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(投稿:by 僻地の産科医)
ご遺族の視点からの大野事件をとらえ直す
刑事訴追は必要だったのか
ご遺族が求めていたものとは…
国立病院機構名古屋医療センター産婦人科
野村麻実
m3.com 2008年8月26日
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080826_2.html
8月20日、大野事件における第一審の判決が出た。この判決は癒着胎盤を経験したことのある、すべての産婦人科医師にとって「術中死ではあっても病死」と受け取れる、正しいとしか言いようのない判決ではあったが、同日行われたご遺族の記者会見では 「一生、機会があれば真実を追究していきたい」との発言もあったという。「再発防止」「いまだに(真実究明は)不十分」との言葉の裏には、隠された医療過誤があったはずとの強い気持ちを感じざるを得ない。
15回に及ぶ裁判の中で審議は尽くされ、少なくとも加藤医師の医療行為については、これ以上の新事実は見いだせないのではないだろうか。癒着胎盤は、大学病院で十分な輸血を用意し、最初から胎盤を剥離せずに子宮摘出を行っても亡くなる可能性のある病気である。
ご遺族がここまで思いつめるに至り、裁判にご遺族を巻き込んでいった部外者の手による「刑事訴追」が、どのようであったのか。私見ながら考察してみたい。
■捜査の開始
患者さんが亡くなったのは2004年の12月、2005年1月に福島県は事故調査委員会が設立され、県は否定しているものの、補償金を払う目的で加藤医師のミスを認めた報告書が3月に出された。恐らくそれで穏便に済ますのが、県や病院長の意向であったのだろうと思う。というのは、第12回の公判で実父が「事故後の12月26日に加藤医師から聞いた話と、法廷での説明がなぜ違うのか、不思議な気持ちでいっぱいです」と証言し、またその際、病院側から示談の話が持ち上がっていたことも示され、加藤医師も減俸処分に粛々と従っている。自身に問題がなかった、精一杯やったと思ってはいても、それが加藤医師の誠意だったのだろう。
しかし、県側の意思とは裏腹に、この報告書を受けて警察は業務上過失致死の嫌疑で捜査を開始した。
■警察・検察には何が必要だったのか
友人のある大学の医師が、大野病院の癒着胎盤術中死について、福島県警より意見を求められている。加藤医師の逮捕・起訴前の話である。「癒着胎盤で亡くなるのは、当然でしょうね。救命できるときもありますが」と返答したところ、食下がりもせずに、「そうですか」とあっさり去っていったという。警察には同業者によるかばい合いと映ったのかもしれない。しかし、幾つもの施設で同じような見解を言われている可能性が高い。
第6回の公判で検察側証人となった大学教授は、「検察側の鑑定を書いてくれる医師がいなくて困っているから」と頼まれたと証言している。正しくは「検察側の鑑定を書いてくれる医師」ではなく「検察側の立てた仮説上、有利な鑑定を書いてくれる医師」がいなかったこと、検察はかなりの大学に足を運んでいた可能性、つまりコンタクトをとったほとんどの産婦人科医師から刑事訴追に値しない病名であったことを聞いていたことが考えられる。いわゆる「無理スジ」の事件であった可能性の自覚だ。
そんな中、警察が現役医師を逮捕するためには強力に必要なものがあった。遺族の恨み、怒りといった負の感情である。強ければ強いほど裁判ではアピール力を持つ。しかも遺族は警察に相談してはいない。ここをどう裁判に持ち込むか。腕の見せどころである。
■ご遺族の気持ち―すり込まれた「医療ミス」
死は誰しも簡単に受け入れられるものではない。突然の出来事ならなおさらだ。日々診療の中で、治療の甲斐なく亡くなっていく患者さんのご遺族と接する医師にとって、何を見ても涙があふれ、「ああすればよかった」「こうすればよかった」とただ呆然と虚脱されているご家族の姿は心からこたえる。そして申し訳なく思う。かける言葉も見つからず、どこまで立ち入っていいかも分からず、なるべく淡々とそっと立ち去るように、本当はもっと何か言った方がいいのだろうか、声をかけた方がいいのだろうか、それとも空気のようでいた方がいいのか。悩みが尽きることは、恐らく一生ないだろう。
この事件で、いつ警察がご遺族に接触したかは分からない。ただ時期的には、あやすと笑うようになった赤ちゃんの成長を喜びつつも、見ればはらはら涙があふれる頃だっただろうということは想像が付く。なぜだろう、なぜこの子の母は死んだのだろうと日々悲嘆にくれ、何も目に入らず、何を食べても砂をかむ感覚で過ごしているところへ、親切を装いながら警察は遺族に近づいたのではないだろうか。
あくまで想像の域を出ないが、「医療ミスがあったのです」「これは殺人です」くらいのことは言ったかもしれない。というのは、捜査段階で警察は(任意でも)平気で嘘を付くことを私は知っている。最近、名古屋市立大学での学位をめぐる贈収賄事件で、かつて大学院生であった人々が任意聴取を受けた。「AとBは君が渡したと言っている、認めるなら無罪放免するが、認めないなら君も贈収賄有罪の仲間入りだな」などと言われ長時間拘束された。あとで突き合わせてみたら、みんなそれぞれ言ってもいないことを勝手に証言したことにされていた、という話もある。
少なくとも遺族に「ミス」を心から信じさせ、医師を憎ませないことには話が始まらない。証言の際にも重要になってくる。そう思わせるように誘導したのだろう。そして警察の都合のいいことに、警察が動き出したことによって示談に関する話がストップし、遺族が県に提出した質問状(第12回証言)の回答は永遠に返ってこないこととなった。遺族の不信感がますますつのり、警察のささやきに傾いていったことは想像に難くない。
