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(投稿:by 僻地の産科医)
続きですo(^-^)o ..。*♡
医療事故と刑事処分◆Vol.2
「重大な過失」は一律に定義できず
業務上過失致死傷罪の適用基準は相対的
司会・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080513_1.html
河上氏・金田氏による対談の第2回のテーマは、「どんな医療事故が業務上過失致死傷罪に当たるか」。厚労省の医療安全委員会に関する第三次試案は「捜査機関に通知するのは、故意や重大な過失などに限る」としているが、何が「重大な過失」に当たるかの定義は難しく、同じ行為であっても医療者の知識・経験によって過失か否かが異なるなど、過失は相対的なものであり、一律に定義をするのは難しいという結論だ。
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――厚生労働省が今年4月にまとめた「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」の第三次試案には、医療安全調査委員会(以下、事故調)から捜査機関に通知するのは、「故意や重大な過失に限る」とされています。
先進的な医療で結果が悪かった場合、それは過失なのでしょうか。知識・技術が未熟な場合、あるいは薬の取り違えなど単純なミスの場合など、どんな場合に業務上過失致死傷罪を適用すべきなのでしょうか。「重大な過失」とは何でしょうか。
河上 過去に「重大な過失」に該当した事例を列挙することはできますが、それ以上は難しい。具体的なケースについて過失が重大か否かは、捜査機関が医師などに聞いて検討するわけです。過失の重大性は判決が出て、初めて分かるものです。
金田 確かに事故調が言う「重過失」には、何が該当するのかを類型化するのは難しいと思います。ちょっとした注意を払えば、避けることができたものを「重過失」とする意見もあり、薬剤の取り違えなどが該当します。こうした事例と、知識が十分な人が手術の時にたまたま間違えたという事例について、どちらが「重過失」に該当するのか、その判断は容易ではありません。また医療には、その時点では分からなくても、後から振り返ってみれば、「注意を払えば、避けることができた」という事例が多いのも事実です。とはいえ、法律は、行為者に予測可能性を与える必要があります。ある程度、医師が今からやろうとしている医療が、「もし結果が悪かった場合、重大な過失に該当するのか否か」が分かった方がいいと思うのですが。
河上 予測可能性については、様々な考え方があります。平均的な能力を持つ人間を想定して、「予測できるかどうか」が指標になりますが、平均を上回る能力の人に対して、平均的な人と平等に扱っていいのかという問題もあります。予測可能性はケースによって全く異なると思いますので、平均人を想定して「予測可能性はこうだ」と言うと、具体的なケースを検討する場合にはミスリードする可能性があります。
――同じ行為を行ったとしても、それが過失に当たるか否かは違うと。
河上 違ってくる可能性はあると私は考えます。経験が未熟な人が、本を読み、専門家の意見を聞いただけで先進的な医療を行い、結果的に患者さんが死亡した場合と、経験が豊かな人が実施した場合とでは、過失かどうかは異なります。
また例が多少違いますが、「この橋をかける作業に、10人の死者が出ることが統計上明らかだが、橋はぜひとも必要であり作る、という決定を会社がした。果たして実際に10人の死者が出た場合、この決定をした会社の人間に過失責任があるか」という場合、「ない」というのは万人が認めるところでしょう。ただし、「この方法だと、死者が出る」ことが具体的に分かっていてその方法で工事した場合には、過失を問われる可能性がある。つまり、刑事法上では、過失は相対的なものなのです。 同じような過失でも起訴されるか否か、さらに有罪になるか否かは異なってきます。したがって、個々のケースを離れて過失について議論しても、医師にとってはあまり意味がないのでは。
――刑事罰は「相対的なもの」で、一律に適用されるものではないと。
