(関連目次)→無過失補償制度 目次 産科医療の現実 目次
(投稿:by 僻地の産科医)
【シリーズ 産科崩壊】
大阪府保険医協会 からです!
吉村先生ありがとうございます(>▽<)!!!!
シリーズ 産科崩壊⑦
医事紛争の現状
(『大阪保険医雑誌』2008年8・9月合併号 p52-56)
http://osaka-hk.org/sankahoukai/sankahoukai07.pdf
今回は茨木市の友紘会総合病院に大阪府医師会・医事紛争特別委員の藤本昭先生を訪ねて、医事紛争の現状や医事紛争特別委員会の取り組みを伺った。聞き手は協会産婦人科部会の吉村猛先生(豊中市開業)。
医事紛争特別委員会の役割
吉村 今回は藤本先生が産科の医事紛争特別委員として日頃感じておられることや、医事紛争の現状に関してお聞きできればと思います。まずは、医事紛争特別委員会について紹介をお願いします。
藤本 医事紛争特別委員会は昭和38年に大阪府医師会に設けられた委員会で、委員長は大阪府医師会会長が兼務しています。その下に担当の副会長や担当理事、さらに専門委員会が置かれています。
専門委員会は5つの専門科別に分かれており、私は産科・婦人科の医事紛争を担当する第2専門委員会(メンバーは9名)の委員です。一つの専門委員会に10名前後の委員が所属して、それぞれ数件の紛争事例を分担して担当しています。医事紛争などの問題が起これば、地区医師会長を経由して報告され、事例毎に専門委員会が担当することになります。事例はさまざまで、早々に解決できる事案もありますが、脳性麻痺などの事例ですと、7年にも及ぶものもあります。担当委員は、医学的な検討のもとに、なるべく早く解決できるように先生方や弁護士の相談にのるなどして、サポートしています。
この特別委員会は会員の管理する病院や診療所または、会員の勤務する医療機関で起きた、医療上の事故に関連した紛争を処理するための機関で、医事紛争にかかる会員の負担を出来るだけ軽減すると同時に、医事紛争の再発防止を目的に設置されたものです。従いまして、医事紛争が起こった場合はもちろん、起こるかも知れないと思われる時にはすぐに相談して下さい。
変わってきた患者の権利意識
吉村 最近の医事紛争の傾向は以前と比べてどのように変化しているのでしょうか。
藤本 医事紛争の件数がこの数年で増えているということはありません。ただ、内容をみると、昔は仕方がないとされていた事例でも訴えられるケースが多いと思いますね。変わってきたのは患者さんの権利意識だと思います。何か起こるとマスコミも「医療ミスだ」と大きく報道しますので、患者さんも医療ミスだと思われるのでしょう。
吉村 特に最近は医療側と患者側の意識に大きなギャップを感じますね。
藤本 一般の方には「結果が悪ければ医療ミス」という見方ではなくて、医療というのはもともと、思いもしない結果が起こりうるものだ、ということを知って頂く必要があると思います。何らかのリスクのある患者さんの体に、良くしようと意図して、身体に侵襲を伴う行為を行うわけですから、残念な結果も起こりうるのです。
産科では、医療が発達した現在でも、おなかの中はブラックボックスだと私は思います。確かにCTG(分娩監視装置)やエコーが導入され、いろいろわかるようになりました。しかし、それはその範囲の情報でしか無いわけです。私は40年ぐらい産科医をしていますが、今でもおなかの中はわからない事が多いというのが実感です。
「刑事」と「民事」の違い
吉村 最近は刑事事件になるケースが問題になっていますが。
藤本 いろいろ事情はあるのでしょうが、民事訴訟を有利に運ぶために、患者側が刑事告訴するケースが見られます。患者側の訴えを受けて警察が取調べても、不起訴処分になる事例がほとんどです。しかし、日常診療を抱えている医師が刑事事件の取り調べを受けるのは大変な苦痛と負担です。早く解決しようとして警察の提案に応じるなどするわけです。
刑事事件で注意しないといけないのは、罰金が安いとか、軽い処分だと安易に判断して過失を認めてしまうケースがあるのですが、民事事件と違って、わずかな罰金でも認めれば有罪となり、前科がつきます。また、行政処分の対象になります。民事事件とは、本質的に異なることを知ってほしいと思います。
産科医が増えない一番の理由
吉村 医事紛争が周産期医療に与える影響についてはどのようにお考えでしょうか。
藤本 私は産科医が増えない一番大きな理由がこの医事紛争だと思います。
昨年、産婦人科医会の勤務医部会でアンケートをとりましたが、産科医にとって何が負担かというと、一番大きな理由がこの医事紛争でした。その他にも拘束時間が長い、適正な報酬を認めてほしい、など切実な問題はありますが。
脳性麻痺の事例ですと、裁判を5年も6年も抱えながら、日常の診療を行わないといけないという大きなストレスにさらされます。「これでは産科医をやってられない」となるわけです。
