(関連目次)→医療事故安全調査委員会 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
個人用のパブコメ中間発表の整理を始めてみました。
OCRですので、誤字脱字はお許しください。
あとざっと独断と偏見でまとめを。
↓ 今までの分です
今回は二日間休んだせいでしょうか?
とても楽しく新鮮に読めましたo(^-^)o ..。*♡
(といってもぽつぽつ貯めてはいたんですけれどね!)
目からうろこだったのは、【167】【170】の
「元来、厚生労働省には、責任追求の権限はありません。責任追及は、警察、検察、裁判所の業務です。(167)」
「「委員会は医療関係者の責任追及を目的としたものではない」と明言したことは高く評価できる。しかしこれが本当に保証されるだろうか。これが法的裏づけのない単なる努力目標になる可能性はないのか。そもそも「医師の刑事責任を追及するか否か」は厚生労働省の権限ではなく、警察・検察・裁判所の権限であることは現在の日本の法体系から明らかである。(170)」
というツッコミです(>▽<)!!!
これは結構、一本取られました。
【172】も新しい観点です!
「在宅医療では、一般にあまりに高度で危険を伴うような医療は行われていないことが多いとは思われますが、在宅医療に実際に携わってみると、「予期せぬ死亡」にはよく遭遇いたします。行った医療に起因して若しくはあえて行わなかった医療に起因して、予期していたよりはよほど早くに在宅で死亡された場合、それらを委員会に届けるのか、届けないのか、医師一人の診療所では個々に判断を求められても困惑するばかりです。それでは「在宅での看取りを」という流れに逆行することにならないか大変心配です。」
たしかに(笑)!!
急性期病院ばかりの悩みかと思っていました ..。*♡
【160】もおススメですo(^-^)o ..。*♡ ではどうぞ!!!
【155】 p293 病理医師 (すごくいい意見です(>▽<)!!!)
はじめにこのような梯会を与えて頂き、ありがたく存じます。いくつか問題点はありますが、自分が最も重要と考える点にのみに絞って陳述いたします。
1 「3次試案2-(6)"(15)委員会の設置」に対して
まず最初に事故調査委員会(以下、委員会)のあり方について意見を述べます。
日本における医療はそのシステム上厚生労働省の指導.監督の下にあり、収入に関しても政府の統制下にあります。厚生労働省が枠組みを作っている医療の現場において何か事故が疑われる事例が生じた場合に、その原因究明・対策並びに場合によっては刑事告訴まで対象とする委員会が、厚労省の監督下にあるということは矛盾であると考えます。つまり病院も委員会も厚労省の監督下にあり、かつ調査対象となる事例の中には当然厚労省の様々な指導等も含まれるのであれば、厚労省の監督下にある委員会では公正中立な組織とは言い難いと思われます。調査を進めてゆけばその事案の根源にたとえば厚生労働省の出した通達や指導の問題、あるいは改善を怠った事象(例:医師の労働基準法違反の放置)などが出てくるかもしれません。その際に委員会が本省に対して本当に厳しい報告が出せるのでしょうか?
医療者としてみれば、厚労省の指導の枠内で医療を行っているのに自分たちだけが「尻尾切り」されたと考えることは当然あるでしょう。また国民の側からみたとき、自分たちに意に沿わない結論に対しては委員会が中立でなかった、との思いが残る限りいずれ問題として噴出すると考えます。
従って委員会を設置するのであれば誰がみても公平で、中立的な、厚労省から独立した立場に立っているということを納得してもらえるような形が必要ではないでしょうか?また当然ですが、厚労省にも事案の中から自分たちの様々な指導や通達に潜む問題点を探し反省するといった姿勢が求められると考えます。現行の医療制度の中で生じた事案に対しては厚労省も広い意味では当事者になるのではないでしょうか?であればこそ、委員会での結果に対し(邪推かもしれませんが)影響を及ぼす可能性を完全に無くすべきです。一つ一つの事案に対して現場の医療提供者のみならず、厚労省も真筆に対処し、考え、改めるべきは改めるといった姿勢を明確にするためにも厚労省も調査対象であることを明記した上で、委員会は厚労省から独立した組織であることを望みます。
2 「3次試案2-(7),(19),(20)法的責任」に対して
今の医療と法律の関係でやはり問題になるのは医師法21条であると考えます。
これはその作成以来一度も見直しがされないまま長い間眠っていた条文でしたが、近年突然医療事故といわれる事案に対して警察がほとんど自由に医師を逮捕出来るという形で使われ、医師はそれについて戦々恐々としている現状があります。今回の案では委員会へ届ければ21条に代わると記されていますが、そもそも21条が濫用されているのであって、それは改正するないし適応をきちんと文章化し歯止めをかけるべきものでありますDしかし21条は残したままで委員会を設置すればいずれにしても医師は萎縮せざるを得ません。委員会へ届けて処罰されるのか、届けなくて(ないしは届ける必要がないと判断して)、遺族が告発した際に21条で逮捕されるのか、どちらも適応可能な状態であります。法律が本来の制定時の目的から離れて使われているのであればそれを改正ないし条文で運用に制限を加えるのが先で、21条を取引材料として委員会設置ではないと考えます。
医師法21条の廃止ないしは運用上の明確な定義を文章化することを求めます。
「3次試案2-(20).(25).(26).(39),(40)届け出の範囲と捜査機関への通知」
2次試案でもそうでしたが、依然として漠然としておりその範囲が不明瞭です。しかも上でも述べたように医師法21条が残っている限り全ての症例が形式は違え処罰の対象です。
もちろん明瞭な線引きは誰にも出来ないでしょうが、医療者と遺族との話し合いがつかない場合はいずれにせよ全て届け出でがなされるか、告発でしょうから、死亡時に委員会への届け出に関して医療者と遺族の間で文書を残し、届けるか否か、届ける際の主体はどちらか、を明記しない限りは終わらないと考えます。ただその際医療者側に相当の精神的負担と時間の使用を求めることにはなりますし、全ての死亡症例に対してそのような法律上の確認を求めるのはすさんだ社会であることを示すことになるので、自分としては受け入れがたいものですが、医療者と患者.遺族の相互不信を放置すればそのような形にならないとも限りません。そもそもなぜこの問題が議論になるかというと、事故解明のために積極的に届けても委員会の判断では刑事告訴されるという懲罰付きのシステムだからです。
厚生労働省も当然ご存じのことと思いますが、WHOの2005年の"Draft Guidelines for Adverse Event Reporting and Learning" では制度は懲罰を与えるものであってはならない」となっているのですが、厚生労働省はこのガイドラインに関しては考慮されないのでしょうか?もちろん(40)では以下のような事例に限定されると書かれておりますし、「謙抑的」という言葉もあったと思いますが、21条が本来の趣旨と離れて自由に使われるように、今回の案も成立後にどの様に使われるのか知るよしもありません。(40)(かに記載されていることは委員会の対象外の犯罪であり、委員会がかかわることではないと考えます。また一部報道では厚労省と司法当局との間での話し合いも進んでいないように見受けられます。であれば「限定」や「謙抑」といった言葉だけで運用を任せることは出来ません。
WHOのガイドラインを前提として広く周知させた上での議論を強く求めます。
私は委員会の設置に反対ではありませんが、上記の点により、3次試案の委員会では不備があり、さらなる国民的議論が必要と考えます。
最後に3次試案と直接の関係はないのですが、自分の考えを述べさせていただきます。
当たり前のことですが、人間は全て死にます。私は病理医ですから常に「死」にかかわってきました。以前つとめていた他大学でも、臨床医がすべてを尽くしたと考えている症例でも瑕疵がないわけではありません。ですから私の仕事はそれを次に伝え、如何に防ぐかということを皆で学ぶことに努めて参りました。残念ながら昨今の風潮ではそれをなしがたい状況が続いていますし、今回の3次案を読んでも病理解剖をすることに不安がつきまといます。
人間は病院でいくら手を尽くしても亡くなる時は亡くなりますし、それは本来寿命であったのです。しかしながらきちんとした死生観に対する学校や社会での教育・受容がなされないまま、現在では「病院で死んだから医療側に問題がある、責任がある」といった短絡的な風潮があるように感じます。もちろん医療側の責任を全て否定するわけではありませんが、そういった社会的なコンセンサスを形成することに対する努力を行政も教育も医療も行わなければならないのではないでしょうか?厚生労働省としての大局に立った目標作成を望みます。
≪勝手なまとめ≫
・日本における医療はそのシステム上厚生労働省の指導.監督の下にあり、収入に関しても政府の統制下にある。そのうえ事故の報告まで何から何まで厚労省に握られ、更に労働基準法の違法状態の放置など、厚労省下におくのは反対。
・医師法21条はいわば現在、別件逮捕のための口実となっている。そもそも21条が濫用されているのであって、それは改正するないし適応をきちんと文章化し歯止めをかけるべき。
・WHOのガイドラインを前提として広く周知させた上での議論を強く求めます。
・死生観に対して、一般人の啓蒙を諮るべき。
【156】 30代 医師 p297
このような試案に意見できることを知っている医師および医療従事者はごく一部であり、実際に医療現場で働いている者の意見を吸い上げる努力をしないのは意図的に思えてしまう感がある。おそらく全ての医療従事者の意見を集めると圧倒的多数がいずれかの試案項目に反対意見を出すであろう。
厚生労働省は、この試案を医療の安全向上を目的としているが、どうみても、実質的には責任追及になっている。このままでは医療崩壊はさらに加速すると思われる。リスクのある専門科(外科・小児科・産婦人科)を志す医師は減少し、小・中・病院でも受けられていた医療が大病院に行かなければならなくなる。
欧米での医療崩壊が何を物語っていたのかを全く感じることが出来ない。
38)医療事故の再発防止の観点から日本医療機能評価機構から委員会に情報提供
し・・・
インシデント・アクシデントについては各病院で必要と思われるが、その再発防止策に一番必要なことは人材である。しかしそれを補助する事なく、現状維持で仕事量を増やすだけでは、現状の再発防止策をとることは再発を誘導しているようなものだと思う。再発防止策が医療の安全・向上にとって一番重要な事案であるにもかかわらず、これに対する検討が不十分であり現場の意見を取り入れるべきである。
44) 医療従事者個人に対する処分・・・
50) 本制度の実施に当たっては、組織面・財政面の検討を加えた法整備を,・・。
"医師法21条は、警察と検察が関係しているため、厚労省の所管範囲を超えている。厚労省の所管範国を超えた議論ができなければ、医師法21条問題の全体を扱うことができない。医師法21条がらみで医療事故調について議論することを、厚労省が取り仕切ることは、常識的には不適切なことであろう。"という意見があることを認識して欲しいと思う。
≪勝手なまとめ≫
・この試案を医療の安全向上を目的としているが、どうみても、実質的には責任追及になっている
・人材が足りないという現場の意見をまずきいてほしい
・医師法21条がらみで医療事故調について議論することを、厚労省が取り仕切ることは、常識的には不適切なことであろう。"という意見があることを認識して欲しいと思う。
【157】 摘協医科大学学長 寺野彰先生 p299
(学長!かっこいいです(♡▽♡)!!!
