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(投稿:by 僻地の産科医)
中央公論2009年1月号からですo(^-^)o ..。*♡
もう次の号出ちゃったみたいですけれど、
せっかくなのでお届けします!
日本医師会常任理事からの提言
小松秀樹医師よ、ともに戦おう
日本医師会常任理事
今村 聡
(中央公論 2009年1月号 p186-193)
知の巨人でさえ……
二〇〇八年三月九日、日本医師会館大講堂で開催された、日本医師会主催の医療政策シンポジウム「脱『格差社会』と医療のあり方」において、演者として壇上に立った「知の巨人」立花隆氏は、自分のがん闘病に関する話のあとに、徐に日本医師会に対するイメージについて語り始めた。
「この医師会の講演を頼まれたのは、去年の暮れですが、実は私は元々日本医師会にはそんなによいイメージを持っていなかったので、しぶっていたのです。……その後も日本医師会の政治的ポジションというか振る舞い方を外から見ていまして、相当疑問を感じた面がいろいろあったわけです。……ただ無下には断りたくないということがありましたので、『じゃあとりあえず資料を送ってください』というようなことを言いましたら、どさっと資料が来ました。……それらの資料を見ているうちに、これまでの日本医師会というのはこういう組織かというような、傲岸不遜に無理を通して道理を引っ込ませるようなイメージとは、全然違う内容のことをこのところずっとやってきているということを知ったわけです。特に最近です。それを読みまして『えっ、日本医師会ってこんなふうになっちゃったのか』と。それで非常にびっくりしまして、『それだったらやってもいいよ』というような返事をしたのです」。
立花氏の発言を引用したのは、日本を代表する知識人でさえ、“予想どおり”日本医師会(以下日医と略す)に対してネガティブなイメージを待っていたこと。ただし、判断する材料さえあれば、正当な評価が可能となることを述べたかったからである。本誌二〇〇八年九月号に、虎の門病院の小松秀樹医師(以下小松氏)の「(日本の)医療問題に対応できる新医師組織を」と題された論文が掲載された。公益法人制度改革と結び付けた日医に対する論評である。
拝読し、論評された組織の当事者の一員として、傾聴に値する部分はあるものの、誤解にもとづく部分も多く、少なくとも自分が知りうる範囲の誤解は訂正しておく必要があると考えた。小松氏が、文中で医師会会員でなく、日医と接触することは少なかった(筆者が知る限りここ数年は全くないと認識している)と書かれているように、自ら進んで現在の日医の活動に関与しようとしたり、日医執行部と意見交換を行ったことはなく、身の回りにいた方たちからの間接的、伝聞的な情報から論評されている部分が多いように思われる。本誌の読者には、正確な情報を持ったうえで判断願いたいという希望は、先の立花氏の例によっても理解いただけると思う。
診療報酬をゆがめているのか
さて、日医が開業医の利益を中心に活動している団体という認識については、国民にもそのように理解している人々が多いのは事実であろう。しかし、実際内部にいると、活動内容は抱かれているイメージとは大きく異なっている。日医の活動というと、小松氏も触れておられるように中央社会保険医療協議会(中医協)における診療報酬改定作業が常に取り上げられる。中医協も以前と異なり権限が縮小し、指摘のとおり限られた財源をどのように分配するかという作業が中心となってしまったが、それでも中医協は、公益委員、支払い側委員、医療側委員の三者構成で議論され合意を形成する場であり、医師会の意見がそのまま通るようなことは全くないのが現状である。今次の改定(二〇〇八年)では、医師を代表する委員五名のうち開業医は一名のみであった(日医からは三名参加し、そのうち一名が開業医)。また今回の改定作業でも勤務医の勤務環境改善が喫緊の課題ということで、わずかな診療報酬のアップ(医科〇・四二%のアップ)をすべて病院にまわすことを主張し、診療所の耳鼻科、眼科、皮膚科等の処置点数を基本診療料に包括、後発医薬品の使用促進などにも同意した。社会保障費二二〇〇億円削減が決定していたなかで、医療費のアップを強力に要望し、微増ではあったが八年ぶりに診療報酬本体がプラスになったのは、日医の活動も大きく貢献していると自負している。
指摘のように、そもそも医療費の総額が少ないことが最大の問題である。外来診寮費の割合が高いのは、日本の病院の医療提供体制が欧米に比し外米診療にも重点がおかれていることも要因の一端であり、開業医の外米診療費が多いことが原因ではないように思われる。この問題は、医療機関の機能分化や連携といった医療提供体制の問題として今後も論じられなければならない。
