮とは、何か。明記されるべきと考えるが、如何か。
(29)であるが、では、しばしば調査依頼がなされるが本来は調査の対象にならない病態は、延々と繰り返し調査依頼がなされ続けることになるが、それに相違ないか。
(30)でようやく、遺族の感情を受け止める者の育成を図るとされているが、この人員が登場するのは調査のどの段階であるのか。(27)において全く記載がない。明記されるべきと考えるが、如何か。
(31)で医療従事者においては研修が為されるとされているが、法曹や有識者についてはその適格性を評価し、資質を向上させる仕組みが提示されていない。明記されるべきと考えるが、如何か。
【院内事故調査と地方委員会との連携】の項
(32)において、およそ証拠の全てが押収され、関係者が連日身柄を拘束されて聞き取り調査をされているときに、医療機関は一体どうやって独自の調査ができるのか。明記が必要と考えるが、如何か。
また、逆に解剖結果の情報などについては、医療機関と遺族に早期に提供されて然るべきと考えるが、如何か。
(33)において安全管理委員会の業務として再発防止策を要求しているが、必ずしも個別医療機関の努力でどうにでもしようがあるような事例ばかりではない。その場合、医療機関が厚生労働省等に対して行う提案などは、どのような手続きによって実現されるのかが分明でない。明記されるべきと考えるが、如何か。
(34)において、通常であれば時系列上、委員会の調査が終了してから院内(あるいは外部委員会)の調査がなされるが、事後に作成された資料を委員会はどのように審議の材料とするのであるのか。事務の順序について深刻な混乱が見受けられる。もう少しよく考えて整理されては如何か。
(35)においては、やはり委員会と院内事故調査委員会等の時系列についての整理が為されていない。
(36)であるが、解剖結果だけが情報提供されても、やはり院内調査は不可能であろう。医療機関は一体どうやって独自の調査ができるのか。明記が必要と考えるが、如何か。
(37)であるが、医療機関に対する提言といっても、実際には人手不足の環境で実現可能とは思われない。また、厚生労働省の一部局が何を提言しようとも、他部局や他省庁が歯牙にもかけないことは確実である。
設置は厚生労働省に行うべきでないと考えるが、如何か。
(38)では、財団法人日本医療機能評価機構の情報収集等事業の事例分析を委員会が利用できるものとしているが、その匿名性は担保されるのか否かが分明でない。場合によっては死亡事例ではない後遺障害等の事例について、委員会を通じて警察への通報が為される可能性があると考えるがそれに相違ないか。
【捜査機関への通知】の項
(39)では、遺族の刑事告発によって警察が捜査し、検察官が公訴した事例については、それを知っていながら警察に通報しなかった場合、委員会自身が刑事訴訟法239条2項に基づいて刑事告発される可能性があると解することができるが、それに相違ないか。
(40)では、改竄・隠蔽は故意による犯罪であって、そもそも通報しないというわけにはいかないであろう。リピーター医師という言葉を「過失による医療事故を繰り返している場合」と定義しているが、しかし、そういう事例こそ教育が必要なのではないかと考えるが、如何か。それを放置しておいて、いきなり警察に通報するというのは、厚生行政の無責任以外の何ものでもないと考えるが、如何か。
また、標準的な医療行為の一覧表でも、どこかにあるのか。だれが標準的な医療行為を決定するのか。また、標準的な医療行為は時間と共に変遷していくことは周知の事実であるが、過去のある時点で標準的な治療行為であった医療行為が後日に標準的ではなくなった場合、これもやはり警察に通報されるものであるのか。また、標準的な医療行為についてのコンセンサスが確立されていない分野では、如何なる事が行われてもこれは警察への通報が為されないと解することができるが、それに相違ないか。
地方委員会にも調査チームにも法律家が参加する以上、彼等は医学的判断ではなく法的評価を行う。その調査報告書を医学的判断であるとするのは、強弁であろう。いったい、厚生労働省は法律家に何を求めているのか。明記すべきであると考えるが、如何か。
「3 医療安全調査委員会以外での対応(医療事故が発生した際のその他の諸手続)について」について
ここで別紙3について触れられているが、これの大半は単なる要望あるいは願望であって、警察庁や法務省の対応は国会に於いて既に述べられている。撤回が必要であろう。
【遺族と医療機関との関係】の項
(41)において委員会による介入が、まさに医療機関や従事者と患者・遺族との関係を悪化させる原因となりうることについてあまりにも度外視されている。委員会の活動がその点であまりにも拙劣なものとならないよう、充分な人員と予算の投入が必要と考えるが、如何か。具体的には遺族や医療機関の要求に対して適時に資料の提出が為されるべきと考えるが、如何か。