1) 第2次試案よりかなり進化してきていることは評価する。これまで出されてきた様々の批判に対応してきている。しかし、このまま法案化に至るには時期尚早であり、さらなる検討が必要である。
2) 本試案では、前案と異なり、医療の立場を理解してきているが、むしろ医療側に偏りすぎたのではないかと思われる。当然患者・遺族側からそして野党側からの批判が出てくるので、立法段階でどのようにこの批判をかわすかかなり難しく、出来上がった法律は別のものになりかねないことを恐れる。従って本試案のみを対象として対処していると、結果的には、肩すかしを喰わされる可能性もあり、慎重な対応が必要である。
3) 現在の患者-医療側との信短関係から判断すると、届出の範囲など医療側の判断によるため、患者・遺族側としてみれば、不透明性、隠蔽などの疑惑を持たざるを得ないように思われる。このあたりの配慮が必要であろう。
4) 当面の課題にこだわりすぎ、長期的視野、例えば医療審判所の創設など、に欠ける。中立.公平な第3者機関を目指すと言いながら、結局厚労省の権限強化を目的とすると言われても仕方のない内容となっている。例えば医療機関に対する届出義務(罰則を付して)や体制整備に関する行政処分(改善命令など)によって当局の権限はより強力になる。
5) 届出義務の範囲に関して、シェ-マで明瞭に示してあるように見えるが、「過った医療」であることが「明らか」であるかどうか、「その行った医療に起因し」たかどうか、「死亡することを予期していたか」どうかなど医学的にも法律的にも非常に難しい判断である。「合併症」と一口に言っても、これを「予期」できた事象とは言えない事例は多く、患者・遺族側でも了解するとは思えない。しかもこれら難しい判断を医療機関の管理者(病院長)が判断するとなると、このような立場になろうとするものは皆無になるのではないか。不透明性・隠蔽の温床になると、患者・遺族側は当然考えるであろう。
6) 刑事手続きとの関連も、以前より詳細になったものの、内容的には変化がない。厚労省の立場は強調されているが、検察、警察、法務省など捜査側の考えが明確でなく、独りよがりの印象を受ける。「謙抑的」という表¥現に頼っているが、これは捜査の基本で当然のことであり、捜査当局はいつでもこの考えを無視することができる。刑事訴訟法の本質をわきまえていないようである。警察などの捜査権は絶対的なものであるから、厚労省や委員会の意向を無視することは可能である。患者・遺族からの告訴も、捜査機関が委員会の結果や委員会からの通知の有無を十分にふまえて対応することが「考えられる」とは限らない。
7) 刑事手続きの対象は、故意・重過失その他悪質な事例に事実上限定されるなど捜査機関の謙抑的な対応が行われることとなるわけであるが、これはあくまで捜査機関の側の判断によるものであり、その内容が具体的になると極めて国難な状況を来すこととなろう。例えば、薬の取り違えのような単純ミスも生じた結果と状況によれば重過失となることは間違いない。
8) 医師法第21条の改正は大きな進歩である。本条が罰則を伴うことの不合理も併せて改善すべきであろう。このような手続法の面のみでなく、実体法である刑法第211条業務上過失致死傷罪、重過失致死傷罪と医療事故との関連もこの際十分な検討を試みたらどうか。過失の概念が刑法上極めて重要かつ解釈困難な概念であることが理解できるであろう。「過失」という概念を、結果を問うものではなくその行為に対する評価であり、法学的に理解するものではない等と言ってはおられないのである。過失はあくまでも法的概念でしかありえない。
9) 医療関連死は、言うまでもなく民事訴訟の対象となる。これによる損害賠償訴訟の方が、刑事訴訟より重要かもしれない。その際、本調査報告書は、民事訴訟に用いられるのはもちろん、もともと訴訟にならないはずの事案が報告書を弁護士(急増してきている)が子細に分析することで、訴訟に持ち込まれるケースが確実に増加する。
10) 医療側の主体的協力の姿勢が明確でない。これが保障されないと確実に失敗に終わる。失敗すればこれまでより事態は大きく悪化することになる。現在の医師不足の状況の中で、法医学.病理学の領域は言うに及ばず、調査に必要な医師を集めることができるのか?もし医療側で調査の体制が組めないような場合あるいは批判されるような事態が発生した場合、捜査機関はじめ当局が医療側を無視した行動に出ることは十分予想できるのである。
そうなれば事態は現在よりはるかに困難なものとなるのである。
11) 今後は、医療側に投げられた課題、人材、調査方法、医療者の積極的関与、等をどのように自主的、主体的に解決していくかというもっとも困難な問題に直面することになろう。国民の信頼を得ていく課程には、多くの試練が待ち受けており、厚労省の権力強化とならないよう、医療側に対するより強い不信とならないよう医師会、医学会の大きなエネルギーが必要となる。その覚悟はあるのか?が問われている。
≪勝手なまとめ≫
・出来上がった法案がまったく別なものになっている恐れを感じる
・当面の課題に拘りすぎ、長期的視野にかける
・医師側にも一口に合併症といっても「予知」までは難しい。患者側からすればまして隠匿の印象を与えるであろう。
・警察・検察との関係について厚労省の独りよがりとの印象を受ける
・薬の取り違えのような単純ミスも生じた結果と状況によれば重過失となることは間違いない
・刑法第211条業務上過失致死傷罪、重過失致死傷罪と医療事故との関連もこの際十分な検討を試みたらどうか。過失はあくまでも法的概念でしかありえない。
・もともと訴訟にならないはずの事案が報告書を弁護士(急増してきている)が子細に分析することで、訴訟に持ち込まれるケースが確実に増加する
・今後は、医療側に投げられた課題、人材、調査方法、医療者の積極的関与、等をどのように自主的、主体的に解決していくかというもっとも困難な問題に直面することになろう。国民の信頼を得ていく課程には、多くの試練が待ち受けており、厚労省の権力強化とならないよう、医療側に対するより強い不信とならないよう医師会、医学会の大きなエネルギーが必要となる。その覚悟はあるのか?が問われている
【158】 60代 医療機関管理者 p301
4月3日、厚労省は死因究明制度に関する「第3次試案」を公表し、いよいよ一つの大詰めの段階に来たと思います。最終段階ではありませんが、このパブリックコメントの中で、色々な意見が必要であり、中央で直接「試案」作成に関わっている方々とは、違った立場の見解が問われています。
今までこのような制度の設立の必要性が、行政・法制界、医療界、遺族側等それぞれ問われてきました。我々医療界としては、この過程で歴史的には、医療事故そのものに対しての取り扱いを、一般社会からみて不遜とみられる対応や、誤解を受ける対応をしてきたことも、一因となっていることを多いに猛省すべきです。たとえ、一部の医師が起した事例であっても、-般社会に理解されるような意識改革丁分析.予防策が十分打ち出せなかった組織の脆弱さを再検討すべきであったろうと考えます。積み重なった、医療界への不信、不満をどのような方法・制度で表していく一方向性も含んだ死因究明制度でなければ、一般社会としては受け入れられないでしょう。
第118回日医代議員会の中で■常任理事は、まさに「本医療制度は、医療界が責任を持つ制度である」と答弁しました。責任を持つ制度があるからこそ、医療界側にあまりにも偏位した制度と誤解されないように作成をお願いしたい。
「第3次試案」は、①届け法、届け出事例の掲示、②医療安全調査委員会の放置、③委員会以外での関係の3つの大項目で構成されています。第3次試案の目的が、医療死亡事故の原因究明と再発防止や医療の安全確保であり関係者の責任追及にないと謳っています。
前案よりもよく分析された結果、具体的でよりシステマティックな手続の流れになっており、より理解しやすくなった印象があります。とくに、医療安全調査委員会の構成などはそうであります。しかし.届出法の中で、該当するか否かの判断は、事例案の中でも、不要とも要ともとれる不明解性は、払拭できません。届け出が必要であった事例の不届けや、届け出の行き違いがあっても義務違反はないとしていますが、実際の現場としては、非常に迷う事例もありうると予感される。確かに、医師法第21条の改正を明記し、届け出と調査委員会に一本化した点は、大きな成果といえます。届け出の事例がどれに該当するのか、今後の検討とし、より具体的に分かり易い届け出システムにすることを希望します。又、調査委員会から捜査機関への通知例の中でも、③の中で故意や重大な過失(標準的な医療行為と逸脱した医療)と上げていますが、著しい逸脱とはどのような程度が該当するのか、判断の普遍性はあるのか非常に不安であります。
ここの判断を違うと、医療界の萎縮医療、それに連動する医療崩壊が進むと予想されます。
福島県立大野病院の医療事故の公判が3月21日開かれましたが、検察側は「基礎的な知見による基本的な注意義務を著しく違反した悪質なもの」として「重大な過失」と認定し、業務上過失致死罪及び医療法違反と判断しました。この件からも、検察側が認知する「重大な過失」の程度の判断に、大きな隔たりがあることが明白であります。「重大な過失」の定義・範囲の問題は、暖味に処理すべきではありません。調査委員会が設置され、運営されても、警察.検察側の捜査が実行される余地が残される事に繋がります。しかも、遺族側の訴えがあった場合、警察としては捜査せざるを得ないのでありますから、その対策として法律や行政処分の問題点を明解に整理・検討する必要があると考えます。
いずれにしても、社会が「医療界に任せた制度」であるのですから、今以上、我々は日頃から患者、家族への診療姿勢を正し、事故が起きてからの適切な対応が徹底し、調査委員会の活動・運営も公正さに重視していただきたい。
今、全国の地方の医療の崩壊が加速度的に進んでおります。これ以上の医療崩壊は、国民生活の危機です。医療に未来が見られるよう御努力お願いします。
≪勝手なまとめ≫
・届出基準が曖昧
・重大な過失(標準的な医療行為と逸脱した医療)が曖昧
・大野事件の件からも検察側が認知する「重大な過失」の程度の判断に、大きな隔たりがあることが明白。ここを間違うと医療崩壊してしまう。
・委員会の調査中に、刑事事件としての捜査が始まる危険性がある
・これ以上の医療崩壊は、国民生活の危機です。医療に未来が見られるよう御努力お願いします。
【159】 40代 医師 p304(難しいですが秀逸ですo(^-^)o ..。*♡)
委員会の組織と公表すべき報告について論じたい。
1.刑事罰における確率
医学は確率である。民事裁判も確率である。しかしながら、刑事罰においては確率論を排除すべきである。
医療行為は、救命救助のために行われる。当該医療行為が行われた上での死亡の場合を想定してみる。刑事罰は、「疑わしきは罰せず」という原則に照らして、謙抑主義に則るべきであり、冤罪は排しなければならない。確率でいけば100%、当該行為が原因となって死亡したと認定される場合に刑事罰が適用されるべきである。すなわち、高度の蓋然性というだけでは不十分である.
2.予見可能性
(1)純医学医療的医療水準(39,40)
死亡に至る病態の予見可能性についてみていきたい。死亡は常に医療者が認識している転帰であり、死亡することの予見は、バイタルサインを含む症候や換査等によって当初は抽象的になされるものである。死亡を引き起こす病態に関しては頻度の高い可能性から考えながら、所見の不確実性を認識しつつ「問題」を絞り込む行為の中に予見が含まれる。可能性の低い病態を予見し、「問題」とするかどうかは、純粋に医学医療的な医療水準の問題であり、医学教育、医療環境が同時に議論されなければならない。刑事司法が医療水準の議論をすることは、非効率な議論、コストを考慮して適切とは考えにくい。専門第三者を加えた医療者の強制加入による自律制度に、医療水準の議論は任せるのが適当である。
C2)解剖所見至上主義の弊害は7)
医師以外が予見を論じるためには、何らかの「答え」があった方がわかりやすい。しかし、医学はそれ程単純なものではなく、医学的な解釈は一様ではない。人間に死亡という結果は避けて通れないわけであるから、医師は、医学に裏打ちされた「答え」に至るプロセスを重視する。ガイドライン、マニュアルなどは、学会や医療機関におけるローカルルールであるので、予見を論じるのには十分でない。今回の試案では、死亡例でしかも解剖例に限られるということであるが、「問題」に対する「答え」をあらかじめ検討しておくという面はないのだろうか。「答え」が用意できれば当該医療行為を責めることが比較的簡単になり、事件を作り上げるのに好都合となりうる。もちろん解剖される患者遺族の心情も無視されてはならない。解剖は、外因がはっきりしているものに対して威力を発揮するが、内因性のものには限界が大きい。何より、解剖するのはあくまで死体であり、生きていたときに起きていた病態をそのまま現しているとは限らないという点、得られた所見から死因という「答え」を導き出すことも推定にすぎないという点で、絶対的な根拠とするには問題がある。「答え」のはっきりしない事例も相当数あろう.解剖所見至上主義が、臨床現場を混乱に陥れるのは明らかである。医学が確率論である以上、あいまいな根拠をもとにいくら演緯的に議論しても結論には害があるだけである。解剖は、あくまで何らかの所見を新たに増やすものであると認識すべきである。
(3)純医学医療的な議論の必要性(27)
生前にはない所見が新たに加えられることで、調査側に特権が与えられる一方、調査に大きなバイアスが生じることにもなる。解剖で、「救命目的以外の外因」が推定されれば捜査が必要になるであろうが、そういう状況は極めて限定的と考えられる。
解剖は死因究明のために勧められるべきであるが、解剖情報をもとにして医療側を責めることは現場で働く医療者に著しく不利に働き、精神的な凶器にすらなりうることを認識すべきである。解剖所見は、罰ではなく臨床現場の医療者と遺族の信頼関係構築に使用されなければならない。刑事罰であろうと行政罰であろうと、後からでしか付け足せない所見を根拠に決められてはならない。予見可能性というのは、「答え」をもとにした議論ではなく、前方視的で純医学医療的な議論とすべきであり、当該医療行為の適否は、「答えJによって左右されるものではない。すなわち、臨床に改善の余地を求めるとすれば、事後に「答え」を求めるのではなく、事前に「答え」を求めることが重要である。自由聞達な医学的議論のみが臨床判断を「答え」に近づけられるのである。この過程に司法が介入してはならない。なぜなら、司法介入が医学的議論の自由を奪い、必要な医療を萎縮させるからである。医学的議論に自由がなければ、医学の発展を阻害し、患者の利益を不当に侵害することにつながる。
(4)解剖を基礎とした死因究明制度の弊害(27)
以上より、解剖を基礎とした死因究明制度に、医療の適否判断、刑事罰、行政罰の連動を許すと、臨床の改善は期待できないばかりか、弊害が非常に大きいことを指摘しておきたい。死因究明は、監察医制度の拡充により代用されうるものであり、必要以上に大きな組織は、無駄の温床となるため、つくるべきではない。予防という観点では、ヒヤリハット報告を医療政策に反映させるしくみが重要であろう。事後という観点では、解剖によらなくても臨床判断、行為を審議する医療者の自律組織こそが議論されるべきである。