河上 本来、刑事罰は全国的、統一的に考えられてしかるべきなのでしょうが、実際には人間が捜査するわけですから、個々の人間の考え方には相当開きがあります。また一見、同じような過失でも、起訴されるか否かは異なります。さらに個々のケースを掘り下げていくと、患者側が処罰を強く希望していたり、また過失の内容も類似しているようで詳細は異なっているため、細かな点に入って行かざるを得ない。相対的というのは、こうした意味であり、誰が見ても「これは過失である」というもの以外は、一律の基準は必ずしも作ることはできません。これは医学でも言えるのではないでしょうか。精神鑑定を例に挙げても、精神疾患に該当するか否かについて明確に基準を定めるのは難しいでしょう。
――知り合いの弁護士と話していたのですが、例えば、地方のある病院で、決して規模は大きくはない病院に患者さんが来たとします。医師も看護師の数が限られています。その中で、担当医が「この治療をやれば、この患者さんを助けることができる。教科書にも文献にも治療法が記載されている。でも自分はやったことがない」という事態に直面したとします。経験もない人間がそんなことをやるのは危ない、それで仮に結果が悪ければ、患者さんが死亡すれば業務上過失致死傷罪を問われる可能性がある、と考えるべきなのでしょうか。
河上 そうでしょうね。それは業務性がありますから。
――そうであれば、その医師は「業務上過失致死傷罪を問われる可能性があるなら、治療法としてあることは知っているが、経験もなく、知識も十分ではないのでやめておこう」となりかねません。今度は患者さんが死亡した場合に、「こういう治療法があったのでは。先生はこれを知っていたんじゃないか。なぜやらなかったと。それは過失だ」と問われる可能性もあるのですか。
河上 あるでしょうね、理論的には、過失というより故意の場合が多いと考えられるけど。
――患者さんが死亡する危険が常にある中で、いつ責任を問われるか分からない不安、危機感が医師にあると思います。医療をやっても過失になる、やらなくても過失になる、ではどうすればいいのか。それなら診ないのが一番であり、断ってしまおうという選択になりかねません。「医師も業務上過失致死傷罪に問われるべき、医師だけが免責されるのはおかしいと」ということですが、処罰されるべきものは処罰するという意味では、その通りなのでしょうが、それは業務として非常に不明確なものになり、逃げてくしか選択肢が残らない社会になりかねません。
「医師の過失は免責すべき」という単純な議論ではなく、「これは処罰されても仕方がない」「これが処罰されたら、ちょっとおかしい」などという線引きを少なくても法的に行うべきではと思うのですが、いかがでしょうか。
河上 線引きの可能性があれば、やってもいいと思います。しかし、今、例に挙げたように、「やらなかった」からといって、故意や過失があったとして一律に起訴されることはないと思います。だいたい逃げた場合には、法理論から言って、過失があるかどうかさえ分かりません。ただ、自分に何の経験もなく、「こうした治療法がある」という知識だけを持って、訳が分からないままに手術をする。これはやはり問題でしょう。過失になると思います。
だからこそ、「救急搬送で50件断られた」といった事態も出てくるのでしょう。これは医師の倫理感の問題にも通じてくると思います。医師というのは、それだけ危険性を持つ仕事でもある。それを前提として医師になっているわけですから。
金田 ただ、救急医療の現場では患者を受け入れてしまったら、そうしたジレンマに置かれる。ある会合で、元教授の医師が挙げた例です。「非常に難しい手術で、カンファレンスのときは、10人のうち自分以外の9人は反対した。それでも自分はやれると思って実施したところ、結果はよかった。しかし、仮に結果が悪かったときに、業務上過失致死傷罪に当たるのではないか」と。10人中9人がやるべきではないと判断したのだから、自分の判断は間違っていたことになりかねません。これを本当に処罰の対象にしていいのか。元教授の判断は、未熟な医師の判断とは全く違うわけです。しかし、今の法体系からすると、結果が悪ければ処罰されるリスクがあります。
結果的に医療の萎縮が起こってしまう、いえ、現実に起こっているわけです。未破裂動脈瘤の手術はあまり行われなくなっています。外国では、過失について「無謀な」という構成要件もあります。先ほど河上先生が挙げた未熟な医師の例は、この範疇に入ると思うのですが、これを過失の要件として解釈することは可能なのでしょうか。「無謀な」という要件を入れるには立法が必要なのでしょうか。
河上 過失の定義は、立法には馴染まないと思います。
