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(投稿:by 僻地の産科医)
刑事事件の「被疑者」を経験した医師として
医師個人は無力、病院の組織として対応する体制が必要
兵庫県災害医療センター救急部副部長
松山重成
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080410_1.html
1991年神戸大学卒業。同年阪大特殊救急部に入局し、以後、国立水戸病院外科、松戸市立病院救急部、大阪警察病院救急外科、阪大高度救命救急センター、神戸大救急部を経て現職。日本救急医学会指導医、日本外科学会専門医など。
私は救急患者への診療行為に問題があるとされ、結果的には不起訴になったものの、業務上過失致死容疑で、警察・検察の取り調べを受けた。
今回の件は、「通常の診療行為を行って合併症が起き、それがトラブルになった」というものではない。したがって、今、議論されている“医療事故調”の問題とは異なる。今回のような場合は、警察が取り調べを行うのが妥当だろう。
事の発端から不起訴に至るまでの経緯で今、痛感するのは、「刑事などの事件に発展したとき、いかに医師個人が無力か」ということだ。医療に携わる以上、予期せぬ事態は発生し得る。マスコミで批判的に書かれたり、民事事件や刑事事件に発展することもある。私の場合、当センターがバックアップしてくれたが、刑事事件になった場合などは、医療機関ではなく医師個人で対応せざるを得ないことも多い。
最近、「医師が書類送検」などの報道が散見されるが、医師および医療機関は、こうした事態に備えて、対応のあり方を考えておく必要があるだろう。
抑制による死亡の可能性も考慮し鎮静薬投与
今回、私が経験したのは以下のような症例だ。2005年8月、路上で半裸状態の男性が高度の不穏状態になり、暴れていた。この男性は2人に傷害を加えていたため、被害者に対して救急車が呼ばれていた。男性の暴れ方がひどく、取り押さえた警察官が対応に苦慮したことから、当センターに「ドクターカー」の要請があった。通常、迅速な対応が求められるドクターカーは、要請内容を確認する前に直ちに出動し、現地に向かう過程で患者情報をやり取りする。しかし、今回は出動に先立って「鎮痛薬を打ってほしい」という形で要請が来た。私は看護師・研修の救急救命士と現地に向かった。なお、ドクターカー運用開始からの3年間で、私だけでも既に本件以前に2件の鎮静薬投与目的での出動を経験している。
私が到着した際、男性は4人以上の警察官によって極めて厳重な抑制(腹臥位で押さえ付けられ何重にも縛られているなど)が行われていたが、男性は高度の不穏・錯乱状態で、抑制を振りほどこうとする体動が著明で、八方ふさがりの状態だった。口は「猿ぐつわ」様に抑制され、口角に軽度の出血を認めた。「これ以上、長時間抑制が続くと、外傷性窒息など生命の危機が迫ってくる」と考え、一刻も早い鎮静と抑制の解除が必要だと判断した。コントミン(一般名:クロルプロマジン)を筋注した。全く薬効発現の兆候が認められないため最初の投与から4分後、2本目を投与した。その約1分後、心肺停止に至った。現場で2次救命処置を開始し、帰院後に心拍再開を得た。しかし、抑制を解除するまでに数分以上の時間がかかり、蘇生後も一切の脳幹反射が消失した状態で経過し、約10カ月後、死亡した。
(なお、長時間の抑制が危険であることは、医学的に報告されている。最近、当センターでも経験している。錯乱状態の男性を警察官が逮捕・抑制し、救急隊を要請した。当初は抑制状態のまま精神科の当番病院へ搬送する予定であった。しかし、搬送途中で突然、心肺停止に陥り、この事案では心肺停止後の段階で初めてドクターカーを要請、現場から心肺蘇生を行い、当センター入院としたが、臨床的脳死状態で約2週間後に死亡した)
「どうすれば、このような事態が起こらずに済んだか」
状況が状況だっただけに、警察が最初から本件にかかわってきた。当センターに入院後、私が投与した鎮静薬の注射処方せんの写しを持っていった。その後、数回、警察官が病院を訪れ、「参考人」として事情を聴取された。 本格的に私が「被疑者」として取り調べを受けたのは、患者さんが死亡した後のことだ。司法解剖が行われ、カルテをはじめ、諸記録は押収された。私は2006年8月に警察で1回、その後、2006年秋に書類送検され、検察で1回、事情聴取を受けた。ただし、それぞれ1回ずつで済み、2007年4月に不起訴になっている。
警察での事情聴取は、2時間ほどだった。本症例のような特殊な複合的な条件下では、様々な予想外の容態変化が起こり得るため、「患者さんの容態そのものに起因する要因、警察による高度の抑制、鎮静薬投与の3つの要因が可能性として考えられる」といった説明を警察にした。しかし、鎮静薬の注射が全く無関係とは言わないが、そのままでは圧死もしかねず、打たざるを得ない状況だった。そもそも鎮静薬の投与は、現場から依頼されたのである。コントミンは投与後、最高血中濃度に対するのに15~30分とされており、本症例のように投与後10分以内に致死的な副作用が生じるとは考えがたい。今回私が行った一連の治療の判断と処置は適切であると考えている。
最後に警察から「今から振り返って、どうすれば、このような事態が起こらずに済んだと思うか」との質問を受けた。「もう一度、同じ状況に遭遇したら、同じ判断・治療を行う」と答えたと記憶している。
検察は、私の取り調べの前に、知り合いの医師に質問をしていたが、医師の意見は分かれたという。救急医は私の治療を支持していた一方で、精神科医からは「他の薬を使う選択肢もあったのでは」との意見も出されたようだ。もっとも、検察の取り調べは1時間もかからずに済んだ。
マスコミ対応の重要性も痛感
今回の件は患者さんが倒れた日、新聞各紙の夕刊で報道された。例えば、
警察のコメント:「警察官の保護の仕方は適正だった」
当センターのコメント:「詳細が分からない段階でのコメントは控えたい」
などとされた。私に非があるとは書いていなかったが、このコメントを比較すると、「病院が何かを隠している」と受け取る方もいるだろう。同日、当センターは記者会見を行ったが、マスコミ対応の難しさを実感した。
また民事事件とは異なり、刑事事件になると、「被疑者」は医師個人である。病院という組織ではない。当然ながら、私自身は刑事手続のことは全然分からず、一人で対応することはできなかった。当センターには顧問弁護士がいるが、民事が専門なので、その弁護士に刑事事件に強い弁護士を紹介してもらい、患者さんの死亡直後から連絡を取り合いながら対応を進めた。弁護士のアドバイスで、本症例の経過の詳細や、私が行った判断・処置を医学的観点から検証して、「上申書」という形でまとめ、検察に提出したりもした。
当初は「前例がない」ために刑事の弁護士費用は自己負担と言われたが、幸い起訴以前の弁護士費用はセンターが負担することになった。しかし、仮に起訴され、刑事裁判になれば、それ以降の弁護士費用は自己負担だと言われた。
警察にとっては、立件をしないという選択肢もあったようだ。あくまで推測の域を出ないが、結果的に立件した背景には遺族の意向が働いたことも考えられる。
今回、初めて刑事事件の被疑者という立場を経験し、正直、複雑な思いである。警察と検察での取り調べは計2回だったが、精神的には非常な負担で、モチベーションは下がりかねなかった。もう一度、同じ状況に遭遇したら、保身のために鎮静薬投与という積極的な処置をせず、心肺停止など容態が急変してから治療を開始するという選択肢もあるかもしれない。しかし、本事案を境に、鎮静薬投与目的でのドクターカー要請は一切なくなった。
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