3.回避可能性
(1)回避可能性100%
次に、回避可能性についてみてみたい。予見可能性があれば、避けなければならないという意見があるが、この意見によると、臨床医は考えた可能性のすべてに手を打たなければならなくなり、手を打たなければ罰を受けるということになってしまう。医学的根拠の不完全性、医療資源の有限性の中で、医療者は過剰医療の圧力にさらされ、常にジレンマに陥ることになる。冒頭に述べた「疑わしきは罰せず」という原則からすれば、他の方法をとった場合に死亡を回避できる可能性が限りなく100%に近いという状態でなければ、刑事罰を科すことはできないであろう。ところが、他の方法をとることで検証することはできず、個別的な要素が大きく前例に従うこともできないため、事真上、他の方法で死亡を100%回避できることは証明できない。
(2)改善点による過失の推定は(27-3)
当事者もしくは第三者が、結果もしくは「答え」をもとにした後方視的な検討において、結果を変えたかもしれない行為を指摘できることがしばしばある。ここでいう行為と結果に1対1の因果関係が証明できることは稀である0人体という複雑なシステムに医療が必要な重大な病態があり、行為の必要性、侵襲・合併症の必然性、傷病・症例の個別性、患者の選択、医療体制などが総合的に評価されれば、1対1の因果関係とはなりにくい。バイアスの問題を考慮し、あくまで前方視的な予見可能性や回避可能性の確率論の中で議論されたのち解剖所見を含めて改善点を記載した方が建設的である。現行制度では、医療者に不利益な可能性について言及し場合によっては謝罪し、民事でしかるべき被害補償をした上であっても、再発予防を目的として報告書に改善点が示されれば、「過失」が推定されることになる。さすれば、警察、検察が捜査を開始する端緒となる。業務上過失致死傷罪が条文通りであれば、医療を知らない正義感あふれる司法関係者はそれを見過ごすことができない。ここに不幸の連鎖が再び始まることになる。試案は再発予防と事実の究明を困難にさせ、問題の解決を妨げるばかりでなく、さらに悪化させることに注意が必要である。このような不幸の連鎖は、萎縮医療によってまわりまわって多くの患者・家族を不幸にすることにつながる。それよりは、自律的な正直文化を発展させるためのしくみを構築することが信頼-とつながることを認識すべきである。
(3)提案ー確率の記載(27-3,)
そこで提案であるが、医療機関での事故に関わる鑑定医に相当する医師は、解剖所見抜きに、事実(答えではない)を認定し、標準的な医療水準で、予見可能性が約何%、回避可能性が約何%という記述をするのはどうだろう。予見可能性については、医学統計学的に帰無仮説を棄却する危険率でよく使用される5%より低い可能性で罰を求めるのは、医学的に無理があるように思われる。回避可能性というのは、当該行為以外の方法を用いたと仮定した場合に当該事象を回避できる確率を指すことにする。「重過失」となるのは回避可能性として99%以上とするのが妥当ではなかろうか。こうしたことは自律制度と司法とで十分な協議が必要である。こうした確率の記載と協議を続けながら、医療と司法との申し按を減らしていくことが国民のために望まれている。医学統計的な確率論に医療者同士のかばい合いという批判はあたらないであろう。
4.提案―自律が機能する法制度の整備
(1)未必の故意とインフォームドコンセント
救命救助を目的としない故意犯は、無論、刑事司法に委ねられるべきである。当該医療行為により死亡に至ると予見できる確率が限りなく100%に近い状況であれば、「未必の故意」にあたると思われ、そのような医療は患者・家族の希望がなければすべきでないが、患者・家族の希望を組み込んだ法制度の整備が必要である。
何らかのアクシデントは医療行為を行う上で一定の確率で起こりうるものである.これを補完するのが、インフォームドコンセントである。リスクを患者・家族が理解の上で診療を受けるわけであるから、すべての過誤を「過失」にすることもしないこともできない。これは、説明の質含め民事もしくは補償の問題である。自律制度が機能すれば、「過失」に関して刑事司法が動く必然性はない。
(2)重過失とシステムエラー(40)
大きな「医療過誤」すなわち、「重過失」が想定されるものについて考えてみる。左右を間違える、薬品そのものや量を誤る、というたぐいの行為による事故は、個人の単純エラーをそのまま実施に移してしまった根底のシステムの問題を挙げなければならない。このシステムエラーには、医療政策が深く関与している場合が多く、厚労省に調査組織を置けば、厚労省のシステムを改善することができなくなり不適当である。省庁横断的で専門第三者を含めた医療自律組織の構築が望まれる。
≪勝手なまとめ≫
・刑事裁判にいたるには「疑わしきは罰せず」「高度の蓋然性」が必要なはずである。
・医療者の強制加入による自律制度に、医療水準の議論は任せるのが適当
・ガイドライン、マニュアルなどは、学会や医療機関におけるローカルルールである
・解剖するのはあくまで死体であり、生きていたときに起きていた病態をそのまま現しているとは限らない。解剖で全てがわかるわけではない。「答え」のはっきりしない事例も相当数あろう.解剖所見至上主義が、臨床現場を混乱に陥れるのは明らかである。
・解剖で、「救命目的以外の外因」が推定されれば捜査が必要になるであろうが、そういう状況は極めて限定的と考えられる。
・解剖情報をもとにして医療側を責めることは現場で働く医療者に著しく不利に働き、精神的な凶器にすらなりうることを認識すべきである。この過程に司法が介入してはならない。なぜなら、司法介入が医学的議論の自由を奪い、必要な医療を萎縮させるからである。医学的議論に自由がなければ、医学の発展を阻害し、患者の利益を不当に侵害することにつながる。
・死因究明は、監察医制度の拡充により代用されうるものであり、必要以上に大きな組織は、無駄の温床となるため、つくるべきではない。予防という観点では、ヒヤリハット報告を医療政策に反映させるしくみが重要であろう。事後という観点では、解剖によらなくても臨床判断、行為を審議する医療者の自律組織こそが議論されるべきである。
・試案は再発予防と事実の究明を困難にさせ、問題の解決を妨げるばかりでなく、さらに悪化させることに注意が必要である。
・救命救助を目的としない故意犯は、無論、刑事司法に委ねられるべきである。
・厚労省から独立した機関であるべき。
【160】 40代 医師 p309
発表されてきた試案を読みましたが、賛成できません。日本の医療安全の水準を落とすだけです。医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案とされていますが、試案がそのまま通れば、単なる個人の責任追及だけがやりやすくなるように考えられます。
"人は誰でも間違える”という医療における安全管理を紹介する本があります。この本に紹介されているように、医療における安全管理の世罪的な流れは、航空安全と同じように、事故再発予防のために、事故の当事者は事故の状況を正直に説明し、その事実を集めて事故の原因を究明して次の事故予防につなげるというのが基本的な考えのはずです。しかし、試案が目指しているのは異なることのようです。先日の管制官有罪判決にもあるように日本の司法制度を構成している人たちは勉強不足です。同じ発想で、医療安全を考えると失敗します。
2年ほど前、人の終末期医療を考える緩和医学会で、上智大学教授である法律学者が、"医療現場に司法の正義を持ち込む必要がある。"と力説していました。この法律学者は患者も家族も主治医もガンの終末期を穏やかに迎えられた症例でも、司法の目から見れば正義が行われていないことがあるので、正して行かなければならないという主旨の発言をして、会場からあきれられていました。その人にとって"司法の正義"がガン終末期患者の幸福より優先することのようでした。その人は厚労省の何かの審議会の会長であると、発言の途中に自慢していました。
私には今回の試案も同じようなことかという印象があります。今回の試案の座長は刑法学者のようです。審議会の構成員はある程度の理解力がある人なら医療の素人でよいのですが、刑法学者に議論の流れを決めさせるのは間違いでしょう。
3年ほど前の麻酔科学会でもアメリカ人の研究者に批判されていましたが、criminal courtに医事紛争をもちこむことは世界的に見ても日本だけの特殊な状況だそうです。第3次試案によると、調査の内容が以後の刑事裁判に使用されるそうです。原因究明のための調査委員会の報告書がそのまま刑事訴訟の証拠とされた最近の京都大学病院肺移植におけるような事態が、一般化されるということです。京都大学の事件では麻酔料医が書類送検されました。この麻酔科医は、私のよく知る人で、医師としてとても良くできる人です。人柄も穏やかです。麻酔科医が何をしていたのか、私は医学的に理解していますが、麻酔科医が罪に問われる合理的な理由はありません。一方、警察と検察との唯一の証拠は公開された事故調査委員会の報告書だったそうです。警察と検察は、事故が起こった機序を科学的又は合理的に理解できていないようですが、麻酔科医を書類送検し、新聞はいかにも医者が悪いように書き立てます。
もしも試案で検討されているような制度が導入されれば、私は医事紛争に巻き込まれた場合、黙秘します。事故報告書も出しません。黙秘権が認められているのかどうか不明ですが、自分に不利な証拠としてあとで、刑事訴訟に利用される可能性があることでしたら、黙秘するのは当然の権利だと考えます。私自身、今まで医者の中では積極的に“ひやりはっと”レポートやら事故報告書を出してきた方ですが、これからは出しません。"人は誰でも間違える"を読んで以来、自分自身では正直に失敗を報告し医療安全を高めようと努力してきましたが、これからは医療安全よりも自分の身の安全を守らないといけないようです。
現在の試案には、毎日人の命を預かっている医師として反対です。まずは、自分の身を守るために反対です。次に、患者の安全を守るためにも反対です。世界的な安全管理の考え方と逆に、個人の責任追及を原因究明の名を借りて行うだけです。
≪勝手なまとめ≫
・試案がそのまま通れば、単なる個人の責任追及だけがやりやすくなる
・先日の管制官有罪判決にもあるように日本の司法制度を構成している人たちは勉強不足です。同じ発想で、医療安全を考えると失敗します。
・この法律学者は患者も家族も主治医もガンの終末期を穏やかに迎えられた症例でも、司法の目から見れば正義が行われていないことがあるので、正して行かなければならないという主旨の発言をして、会場からあきれられていました。その人にとって"司法の正義"がガン終末期患者の幸福より優先することのようでした。今回の試案も同じようなことかという印象があります。
・刑法学者に議論の流れを決めさせるのは間違い
・自分自身では正直に失敗を報告し医療安全を高めようと努力してきましたが、これからは医療安全よりも自分の身の安全を守らないといけないようです。
【162】 70歳 無職 p312(患者側意見)
1 はじめに
診療行為とは、人体に対する侵襲を前提にし一定の危険性を伴うものであり、場合によっては、死亡等の不幸な帰結につながる場合がありうる。これは事実である。
問題は、診療行為を行う前に、その危険性についてあらかじめ患者に理解できるような適切な説明がなされるかどうかである。
手術前には簡単な手技だと説明して患者を安心させ、事故が発生した後になって、危険性についても術前に完壁に説明したと主張する。カルテには事実でないことを担造して記入する。司法の判断はカルテ万能主義で患者側のメモ類等は認められず、明らかな矛盾があっても一顧だにされないことが多い。ある医者は、本当のことを説明すれば患者はこわがって、その診療行為を受けませんよと語っている。
平成19年5月11日の■医師の意見陳述では、患者と医師の間に大きな認識のずれがあり、患者は現代医学は万能であり、あらゆる病気はたちどころに発見され、適切な治療を行えば死ぬことはないと思っている。100パーセントの安全が保証されなけれならない。(以下略)と
ある。この認識は間違いである。医療過誤を経験した患者側から言わせていただくと、このご意見はそっくり医師(多分私たちが体験したK国立大学付属病院のみであることを願うが)にお返しいたしたいと思う。医師たちの言い分を聞いて気が付くのは、医師は神であり、決して間違いをしない、ミスなどはしない、するはずがないという「医師の無謬意識」である。この傾向は、患者や家族からの質問に対して納得いく答えができない医師にとくに多くみられる。
一例としてあげるが、カテーテル手技に失敗し(医師は失敗とは認めない)、健常な下肢を大腿根元から切断する結果となった事例である。事故後、主治医から患者にかかる費用一切は病院が負担すると申し出があり、制度上は校費で賄うということであった。半年後には「校費は3か月か4か月しか使えない。生活保護を申請するように」と電話で通告された。主治医との話し合いの中で、「はっきり言ってミスです。自殺したいぐらいだ。しかし自分には生後1歳半になる子どもがいるからそれもできない。告訴するなら告訴せよ」と言い放ったのである。患者側から告訴するとか裁判をするということは出したことがなかったし、患者はむしろ若い主治医の将来を慮って「ミスは誰にもあるo今後の治療をきちんとやってくれればよい」という意思表示をしていたのである。主治医自身もカルテに「患者に慰められた」旨の記述をしている。ところが主治医側で大学あげての隠蔽工作が完了すると、医師は神に変身し、患者を愚弄するのである。
この検討会を何回か傍聴してきたが、医療過誤に遭遇した不幸な患者や遺族側からの意見陳述が少なく、国立病院、国立大学等での現在進行形の、事故後の対応状況が把纏されないまま論議が進められてきたように思う。
結果、出来上がった第三次案は、医療安全に対する医師の真剣な姿勢を前提として、医師側の主張のみが大きく取り入れられたもので、検討会当初に期待した成り行きから乖離し、医療者側の配慮が目立つ骨抜き後退したものになっている。間違いを起こした場合に何らかの罰則が科されるのは当然のことである。
間違った前提で論議を繰り返しても、患者側、医師側双方が納得できる結論を導き出すことはできないだろう。
そもそも何故この検討会がもたれるに至ったかを考えてもらいたい。
医師は全能という前提で行われる医療では、医療過誤に対応する医師側は現実に起こった事実を歪曲するため隠蔽やカルテ改鑑、虚偽の証言など犯罪とも言えるような言動を弄してきた。この結果患者の信頼を失い訴訟の増加という、医師側にとっても安心して真の医療行為を行えない状況に追い込まれてきたのではないか。誠心誠意を持って医療行為に当たり、結果がよくなかった場合、その説明が納得できるものであれば医師を責めることはないのだ。患者側にとって病気と同等、いやそれ以上に肉体的、精神的、経済的負担を背負ってまで訴訟に踏み切ることになるのは、医師側が患者や家族、また遺族に対して事実を述べず、素人にも嘘だと見破られる程度の専門的知見とやらで虚偽偽りを高飛車に弄するからにはかならない。