医療機関の経営といっても、病院と診療所を同一に論じることはできない。さまざまな収入源を持つ病院(決して適正ではなく、低すぎると認識している)と、外来診療がその収入のほとんどである診療所を、同一病名で比較することには無理がある。また同じ病名でも疾病を中心に見ている病院医師と疾病を有する患者を全人的に見ている開業医とでは、診療の中身も異なってきて当然である。再診料等、病院と診療所の差異のあるものについては、その意義付けも含め、今後も中医協で継続して議論していくことになっている。
日本医師会の歴史
読者にはなじみが薄いと思われるので、医師会を簡単に紹介したい。日医は大正五年に北里柴三郎を初代会長に大日本医師会として創立され、その後、日本医師会を経て戦後新生の日本医師会(現在の日医)として継続している。会員は現在一六万五〇〇〇人、開業医と勤務医がほぼ半数ずつの任意加入の団体であり、民法三四条による社団法人として活動している。四七都道府県には、それぞれ独立して社団法人の医師会があり、さらに各都道府県には郡、市、区、大学等医師会があり、その大部分が社団法人として許可されている。
日医の役員は、一四名の常任役員と一六名の理事・監事で構成される。通常の会務は、常任役員である会長、三名の副会長、一〇名の常任理事により執行されている。また事務局は、一般事務局および日本医師会総合政策研究機構の研究員を含め総勢二〇〇名弱である。予算・決算は、以前よりすべて公開しており、常任理事会(週一回開催)、理事会(常任役員と理事、監事により月一回開催)、代議員会(年二回開催)の議事録もすべて公開し、勤務医も含めた一六万五〇〇〇人すべての会員に配付される『日本医師会雑誌』上に掲載している。この議事録は、要約ではなく発言者の一言一句が記載されているものである。「医師会では、中枢への批判は事実上封じられている」との小松氏の記述についても、代議員会の議事録を一読されれば、代議員から執行部に対する厳しい批判、要望が出されていることが分かり、ご理解いただけると思う。
さて一四名の常任役員は、診療所を開設するものが七名、勤務医ではないが病院の開設者が七名であり、開業医の割合はちょうど半分である。理事の一人は、県医師会の会長でもあるが公的病院の院長でもある。小松氏の記述に、県医師会の勤務医部会に県医師会長が出席することに関して、第三者の言葉として「監視」のため、との表現もある。県医師会会長の名誉のためにあえて反論させていただくが、多忙な医師会長か出席するのは、その部会が重要だと認識しているからであり、監視する目的でなどありえない。昨今、多数の県医師会から日医の勤務医対策が十分でないとおしかりを受け、また勤務医の過重労働の実態把握のための調査を独自に実施している県医師会が多数あることを知っていただきたい。
開業医の日医役員は、すべてが勤務医としての経験を有している。ちなみに筆者も民間の研修病院二年、県立の小児病院四年、国立大学に10年在籍し、その間に専門医・学位を取得し、大学講座の中間管理職を経て開業をした者である。もちろん、筆者が勤務していたころの勤務医と現在の勤務医の環境に大きな変化があることは事実である。しかし、少なくとも開業医は病院の医療と地域の医療の両者を経験していることは間違いがない。
ちなみに、最近、家庭の事情で開業した懇意の自治体病院医師がしみじみと、「開業医も思っていたよりずっと大変でした」と述べていたのが印象的である。
よく、医師は勤務医対開業医という構図で論じられることが多いが、少なくとも開業医の多くはキャリアパスの一環として勤務医経験を待つ。医療関係者ではない方々が、このような構図で論じられることに開しては、実態を知らないからだと理解できるが、同じ医師から開業医蔑視のような議論をされるのは大変残念である。開業医は、学問的実績が低いため、医師会活動によって名誉を得ようと長年努力してきた云々の記述もあったが、この認識は甚だしい偏見だと思われる。たとえば年齢に関しても一般社会から見ればまだまだ高いとも思われるが、常任理事は、五十七歳が三名、五十八歳が一名、六十歳が三名、六十六歳一名、六十八歳二名であり、小松氏と同年代も多い。またその経歴も医学部教授一名、臨床教授(学会事務局長)一名、アメリカの研究所の研究員二名、医学部講師二名、国立大学助手二名(おのおの重複しない)、また公的病院や中核病院の医長等の役職で臨床研究に従事してきた者が多い。
日本医師連盟との関係
