(関連目次)→医療事故安全調査委員会 大野事件
(投稿:by 僻地の産科医)
第一回の検討会前から、成行きに注目していた事故調問題ですが、
実は、もう一年半にも及ぶので疲れちゃってo(^-^)o ..。*♡
下まで見てください~(;;)。。すごい記事の数。
福田首相が放り投げてくれて、ちょっと休憩できて嬉しい所です。
ところで一つだけ抗議!ぶ~。写真クリックしてね。
支援者の医師が腕で大きく〇を書いたのは言いすぎ!
この写真見てよ!小さくOKマークの麻実先生です。
(写真は佐藤一樹先生、麻実先生、後姿が上先生)
大野病院「無罪」に安堵できぬ医師
(FACTA OCTOBER 2008 p54-55)
逮捕の危険は遠のいたが、民事訴訟リスクは消えない。
国が検討中の「医療事故調」で拍車も。
8月20日午前10時7分、福島地裁前。カメラマンたちが待ち受けるなか、法廷から飛び出してきた記者が声を上げる。
「無罪、無罪」
支援者の医師か、裁判所の外に向かって腕で大きくマルを描いた。
「完全無罪だ」
3枚の傍聴券に788人が並んだ30分前の喧噪がウソのような静かな幕切れだった。
判決言い渡しは2時間を超え、詳細な認定をうかがわせた。午後から被告の加藤克彦医師の記者会見と、支援者の医師たちが主催するシンポジウムが別々に開かれたが、加藤医師は表情に苦悩の色をにじませ、支援者が派手に喜びあう姿もなかった。「患者が亡くなった」ことへの礼儀だけではないだろう。医療と法律の難題は依然山積したままだからだ。
判決をおさらいしよう。04年12月福島県立大野病院で行われた帝王切開手術で、患者の妊婦が出血性ショックで死亡した。通常は出産時にはがれる胎盤が子宮壁に組織的に食い込んだ癒着胎盤で、1人で手術に当たった同病院産婦人科医員の加藤医師が胎盤をはがそうとしたところ出血が止まらなくなり、子宮摘出術に移行しようとしたが、死亡に至った。事前に前置胎盤であることはわかっていたが、癒着は剥離にかかって初めてわかった。
画期的な「医療水準」導入
判決が・認定したのは
①癒着胎盤を剥離すれば出血多量で死亡する可能性があるとわかつていた(予見可能性)
②胎盤剥離を中止して子宮を摘出する方法に切り替えれぱ出血量が少なかっただろう(結果を回避できる可能性)
③医療的準則では、癒着胎盤であっでも剥離を行い、その後に出血措置をとるもので、加藤医師のとった行為には危険性が認められない(治療行為は「医療水準」に則ったもの)――である。
③をしっかり据えたのが、大野病院判決の画期的なところだ。刑事裁判における過失の認定は、①予見可能性+②結果回避可能性とその義務を検討する「新過失論」によるのが趨勢だ。判決は③で、結果回避行為を医療水準で限定した。
「臨床に携わる医師が直面した場合、そのほとんどがとる措置としての一般性、通有性」ととらえ、検察側の「癒着胎盤と判明したら即、子宮摘出術に移行すべき」という主張を退けたのだ。
「判決は医療水準説に立ち、医学文献や鑑定を丁寧に評価して、よき医療行為とは何か、手術はそれにあてはまるかをきちんと認定した」と、小林公夫明治大学法科大学院講師(医事法)は高く評価する。
医療の内容や質は当然、医療機関や医師によって異なり、唯一の正解はない。そこで医字書や・論文、症例のファクトから、実現されうる「医療群」を導き出し、医療の適正性を判断する。これを医療側から見れば、最近医療現場に浸透している、エピデンス・ペースド・メディシン(EBM=科学的根拠に基づいた医療)に似たアプローチだといえる。