罪科を科されることを恐れ、萎縮するなどと公言することは、己が身にやましさを持つ、また自身の技術や判断に自信をもてない者の言い草としかうつらない。こうした背景があったからこそ検討会が必要になったのではないだろうか。それを抜きにして議論をしても極端に言えば百害あって一利なしとなるのではないだろうか。
医者も人間、間違いを犯すし誤謬もあるという前提で議論をすすめる必要があると考える。
患者側、医療提供者双方が納得を得、信頼関係を取り戻すには論議の継続が必要だと思われる。
2 医療安全調査委員会(仮称)について
(13)(14)について
法律関係者およびその他の有識者(医療を受ける立場を代表する者)の参画を得て構成する。医療を受ける立場を代表する者とは、漠然としすぎて具体的なイメージが湧きにくい。医療事故経験者や遺族等を参画させるようにする。委員には中立性と高い倫理観が求められるのは必要不可欠であるが、現実には大変難しい問題であり、どのように担保されるかを論じ明記されるべきであろう。
医療死亡事故の届出
(20)(21)(22)(23)について
届出義務違反について、刑事罰を科すことが必要である。そうでなければ、医療現場、管理者は一体となって義務違反を行う可能性が否定できない。
届出範囲の判断や届出を、主治医等でなく、必要に応じて院内で検討を行うとあるが、経験から院内での検討がはたして公正なものでありうるかという疑問をもたざるを得ない。図表①②に示される、誤った医療を行った、との認定を当該病院が行うことに信頼がおけないからである。また医師の専門的な知見に基づき判断した場合というが、専門的知見という言葉自体が暖暁であり、専門的知見という一種の錦の御旗のように抽象的な一言で、事実が消されてしまう恐れがある。
地方委員会による調査
(27)の⑤ 聞き取り調査等を行う権限を付与しても、答えなくてもよいというのでは何のための聞き取りなのか意味をなさない。再発防止につなげることが目的であるからには、権限と強制力を併せて付与すべきであり、医療従事者等の関係者に知っている事実を包み隠さず語ってもらい、そこから見えてくる問題点を検証することが重要である。
≪勝手なまとめ≫
・厳罰化を
・罪科を科されることを恐れ、萎縮するなどと公言することは、己が身にやましさを持つ、また自身の技術や判断に自信をもてない者の言い草としかうつらない。
・医者も人間、間違いを犯すし誤謬もあるという前提で議論をすすめる必要があると考える。
患者側、医療提供者双方が納得を得、信頼関係を取り戻すには論議の継続が必要だと思われる。
・医療事故経験者や遺族等を参画させるように
・届出義務違反について、刑事罰を科すことが必要
・聞き取りに答えなくてもよいというのでは何のための聞き取りなのか意味をなさない
【163】 60代 医療機関管理者 p316
本文
これは試案とはいえ、まだまだたたき台にも程遠いだけでなく、これを認めれば重要な問題を看過したまま話を進めることになってしまう、不十分なものだと考えます。
私は無床診療所の整形外科医師で、永らく勤務医当時のような手術はしませんが、今病院から医師が逃げだしたくなる気持ちは容易に察せられます。恐くて医療行為をやっていられない、というのが勤務医不足、救急医療崩壊の根底にあることは貴省もお分かりと思います。私がこの試案に期待することは、医療を萎縮させないで事故原因の究明をして頂きたいと言うことです。これは第三次試案にあるような、手続きの手順といった小手先では到底解決出来ない。すでに法務省・警察庁も刑事捜査抑制の保障は無いと明確に否定されましたから、この議論はすでに意味を失っています。
言うまでもなく事故原因究明は必要で、それは福島の事件のように苛酷なものになることは避けられない。究明とはそのようなものであって、手加減を、といういかなる議論も的外れで
す。究明は当然責任の追及を伴い、刑事での立件の可否の問題に行き着くと医療の萎縮は避けることが出来ない。これは医療行為の適切な活動レベルを決定できないと言う、現在の司法の根元的な限界を問題無視しているから、とも言えるようです。他から聞き及ぶ中庸のご意見では、刑法を改正または特別法を制定しないと、医療安全委員会をその理念どおり運用できない、というものもあります。目標は遠くても方向を誤らないで頂きたい。
私のもう一つのお願い。医師と患者を公正に扱って頂きたい。試案の論調は患者遺族の希望と医師の追求に偏している。世論、マスコミに迎合していると言うべきで、実態を見ようとしていない。
現実の医事紛争では、謝罪とは賠償金であり、折り合わなければ報復の気持ちが生じ、民事から刑事と発展する。そこにあるものは真実の追究とは言い難い手続き、人間の欲の醜悪な部分も含まれる。遺族に「真相を知りたい、再発を防いで欲しいという願い」があってもです。事故調がここから医師を救ってくれるものであって欲しいと思います。
もう一つ、医師は職業倫理を守り最善を尽くしたかを問われるわけですが、医療をこの社会で現実に成り立たせる上では避けられない制約があるはずです。患者も完璧を求めるのではなく、実態を認識してある程度の寛容さが必要です。制約とは施設人員だけでなく、医師が新しい知識新しい手技の獲得に未熟な段階をたどって経験を積んでゆかざるを得ないものであることを知して頂かなくてはならない。司法はそれを考慮して下さらなければならない。しかし、それへの考慮は無いに等しく、かつ厳しすぎる。
そのような制約は明示するにはあまりに多く、かつ漠然とし、考慮するといっても到底世論の納得しないものです。しかし、それがあることは確かで、医師は、だから医療過誤の危険におびえているのです.このような不合理な状況の下でしか医療行為が成L,立たないと原因を究明してそれをどう評価しようというのでしょうか。極めて難しい問題ですが、今のままでは医師は逃げださざるを得ません。
つまりはこの試案は問題意識が浅薄で単純であり、現場の医師の感覚からかけ離れています。医師は貴省のお思いのようにうぶではありません。ましてやこれはわが身のこと、女房子供を抱えた一社会生活者の生存の問題なのです。日医の感覚で相手にして頂いては困ります。真剣に、貴省に相応しい思慮をもって取り組んで頂けるようお願い致します。
≪勝手なまとめ≫
・究明は当然責任の追及を伴い、刑事での立件の可否の問題に行き着くと医療の萎縮は避けることが出来ない。これは医療行為の適切な活動レベルを決定できないと言う、現在の司法の根元的な限界を問題無視しているから
・制約とは施設人員だけでなく、医師が新しい知識新しい手技の獲得に未熟な段階をたどって経験を積んでゆかざるを得ないものであることを知して頂かなくてはならない。司法はそれを考慮して下さらなければならない。しかし、それへの考慮は無いに等しく、かつ厳しすぎる。
・この試案は問題意識が浅薄で単純であり、現場の医師の感覚からかけ離れています
【164】 p318 不詳
医療関連死に司法、警察が介入することは基本的には好ましくない。交通事故と医療過誤、医療事故が同じレベルで取り扱われている現状が好ましくない。福島大野病院事件、救急で取り扱われた患者の死亡に関して遺族が怒り医師や看護師を警察に訴える事件が相次いでいる。そのため、産科、婦人科、小児科、救急科、ICUの担い手が減っているという現実がある。医療費削減にプラス、今や救急での1次医療、2次医療の担い手も減り、また担当医師も訴訟に巻き込まれないよう重症患者を忌避する傾向が続いてる。療養型病床の削減によりお年寄りの行き先が減っており、安心安全な医療を誰でも受けることができ、病院にかかれるフリーアクセス、保険診療が崩壊の危機となっている。もちろん医療による単純ミス、高度医療の熟練度不足のミス、誤診等は医療従事者を追求したり、行政処分する必要がある場合もあるでしょう。ケースバイケースですが、どんな名医でも誤診率は20%程度あるという事実があり、すべての患者と病気に対して正診して的確な判断を医師がくだすことは困難です。医療従事者に将来の希望や光を与えられる制度に是非していただきたい。一般市民の医療に対する期待があるのも事実だが、医療というのは不確実性があり、不安定な部分が必ず含まれているということの事実認識をして頂き、医療従事者、関係機関との共感、共通認識を持つようにすることも大事です。
≪勝手なまとめ≫
・医療の不確実性をもっとみんなが周知すべき
・医療関連死に司法、警察が介入することは基本的には好ましくない
【165】 40代 医師 p319
ごく一部には確かに悪質な医療も存在しています。しかし、このところ逮捕されている例は殆どが悪意のないものです。我々医師は毎日危険、死と直面しているかたを相手に危険の中で仕事をしています。その認識を持たず、死亡その他はすべて罪のような感覚はいかがなものでしょうか。治療関連死は刑事罰と切り離さない限り、医師はだれも危険な業務を行わなくなります。医師不足、医療崩壊の一因はこのところの医師の逮捕によるところであることは疑いようのない事実です。
国は国民に医療の現実を正しく伝え、我々の仕事を正しく評価していただけるよう広報、教育に努めるべきです。
この法案が通ればまた多くの医師が現場から去ることになることをお忘れにならないよう。
将来を考えた検討を御願いいたします。
≪勝手なまとめ≫
・我々医師は毎日危険、死と直面しているかたを相手に危険の中で仕事をしている
・ごく一部には確かに悪質な医療も存在していますが、しかし最近新聞をにぎわしているほとんどの事件は悪意のないものです。
【166】 30代 医師 p320
私は大学病院の助教です。地域病院でのスタッフ不足のため、一次救急対応病院および2次救急対応病院にて救急外来の業務を補助しています。
私は医療訴訟の増加を危供します。現在の医療訴訟において医療を理解されていない判決を目にします。医療は生命にかかわる仕事ですから、治療介入の結果として不幸な結果に陥ることはあります。これらを一例ずつ報告し、場合によっては訴訟にて是非を問うとなれば、医療スタッフに大きな負担をもたらします。また、医療の責任が重くなると市中病院の医療スタッフは高度な治療介入を避け、より高度な専門病院-治療を依頼する傾向が強くなります。専門病院では病床の限りがあり、患者の受け入れができない状況になります。結果として患者に治療を提供する病院が見つからず、適切な時期に適切な治療ができない状況、いわゆる患者のたらい回しと呼ばれる状況が生まれます。ス-パーローテーション制度が導入され、人事が大学病院から離れた現在では地域医療における医療スタッフの過疎化が進み、医療レベルの低下を実感します。地域医療の医師不足の現在における今回の制度(死因究明・再発防止等の在り方に関する第三次試案)の導入は、地域医療のスタッフにさらなる負担をかけるため、医療の過疎化を促進するであろうと推測いたします。
≪勝手なまとめ≫
・医療は生命にかかわる仕事ですから、治療介入の結果として不幸な結果に陥ることはあります。
・これらを一例ずつ報告し、場合によっては訴訟にて是非を問うとなれば、医療スタッフに大きな負担をもたらします。
・地域医療のスタッフにさらなる負担をかけるため、医療の過疎化を促進するであろうと推測いたします。
【167】 50代 医師 p322
「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方」は、医療従事者および患者遺族を含めた国民にとって重大な問題であり、厚生労働省第三次試案に対して様々な考えがあると存じます。国民一人一人が次世代の発展のために将来のゴールを設定し、様々な意見を出すことは健全な立憲民主主義の基礎であります。今、個人としてそのために何をすべきか、意見を表明する時期であると考えます。
医療安全調査委員会(仮称)の設立は、医療者側だけでなく患者遺族側にとっても、望ましいことであり、異論はありません。厚生労働省が、我々医療者や患者遺族の立場を十分に配慮し、様々な検討を重ね、医療事故の原因究明と再発防止を目的にする中立的な第三者機関である医療安全調査委員会を設立すると明言されたことに対して敬意を表します。
第三次試案には、これまでの試案に対しての医療関係者からの多彩な意見に応え、医療関係者の懸念を取り除く表現や配慮をして頂いています。しかしながら、記載内容を詳細に検討してみますと、法的あるいは実務的な裏付けが欠けている記載が見うけられ、さらにいくつかの論議を要する問題点があると思われます。今後、これらの問題点に対し厚生労働省が法務省や警察庁など関連省庁と協議をされ、その結論を試案に明記して頂かなければ、このままの形では賛同できません。
以下に問題点をまとめますので、ご検討頂ければ幸いと存じます。
1. 医療関係者の責任追及:段落番号(7)
2. 届出:段落番号(16)以降
3. 医師法21条:段落番号(19)他
4. 重大な過失:段落番号(40)
5. 医療安全調査委員会(仮称)の設置場所:段落番号(8)
1.医療関係者の責任追及
第三次試案(平成20年4月)の2ページに(7)「委員会は、医療関係者の責任追及を目的としたものではない。」とありますが、元来、厚生労働省には、責任追求の権限はありません。責任追及は、警察、検察、裁判所の業務です。調査委員会がまとめた調査結果に基づき、調査委員会が捜査機関通知すれば、その通知を捜査の端緒とし、警察や検察が医療関係者の責任を追求する可能性は否定できません。ということは、「委員会は、医療関係者の責任追及を目的としたものではない」に対する裏付けがないということになります。従って、この第三次試案では、医療関係者の責任追及が重要視され、本来の目的である「原因究明・再発防止」から逸脱したものとなる可能性があります。だからといって、医療関係者が責任追及を逃れられるわけではなく、公表結果をもとに患者遺族側が警察-捜査を依頼したり、捜査機関が独自に判断し捜査を開始することで、現行法に基づき責任追及が始まることとなります。よって第三次試案の中で、医療関係者の責任追及を目的にしないと表現していても、それは厚生労働省の希望もしくは努力目標にすぎないのではないでしょうか。実際、■氏(元東京地検特捜部長、最高検公判部長)は、「厚生労働省に責任追及に関する権限を持たせるためには、現行の刑法、刑事訴訟法などの法体系を変えない限りありえないことで、第三次試案にあたかもそれが出来うることのように書かれているのは、医療関係者に対し大変な誤解を生じさせることになる。」と述べています(医療維新・インタビューm3.com 2008年4月8日)。もし本当に医療安全調査委員会が責任追及を目的としない組織であるなら、委員は非常勤公務員ですので、守秘義務があることを明確にするべきです。ちなみに、航空・鉄道事故調査委員会設置法(最終改正平成18年6月2日法律第50号)の第10条1項で委員長・委員、並びに第15条5項で調査等の委託を受けたものに守秘義務を規定しております。以上に加えて、第三次試案の中で刑事訴訟法にある証言拒否権、押収拒否権や、民事訴訟法の証言拒否権、文書提出命令拒否権などにも触れるべきです。
2.届出
厚生労働省第二次試案では医療安全調査委員会に対する届出の主体が医療機関からに限定されていましたが、第三次試案では患者遺族側からも届出が可能になりました。この点は、調査委員会の中立性の面から、患者遺族側に対する配慮の面からも、医療者側にとっても望ましいことであると考えます。