それから、賠償金が高い。脳性麻痺ですと請求額が2億円に達する事例もあります。これは、産まれた赤ちゃんが85歳まで生きるとしてその間の介護費用を想定して請求額が決まるのでそういった金額になるのです。
吉村 産科医療補償制度などが検討されていますが、支払われる金額は2000万円程度ですね。
藤本 そうですね。最大で、準備一時金600万円と補償額は20年間の分割で2400万円の計3000万円程です。
吉村 医療側としては訴訟件数の抑制を期待するのですが、いかがでしょうか。
藤本 私は現状の案では難しいと思います。先ほど述べたように脳性麻痺の請求額は1億円を超えます。この程度の補償金額では逆に、これを原資に民事訴訟を起こすことも考えられますので、訴訟件数が増える可能性すらあります。
ただし、8000万円程度が給付されるとしたら、この金額で納得して訴訟を起こさない方も出てくるでしょうが。とにかく補償金額を増やすか、補償金の給付を条件に訴訟を制限するなどの担保が無いと、この案で訴訟が少なくなるということはありえないですね。
吉村 金額は中途半端、訴訟を制限する措置も無いということですね。
藤本 この制度は、すべての分娩施設が出産1件につき3万円を拠出するので、かなりの金額(約300億円)が集まると思いますが、支払う事例として想定されている件数が500~800例と非常に多いので1件への補償額が少ないのです。現状では、大阪の医事紛争特別委員会に寄せられる脳性麻痺の件数は年間で3~4件ですので、全国的に見ても対象となる事例は50~80件前後だと思います。毎年300億円の基金を集めると多くの金額が残ってくると考えられます。
吉村 患者側にとっては障害を持って産まれたお子さんを養っていくことは大変な問題ですね。
藤本 そうです。脳性麻痺などは、胎内にいた時から障害があったのか、出産時に障害が起こったのか明確にわからない事例が多いのです。その意味では過失が証明されなくとも保障を受けることができるという考えは良いと思いますが、その保障は国がやるべき問題だと思いますね。
現場の医師の意見尊重を
吉村 裁判で問題だと思う点はありますでしょうか。
藤本 裁判では患者側からも医師の意見書が提出されます。これは患者側の立場で意見書を書くので医師側の間違いを指摘する主旨で書かれています。ただ、私が産科医としてその事例を詳細にみてみると、どこまでその結果を防ぎえたのか疑問に思うことが多いのです。
鑑定書や意見書を書く医師は医療の経過を後から検証して書くわけです。カルテやCTGの記録を見て、「この時点で異変が起きているのに対応が遅れた」などと指摘するわけです。確かに、後から見れば、その変化が異変の端緒であったと指摘できるわけです。
しかし、現場の医師はその時、数値に変化が起きた後、戻るか、戻らないか見通しが分からない状況で、経過をみているのです。一時的にそういった異変が起こることはお産ではよくあります。その後に戻れば問題が無いですし、戻らずに、事態が悪化して、対処するというケースもあるわけです。
患者側の鑑定とはいえ、鑑定書や意見書を書く場合には、そういった現場で、時間の経過と予後を判断する難しさを踏まえて頂きたいと思いますね。後から見てそういった指摘をすることは誰でもできるわけですから。
吉村 鑑定する医師と医療のギャップですね。
藤本 現状では、とにかく、現場の医師の意見を大事にしないといけないというのが私の思いです。時間帯や環境など、様々な条件があるのです。例えば、深夜だと、今から麻酔科医を呼んで帝王切開をするとどのくらい時間がかかるのか、帝王切開に時間がかかるようなら吸引や鉗子分娩で赤ちゃんを出したほうが良いのでは、などと迷いながら判断をしているわけです。そういった状況を踏まえた現場の判断が尊重されるべきだと思います。
もちろん、医師がたくさんいて、夜中でも対応できる体制ならすぐに帝王切開もできるのでしょうが、現状は市民病院でも夜中はたいてい当直医1人です。その時点で人を呼んで、帝王切開をするとなるとやはり、1時間程度はかかります。産科医や麻酔科医、小児科医の不足、不充分な血液供給体制など、あるべき医療ができる環境が整備できていないのに、こうあるべき、という建前だけで医師の責任が問われているのが現状だと思います。医療の現場では、期待されている医療が提供できる体制ではなくなってきています。
吉村 この企画も他科の医師に知って頂くことが目的のひとつですが、医師どうしでも産科医療が理解されていないと感じます。