■「警察・検察には感謝している」
逮捕・起訴から判決までは2年半の歳月をかけてゆっくりと進み、ご遺族の知りたいこととは裏腹に、裁判所内では癒着胎盤についての基礎知識などを争点とした医師の裁量権についての論証が重ねられていった。ご遺族が分かってうれしかったことの中に「子宮の表面の血管がぼこぼこしていた」という助産師の証言が上げられていたが、前置胎盤を数多く見たことのある医療関係者には当たり前のことであり、わざわざ語るに及ばない。しかし、ご遺族は帝王切開手術はどのように進んだのか、自らは目にしていないその様子を素朴に知りたかったのではないかと思う。
警察・検察の関与は本当に必要だったのだろうか。
ご遺族にとって大事だったのは警察が介入することで踏み潰してしまったもの、つまり県からの「示談」に対し、事の経緯を知りたいと考えて「質問状」を送ったことから始まるはずだった病院と医師と、その場に居合わせた人々との話し合いだったのではないか。カウンセリングと死の受容、納得、そういったものではなかったのか。ご遺族から申告されていない刑事訴追は、必要だったのだろうか。
刑事事件では、当然ながら遺族に控訴権はない。その中で控訴されるのか否か、現在もじりじりと時を過ごしているに違いないご家族の気持ちを思うとやりきれない。そして「警察・検察には感謝している」という言葉も、痛々しく身を切られるようにつらいもののように感じてしまう。
>「AとBは君が渡したと言っている、認めるなら無罪放免するが、認めないなら君も贈収賄有罪の仲間入りだな」などと言われ長時間拘束された。
げ〜・・・認めるなら贈収賄有罪、ですよね。
司法取引は日本にはありませんから。
投稿情報: げ〜げ〜げ〜げ〜 | 2008年8 月26日 (火) 19:33
私は、そもそもが補償金を払う目的で加藤医師のミスを認めた報告書が3月に出された事を問題にしたいです。安易に真実を曲げて、過ちがあったことにしたことが、返ってご遺族の気持ちをあらぬ方向に持っていってしまったと考えます。
確かに、ご遺族の方々は激高されました。でも、忍耐強く面会の回数を重ねていけば、もしかしたら理解の糸口を掴めたかもしれないと思うのです。でも、福島県はほとんど動いていなかったようです。
喪の仕事の最中は、それはそれは激情の嵐に翻弄されるようなものですから、おいそれとは事は進まないですが、事実のみを伝えることが、結局は遺族の心を慰めるものになると思うのです。
福島県は、結局こんな面倒なことをしたくなかったのですね、判決後の会見を読むと……
投稿情報: ばあば | 2008年8 月26日 (火) 23:52
野村先生の冷静な分析で、ご遺族のかたが頑なまでに加藤先生を責め続け、判決の結果を受け入れられない理由の一端が理解できました。
野村先生のこの文章をご遺族の方が、どこかでご覧になると良いのですが。
故意でない診療関連死(死に至らない有害事象も含む)を刑事事件で裁くことは、ご遺族の方が現実を受け入れる唯一の機会すら奪うものであり、警察も検察の罪深いことをしたと痛感しました。
スウェーデンやニュージーランドのように、医療裁判自体を行わない解決方法を、日本も考えるべきでしょう。
投稿情報: 鶴亀松五郎 | 2008年8 月27日 (水) 00:50
強い処罰感情を持つ遺族の方から、警察に訴えがあったのではないですか?
そうでなければ、このような案件で警察は動かないのではないでしょうか?
投稿情報: masekki | 2008年8 月27日 (水) 12:47
警察に相談はまったくしていないと、遺族は仰っており、その噂を否定するための記者会見でした。
また、当時の新聞にも「事故調査委員会の報告書から調査を開始した」とはっきり書かれており、警察も「遺族からの告訴ではない」と言っています。
だからこそ、問題だと思うのです。
ひどい話だと思いませんか?
投稿情報: 僻地の産科医 | 2008年8 月27日 (水) 12:58
(2008年8月27日 読売新聞)
超党派議連、法相に大野病院事件の控訴断念を要請
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20080827-OYT8T00454.htm
超党派の「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」の尾辻秀久会長(元厚労相)らが27日午前、保岡法相と法務省で会い、福島県立大野病院で起きた医療事故で業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医に無罪判決が出た裁判での控訴を、断念するよう要請した。
議連は「事件後、ハイリスクな医療では刑事訴追される不安がまんえんし、産科空白地帯が急速に拡大した。控訴がなされないようお願い申し上げる」とする要望書を法相に手渡した。保岡法相は「(控訴については)現場の判断に任せる」と述べた。
投稿情報: 鶴亀松五郎 | 2008年8 月27日 (水) 20:17
今回のケースには二つの問題があると思います。
医療行為に対する警察の介入。
そして、病院・行政のご遺族、さらには加藤先生への対応。
後者について言えば、まだ、ご遺族の悲しみは癒されてはいません。加藤先生の苦悩も、溶かれてはいないでしょう。
あの悲しい事案の直後から、病院・行政という医療提供側が何をなし、何をなさなかったのか。
医療者自身の自らの手での検証作業が必要だと思います。
投稿情報: ママサン | 2008年9 月 1日 (月) 12:54