第三次試案の3ページ(19)で、医師汝21条の改正に言及しています。今国会の4月4日の厚生労働委員会で、厚生労働省医政局長が医師法21条の改正に触れ、関係省庁の間で調整を行い、できれば今国会中の法案提出を目指すと答弁しています。しかし、4月22日の国会質問で法務省と警察庁は「法務省は厚生労働省と協議をおこなったが具体的な文書によるすり合わせはなかった。」との答弁があったと報告されています。
もし関係省庁の間で調整が行われたのなら、その結果を試案のなかに文章化して示し、それを基に法案提出を目指すのが本筋です。「すでに関係省庁間で協議を行なったのであるから、試案の中にまで文章としてその内容を盛り込む必要はない」と主張される方がいらっしゃるかもしれませんが、元来、賛同する・賛同しないという判断は、文章に書かれたことを基になされるのが一般的です。事実、日常診療の際、診療内容について、医療者側から患者側に対してまず口頭で説明をしますが、その説明した内容が診療録に記載されていない場合には、裁判所はその説明がなされなかったとし、説明義務違反と判定され、裁判では医療者側の主張は認められません。
届出に関するもうひとつの問題は、上記の厚生労働委員会でも議論されたとおり、届出数が非常に多くなった場合に、迅速適正に調査委員会が機能できなくなるのではないかということです。警察庁刑事局長は、「万一、調査委員会での検討結果の発表が遅れ、患者遺族側から早期の解決を望むという提案があれば、当然警察は捜査に乗り出さざるをえない」と答弁しています。また調査委員会が迅速に活動するためには、相当数のマンパワーと予算が必要不可欠であるはずですが、それについては試案の中で何ら記載がありません。予算については、まず財務省が深くかかわるはずですが、財務省との協議調整については、全く言及されていません。
原因究明、再発防止のためには、届出の範囲を拡大し、匿名化した形で、できれば死亡例のみならず死亡に至りかけたような重大な事故例を含めて届出がなされ、データバンクに情報が蓄積されることが望ましいと考えます。つまり、「原因究明・再発防止」のためには、より多くの届出がなされ、より多くのデータの蓄積があることが好ましく、責任追及などの紛争を解決するものとは別な届出ルートを設けるべきです。紛争解決のためには、段階を踏んで届出を絞り込まないと、調査委員会での未処理件数の増大、判定のずさん化につながり、実効性に乏しいものになると考えます。ちなみに、2005年に発表されたWHOのガイドラインWorld Alliance for Patient Safety:WHO draft guidelines for adverse event reporting and leaning systemsにおいても、患者の安全を維持するためには専門家によって構成された独立した組織が匿名化した形で迅速に報告することが重要であるとしています。
3.医師法21条
医師法21条の元来の趣旨は、犯罪に対し、捜査機関が迅速に対処するためのものです。犯罪の発見の手がかりとして有用なため、その文言は医師法施行規則9条として明治時代から存続しており、昭和23年医師法施行の際、21条として盛り込まれたものです。現在問題になっているのは、本来の趣旨や目的から外れて拡大解釈され、医療関連死にも当てはめられてしまっているため、現場の混乱を招いているものです。その流れの契機となったのが法医学会ガイドライン(1994年)、外科学会ガイドライン(2002年)、厚生労働省からの指示やガイドラインなどです。法律の改正はすぐにはできないため上記ガイドラインなどを撤回すべきだと説いている法律家は少なくありません。それは刑罰法規(医師法21条も刑罰を規定している)には、罪刑法定主義が徹底されるべきであると考えているからだと思われます。現行法の改正には時間がかかり、改めて国会の議決を要すること、且つこの21条の立法趣旨は現代社会においても有用と考えることから、むしろ厚生労働省による試案を基に提出されようとしている法案の内容を検討し、国民に不利益をもたらすことがないものにすべきと考えます。拡大解釈によってもたらされた諸問題を解消するためには、たとえば第2項として、医療関連死は医療安全調査委員会に届けることとし、委員会に届出をすれば届出義務を果たしたとみなす(すなわち警察に直接届け出なくてもよい)などとすることが考えられます。
4.重大な過失
第三次試案の9ページ(40)の③に重大な過失の定義が載っています。ただし、法律用語での「重大な過失」とは定義が異なっています。加えて、試案では、死亡という結果の重大性に着目したものではなく、「標準的な医療行為から著しく逸脱した医療であると、地方委員会が認めるもの」としており、さらに「あくまで医学的な判断であり、法的評価を行なうものではない」としています。しかし、「重大な過失」として捜査機関-通知すれば、捜査機関は当然、法的評価(刑法でいうところの重大な過失)に基づき、捜査が開始されることになると予想されます。法律家によれば、「重大な過失」とは、わずかな注意を払えばその結果の発生を防止できたのに、その注意を怠ったもの、とされています。試案においては「重大な過失」とは結果の重大性に着目したものではないとしておりますが、犯罪として取り扱うかどうかを判断する上で通常は結果の重大性も考慮されます。例えば、窃盗では、ティッシュ1枚を盗む場合と、ダイヤの指輪を盗む場合とでは、窃盗罪を立件する上で取り扱いが異なることが予想されます。調査委員会座長が提唱する可罰的違法性理論によれば、前者の場合は立件しないことになるでしょう。過失という言葉をひとたび用いた上は、刑法211.条の業務上過失致死傷罪が適用されますが、これには過失が重いか軽いかの区別はありません。ちなみに、刑法211条は、医師法21条と連動しているものではありません。医療過誤があったかどうかには刑法211条があてはめられ、届出の有無についてのみ医師法21条が用いられ、それぞれ法律としての目的(立法趣旨)が異なります。
厚生労働省は今回の医療安全調査委員会の第一の目的は原因究明にあると言っています。原因究明を最優先するのであれば、当事者である医師、看護師、助産師、臨床工学士、薬剤師などの医療関係者が、自己に不利益であるかもしれないと考えた情報でも偽りなく提供できる制度(1で述べたデータバンクに類するもの)を、今回の第三次試案に提示されたものとは別に設ける必要があると考えます。提供した情報が自分に不利益なように判断されたり、それをもとに刑事訴追される恐れがあると感じれば、正確な情報が集まりにくくなり、再発防止策を立てにくくなります。なぜなら、自己に不利な供述を強要されないことを保障した憲法38条1項、刑事訴訟法146条、198条2項等があるからです。
現実的には、事故発生初期の段階で患者遺族側に対して真筆な対応をすることが、相互理解を深め、紛争拡大を予防しうる最も重要なステップと考えます。信頼される
医療は患者側にとっても、医療者側にとっても共通の目標であります。その目標達成には患者側および医療者側が共同して相互の信頼関係を築くことが必須と考えます。
そのためには、医療過誤があったと考えられる場合にはまず医療者側が正直に事実を告げ、納得するまで説明し、謝罪すべき時には謝罪するといった真撃な対応をすることが、第一歩と考えます。
5.医療安全調査委員会の設置場所
医療安全調査委員会の構成員として法律家が入ることが予定されています。よって委員会の活動には法的判断および法的処分も含まれることが予想され、厚生労働省の管轄外の部分も出てくることが考えられます。委員会は省庁を超えて独立性・中立性・透明性のある位置におくべきです。
医療は国家の柱とも言うべき重要なものです。現在、失業率の増大、ワーキングプアの増大等、社会不安の原因となる現象が出現し、加えて日本は世界に先駆けて、高齢者社会に突入しようとしております。これらの問題に対処するため、医療関連産業を国家プロジェクトの一つとして育成することが考えられます.そのためには厚生労働省のみでなく経済産業省、法務省等各省庁を統括できる機関に医療というものを位置づけ、次世代の雇用を増大し、若い世代に活力を与えることを考えなければならないでしょう。高齢者がますます増大する時代にこそ、医療関連産業を伸ばすチャンスがあるものと考えます。もし医療安全調査委員会の活動が、結果的に医療を萎縮させる方向に向かわせてしまうとすれば、医療関連産業の育成をさまたげる可能性があると予想されます。
長期的展望を視野に入れて、上記の医療安全調査委員会を行政内に設けるとすれば、委員会の一委員が提案しているように、内閣府に設置するのが良いと考えています。総じて、第三次試案を含み、今まで示されてきた試案には、上記に挙げた点を含め、不透明な部分、あいまいな点、制度や法的な裏付けのない事柄が少なくありません。
現在の新臨床研修制度(スーパーローテーション)においても、当初の目標とは異なり、現場の混乱を招き、地方での医療崩壊を加速させております。新しい制度を構築、運用するにあたっては、長期的な展望から、一省庁を超えた国家的レベルでの検討がまず必要と考えます。
現時点では、この試案に対し、このままの形で賛同することはできません。幸い、パブリックコメントという、各分野からの意見表明を募集しておられますので、個人としてもいろいろな意見を含めて表明することが、より良い制度の確立に向けて有意義なものと考えます。私達は医療を施す立場にあると同時に、医療を受ける患者にもなりますo全ての患者が安心して医療を受けられると同時に、私達の後輩達が働きやすい環境で診療に携われるよう努力することが私達の責務であり、国民全体にとっても望ましい医療体制を構築することにつながると考えます。
≪勝手なまとめ≫
・元来、厚生労働省には、責任追求の権限はありません。責任追及は、警察、検察、裁判所の業務です。第三次試案の中で、医療関係者の責任追及を目的にしないと表現していても、それは厚生労働省の希望もしくは努力目標にすぎないのではないでしょうか。
・第三次試案では、医療関係者の責任追及が重要視され、本来の目的である「原因究明・再発防止」から逸脱したものとなる可能性があります。
・委員は非常勤公務員ですので、守秘義務があることを明確にするべき
・刑事・警察との協議について「すでに関係省庁間で協議を行なったのであるから、試案の中にまで文章としてその内容を盛り込む必要はない」と主張される方がいらっしゃるかもしれませんが、日常診療の際、診療内容について、医療者側から患者側に対してまず口頭で説明をしますが、その説明した内容が診療録に記載されていない場合には、裁判所はその説明がなされなかったとし、説明義務違反と判定され、裁判では医療者側の主張は認められません。
・財務省との協議調整については、全く言及されていません。予算は莫大になるはずだがどうするのか。
・再発防止のためにはWHOガイドラインに従うべき
・法医学会ガイドライン(1994年)、外科学会ガイドライン(2002年)、厚生労働省からの指示やガイドラインなどです。法律の改正はすぐにはできないため上記ガイドラインなどを撤回すべき
・そもそも現在の医師法21条は昭和23年のものを拡大解釈している。
・重大な過失の定義が曖昧
・委員会は省庁を超えて独立性・中立性・透明性のある位置におくべき
【168】 40代 医師 p329
「捜査機関との関係について」に関連して
1,捜査機関の意見が厚生労働省の考えと一致しているのかどうかが不明であり、心許ない。厚生労働省が考える捜査機関との関係(警察が捜査に当たって、委員会の専門的な判断を尊重して対応する。などの謙抑的な対応をとる)が捜査機関からも声明、またはそれに近い形で、出されるべきだと思う。
2,また法的整備も重要であり、委員会での判断に使われた医療事故に関する発言等に関する証拠能力を制限しなければ、本来保証される自分に不利な証言をしなくてよいという権利が著しく制限される結果となり裁判の公平性を著しく欠くことになる。
またせっかく作った委員会に対しても、自分に不利かもしれない証言が得られにくくなり、正確な状況を知ることが重要な委員会の存在意義がなくなる。
≪勝手なまとめ≫
・刑事との口約束では心もとない
・裁判資料として使われる可能性があるなら、きちんとした証言も得られず、委員会の存在意義もなくなる
【169】 医療の良心を守る市民の会 50代 会社員 p330
(これ結構おもしろいです)
原則この委員会を創設することは賛成です。
しかしながらまだいろいろと考えなければいけないことがあると思っております。
私は■病院で次男が入院中にトイレで倒れ、心電図アラームが警告を鳴らしているにもかかわらず1時間以上も放置され、探されず、他の患者の警告によりトイレ内で発見された結果、死亡した経験をもちます。病院は当初から情報を隠し事実を究明することを怠りました。やむを得ず警察にお願いして捜査をした結果、反対に遺族に対して強行姿勢になり口も利かず逃げ回るという状態になりました。結果として警察側はろくに捜査もせず、わからないから不起訴。我々は民事裁判による提訴をしましたが、裁判長は病院が嘘を言ったり態度が悪いのをわかっていながら和解勧告をし、原告はそれに従わざるを得ませんでした。このような経験から今回の第三次試案の問題点と解決手法を下記に述べます。
2の(10)
調査チームは臨床医を中心としてあるがこれらは必要であるが多すぎると思います。
その他、法律の専門家とあるがこれは必要ないと思います。調査に余分な法律的解釈を入れるべきではないというのが理由です。有識者とは何か?このほかに必要なのは調査のプロ(場合によっては捜査のプロ)(原子力等の問題が起きたときに行動する人種。)とITのプロ(調査は今後は電子カルテ等のITの専門家が必ず必要である。)が絶対に必要である。
個人的なことであるが私は医療のITのプロ(1979年から日本IBMにおいて日本の医療ITをリードしオーダーシステム、電子カルテシステム開発推進の第一人者の一人であると自負する)であるので是非このような委員会に入れて欲しいと思っています。
実際私の事故では私の知識を利用してデータを調査しようとしましたがメーカーと病院から拒否された結果、消去されたデータの復活に関して何もできませんでした。
2の(13)
法律関係者はこの時点で絶対に必要ないと思っています。事故として認識しようがそうでなかろうが何故法律関係者が必要なのか不明です。
この人種は法律にのっとって物事を調べるので法的に関係ないか、因果関係が50%以上ないと物事を無視する傾向がある。弁護士は自分のビジネスに影響が少ないと何もしない。今回のケースでは裁判上患者側が勝てないのでれば敢えて何もしないという力が働くと感じます。
医療事故の届出に関して
すべての遺族が不審に思う死は届けることとするべきであります。病院側は必ず患者が死亡したときにこれを遺族に聞くようにし、届出に関して病院側の意志だけにゆだねる事は絶対にしてはならないと思います。なぜならばこのような制度が出来てもほとんどの患者(日本国民)は知らないからであります。このような意見を言うと、周知徹底すればいいという声が誰からも出てきますがそれでうまくいきますか?年金も後期高齢者年金天引きもすべて国民に対して理解されずに失敗しています。この制度が必ず施行されるように病院側が行い、行わなかった場合は罰を受けることにするべきであります.決して病院側の意志で自由に届出が行われないこととしてください。
医療安全調査委員会
この委員会は機能するのでありましょうか?