判決を受けて、警察庁と検察首脳は、通常の医療行為での刑事責任追及を慎重にする方針を打ち出したが、医療水準のない先端医療行為はこの埓外だ。しかし先端医療がなければ一般医療の進歩もない。『①+②で判断し、患者への説明が十分か、そして医学の現状レベルを合わせて判断すべきだ。ベースとなる基準は医療水準で明確なので、萎縮医療にはならない」と小枝講師はいう。
「医療事故に刑事裁判はなじまない」
とする非難を浴びてきた福島地検は控訴を断念、加藤医師は復職した。これに懲りて検察も警察も刑事訴・訟には慎重になるだろう。では、これで医療事故の訴訟リスクは小さくなったのか。
「大野病院事件は、法律と医療のせめぎ合いの“第一幕”にすぎない」と警鐘を鳴らすのは、加藤医師逮捕の直後、「周提期医療の崩壊をくい止める会」をいち早く立ち上げて支援と啓蒙活動に努めた、上昌広東京大学医科学研究所客員准教授。新聞などの報道は一眼に、厚労省が検討中の「医療事故調査委員会」の早期・設置を求めているが、上准教授は「事故調の調査報告書が、医療過誤の民事訴訟に使われれば“国のお墨付き”になる。賠償額が高額化しかねない』と危惧する。たしかに厚労省の第3次試案も、対案の民主党案でも、事故調の報告書は民事裁判に使えるという前提だ。
そもそも大野病院事件の発端は、05年に県事故調査委員会が出した本文3ページ強の「報告書」にある。事実関係は箇条書き、価値判断は「タラレバ」ばかり。県を相手にした民事訴訟を避け、医賠責保険から賠償を支払いたいがための「癒着胎盤ならすぐに子寫摘出術に移るべきだ」との記述が、同じ県の機関である県警の強制捜査を招いた。
『民事裁判では92年ごろから、被害者を救済すぺきだとして、裁判所がカルテの提出命令を山したり、立証責任を転嫁するなど、患者側に有利な訴訟指揮に変わった」と、町村泰貴北海道大字大学院教授(民事訴訟法)はいう。民事裁判では刑事と過失構造が異なり、不法行為として扱う。昭和40年代から「医療水準説」で(これは前出の用事鰍判での同名の概念とは全く別物)、過失と損害賠償を認める範囲を絞り込んでいたが、患者の『自己決定権』を認め、「説明義務違反」を問うて被害者救済を重視する攻勢に転じた。
「いかに医療の牙城を崩すかが、オール法律家の問題意識となった」
と町村教授は指摘する、積極的に被害者救済の判決を下すことで知られるある判事は「特に最近は、政判官は世の中の流れを読んで判決することが求められている。それは当然だ」と断言した。
低収入弁護士の狙い目に
弁護士の経済環流悪化も見逃せない。何の根拠もなく新司法試験の合格者を畑やした結果、低収入にあえぐ若い弁護士が増えた。彼らの多くは、手っ取り早く20~30%の報酬が稼げる、多重債務者の消費者金融やクレジット会社に対する過払金請求を稼ぎ場所にしており、「ポストクレサラ」として、医療過誤訴訟に着目する弁護士もいるようだ。
本来ならば、補償や紛争解決を含めた「出口戦略」の議論も厚労省「医療事故調検討会」でなされるはずだったが、医療側と患者側の感情的対立が激しく、そこまで及ばなかった。
「ADR(裁判外紛争処理)など紛争処理機関や方法が多様化し、被害者が十分な補償が受けられる状況が整えぱ、裁判の傾向は変わりうる」と町村教授は指摘する。
医療事故調法案は、厚労省第3次試案をもとに今臨時国会に提出される予定だったが、福田首相辞任で流れる公算だ。民主党にも対案があり、先行きは総堀挙次第だ。
医師や医療分野のメディアによる問題提起が目覚ましいのに対し、法律家や法律系メディアの関心はゼロに近く、一部の弁護士がネットで純粋理論の喧嘩を演じるコントラストが浮き彫りになった。政局の混迷で生まれた時間は、議論の遅れを取り戻すいい機会ではないか。
コメント