また、それがない限り、医療機関独自の調査が行われることは不可能と考えるが、如何か。
(42)については極めて適切な指摘であると考える。必要な人員の養成と配置を可能とするための原資の投入が不可欠と考える。
(43)についてであるが、金銭的解決のための資料として、医学的判断に基づく調査報告書が機能することは期待できないと考える。これについては別に法的枠組みの中での紛争解決手法が必要であり、また、患者本人や遺族への福祉の充実がそれ以上に必要かつ重要と考えるが、如何か。
(44)で、事実関係の明確化は、紛争の早期解決の必要条件ではあるが、十分条件ではない。法的な過失責任の決定には、法的評価が必要であって、これは報告書に記載される内容としては医学的判断から大きく外れたものである。特に法的枠組みの機能と目的と限界の明示されない中での紛争は、あまりにも期待が大きいが故に、たとえ勝訴や勝訴的和解に終わっても、遺族の満足度は低いことが知られている。法的枠組みへの過剰な依拠は可能な限り避けられるべきと考えるが、如何か。
(45)であるが、指摘はもっともであるが、場を設けて活用されないのでは意味がない。積極的且つ広範な広報活動が同時に必要と考えるが、如何か。
【行政処分】
(46)(47)についてはたいへん適切な指摘と提案であると考える。
(48)についてもたいへん適切な指摘と提案であると考えるが、一医療機関の能力を超えた体制整備が必要となることが予想され、その場合の対処、特に行政の対処が想定されていない点は問題と考えるが、如何か。
(49)の医道審議会の見直しは必要と考えるが、取り急ぎ、審議と各委員の発言の内容を記した議事録の公開が必要と考えるが、如何か。
「4 おわりに」について
(50)において、金額や準備期間だけでなく投入される人材の資質、教育内容の検討が必要で、それには専門職養成数の増加が必然的に伴うという視点が必要と考えるが、如何か。必要数の記載が為されるべきであろうが、如何か。
(51)についてはたいへん適切な指摘と提案であると考える。
全体を通して
そもそも医療紛争には、共感と謝罪から出発して原因追及から再発防止へと至る流れと、経済的補償に関連した流れ、さらには司法行政による刑事罰の流れの三つがある。さらに加えて、診療に関連した死亡を扱う関係上、公衆衛生上極めて不備な状況におかれている死因究明制度の問題が4つめの要素が深く関係してくる。
本第3次試案では、これらの流れの整理が不充分で、各所に大きな混乱が見られる。
死因究明制度については、諸外国に於いて当然に存在する、死因を究明して犯人捜しをする必要があるかどうかという法的判断をする場がないという点が大きな問題である。この國ではしばしば体表からの検視のみによってその判断がなされているが、それを検証する場も設けられていない。
共感、謝罪、原因追及、再発防止の流れについても、これまでこの國では個々の医療従事者や医療機関の努力に任されてきており、努力をしない者が楽をしてきたという点については否定できないし、反省が必要である。何よりも再発防止の流れを大きく阻害してきたことについては猛省が必要であろう。言うまでもなく、故意によるカルテの改竄等もまた、再発防止を大きく阻害する行為であり、正当化することはできない。
ただし、これらについては積極的なインセンティブが全く与えられてこなかったこともまた無視することはできない。
本制度の根本は、この新たなインセンティブの設計に他ならないが、その戦略的目標が明確でないことが全体の混乱の最も大きな原因となっている。
経済的補償については、少なくとも公共財として提供されている部分について、その責任を個人や個別医療機関にだけ押しつけることが公正であるとは個人的に考えない。むしろ、家族を亡くし、障害を負っても自在に生きられるだけの福祉の提供が問題解決のために必要であろう。
刑事罰、特に業過罪については、医療分野に限らず、功よりも罪が大きくなってきており、刑事司法の謙抑性の観点から、行政全体と司法を巻き込んでの再検討が必要であろう。戦後の刑事司法は治安維持法についての深い反省から出発せざるを得なかったといわれているが、現在の刑法学者、警察幹部、検察官はそのことをきれいに忘れ去っているのではないかと思うような言説がしばしば目につく。
第3次試案において、厚生労働省がこの事案を扱うことの不適切さが一層明確となったと考える。
検討の枠組み全体の見直しが必要であると感じつつ、拙稿を閉じる。
以上
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