まずはっきりさせておかなければならないのは、日医の医師会活動と、政治活動を行う日本医師連盟の活動は経理面、事業面を含めて明確に峻別されているということである。指摘のとおり医師会の役員と医師連盟の役員が多数重複しているのは事実である。小松氏の記述にもあったように、今回の公益法人制度改革において、公益社団法人の役員の三分の一超を他の特定の団体役員が兼ねてはいけないことになっている。したがって日医が公益社団法人を申請する際には、当然、医師連盟との兼務を三分の一以下にすることになるが、この問題はそれ以上でもそれ以下でもない。ちなみに、私は日医の経理担当役員であるが、医師連盟の会計には全くタッチしていない。小松氏の記述では、医師会活動と医師の政治活動を混同して書かれているように思われる。日本は法治国家であり、医療にかかわらず、さまざまな政策を実現していくためには、法律を策定している政権与党議員などに対し、医療政策を提言し、それを理解し実現に尽力してくれる議員を支持することは、当然のことと考える。昨今、日医の力が弱くなったとの指摘を受ける。これは、医師会に限らず、多くの政治力を持っていた団体がその力を以前ほど発揮できないでいるのと同様だろう。勤務医が多忙過ぎて医師会活動に参加できないだけではなく、残念ながら多数の開業医も医師会活動に熱心なわけではない。
さて日医の活動が、公益社団法人にふさわしいかどうかを判断していただくためにも、活動内容について述べてみたい。小松氏は、長年の日医の活動について「日本の国民皆保険制度の維持発展に寄与するなど、国民の健康を守るうえで多大な貢献をしてきた」と評価もしていただいている。決して自分たちの診療報酬確保のために多くの力を割いているわけではない。紙幅の関係でとてもすべて紹介することはできないので、詳細については、ぜひ、日医のホームページ(http://www.med.or.jp/)あるいは日本医師会総合政策研究機構のホームページ(http://www.jmari.med.or.jp/)をごらんいただきたい。
ちなみに私が日医の役員になって以来二年半の間に、日医の活動で面会した多数のメディア、経済界、学者の方たちから一様に、日医の広範な事業について、「こんな仕事までしているのですか」と驚かれている。それぞれの担当役員は、会内の地域医療の推進、医師の生涯教育、保健医療の充実等に関わる五〇を超える委員会を担当している。また、外部では厚生労働省、内閣府、環境省、総務省等の行政の会議、その他、学術団体や各病院団体の会議にも委員として出席している。具体的事業の一部としては、医師のための治験推進事業(ちなみに新型インフルエンザのワクチンは、この事業で実施されている)、女性医師バンク事業(医師会会員がコーディネーターとなり、女性医師の就労斡旋を無料で行っており、一年半で100名以上の成約実績を持つ)、医師賠償責任保険(民間の損害保険会社のものと異なり、それぞれの分野の専門医師が委員会を設け、医師の専門性から医療事故の責任について審査している)などがある。
また、私ごとで恐縮だが、自分の分掌の一部で「医師会がそんなことを?」と読者が思うような業務を紹介する。地球温暖化対策として、医療機関のC02排出削減のための自主行動計画の策定。院内・外での死体検案の画像病理診断(Autopsy・imaging 略してAi)システムの構築。勤務医の健康を支援するためのプロジェクト。在宅医療廃棄物排出のガイドライン策定。勤務医や病院のためのさまざまな税制要望等々である。
おそらく多くの勤務医会員は、これらを知らないと思う。情報の伝達は本当に難しく、情報の出し手の意思どおりには伝わらない。これは勤務医ばかりに言えることではなく、地区医師会の開業医会員も、同様に日医の活動をよく理解しているわけではない。さらに、勤務医に関しては、小松氏の記述にもあるように、“医師会は開業医のための団体だから”という誤った認識のもとで、日医の活動に興味もなく情報にアクセスしようとしないということもあると思う。また勤務医が、非常に激務ということもあるだろう。しかし小松氏のように勤務医であっても、医療政策問題を世の中に訴えるために、講演会や執筆活動を行っておられる方もいる。医師会は何もしてくれないという発言をよく聞くが、医師会が何をしているかをよく見たうえで、自分が医師会のなかで何かできるかを考えてほしい。今後、公益法人の会費は、特定目的のものを除き、その五〇%を公益事業に使うことになる。したがって、会費を払っているのだから、医師会は自分たちのために何かをするべきだということが言えなくなる。
公益法人としての適性
二〇〇八年十二月一日に施行された公益法人制度改革関通三法に対する対応は、日医ばかりでなく、都道府県・郡市区医師会にとって非常に大きな課題である。
小松氏の指摘のとおり、補助金交付等により天下りを担保する主務官庁の影響力を排除することや、名ばかりの公益法人を排除しようとの方針は正しいのだろう。本三法に限らず、明治に策定されて以来変わらぬままで、現状に不適合で制度疲労を生じている法律を改正することは当然であろう。しかし理念のみが先行し、現状を無視した改革を実施すると大きな混乱を生じさせるのは、昨今のさまざまな制度改革を見れば明らかである。
