(関連目次)→医療事故安全調査委員会 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
第四次試案か、廃案か
―2008年重大ニュース(9)―
「医療安全調の創設」
キャリアブレイン 2008年12月31日
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/19828.html
「かえって迷惑である」―。医療者の責任追及を目的とした制度であるとの批判をかわせないまま、厚生労働省が今年10月に再開した検討会で、医療現場からの不満が爆発した。医療事故の原因を公平・中立な立場で調査する機関を創設する必要性がある点では一致しながらも、自民党と厚労省、日本医師会などが中心となって昨年から検討を進めてきた「医療安全調査委員会」(仮称)の創設は、医療現場からの相次ぐ批判や不安定な政局の影響などで、暗礁に乗り上げた格好になっている。「次は第四次試案か、廃案か」と揶揄(やゆ)する声もある中、決着は衆院解散・総選挙後の政治的な決定に委ねられている。
■岐路に立たされた「厚労省案」
厚労省は今年4月、約1年にわたる検討会での議論を経て、医療事故の原因究明と再発防止を専門的に行う医療安全調の設置に関する「第三次試案」を公表した。
さらに6月、試案の中で法律の整備が必要な部分について示した「医療安全調査委員会設置法案大綱案」を発表し、法制化の一歩手前までこぎつけたが、9月の福田康夫首相(当時)の突然の辞任などで、国会への法案提出を見送った。
8月の福島県立大野病院事件の無罪判決も、大きな影響を与えた。
福島地裁は、「結果予見可能性」「結果回避可能性」を認めながらも、「結果回避義務」を否定した。「基準行為からの逸脱」を過失犯の成立要件(違法性の実質)とする「新過失論」の立場から、過失の処罰範囲を限定的にとらえる解釈をした。
また、昨年の検討会で議論が紛糾した「異状」(医師法21条)について、福島地裁は、「診療中の患者が、診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は、そもそも同条にいう異状の要件を欠く」としている。この解釈は、診療行為に関連した死亡を「異状死」に含める最高裁や厚労省、日本法医学会などの解釈とは異なるように見える。
「医療事故の解決は刑事手続きになじまない」「大野病院事件で何が解決したのか」―。医療事故の調査報告書を刑事手続きに利用できる「厚労省案」に対する批判は、医療現場から消えなかった。訴訟リスクのある患者を避ける「委縮医療」の恐れも消えない。
これに対し、6月に公表された「民主党案」は、院内での調査委員会や医療メディエーター(対話促進者)の活用など、訴訟に進む前段階で対話による解決を図る仕組みであるため、「民主党案」を支持する声が医療現場から多い。
厚労省と自民党が強引に法案を国会に提出しても、参議院で否決される可能性が高いため、「次は第四次試案か、廃案か」と揶揄する声もあり、「厚労省案」は岐路に立たされている。
■7か月ぶりの再開、溝は埋まらず
「制度の仕組みが医療者個人の責任追及に結び付く」との医療界からの批判をかわせないまま、厚労省は10月9日、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」(座長=前田雅英・首都大学東京大学院教授)を再開。3月の開催から7か月ぶりとなった第14回会合で、ヒアリングを実施することを決めた。
ヒアリングのスケジュールを尋ねた前田座長に、医政局の佐原康之医療安全推進室長は「ヒアリングの人選、先方のご予定などもあるので、開催の日時については追って連絡を申し上げたい」と答えたが、実はヒアリングの対象者と日程は既に調整済みだった。
このような厚労省の進め方に対して、「医政局はまだ懲りないのか」との声もある。医療安全調の創設に対しては、フリーマガジンの「ロハス・メディカル」(川口恭・発行人)のブログで検討会の議論が即日公開されるなど、オンラインメディアが大きな影響を与えたことを指摘する声もある。厚労省の最大の失敗は、御用学者や利益団体に根回しをしながら進める政策形成の手法がもはや通用しないことに気付いていないことだろう。
10月9日の第14回会合では、厚労省が732件のパブリックコメントをまとめた23項目の「Q&A」を示した上で、「厚労省案」と大野病院事件判決との関連や、刑事責任を問われる「重大な過失」の意味などについて議論した。