藤本 そうですね。産科医療は常に救急医療です。例えば、分娩後の出血ですが、理論的には胎盤循環というのは1分間に500cc循環しているわけですから、弛緩出血をおこしたら、1分間に500cc出血することも有り得るわけです。そうしたら6分で3000ccですから、母体死亡となります。産科においては多量の出血が起こりうるし、それが起きれば3分や5分で患者さんが死ぬかもしれないということは確かに分かってもらえない点です。さらにはそういった大変な出血がどの妊婦に起こるか分からない。ローリスクとされるお産でも30件に1件程度は何らかの異常産となります。その他、産まれた赤ちゃんが呼吸してくれない、子宮内で前兆もなく、突然赤ちゃんが死亡してしまうことなど、産科はやはり特殊だと思います。
吉村 お産のリスクについてですが、この点が医療と患者さんの意識のギャップが一番大きいのではないでしょうか。
藤本 現在、我が国の新生児死亡率も母体死亡率も世界最高の水準です。昭和39年の大阪における母体死亡は年間142人でしたが、平成17年ではわずか3人です。これは、医療機関が殆どすべての分娩を担うようになったからこのような高い水準になったのです。私たちがこれまで努力して新生児搬送、母体搬送などの救急体制を作り上げてきたので、お産が安全になってきたという思いがあるのですが、お産が安全であるという認識だけが広まり、なかなかそういった取り組みが理解されていないですね。
“やりがい”を無くさない環境整備
吉村 厳しい現状をお聞きしてきましたが、産科医療の展望を考える鍵はどのようなことがあるでしょうか。
藤本 展望ということ以前に、今年の後期研修医の80%近くが“やりがい”のある診療科であるとの理由で、この産科を選んでいます。その“やりがい”を無くさないようにすることが大切です。
適正な報酬や労働条件、訴訟の問題をクリアしないといけない。それがクリアできれば産科医は今後増えると思います。また、女性医師が増えますので、出産・育児を経て、継続して働ける環境の整備が課題です。ただ、そのためにワークシェアリングが必要ですから更に多くの医師を確保しないといけないということになります。
吉村 現状のままでは厳しい……。
藤本 これから私たち高齢の世代が退職など、リタイアし始めますので、あと2年程度が正念場になると思います。現在、60歳以上の産科医が32%程度いますが、その一方で、若い世代で産科に従事している医師は少ないですから。
また、訴訟以外の問題では拘束時間の長さがありますが、一般に評価されていないのは「オンコール・待機」による負担があると思います。
この友紘会総合病院でも、平成14年にお産を止めましたが、お産を扱っている間は日曜、祭日の区別無く、24時間ポケットベルを持っていました。この「待機」のときは、どこも行けないですね。食事や買い物に行くにも近所にしかいけないし、家族旅行などはできませんでした。自宅でお酒も飲めない状況なのです。結局家族が犠牲になっていたわけです。
吉村 そうですね。呼び出しがあって、駆けつけたら「勤務時間」として評価されますが、オンコール待ちというのは全く評価されず無給ですね。
藤本 正直言いまして、産科が人気無いのは分かります。ですから、今、頑張っている産科医にとりあえず、何とか頑張って残ってもらうには、即効性のある手立てが必要だと思います。すぐできるのは、やはり正当な「報酬」だと思います。訴訟リスクや拘束時間の長さ、当直の多さに見合うだけの報酬ですね。
吉村 やはり、医療にお金をかけることが必要ですね。
藤本 医療というのは福祉施策のひとつなので、経済面だけでなく、医師や患者の意見も含めてこれからどうするのかを考えないといけないと思います。医療はこれまで、削られ続けてきましたが、「医療を削るべき」という国民のコンセンサスは得られていないのにそういったことがされてきました。北欧などのように、税金が高くて多少、収入が少なくなっても、衣食住や医療福祉がきちんとしているので満足度の高い社会を達成している例はあります。そういった方向も考えるべきだと思います。
カルテは客観的に時系列で
吉村 最後に何かございましたらお願いします。
藤本 医事紛争を起こした先生は落ち込んで孤独になりがちになると思いますが、この委員会では、多くの委員がいてそれぞれ専門的な立場で医学的な検討を行い、適切なアドバイスを行っています。
裁判となっても、医療に精通した弁護士が対応し、さらに医学文献の収集や専門科の意見をうかがうなど、サポートできます。医事紛争が起こったらすぐに連絡して下さい。
あとは、カルテをきちんと書くことです。その時、一生懸命に治療してもカルテに書かないと何もやっていないことになります。カルテは反省的に書くのではなくて、客観的に時系列で事実だけをきちんと書く、また、病院の場合などは看護記録などと整合性のとれた内容になるようにして書く必要があります。治療中は詳細な記載はできないでしょうが、後で医療従事者(当事者)が集まって、事実経過を確認して、きちんとカルテや看護記録等を整備することが重要です。医療の結果が思わしくない場合などは特に心がけて欲しいと思います。
吉村 今日は長時間ありがとうございました。
コメント