証券取引等調査委員会、食品安全委員会などは実質的にあまりの数の多さで実質的には機能するにいたっていないようです。多くの内部告発が遅れたり、調査されていなかったりして不公平感があると感じています。確かに体制が不十分であるがゆえに人手がたりないのでしょう。内部の状況がわからないので何も申せませんがもっと効率的に行うことは可能だと思います。官が主導している仕事は基本的に生産性が低いとかんじています。
医療安全委員会もその傾向が必ず出てくると思います。行政はここに多くの費用をかけて人を多く投入して病院の横暴により黙らされた患者を救うべきであります。少なくとも人が死んだリー傷ついたりしているのが事実として起こっている限りその原因を追究することにより将来の医療をよりよくするための努力をするべきである。そのためには下記のようなやり方はどうでしょう。
患者が納得していない場合(少なくとも患者家族がそう感じるとき)は直ぐに地方の安全委員会にすべて報告しそこでまず調査するかどうかの判断をするべきである。その上で中央に行き、結果として必要であれば調査を再度地方の医療安全委員会が行うべきである。
何故ならば亡くなって直ぐに判断しないと死体の検案もできなければ、調査もろくにできないからである。まずはすべての人の記憶のあるうちにすべての事実を追及することに全力を投じていただきたい.
あとになって裁判などで「記憶にありません」ということがないように。
≪勝手なまとめ≫
・法律の専門家とあるがこれは必要ないと思います。調査に余分な法律的解釈を入れるべきではないというのが理由です。捜査のプロとITのプロを入れるべきです(?)。
・この委員会は機能するのでありましょうか?
証券取引等調査委員会、食品安全委員会などは実質的にあまりの数の多さで実質的には機能するにいたっていないようです。
・調査はすぐに始めるように。やるなら周知させるように。
【170】 40代 医師 p333
総論
今回の厚生労働省第三次試案は、第二次試案の公表以来、医療従事者、医療事故被害者家族、司法関係者、この問題に関心を持っ国会議員ら、国民各層の間で湧き上がった激しくかつ実勢な議論の経過を踏まえたものであり、第二次試案と比較するとかなり練り上げられた内容になったと考える。本試案の冒頭(「はじめに」)で明言している現状認識と理念、すなわち(1)医療死亡事故の原因究明と再発防止が国民の強い願いであり、医療従事者はその願いに応えるよう最大限の努力が求められていること、(2)その一方で診療行為には一定の危険が伴うものであるという現実認識、(3) 原因究明と再発防止のためには司法の場での紛争解決ではなく、事故の分析・評価を行う第三者的専門機関が必要であること、(4)このような専門機関が正しく機能することにより、医療の透明性確保や医療に対する信棟回復が可能になり、医療者が萎縮することなく医療を行える環境も整備される、という内容には、私のみならずほとんどの医療者も異論はないだろうと想像する。多忙な臨床医(に限らず多くの国民)は、本試案の冒頭部を読み、試案に全面的に賛成と考える可能性も十分にあると思われる。
にもかかわらず、「はじめに」に続く試案の各論を詳細に読むと、法の実際の運用場面を想定した場合、文句のつけようのない理念とは逆に、試案の各条文には、不明瞭な点、実効性に欠ける点、冒頭の理念自体に反する可能性のある点、などが散見される。結論として今のままの試案では医療従事者として賛成できないことを明言させていただきます。
以下、試案の各項目を検討して、個人的な見解を述べる。
各論
[委員会の設置]
(7)「委員会は医療関係者の責任追及を目的としたものではない」と明言したことは高く評価できる。しかしこれが本当に保証されるだろうか。これが法的裏づけのない単なる努力目標になる可能性はないのか。そもそも「医師の刑事責任を追及するか否か」は厚生労働省の権限ではなく、警察・検察・裁判所の権限であることは現在の日本の法体系から明らかである。警察・検察が、試案作成者(厚生労働省)の意向とは無関係に、医師の責任追及に乗り出す可能性があるのではないか。「医療死亡事故においては警察や検察は医師の責任追及をしない」という文言は、少なくとも試案内には存在しない。またすでに一部で報じられているように、警察幹部の考えは「委員会の調査報告が遅れ、遺族が不満を感じて警察に訴えてきた場合は、警察として捜査を始めざるをえない」というものである。「医師の責任を追及しない」という厚生労働省の方針が、実際に責任追及の権限と責任を持つ警察・検察側の同意を得たものかどうか、試案からは読み取れない。
その点が試案に明記されていない以上、この条文は実効性を持たないように思える。
(8)委員会の設置場所については試案で結論を出していないが、私は厚生労働省内に設置すべきではないと考える。医療に限らず安全管理の領域で、事故の調査権限と処分権隈が同一の組織に属するというのは、原因究明とそれによる再発予防にとって逆効果であることは常識である(厚生労働省は刑事処分の権限はないが、医師の行政処分の権限はもちろん有する)。誰でも、自分を処分しようとする相手に対して、自分の過ちを正直に告白はしないであろう。さらに刑事訴訟の場では、自己に不利な供述を強要されないことは憲法および刑事訴訟法でも保証された当然の権利である。つまり事故の当事者である医師が国民として正当な権利を行使することで、結果的に事故の原因究明が困難になる。さらに前述の「医師の責任追及の権限」や後述の「医師法21条の改正問題」「必要な人員を配置するための費用の問題」など、本試案を施行する場合の諸問題は単に厚生労働省だけで解決できるものではなく、法務省や財務省、さらには経済産業省など、省庁横断的な対応が必要である。そのような実用性の点からも、厚生労働省のような単一の省庁ではなく、より広範な中立的視野に立ちうる組織に属する方が好ましい。この委員会が本当に「国」の組織であるべきかどうかももっと議論されてしかるべきだが、少なくとも「国」の組織とするなら、例えば内閣府のもと設置する方が好ましいと考える
[医療死亡事故の届出]
(19)「医師法21条を改正し、医療機関が委員会に届出を行った場合にあっては、医師法21条に基づく異状死の届出は不要とするJ:これは現在の医療現場の混乱の主因のひとつである「医師法21条の拡大解釈」を同法の本来の趣旨に戻そうとするものであり、このこと自体には全面的に賛成である。ただし本当に法の改正ができるのかという懸念がある。日本医師会の幹部は「医師法21条の改正を厚生労働省が約束した」ことを会員に伝えて試案-の支持を訴えているが、「医師の責任追及権限」と同様、厚生労働省自体には医師法の改正権限はない。法改正は法務省および最終的には国会の権限である。改正のためには少なくとも厚生労働省と法務省(警察)の協議・合意が必要である。法務省・警察庁の幹部は、厚生労働省との間で協議は行っているが合意文書による確認にはいたっていないことを国会で明言している。従って本試案のままでは先の「医師の責任を追及しない」と同様、これも法的裏づけのない努力目標になりかねない。医師法21条が、本試案の施行期日までに改正されるという保証はない。そもそもいったん成立した法律が如何に時代遅れになろうと、その法自体が社会に害を与えているとしても、その改正には信じがたいはどの時間がかかることは、例えば「らい予防法」の問題をとっても明らかである。関係省庁との確認・合意が明記されていない以上、「医師法21条改正」も現試案では実効性が低いと考える。むしろ法改正というよりも、21条の拡大解釈の元になっている1994年の法医学会ガイドラインや2000年の旧厚生省のマニュアルなど(これらは法ではなく単なる指針なので)を改正するほうが、容易であり現実的かもしれない。医師法21条自体は条文をそのまま残して、本来の解釈(医療行為関連死は異状死ではない)に戻すべきである。(20)届出範囲について:試案ではかなり届出範囲を制限している。届出数が際限なく増加すれば、委員会の人員が限られている中(特に解剖担当医は今でさえ人手不足である)、適切な調査・医学的評価ができるのか疑わしい。その結果ずさんな調査結果が専門機関の公正な調査結果として一人歩きする危険性がある。増大した届出に対し適切な調査を行うためには相当数の人員確保とそのための財政的基盤が必要であるが、そこを関係省庁(財務省?)と協議した形跡は試案には認められない。「おわりに」の(50)でその点を触れているが、「組織面・財政面の検討を加えた上で法整備を行う必要がある」と述べるだけで、実際に組織面・財政面の支援を確保するという、試案作成者側の確固たる意志は文面だけからは読み取れないoこのような現状では、届出数を制限することは現実的対処として正しい。一方で試案の根本的問題として、届出範囲と委員会の目的との間の本質的矛盾はどうしても解消できないのではないか。試案が目的として掲げる「原因究明・再発防止」のためには、事故事例を(死亡例に限らず)可及的に全数調査に近い形で届け出ることが望ましい(しかも匿名化で)。例えば日本麻酔科学会が10年以上前から毎年実施している「麻酔関連偶発症例調査」はこれに近いものであり、その調査の信額性の高さと実地臨床への影響力は広く知られている。届出数を制限すれば事故実態の解明(それがあって初めて、再発予防・安全性向上のための提言が可能になる)が困難になる。試案は「事故原因の究明と再発防止」を目標に掲げるが、届出数に関する項を読む限り、試案の目的はむしろ「紛争解決」の方に重点があるのではないか、とも思える。「医療安全調査委員会」という一つの組織に、「原因究明・再発防止」の機能と「紛争解決」の機能を両方持たせることは根本的無理がある。
[地方委員会による調査】
(27)① 「個人情報等の保護に配慮しつつ公表を行う」のは当然である。ここで言う「個人情報の保護」は患者側のことだけであってはならない.原因究明のための事例届出とそこから得られる再発防止に関する情報は、当事者である患者家族と医療者-の結果の報告を除き、一般公表にあたっては医療者側情報も匿名化されるべきである。匿名化が保証されたはじめて本当の事故情報が収集できる。現在のような警察の医療現場への不要な介入を阻止するためにも、事故情報の匿名化は必須である。
[捜査機関の通知]
(39)医療者の本音は「医療者の刑事免責を確約してほしい」であろう。しかし医療者のみを特別扱いして刑事免責の対象外とすることを、多くの国民は許容しないであろうことも、国民の一人である医療者として理解できる。
(40)捜査機関に通知を行う事例として「重大な過失」を挙げているが、この「重大な過失」の定義が不明瞭であること、厚生労働省側(試案作成側)と、法体系の実施権限者である法務省(警察・検察)や裁判所との間で、「重大な過失」の定義が一致していないこと、あるいは定義を一致させようというお互いの協議・努力の形跡が認められないこと、これらが、本試案の最大の問題であると考える。試案でいう「重大な過失」は「死亡という結果の重大性に注目したものではなく、標準的な医療行為から著しく逸脱した医療行為である」として、「重大な過失」の判断は「医学的判断」であり、「法的評価を行うものではない」としている。しかしこの「医学的判断」に基づき捜査機関に通知した場合、捜査機関(警察)は、従来どおり、刑法221条の「業務上過失致死傷害」で規定する過失、「法的判断としての過失」を問うことになる。すなわち「ちょっと注意していれば、重大な結果を回避することができたはずだ」という意味での注意義務違反としての過失である。医療安全調査委員会側と捜査機関側が異なる定義の「(重大な)過失」を媒体にして両者が連携することは、現場をかえって振乱させることになるのではないか。本試案の理念とは逆に「萎縮医療」を悪化させる危険性があるのではないか。関連の検討会で「(重大な)過失の件はまさに言葉の定義の問題であり、これ以上議論のしょうがない云々」との発言があったようだが、まさにこの言葉の定義の問題が、本試案の実施にあたり、最も重大な未解決問題ではないか。個人的には、捜査機関-の通報は(40)の① (隠蔽や改質)に限定すべきと考える。(参のリピーターも、これは刑事処罰の対象ではなく、後にでてくる「行政処分」の対象とすべきであろう(国民感情としては納得できないかもしれないが、医師としての能力に欠けるものは、刑事責任を問うのでなく、免許を与えた側の責任として、厚生労働省の行政処分で対処すべきであろう)
