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(投稿:by 僻地の産科医)
「警察の不当逮捕が地域医療の崩壊を招いた」
綾瀬循環器病院心臓血管外科 佐藤 一樹氏に聞く
日経メディカルオンライン 2008. 8. 19
(1)http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t020/200808/507554.html
(2)http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/report/t020/200808/507554_2.html
2001年、心臓手術を受けた女児が死亡した東京女子医大事件で、当時、同大学循環器小児外科助手だった佐藤一樹氏は人工心肺装置の操作を誤ったとして逮捕・勾留され、捜査機関の厳しい取り調べを受けた。05年11月には無罪判決を受けてその疑いは晴れたが、起訴から無罪判決までに3年もの長い年月がかかり、多くの犠牲を余儀なくされた。佐藤氏の体験は、福島県立大野病院事件の被告である加藤克彦氏が置かれた立場と重なる部分が少なくない。佐藤氏は、今回の事件をどのように見ているのだろうか。
さとう かずき氏○1991年山梨医大医学部卒、東京女子医大循環器小児外科入局。99年同科助手、2002年千葉こども病院心臓血管外科医長、同年綾瀬循環器病院勤務。
――福島まで足を運び、今回の大野病院事件の第1回公判を傍聴されたそうですが。
佐藤 加藤医師は事故の発生から1年以上たった時点で逮捕されましたが、私は公判前整理進行の段階までの情報で、これも不当逮捕だという思いを強くしました。こうした不当な逮捕を受けて勾留された経験を、東京女子医大事件で私もしており、加藤医師の気持ちを実感として理解し、法廷で応援できるのは私しかいないと考えたのです。
裁判に臨むに当たって加藤医師は、かなり不安だったと思います。そこで、私は公判の休憩時間に被告弁護士にお願いして、事前に用意していた手紙を加藤医師に渡してもらいました。また、機会を改めて励ましの言葉だけでなく、被告人質問に対する対応の仕方や気持ちの持ち方など、私の体験を通じたアドバイスも伝えました。少しでも加藤医師の不安を和らげることができればと思ったのです。
――加藤医師が不当に逮捕されたとする理由はどこにあるのでしょうか。
佐藤 刑事訴訟法上、捜査機関が被疑者や参考人を逮捕・勾留できる理由は、
(1)住所不定であること
(2)証拠隠滅の恐れがあること
(3)逃亡の恐れがあること――の3つがあります。加藤医師は当時、臨月の奥さんと暮らしていたのですから、(1)と(3)は絶対にあり得ません。また、事故の発生から逮捕まで相当の期間があり、それまでに県の事故調査委員会の報告は終了し、警察はカルテの押収や関係者などへの取り調べを行っていたので、加藤医師が証拠を隠滅する恐れがあったとも到底思えません。捜査機関の本当の理由は、加藤医師を拘束して自白を強要することだったと推測されます。
実は、捜査実務方法を解説した検察向けの教科書には、「裏付け資料が不十分でも社会的な影響が大きい事件は立件して捜査を遂げる」という記述があるのです。「社会的な影響が大きい事件」とは、メディアの報道で社会的関心が高まった事件などを指しています。大野病院事件では、捜査機関がどのような意図で逮捕に至ったのか、真相は定かではありませんが、立件するのは本来難しいこの事件をどうしても成立させるために、自白調書が必要になったのではないでしょうか。
私の場合も、6カ月間の任意取り調べ期間があり、関係者への捜査も十分に進んでいたにもかかわらず、他の医師らと連絡を取り合って口裏合わせをする可能性があるという理由で不当に逮捕されました。メディア報道などで事故が社会問題化していたからだと考えられます。「証拠隠滅の恐れ」という逮捕要件は非常に漠然としている上、裁判所も捜査機関からの逮捕令状請求のほとんどを詳細に検討することなく許可しているのが現状で、どう考えてもおかしい。こうした状況は、法改正などをしなくても現行法の下で改善できることです。医療界は今回の大野病院事件を機に、今のままでは不当な逮捕が増える危険性があることをもっと訴えなければいけないと思います。
一方、捜査機関は、今回の不当逮捕により地域医療を崩壊させたことをしっかり認識すべきです。加藤医師は大野病院の産婦人科を1人で担っていました。それが、逮捕により産科医が1人もいなくなり、その後も医師の補充がされず、ついには大野病院の産婦人科は実質廃止に追い込まれました。この被害を最も受けているのは、その地域の多くの患者さんです。これは、とても大きな問題です。
――逮捕されると、医師に対する捜査機関の対応は変わるのでしょうか。
佐藤 全く違います。私の場合、当初は参考人という立場で任意に取り調べを受けていて、捜査機関は私を「佐藤先生」と呼んで多少は紳士的に接していました。それが、逮捕以降は「佐藤」「おまえ」と呼び捨てになります。検察の取り調べに至っては連日、朝から深夜まで行われて日付けが変わることもざらでした。供述調書については、私が悪いことをしたという前提の下、あらかじめ決まった方向で捜査機関が文章を作成していく。さらに、調書の修正を依頼しても、「供述調書は捜査官が作成するものだ」と言って、まず応じてくれません。
おそらく加藤医師も、私と同じ立場に置かれたことでしょう。任意の段階でも逮捕以降でも、取り調べを受ける際は、納得のいかない調書であれば署名・押印をしないといった慎重さが大切になるのですが、捜査機関の取り調べは精神的・肉体的にも予想以上に厳しく、ついつい捜査機関の意図に沿った調書に署名・押印し、「自白調書」が作成されてしまうことがあり得ます。公判開始後、加藤医師は供述内容を一部翻したと検察は主張していますが、取り調べ時に心理的に追い込まれて、自身の意図とは異なる調書に署名・押印をしてしまった可能性があります。
――8月20日に判決が下されますが、もし加藤医師が有罪となったら、医療界にどんな影響が出ると思いますか。
佐藤 産科医療の崩壊がさらに進むのは確実でしょう。そして、将来は基幹病院でしか分娩できなくなる。癒着胎盤の患者さんは全員、子宮を摘出しなければならなくなるかもしれない。
裁判官は通常、公判中に同意された証拠だけから有罪・無罪を判断します。その点、検察側に有利な証拠として加藤医師の供述調書があるのは不安な点ですが、これだけ社会的な関心が高まると、裁判官は世論を無視して有罪判決を下せるでしょうか。
――大野病院事件を機に、医療の刑事免責を求める声が高まっています。
佐藤 医療行為や医師の刑事免責を議論する際には、言葉の定義が非常に重要になると思っています。医療行為といっても様々なものがあり、医師が問われる可能性のある犯罪の種類も多岐にわたる。そんな中でただ単に免責を主張するのは、「医療行為や医師のすべてを免責しろ」と言っているように取られかねない。これでは、世間には受け入れられないでしょう。
私は、医学的な適応や医術的な正当性を背景にした「正当な治療行為」を、業務上過失致死罪として認めるのは問題があると考えています。加藤医師のケースもこれに当たり、当然無罪となるべきです。今後、免責を求めていくのであれば、この点を明確にすべきではないでしょうか。そのためにも、多くの医師が法律の背景や理論を身に付ける必要があると思っています。
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