大野病院事件で福島地裁は、「結果予見可能性」「結果回避可能性」を認めながらも、「結果回避義務」を否定。執刀医に課された義務は、一部の医学書に書かれている「医学的準則」ではなく、「ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じていると言える程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない」とした。そのように解さないと、臨床現場で行われている医療措置と、一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)がある場合、臨床現場の医師が「容易かつ迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになるし、刑罰が科せられる基準が不明瞭となって、明確性の原則が損なわれる」と判示している。しかし、刑法学者として著名な前田座長は、「大野病院事件判決の言い回しというのは、あの判決が独り歩きすると…、法律家の間では重視されない。それは、一審判決の地裁の判断でしかない。法律の世界ではそこは非常に厳しくて、最高裁のもの以外は原則として判例とは言わない」と述べた。
10月31日の第15回会合では、医療安全調の設置に異論を唱える日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会、日本救急医学会の3学会から意見を聞いた。日本麻酔科学会は、「異状死」の届け出(医師法21条)の範囲の明確化など個別の問題点を指摘。日本産科婦人科学会は、正当な業務の遂行として行った医療行為への「業務上過失致死傷罪の適応」に反対した。
日本救急医学会を代表して意見を述べた堤晴彦理事は「死因究明と責任追及を分離すべき」と主張。前田座長に対し、「刑法学者なのだから、医療事故の刑事責任はどうなのか、自分の本職できっちりやることが座長の仕事。もし、この検討会、(医療)事故調が、将来に向けた医療安全をやるのだったら、座長を降りて医療側が座長に座るべき。(前田)先生が座長を受けられたというところに、わたしは最初から疑問を感じている。遠慮せずに座長が思うように(刑事責任の追及などについて)やればいい。毎回そうやって『溝が縮まった、縮まった』とやるから、みんな駄目になっている」とかみついた。
■医療現場は「民主党案」を支持
11月10日の第16回会合では、全日本病院協会、全国医学部長病院長会議、医療過誤原告の会からヒアリング。全日本病院協会の徳田禎久常任理事は、「医療安全調査委員会という名前を付けるなら、医療安全について議論すべき」と指摘した上で、「(医療)事故調の真の目的が原因究明と再発防止ならば、新しい組織の設立は無用であり、現存する日本医療機能評価機構の『医療事故情報収集等事業』の組織強化で十分に行える」と主張した。
さらに、「法的な責任の追及が目的ならば、(検討会の名称を)『医療事故死処罰委員会』と変更してはどうか」と皮肉った上で、「医療安全という観点でやってもらいたい」と要望するなど、医療現場との溝は依然として埋まらなかった。
全国医学部長病院長会議の「大学病院の医療事故対策に関する委員会」で委員長を務める山形大の嘉山孝正医学部長は、「ハイリスクの医療を担う大学病院は、日本の医療レベルを支えている。医療事故の調査も、かなり厳密にやっている」と強調した上で、「(医療安全調の設置に関する)法案ができたら、かえって迷惑である」と強い口調で述べた。
また、医療事故に対する大学病院の取り組みを紹介し、「大学病院を中心に行えば、あすからでも動く」と主張した。嘉山氏はさらに、「厚労省案」と「民主党案」のどちらを支持するかについて、インターネットで医療関連の情報を提供するソネット・エムスリー社の「m3.com」(橋本佳子編集長)が、同サイトの会員を対象に実施した「1万人アンケート」の結果を提示。「民主党案」の支持(41.5%)が「厚労省案」支持(14.3%)を大きく上回ったことを挙げ、「民主主義国家ならば、民主党案についても議論すべきでないか」と迫った。
