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(投稿:by 僻地の産科医)
9月ももう終わりますね。
明日付けで転任します。HNそのまま、『僻地の産科医』です。
通りがいいので。もうそのままです。ごめんなさい。
中間管理職さまにエントリーまで立てていただきました!
ありがとう存じます(>▽<)!!!
ブログ”産科医療のこれから”
勤務医 開業つれづれ日記 2007-09-30
http://ameblo.jp/med/entry-10049142558.html
医師っていうのは、命じられた地に赴いて、
なんでもこなしていけばいいんだ、と思ってたのに、
いつの間にかそんな安穏な時代は終わっていたんだな、と気づかされました。
そんな赴任でした。
埼玉県医師会報から。
そんな心境とよく似た文章がありましたのでお伝えしますo(^-^)o..。*♡
深谷赤十字病院 副院長 大谷 英祥 (埼玉県医師会誌 2007年9月号 vol.690 p29) 私が麻酔科部長として深谷赤十字病院に赴任したのは1983年6月でした。早いもので、もう25年目になります。赴任した当時は常勤の麻酔科医は2名だけでした。モニター機器もろくなものが無く、麻酔器には呼吸器すら付いていなかった時代です。その様な中で、たった2名で5部屋の手術室を切り盛りしていました。掛け持ち麻酔は当然で、ほとんど自転車操業と言っても良い状況でした。良く事故を起こさなかったものだと思います。 麻酔科医の人員不足は全国的な問題で、当院も増員されたとはいえ、現在でも常勤の麻酔科医は4名にすぎません。4名で8部屋の手術を切り盛りしているわけですから、発足当初とあまり変わりません。安全性を考えれば掛け持ち麻酔はしない方が良いに決まっていますが、厳密にすれば手術可能な患者数が激減します。只でさえ多くの癌患者を待たしているのに、これ以上待たせることも人権問題と思われます。結局は安全性と効率を秤にかけての妥協点を探っての作業となります。 具体的には、患者の年齢、全身状態、手術侵襲などを考慮し、どの組み合わせで、どのような時間経過であれば掛け持ちをしても危険がないかを考えて手術予定を組みます。前もってリスクの高い患者の情報を把握出来ていれば問題ないのですが、実際にはなかなかそうも行かず、ハイリスク症例の掛け持ちを余儀なくされ、冷や冷やさせられることもないわけではありません。けれども、最近はオーダリング制になったので、週間予定表が出次第、患者の大まかな情報を得ることが出来るようになり、以前よりは効率よく、より安全な手術予定を組むことが可能となりました。 私は赴任当時から出来るだけ断らない麻酔科医でいようと思っていました。全身状態などから、危険があれば麻酔を断るのも麻酔科医の仕事です。でも、危険を知った上で手術を希望するのであれば、患者の選択に応えるのも麻酔科医としての務めだと思います。幸いなことに、今までその様にして引き受けた症例で、実際に大きな問題が起きたことはありません。出来れば方針を変えることなく、このまま定年まで行きたいのですが、最近は部下に任せることも多くなったので、自分だけで決めるわけには行きません。昨今のヒステリックなメディアの報道の仕方や、信じられない理由での民事敗訴、刑事訴訟などを見ていると、危険な症例は断らざるを得ないのかも知れません。 我が国では年間約2千万人の救急患者が全国の病院を受診するのに対し、日本救急医学会によって認定された救急認定医は2千人程度(平成5年当時)にすぎず、救急認定医が全ての救急患者を診療することは現実には不可能であること、救急専門医(救急認定医と救急指導医)は、首都圏や阪神圏の大都市部、それも救命救急センターを中心とする3次救急医療施設に偏在しているのが実情であること、したがって,大都市圏以外の地方の救急医療は,救急専門医ではない外科や脳外科などの各診療科医師の手によって支えられているのが、我が国の救急医療の現実であること、本件病院が2次救急医療機関として,救急専門医ではない各診療科医師による救急医療体制をとっていたのは、全国的に共通の事情によるものであること、一般的に,脳神経外科医は、研修医の時を除けば、心嚢穿刺に熟達できる機会はほとんどなく、胸腹部の超音波検査を日常的にすることもないこと、被控訴人Eは、胸腹部の超音波検査が必要と判断した時には、放射線科あるいは内科に検査を依頼しており、自ら超音波検査の結果を読影することはなかったこと、当日、被控訴人Eとともに当直に当たっていた小児科の医師も、日常的に超音波検査をすることはなく、単独で超音波検査をすることは困難であったことが認められる。 これが救急医療の実情です。むしろこの脳外科医はかなり優秀で、多くの病院で当直業務をしている医師の平均はこれよりずっと劣るでしょう。分かっているじゃないかと思っていると、こう続きます。 救急医療について相当の知識および経験を有する医師をどう定義するのかが問題となりますが、この判決の定義を採用すれば、日本で救急医療は不可能です。