[医療安全調査委員会以外での対応】
「医療死亡事故が発生した場合の民事手続き、行政処分、刑事手続きについては、委員会とは別に行われるものである」としている。「委員会と別」であれば、前項の「委員会の調査段階での委員会から捜査機関-の通報」に関して、現試案よりも厳格な制限をつけるべきであることは、すでに述べた通り。
[おわりに]
(51)「医療関係者の主体的かつ積極的な関与不可欠となる。今後とも広く関係者はもとより国民的な議論を望むものである」との認識に賛成します。私も当事者の医療者として、この間題を真剣に学んでゆきたい。そしてこれまで述べたように、国民的な議論を続ける余地が、まだ第三次試案にはいくつか残されている。従って今回のパブリックコメントを参考に、厚生労働省がさらに試案の検討を重ねられることを国民の一人として強く要望します。「今回の意見公募で議論は尽くされた」と考えて、今国会中に法案を成立させようなどどいう拙速な行動に決していたらないよう、強く希望します。
≪勝手なまとめ≫
・「はじめに」は立派だが、試案の各条文には、不明瞭な点、実効性に欠ける点、冒頭の理念自体に反する点が散見される
・そもそも「医師の刑事責任を追及するか否か」は厚生労働省の権限ではなく、警察・検察・裁判所の権限である
・安全管理の領域で、事故の調査権限と処分権隈が同一の組織に属するというのは、原因究明とそれによる再発予防にとって逆効果
・中立的な内閣府に設置すべき
・医師法21条が、本試案の施行期日までに改正されるという保証はない
・ただでさえ人手不足なのに適切な調査・医学的評価ができるのか疑わしい。その結果ずさんな調査結果が専門機関の公正な調査結果として一人歩きする危険性がある。
・届出数に関する項を読む限り、試案の目的はむしろ「紛争解決」の方に重点があるのではないか、とも思える
・患者のみならず、医療者の匿名化も必須
・厚生労働省側(試案作成側)と、法体系の実施権限者である法務省(警察・検察)や裁判所との間で、「重大な過失」の定義が一致していないこと、あるいは定義を一致させようというお互いの協議・努力の形跡が認められないこと、これらが、本試案の最大の問題
・通知対象は隠匿などに限定すべき
・「今回の意見公募で議論は尽くされた」と考えて、今国会中に法案を成立させようなどどいう拙速な行動に決していたらないよう、強く希望します。
【172】 50代 医療機関管理者 p338
在宅死、看取りに関わることの多い診療所医師としての立場も含めて「第三次試案」に対する意見を述べます
(4)に対して
医療に対する信頼の回復にしても、医師が萎縮することがなく医療を行える環境の整備にしても、基本は医療者と患者となった国民とが、医療の場においてしっかりと向き合えるだけの時間的余裕、人的資源の配分が必要であります。しかるに今回提案されているような新しい「調査委員会」の立ち上げには医療者の側から、膨大なエネルギーを伴った参画が絶対必要です.医療現場に医療従事者とりわけ医師が足りない現況でこのような仕組みの創設は実際のところ本当に可能なのか、医師にとっては新たな仕事や負担を増すことにしかならないのではないかと危幌を持ちます。
(8)に対して
医療安全の向上を資するための委員会であるならば、医療行政に責任のある、そして行政処分を行う権限のある厚生労働省の外に置かれるのが絶対条件と考えます。そうでなければいわゆる第3者委員会となり得ないと考えますし、厚生労働省が行ってきた施策への評価や新たな提言もしにくくなる場面が考えられます。
(13)に対して
危機管理の専門家であって、医療安全全般に目を配ることが可能なだけの能力学識をお持ちの方の参加が絶対必要です。
(16)に関して
医療者と患者遺族とのあいだで、患者が死に至る過程について納得や合意が十分になされ結果の受容がなされた場合においては委員会への届出を免ずることではいかがでしょうか。そのためには治療経過を絶えず患者家族に説明しまた患者家族の意向を医療者に伝えるといった院内医療メディェ-ターの存在が必要と思います。医療においては唯一絶対最上の医療が行われましたなどということはありえないわけですから、後から調査すれば何らかの反省点が出るのが当然であります。そこのところが後に遺族に伝われば却って無念の感情を掻き立てさせ、心の平安を乱す基にならないでしょうか。
(17)に関して
在宅医療では、一般にあまりに高度で危険を伴うような医療は行われていないことが多いとは思われますが、在宅医療に実際に携わってみると、「予期せぬ死亡」にはよく遭遇いたします。行った医療に起因して若しくはあえて行わなかった医療に起因して、予期していたよりはよほど早くに在宅で死亡された場合、それらを委員会に届けるのか、届けないのか、医師一人の診療所では個々に判断を求められても困惑するばかりです。それでは「在宅での看取りを」という流れに逆行することにならないか大変心配です。
(38)に関して
委員会に報告するに至らなかった事例を収集して、事故防止、医療安全への方策を探求する努力を続けることは肝要です。この際これら事例報告が、行政処分、刑事処分につながるような道筋を残すことがあってはなりません。匿名性が大事と思います。
(40)に関して
刑法との関連も生じますが、善意を持って患者側医療側合意の上で始められた医療においては、故意、悪意でない限りは刑事免責が考えられてしかるべきと思います。刑事罰止むなしとするのは(40)の(Dと、③の故意によるものに限定されないでしょうか。②のリピータ医師の問題は、再教育を旨とした行政処分と医療界内部の自律的統制で対応すべきものではないでしょうか。また③のうち「重大な過失」とは具体的にどのような場合を指すものかが依然として不明であり、「重大な過失」をもって捜査機関に通知ということでは、萎縮医療の防止にも医療事故の再発予防にも結局役に立つところが少なくなるのではないかと危倶します。
(42)に関して
先に(16)に関する意見で申し述べましたように医療現場から望まれる人材と思います。実際的には看護師のなかからしかるべき研修過程をへて養成することになるのでしょうか。
(48)に関して
個人の注意義務違反等とありますが、システムエラーと深く関わるものでもあり、労働時間、勤務体制、現場に必要な人員、機材等が十分確保されてのちに個人の要因を論ぜられるものと思われます。どのような場合に個人の注意義務違反が問題とされるのかは具体例を例示しながら議論されなければならないと考えます。人間は常に間違えるものであることを前提に、単純なひとつの人的エラーが重大な結果にすぐ結びつくことがないような体制整備こそ図っていくべきと考えます。
総じて医療の安全、広く言って医療の質を担保することは確かに重要な論点です。
第三次言式案では個人責任の追及のI=めの委員会ではないといいながら、どうもその主眼は、刑事手続きにもっていかれるような医療事故を限りなく少なくすること、に重点が置かれているように思えてなりません。しかも法務当局、警察当局と確実な意見の擦り合わせもないようで、その実効性にも現在のところ疑問が残ります。「重大な過失」があった場合に捜査機関に通知されるような道をのこしたままの委員会において本当に医学的真実に迫るような調査ができるのでしょうか。今試案において届出対象とされるような死亡例であっても、院内において医療者と患者家族との間で死亡に至る過程に関して十分な納得、合意、理解が得られた場合にはあえて調査委員会に届けることを要しないという対応があってしかるべきと考えます。一方で事故防止、医療安全向上の観点からは死亡例も含めてインシデント等の収集は幅広く行い、事故防止への絶えざる努力が求められることは勿論です。
死亡に至らない例でも重篤な後遺障害を生じ社会復帰がかなわぬようになる方も多くいらっしゃいます。無過失補償制度や裁判外紛争解決制度も医療事故からの患者救済制度として実際に機能すべく、医療安全調査委員会設立にむけた努力と同時平行して合わせて検討いただきたいものです。
医療はそれぞれの国によって社会背景や制度の違いなどからさまざまな適用局面があり、一様ではありません。しかしながらわが国はいわゆる先進国の中では医療従事者が人口比で少ないほうであることが知られています。またW HOによる、患者安全に資するための有害事象の報告活用システム-の提言も存在するようです。現場の医師の士気を高め、相互信頼のもと安全で質の高い医療の実践を可能とするような幅広い論議のなかで、「医療安全調査委員会」に関する検討が深まることを期待します。
≪勝手なまとめ≫
・医師が萎縮することがなく医療を行える環境の整備にしても、基本は医療者と患者となった国民とが、医療の場においてしっかりと向き合えるだけの時間的余裕、人的資源の配分が必要
・医療安全の向上を資するための委員会であるならば、医療行政に責任のある、そして行政処分を行う権限のある厚生労働省の外に置かれるのが絶対条件
・危機管理の専門家の参加が必要
・医療者と患者遺族とのあいだで、患者が死に至る過程について納得や合意が十分になされ結果の受容がなされた場合においては委員会への届出を免ずるべき
・在宅医療では「予期せぬ死亡」にはよく遭遇いたします。どうすべきでしょうか?
・事例報告が、行政処分、刑事処分につながるような道筋を残すことがあってはなりません
・故意、悪意でない限りは刑事免責が考えられてしかるべき
・重大な過失の定義が曖昧
・個人の注意義務違反等とありますが、システムエラーと深く関わるものでもあり、労働時間、勤務体制、現場に必要な人員、機材等が十分確保されてのちに個人の要因を論ぜられるものと思われます
・無過失補償制度や裁判外紛争解決制度も医療事故からの患者救済制度として実際に機能すべく、医療安全調査委員会設立にむけた努力と同時平行して合わせて検討を
【174】 50代 医療機関管理者 p342
良心を持って行った行為に対して刑事罰が下される社会はあってはならない。医療を行う医師こついては、少なくとも国による資格が認定されているものであり、良心をもって医療を行った際に、不幸にして死亡した症僻があったとしでもこれを刑事訴追してはならない.健全な社会が成り立たない。
消防士が火の恐怖と戦いながらも消火を行い、しかしながら消火の仕方がよくなかった結果として焼死者が出たといって、消防士が逮捕される社会は:どのようなものであろうか?消防士はいなくなるであろう。
今、医療を行うにあたり現場で求められている最も重要なことは、良心を持って行った医療行為こ対して.訴追のない環境が保障されていることである。現在、この保障がないため医療を提供する側も一般国民側も大きな不利益を受けている.医療機関が急病人や重症患者を受入れにくくなっている重要な要素であることは周知の事実である.
医療を行った結果、不幸にして死亡された症例に対して、死因の究明は、科学的に行われるべきことは首うまでもない。いわゆる医療閑適死は十分科学的に判断できる委員により検討されなければならない.
第三次鉄案における刑事訴追となる場合について、故意によるものは、そもそも事件であり、刑事辞退は妥当なものである.この辞案において、問題となる点は、りピーターである場合、重大な過失がある場合などのときに訴追の可能性を残していることである。リピーターについては再教育制度のもとに指示を受けるべきものと考える.時には医道委員会に重ねることも必要であろう.重大な過失の場合では、刑事訴追ではなく、科学的解析の上、再発予防の検討がなされるべきである.
良心を持って行った医療行為については、刑事訴追の可脂性を完全に除外されなければならない。刑事が入り込む余地はない。この点において、第三次辞薬に反対する.