日医を含む全国の九〇〇弱の医師会の大部分は、民法三四条法人として長年活動してきた。当然、医師会こそ公益法人に最もふさわしいと考える会員も多い。地域の医師会が、長年にわたり地域医療を守るために運営してきた医師会病院、検査センター、健診センター、訪問看護ステーション、在宅介護支援センター、地域包括支援センター、老人保健施設、ヘルパーステーション等々に関しては、内閣府公益認定等委員会によるガイドラインにおいて具体的記述がないため、民間事業者が実施する同様の収益事業との差異をどのように示すかが大きな課題である。地域医療を守るために実施してきた事業のために、かえって公益認定を受けるのにハードルができるという本末転倒にもなりかねない。
さて日医の公益社団法人としての要件に関する小松氏の具体的な疑念について答えたい。
①代議員制度について
代議員制度をとる法人は、医師会以外にも医療関係団体を含め多数存在する。現行のままで無条件に制度が認められることはないが、定款上一定の条件が満たされれば容認される方向である。このことは、公益認定等委員会のホームページで公表されている。
②会長選挙、キヤビネット制のありかた
現状は会長選挙を実施しているが、新制度に移行すれば代表理事の選出方法を変更することになるのは指摘のとおりである。キャビネット制は、定款にあるような規則ではなく、長年医師会内で慣例として実施されてきただけである。キャビネット制の功罪については、日医代議員会においてもさかんに議論されている。現実には、すでに前回、前々回の役員選挙において、会長選出後に、副会長、常任理事の選挙が民主的に実施されている。
③医師連盟との関係
すでに記述したので省略する。
④勤務医の身分について
「勤務医」を「第二身分」にとどめる云々の記俄かある。勤務医が開業医と区別されているのは、開業医より安い会費、廉価な保険料で同等の給付を受けることができる医師賠償責任保険料のみである。定款上なんらの身分の差別はない。指摘のように結果的に代議員や役員に勤務医が少ないのは事実であるが、それは医師会活動をいきなり日医で始める医師はごく例外的であることに関係する。多くは地域医療におけるさまざまな活動を経た後、地域の信頼を得て、地域医師会から推薦されて日医の活動に参加している。現在の日医のスタンスは勤務医にもっと代議員や役員になっていただきたいとの希望を持っている。しかし、だからといって定数の中に「勤務医枠」「開業医枠」を設けることは、社員の資格の得喪について差別的取り扱いをすることになる。また激務の勤務医が、勤務時間内に地域の医療・介護・保健を担うための行政との会合などに参加することは現実的ではないように思う。どの医師会であっても役員・会員は、自らの診療時間を削ってこれらの会合に参加しているのが実態である。いずれにしろ、会員であればいつでも発言できる場もあるし権利も保障されている。
開業医と勤務医はともに戦うべきだ
最後に、ぜひ述べておきたいことがあ今現在までの日本医師会の活動が、すべて正しかったと言うつもりもないし、指摘については謙虚に受け止めたいと思う。筆者は、つい数年前まで地区医師会の役員として地域の医療提供体制の維持に努め、当時は日本医師会の活動に大いなる不満も持っていた。渦中の組織の一員となり、その不満の一部は正しく、また一部は自らの知識不足によるものもあるとわかった。改善すべき点は、改めるにやぶさかではない。
小松氏に申し上げたいのは、木を見て森を見ずの状態になってはいないか、ということである。部分的な現象だけを取り上げ、攻撃しても何も生まれない。喜ぶのは社会保障費を削減することで、国の財政赤字の改善につとめたい財務省と、新たなビジネスチャンスとして参入を企てる一部の大企業である。日本医師会の役員として交流を持った財務省や財界の方の中には、日本のあるべき社会保障について真剣に考えている人たちがいることも間違いない。これらの人々が、属する組織において力を持って発言できるようにするためにも、医療界の結束こそが重要である。
国民の視点からすると、このように医療崩壊が起こっているのにもかかわらず、医師たちはどうして団結できないのですか? というのが正直な感想だろう。「お前たちの組織が悪いから団結できないのだ」という不毛の議論はやめようと言いたい。決して誇示するわけではないが、日本医師会は、今でも最大の職能団体であり、その影響力は大きい。また日本医師会をはじめ、それを支える都道府県・郡市区医師会が公益的活動に専心していることも自信を持って主張したい。対峙すべき相手は誰なのかをしっかりと見据え、国民のための医療制度を守る必要がある。小松氏をはじめ多くの勤務医に対して、「日医に加入していただき、ともに戦おうではないか」と申し上げて、筆をおきたい。
いまむらさとし
一九五一年生まれ。七七年秋田大学医学部卒業。同年三井記念病院研修医。七九年神奈川県立子ども医療センター医員。ハ七年浜松医科大学講師。九一年今村医院開業。九七年板橋区医師会理事。九九年同医師会副会長。二〇〇四年東京都医師会理事。○六年より現職。
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