そして、判決自身でそれを認めています。裁判官自身が不可能だと判断していることを行わなかったから高額な賠償金を払う義務があるというのでは、救急医療は成り立ちません。この事例は二次救急病院でのことです。三次救急施設だったら、どれだけのことを要求されるのでしょうか。深谷赤十字病院は三次救急施設です。当院にとっても医療崩壊は他人事ではありません。 それでもまだ、いろいろと辛いことはあっても民事なら実害は少ないと言えます。でも、昨今は刑事訴追も念頭に置かなければなりません。有名なところでは「割り箸事件」や「癒着胎盤事件」があります。「割り箸事件」は一応無罪判決が出ましたが、過失がないことが認められたのではなく、過失はあったが、助けられる見込みがないからと言う理由で無罪とされたのです。でも、助けられる見込みがあったら有罪だったのかと思うと、医療から去っていく医師の気持ちも分かります。「癒着胎盤事件」は第五回公判まで来ましたが、まだ係争中です。
良心と保身の狭間で
そのころの全身麻酔と言えば、ほとんどがGOF(笑気・酸素・フローセン:現在の正式な用語とは異なる)またはNLA(GOドロペリドール・フェンタニル)でした。術後鎮痛法も良いものが無く、鎮痛薬の筋注が主治医から指示されているだけだったと思います。小児の鼠径ヘルニアだけは仙骨ブロックを併用していました。
その後揮発性麻酔薬はエトレン、イソフルレン、セボフルレンと主流が変わってきました。静脈麻酔薬も今ではプロポフォールが主流です。今でも生き残っている笑気も覚醒の早い麻酔薬ですが、セボフルレンもプロポフォールも覚醒の早い麻酔薬です。
最近の麻酔の主流は、覚醒の早い麻酔薬を用い、鎮痛には別の方法を用いて、術後早期にスッキリとした目覚めでありながら、痛みは無いという状態を目標としています。あくまで目標ですから、いつも上手く行くとは限りませんが、最近超短時間作用型のレミフェンタニルという麻薬性鎮痛薬が発売され、目標の達成が以前より容易になりました。
麻酔薬と同様、モニター機器も大きく進歩しました。さすがに心電計はありましたが、赴任当初は自分で5分ごとに血圧を測っていました。長い手術になると耳が痛くなったものでした。動脈圧を直接測定するトランスジューサーは使い捨てではなく、たった一つしかありませんでした。衝撃にも弱く、泡を除去するために叩いたりしたら、すぐに壊れます。今の若い人に扱わせたら、たちどころに壊すでしょう。当然、今のようにすぐにAラインを取ることなど考えもつきませんでした。
自動血圧計が入ったときは感動したものです。もうこれで耳の痛い思いをすることはないと思ったら、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。その後はパルスオキシメータや呼気炭酸ガス濃度計が使えるようになり、それまでの勘に頼った麻酔が、いかにデタラメであったか思い知るようになりました。
医療機器や医療技術の進歩により、麻酔科領域だけではなく、医療全体の安全性が格段に改善されたことは喜ばしいことなのですが、昨今は良いことばかりではありません。安全性が高まったおかげで、医療の不確実性への無理解が高じてきたのは困ったことです。生きて病院にたどり着けば、人間は死なないものだと思っているとしか考えられないような対応がしばしば報道されます。医療そのものにも限界がありますし、医療圏によって、各医療施設によって、またそれぞれの医師によっても能力は異なります。患者の権利を尊重することは良いことですが、だからといって、医学的に無理なこと、社会的環境から無理なことを求めるのは間違いです。
単に肥大した権利意識を振りかざす患者が増えたとか、マスコミが医療をたたいているだけならまだ耐えられますが、昨今は、こんなもので高額な賠償責任を負わされるのかという判決がまかり通るようになっています。元々死も考えられるような病態の患者が助からなかった場合、多少医療側にミスがあったとしても、死の原因は元々の病態です。何の問題もない健康な人を死に追いやる交通事故とは違います。それなのに、医療側から見たらミスがあったとは思えないような事例でも訴訟が起こされ、敗訴することもたびたびです。このような事態が医療を崩壊に導いています。民事だけならまだしも、刑事訴追される事例もあり、これでは医療を続けられないという声が日増しに大きくなっています。
しかしながら、いくら安全に気を配っているとはいえ、掛け持ち麻酔そのものを問題視する向きもあり、万が一、医療事故が起きたときにどうなるのかという不安はあります。昨今の情勢であれば、結果が悪かった場合、たとえ麻酔そのものに問題が無くても、掛け持ち麻酔をしていたからと言う理由で責任を問われることがあるかも知れないと思っています。だからといって、急性硬膜外血腫や緊急帝王切開を断れば、命が失われる確率は高いでしょう。手術が手一杯だったとして断っても責任を問われないのだとしても、萎縮診療のために救える命が救えなかったら、医師としてはつらいでしょう。