≪勝手なまとめ≫
・良心を持って行った医療行為については、刑事訴追の可脂性を完全に除外されなければならない。
【175】 70歳 無職 p344(患者側の意見)
第3次試案は、第2次試案と比べると医療側に大幅譲歩した内容になっています。
これはすでに、遺族側としては、譲歩できる限界を超えているものと言えるのかも知れませ
ん。一方では、現状を放置できず、早急に法制化し、実施に移す必要があると考えると、大幅譲歩もやむを得ないのではとも思います。しかし、今後更なる譲歩を強いられるような状況が発生したならば、今回の法制化を見送り、現状をこのまま継続せざるを得ないのではと考えます。そのような状態になった場合は、医療者が選択した道であり、医療側の責任であることを認識していただく必要があります。
下記の意見を可能な限り考慮されることを切望します。
(22)について
「届出範囲に該当すると医療機関の管理者が判断したにもかかわらず故意に届出を怠った場合又は虚偽の届出を行った場合」についても、「体制を整備すること等を命令する行政処分を科す」ことで済ますのはあまりにも医療機関に甘過ぎると考える。
これは体制の整備の問題ではなく「故意」や「虚偽」に基づく行為に対して厚生労働省における罪の認識が薄いことの現われでないか。『故意』に届出をしないとか『虚偽』の報告については、もっと厳しく当たってもらいたい。
(23)について
下記の追加が是非とも必要。
遺族の依頼により、地方委員会による調査が実施され、明らかに届けるべきであった(ここは具体的範囲の設定が必要)にも拘わらず届出はしていない場合には何らかのペナルティーを科す必要がある。
私が体験したように、院内調査委員会が作成した嘘の報告書や、司法の場における資料の隠蔽、上申書の提出など多くの信じ難い対応をとる大学病院があることを認識してもらいたい。
(32)~(36)について
「院内調査委員会と地方委員会との連携」
過度とも思える連携は慎まなければならない。地方委員会の独立性を確保するためにも重要である。連携の在り方次第では、「院内調査委員会」と「地方委員会」が『なれ合い調査』に発展してしまう可能性がある。
(34)について
「院内において調査・整理された事例の概要や臨床経過一覧表等の事実関係記録については、地方委員会が診療録等との整合性を検証」としているが、地方委員会の調査チームが自ら調査・作成した概要や臨床経過一覧表等を審議材料とすべきで、当該医療機関が後日作成した資料は審議材料とすべきではない。
検証をすれば良いというものではない。経過表は臨床経過を評価する上で極めて重要な資料であり、事実の経過のみを淡々と整理することが肝要である。不明箇所は不明として残しておくことも重要である。経過表が些かとも一つのストーリーを前提にして作成されないよう、特に注意が必要だ。改富や隠蔽も、そのような作業を経て発見可能となる。
(46)~(48)について
「医療事故は、システムエラーにより発生することが多いと指摘されている・・・」
当該医療機関のシステムの運営管理に重大な責任があった場合には、しかるべき責任者がその責任を負うとういことにならなければ、緊張感も生まれないし、システムエラーに起因する事故も減らない。
企業において、管理システムの運営管理に重大な責任があった場合、その運営管理者の責任が問われるのは極あたりまえの話である。事故が起きても、医師や看護師個人の責任に帰するケースが殆どであり、運営管理者の責任が問われたことは殆どない。これでは問題の本質的解決につながらない。
≪勝手なまとめ≫
・医療側意見に傾きすぎ。早急に法案化すべき。
・届出はもっと厳しくすべき
・「院内調査委員会」と「地方委員会」が『なれ合い調査』に発展してしまう可能性がある
・当該医療機関が後日作成した資料は審議材料とすべきではない。
・システムの運営管理に重大な責任があった場合には、しかるべき責任者がその責任を負うとういことにならなければ、緊張感も生まれないし、システムエラーに起因する事故も減らない。
(そうすると、厚労省による医療費削減による人件費削減による現場での人手不足が問題の場合が一番多いのですが。。。。)
【176】 40代 医師 p347
先日、第三次試案が発表されました。しかし、よく読むと核心部分は以前と変わっていませ
ん。この試案は医療安全対策を真剣にやってきた人たちの心を砕いてしまっています。決定的に問題なのは、この委員会に医療安全の専門家(医療安全対策を理解している人)が一人もいないことです。医療安全の専門家がWHOのガイドラインを知らないわけがありませんし、医療安全が目的なら何故WHOのガイドラインを元にしないのかが分かりません。厚労省側は、委員が医療安全の素人であるため意図的にWHOのガイドラインを隠していると考えられます(知っているとは思いますが、このガイドラインの要点を後に記載します)。医療安全を本気でうたうなら、少なくともWHOのガイドラインを尊守しなければなりません。また同様に諸外国の医療安全対策についての検討も一切行われていません。何故ここまで諸外国の医療安全対策の世界のスタンダードを無視しているのかが理解できません。
しかし、ここまで世界のスタンダードな医療安全対策を無視していると言うことは、最初から目的が違うからです。すなわち、座長に刑法学者を持ってきていること、(表現はマイルドにしてありますが)現在の案の内容を考えれば、医療者の刑事責任を如何に決めるかが最初から主題になっていることは明らかです。医療者に罰を与えれば医療事故が減ると考えるのは、医療安全の流から見れば、あまりに時代遅れで、前近代的です。
また、「医療事故調査委員会」から「医療安全委員会」という名前に変えたのは、厚労省のセンスの悪い言葉の遊びにすぎません。本気でこのような案の制度を作るのだったら正直に堂々と「医療事故処罰委員会」という名前にして、世に問うべきです。名前を変えるのは、本質を隠して名前でごまかそうとする厚労省の悪い癖です。名前を変えてごまかそうとする最近の例としては、「ホワイトカラーエグゼブション」-「家族だんらん法」、「後期高齢者医療制度」-「長寿医療制度」が上げられます。
ちなみに米国の医療安全を推進しているJCAHO(米国医療施設合同認定機構¥)の書籍「患者安全のシステムを創る」にも、『「誰のせいで事故が起きたか」という問いは、事故の原因究明に役立たない。有害事象の予防に重要なのは、処罰ではなく、事故から学ぶことを長期にわたって有効な改善策を探ることなのである。これを実行していくのは容易ではない。医療界は長年にわたり責任を追及する体質がしみこんでいるからである。』と書かれています。こちらも医療安全の専門家なら皆知っている内容です。
以上のように厚労省と委員会は、WHOや米国JCAHOが練り上げてきた医療安全対策の根幹を一切無視しています。あまりに稚拙なこの試案は、時間をかけて多くの医療安全の専門家の意見を入れて練り直す必要があります。この試案がほぼこの形で出た場合には、医療事故は減らず、訴訟や行政・刑事処罰は増え、医療そのものが壊滅します。このような事態になった場合、責任は厚労省にあると考えます。
要望
1, 委員会に医療安全対策の専門家や安全対策において科学的な思考のできる方を複数人、加えて欲しい。少なくとも座長は刑法学者ではなく、医療安全の専門家にして欲しい。
2. 海外の医療安全のスタンダードについて十分に検討し、日本の制度にも取り入れて欲しい。委員会では、医療安全対策の世界のスタンダードすら議論された形跡すらない。
3, 「重大な過失」という範晴を明確にして欲しいo擾味にすれば、後から委員会や厚労省、警察・検察などにより窓意的(=操作できることになる。日本医師会の理解している「重大な過失」と座長が考えている「重大な過失」は別のものです。委員会の医師はそれに気づいていません
4, 医師法第21条と刑法の同時の改正が必要です。このふたつの法律を変えなければ、この試案は存在価値はありません。厚労省が公にしている警察、検察との約束は存在せず、問題があれば警察、検察は独自に捜査することを国会で警察の方が証言している事実があります。
5、医療安全対策のシステムと処罰のシステムは、両立しません。きちっとどちらかに分けるべきです。
6. 医療現場の意見やパブリックコメントが無視されないことを切望します。
(以下WHOの勧告。省略)
≪勝手なまとめ≫
・何故ここまで諸外国の医療安全対策の世界のスタンダードを無視しているのかが理解できない
・医療者に罰を与えれば医療事故が減ると考えるのは、医療安全の流から見れば、あまりに時代遅れで、前近代的
・この試案がほぼこの形で出た場合には、医療事故は減らず、訴訟や行政・刑事処罰は増え、医療そのものが壊滅します。このような事態になった場合、責任は厚労省にあると考えます。
1, 委員会に医療安全対策の専門家や安全対策において科学的な思考のできる方を複数人、加えて欲しい。少なくとも座長は刑法学者ではなく、医療安全の専門家にして欲しい。
2. 海外の医療安全のスタンダードについて十分に検討し、日本の制度にも取り入れて欲しい。委員会では、医療安全対策の世界のスタンダードすら議論された形跡すらない。
3, 「重大な過失」という範晴を明確にして欲しいo擾味にすれば、後から委員会や厚労省、警察・検察などにより窓意的(=操作できることになる。日本医師会の理解している「重大な過失」と座長が考えている「重大な過失」は別のものです。委員会の医師はそれに気づいていません
4, 医師法第21条と刑法の同時の改正が必要です。このふたつの法律を変えなければ、この試案は存在価値はありません。厚労省が公にしている警察、検察との約束は存在せず、問題があれば警察、検察は独自に捜査することを国会で警察の方が証言している事実があります。
5、医療安全対策のシステムと処罰のシステムは、両立しません。きちっとどちらかに分けるべきです。
6. 医療現場の意見やパブリックコメントが無視されないことを切望します。
【177】 50代 自営業 p350 患者側意見
公平で中立的な第三者機関の早期設立を願います。
医療者、被害者患者側双方の相まみえない主張を、繰り返すことで、謬着すべきではありません。そもそも、双方に必要だということから、取り組みが始まったのではないでしょうか。その原点の精神をより重要視し、兎角の問題点も含め、一切合財を詰め込んで、進発されてはいかがでしょうか。評価は、後からついてくるものです.少なくとも、医療者の行為を医療者という専門家に委ねるわけで、そこに医療者以外のスタッフが加入するとしても、患者あるいは被害者からみて、引き分け以下でしかありえないと考えても無理からぬものを、医療者側がそれ以上何に、不足を唱えるのか、少数派の不満ではないのですか?当たり前のことを粛々と当たり前にしておれば、恐れるものなどありません。私は、医療被害者の家族として、満たされないものを感じないわけではありませんが、それを言うのも実際に機能し始めてこそ、修正を加えるべきで、それが国民の医療の安全に対する、審査の目ではないでしょうか。
以上の精神から、『公平で中立的な第三者機関を作ること』を目的とする、第3次試案に対して大いに賛成の意を表します。
現場の医師ならびに病院が、きちっと患者や遺族にむきあうことからスタート
一言付け加えさせていただけることを、許されるならば、調査対象になる、ならないにかかわらず、(もしも発足後、対象外の患者や遺族のほうが、圧倒的多数になり、医療被害者とすら呼ばれないと感じては、その多くが係争に走りやすくなることは、明らかでしょう。)、医療事故と思しきとき、または、納得のいかない患者側を単なるクレーマーとして扱わず、総ての医事紛争に対し、まず『現場の医師ならびに病院が,きちっと患者や遺族に向き合うこと』が一番大切なことだと思います。多くの医事紛争がその欠落から始まっています。医事紛争をなくし、被害者の心を癒し、多くのの声なき声の苦悩する医療従事者をも救うために、本旨をまっとうするには、本件と両輪に位置づけ、行政指導の徹底(例えば、規模別にはなりましょうが、一定以上の規模を持つ病院に、医療メディエーターなどの設置皇義務付ける等)あるいは、法整備も今後の課題とし平行して、ご議論されますようつよく希望いたします。
≪勝手なまとめ≫
・なんでもかんでもつめこんででも、法制化すべき
・医療者にもっと向き合ってほしい。
【178】 50代 医師 p352
■医療死亡事故の届出義務化について
1.届出範囲を限定するとあるが、法令上の条文を個別ケースに適用するか否かは、法的判断をする者が個別に「判断する」ことであり、限定することを約束したことにはならない。委員会の結論が警察、検察に対して拘束力を持たない以上、その結論を尊重するといっても、具体的事件においては無視される可能性がある。
2.届出を行うかどうかの範囲は、例にあるような明らかなものだけではない。実際には届出を行うかどうかのグレーゾーンがかなり混じるようになろう。医療機関長は処分を恐れて、拡大解釈をし、多くのケースが届出になることが予測される。内科学会が中心となった検討会の例をみても、1つの症例の検討にはかなりのマンパワーが必要になる。この制度を仮に運用した場合、増加していく検討症例を十分検討できるだけの「標準的な見解を述べることができる」マンパワーが得られるのかも疑問である。
3.「制度化」は「義務化」を意味することは、西島英利議員の発言からも明らかである。
4.透明性の向上とは何か。医療者が患者・家族に十分説明し、当事者間で話し合うことではないか。第三者が介入する前に、当事者間の対話を促進するため、院内医療メディエーターを置くといった措置が必要である。当事者間で十分対話を行い、それでも患者・家族の納得が得られない場合に、第三者の介入が必要となる。
(参考)
・井上清成弁護士「4つの原因究明」一一死因究明制度・厚労省第二次試案の法的「目
的」は?- MRlCメルマガhttp://mric.tanaka.md/2007/12/25/voE66,htrnl
・元東京地検特捜部長河上和雄弁護士医療事故調に対する見解 MRICメルマガ
http://mric.tanaka.md/2008/03/26/_vol_33.html
・現場からの医療改革推進協議会医師法21条の歴史と矛盾
http://expres.umin.jp/genba/kaisetsu01.html
・西島英利議員インタビュー〝医療事故調〝の自民党案と厚労省案は別
ソネット・エムスリー聞き手・橋本佳子
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/071219_2.html
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/071219_3.html
≪勝手なまとめ≫
・届出規定が曖昧 病院長がとどけまくる危険性がある
・制度化=義務化
・萎縮医療はますます進行する
・まずは当事者間の十分な話し合いが必要
あすは 【179】 p353から!
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