これに対し、「医療過誤原告の会」の宮脇正和会長は、医療事故の被害者の多くが「泣き寝入りしている」と強調し、「医療事故を闇に葬らないでほしい」と訴えた。宮脇氏は、鑑定人を務めた医師が同僚から非難されたり、一部の医師がインターネットで患者遺族に対し「口汚い中傷」をしたりして、「心を痛めている」と述べた上で、「過ちから学ぶことの制度化」を求めた。
宮脇氏はまた、10月に日弁連が発表した院内調査委員会についてのアンケート調査を紹介。「全部で1900件の委員会が設置されていたが、大学病院の関係者で委員会を設置したのが6割で、4割は患者からの聞き取り調査もしていない。このような状況で納得しろと言われても、納得できない」と反論した。
■課題山積でも、勢いづく医政局
12月1日の第17回会合では、「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の関係者3人から意見を聞いた。松本博志・札幌医科大法医学教授は、モデル事業を実施してよかった点として、「遺族から『本当にありがとうございました』という言葉を頂いた」ことを挙げ、奥村明之進・阪大大学院医学系研究科呼吸器外科教授も、「遺族が感謝してくれることが多い」と述べ、医療安全調の設置に向けた期待感を示した。
一方、現在のモデル事業から医療安全調に移行する上での課題も浮き彫りになった。松本氏は、解剖の際に臨床の立会医を確保する上で多大な苦労を伴うなど、マンパワー不足を指摘。「本業を別に持っている中でやっていくため、解剖が夕方、翌日になり、遺族の思いに時間的なところで応えられない」と明かした。
今後、モデル事業を全国に拡大する上での課題について、奥村氏は「調査委員会に参加する委員の人材確保と質の確保が必要。現状で何とかするのなら、できるだけ事務作業を軽減してほしい」と述べた。田浦和歌子・東京地域事務局調整看護師も、委員の日程を調整する難しさなど、最終的な調査報告書をまとめるまでの苦労を切実に語った。
この日の会合では、モデル事業の中央事務局長を務める山口徹・虎の門病院院長が、厚労省の「第三次試案」を前提とした場合の課題を示した。山口氏は、モデル事業の実施によって見えてきた課題として、
▽低い解剖率 ▽対象となる事例の範囲
▽受け付け体制 ▽遺族からの調査依頼
▽評価を行う医療従事者の確保
▽評価に要する時間 ▽再発防止への提言
の7項目を挙げた。
「第三次試案」に反対する病院団体や関係学会がもろ手を挙げて賛成したとしても、課題はなおも山積している。医療事故の原因究明を再発防止につなげ、医療者と患者遺族らが納得できる仕組みを創設するまでの道のりは遠い。
医療事故の経験を再発防止(医療安全)につなげるためには、事故に至る前のケースも含めた広範囲にわたる事例を検証する必要がある。そのためには、医療関係者がありのままの事実を包み隠さず調査委員会に報告する必要がある。しかし、この報告によって刑事責任を追及される恐れがあるとすれば、「自己に不利益な供述を拒否する権利」(黙秘権)を基本的人権として保障した憲法38条1項に違反するとの指摘もある。
また、医療安全は、各省庁にまたがる問題であるとの指摘もある。自治体病院や救急医療の分野に関連する場合には総務省、医学部の定員や卒前教育などの問題は文部科学省、医療政策にかかわる問題は厚労省など、“縦割り行政”の中で日本の医療は提供されている。
厚労省の「第三次試案」は、死因究明の目的として医療者個人の責任追及ではなく「再発防止」を強調し、医療機関の管理体制の不備などによって起きる「システムエラー」の改善を重視している。しかし、医療事故の原因となる「システムエラー」の概念をより広げて考えるならば、医療政策に深くかかわる厚労省の責任を問えるような仕組みも必要ではないか。
国立循環器病センター(大阪府吹田市)で昨年春に補助人工心臓を埋め込む手術を受けた男性(当時18歳)が呼吸停止に陥った末に死亡した問題で、「厚労省は12月18日、第三者による事故調査委員会を省内に設ける方針を明らかにした」との報道もある。医療安全調の設置に向けて医政局が再び勢いづいているように見えるが、果たしてどうか。今度は上手に進められるだろうか。
【関連記事】
事故調検討会再開「信じられない」―小松秀樹氏 (2008/10/07)
死因究明で議論錯綜―日本医学会(上) (2008/07/30)
対象範囲で厚労相と異論―死因究明制度の法案大綱公表 (2008/06/13)
医師法21条を「削除」―民主議員案 (2008/06/12)
医療再建の超党派議連がシンポジウム (2008/04/14)
最近のコメント