以前は自分自身が信じる道を歩んだ結果、民事で訴えられるようなことになろうとも仕方がないと思っていました。現に救える命を見殺しにするくらいなら、万一のことが起こったら責任を問われても良いから自分の正しいと思う医療をしようと思っていました。今でもそうしたいという思いはあります。でも、以前のように純粋にそうは思えなくなりました。そのきっかけは奈良の「心タンポナーデ事件」です。
「心タンポナーデ事件」とは以下のような事例です。2名乗車のシートベルトもしていない自動車がブレーキもかけずに塀に激突しました。助手席の乗員は入院直後から重体で、他施設に搬送されましたが亡くなりました。運転者は頭部に受傷していて意識障害もあったが、容態は安定していました。頭部のCTでもその他の単純写真でも異常はありませんでした。そのため経過観察としたのですが、その後しばらくして容態が急変し、亡くなりました。
民事訴訟が起こされ、一審では原告敗訴となりましたが、高裁では原告が勝訴し、高額の賠償金が認められました。地裁と高裁では死因の認定が変わりました。地裁では腹腔内出血を採ったのに対し、高裁では心タンポナーデを採りました。その根拠はCPKが197mU/ml と高値であったというものです。解剖が行われていないので何とも言えないのですが、外傷でCPKが高値になるのは常識じゃないのでしょうか。私は判決の根拠になった鑑定には大きな疑問を感じています。結局心タンポナーデなのに心エコーをしなかったことがいけないという判断で、医療側敗訴となりました。この判決はこのまま最高裁に行くこともなく確定しました。
この判決の結果に愕然としたことは事実ですが、医師としての心が折れそうな原因となったのは判決理由です。以下に抜粋して引用します。
そうだとすると、被控訴人Eとしては、自らの知識と経験に基づき、Eにつき最善の措置を講じたということができるのであって,注意義務を脳神経外科医に一般に求められる医療水準であると考えると、被控訴人Eに過失や注意義務違反を認めることはできないことになる。G鑑定やH鑑定も、被控訴人Eの医療内容につき、2次救急医療機関として期待される当時の医療水準を満たしていた、あるいは脳神経外科の専門医にこれ以上望んでも無理であったとする。
しかしながら、救急医療機関は、「救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること」などが要件とされ、その要件を満たす医療機関を救急病院等として、都道府県知事が認定することになっており(救急病院等を定める省令1条1項)、また、その医師は、「救急蘇生法、呼吸循環管理、意識障害の鑑別、救急手術要否の判断、緊急検査データの評価、救急医療品の使用等についての相当の知識及び経験を有すること」が求められている(昭和62年1月14日厚生省通知)のであるから、担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容、程度が異なると解するのは相当ではなく、本件においては2次救急医療機関の医師として、救急医療に求められる医療水準の注意義務を負うと解すべきである。
そうすると、2次救急医療機関における医師としては、本件においては、上記のとおり、Fに対し胸部超音波検査を実施し,心嚢内出血との診断をした上で,必要な措置を講じるべきであったということができ(自ら必要な検査や措置を講じることができない場合には、直ちにそれが可能な医師に連絡を取って援助を求める、あるいは3次救急病院に転送することが必要であった。)、被控訴人Eの過失や注意義務違反を認めることができる。
医療にとっては厳しい状況が続きますが、それでも他に能のない私は医師を続けなければなりません。萎縮診療も一つの考え方ですが、それでは医師として誇りを持って仕事が出来ません。誇りと保身のバランスをとりながら、今後も仕事を続けようと思っています。
最後に、当院の麻酔科が行っている他とは違った取り組みについて述べてみます。手術後のガーゼの遺残は依然として時々報道されます。ガーゼや手術器械の遺残を防ぐためには、数を確認しただけではダメです。人間は必ずいつかミスをするからです。
遺残を防ぐためには、遺残していないことをレントゲン写真で確認するほかありません。けれども、レントゲン写真を撮るために放射線技師をいちいち呼んでいたら時間がかかって仕方がありません。そこで、当院では麻酔科医がさっさとCRで撮ってしまいます。術者からは感謝されますが、本当は術者が撮っても良いのです。でも、術者が撮らない以上、私のようなせっかちな麻酔科医は自分で撮ってしまうのです。
なんだか途中から愚痴ばっかりになってしまいましたが、日本の医療に未来があることを祈って筆を置きます。
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