金田 過失で処罰を決めるのではなく、故意犯に限って処罰するという考え方は成り立たないのでしょうか。「重大な過失に限る」といっても、その定義は判例の積み重ねから推測するしかないからです。こうしたものを処罰の対象にするのが果たしていいのか。過失で捉えるのではなく、明らかに患者さんに健康被害を生じさせる目的がある、といった「危殆罪」といったもので捉えた方が輪郭ははっきりすると思います。
河上 それは無理でしょう。刑法の中では、過失概念は医療に限らず皆同じです。故意犯に限るのは、医師にとっては非常に親近感を持たれる論でしょうが、法律家にとっては受け入れられないでしょう。
この対談の終わりで、おふたりの意見が食い違っています。
「故意犯に限って処罰したらどうか」という片方の意見に「法律家にとっては受け入れられない」と答える。
このおふたりは、おふたりとも「法律家」なのではないでしょうか。
つまり、医療裁判に関しては司法サイドの意見はかなり分かれており、統一見解はないのだ、と考えます。
医療系ブログなどでかみついてくる「法律関係」の方々は、「法律家の立場では」と言ったとしても、それは「個人」の立場だということです。
これからコンセンサスができていくのでしょう。
だとしたら、われわれ医療サイドはことあるごとに「医療の結果起きた不幸な結果を刑事事件として扱うべきではない」ことを、言い続けたほうがよさそうです。
何も言わなければ、意見がないことになってしまいますからね。
投稿情報: suzan | 2008年5 月16日 (金) 12:49
> 医療裁判に関しては司法サイドの意見はかなり分かれており、統一見解はないのだ、と考えます
ここでお二人は法解釈論ではなく、立法論をしているので。
現行法の解釈として、
「単純過失致傷罪(刑法209条)、単純致死罪(210条)、業務上過失致死傷罪(211条1項前段)の各罪は、『医療の分野に限っては』、適用されない」
という主張を、
裁判所が認めてくれるから無罪になるはずだ、というような見解は、法律家の間では存在しないと思います。
判例と違うけれども、あるべき解釈論、ということであっても、
そのような解釈が法的に可能だとする意見はごく少数ではないでしょうか。普通に考えて、これらの条文の文言から「医療だけは別」とする趣旨は読みとれないと思います。
> 患者さんが死亡すれば業務上過失致死傷罪を問われる可能性がある、と考えるべきなのでしょうか。
> 河上 そうでしょうね。それは業務性がありますから。
現行法の解釈という点では、金田弁護士も河上弁護士も完全に一致するでしょう。
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では、立法論として、将来どのような刑法体系を設計すべきかについては、
当然ながら、人によって意見が分かれます。
その人の社会的立場や人生哲学が表れることだからです。
医師の間でも、医療費を老人に厚く回すべきか子供に厚く回すべきかといった政策論については、意見が分かれるのと同じようなものだと思います。
ついでに、立法論に対して私見を述べますと、
私は、「医療だけ」特別扱いで免責するというやり方には反対です。理論的に説明がつかず、刑法体系の整合性を乱すからです。法律家たちの間に「受け入れられない」とまでは言い切りませんが、相当な違和感があることと思います。
また、立法するには国民の賛同を得て国会を通す必要がありますが、
医療が免責されるなら、俺の仕事も同じように免責しろという他の業界を説得する術はなく、国民一般の賛成は得にくいであろうと考えます。
従って、立法運動の方向性として、医療のみ免責論を唱えても、見込みは薄いと思われます。
私としては、むしろ、医療に限らず全ての業務について業務上過失致死傷罪は廃止、また単純過失の致傷罪及び致死罪も廃止してしまうというやり方のほうが、一貫性があり一般人の支持を得やすかろうと考えます。(これで残るのは、重過失致死傷罪と自動車過失致死傷罪です。)
過失を原則的に非科罰化せよという理由は、
過失行為は本来、道徳的非難の度合いは故意に比べて小さく、法律による威嚇効果も少ないもので、例外的にしか処罰されていません。
損害が民事的に賠償されればよいことで、刑事処罰まで求めるのは行き過ぎだと思う、というのが私の哲学だからです。
金田弁護士も、医療のみ免責を求めておられるのではなく、全ての業務について免責すべしというお考えではないかと、推察しているのですが。
投稿情報: YUNYUN(弁護士) | 2008年5 月17日 (土) 16:48