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(投稿:by 僻地の産科医)
続きです..。*♡
やっぱり刑事事件怖いよ~(>_<)!!!!!
医療事故と刑事処分◆Vol.3
刑事手続との関連では“事故調”に疑問符
裁判官・検察など関係者を含めた
徹底的な議論が必要
司会・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080514_1.html
医療者の間には、どんな医療事故に業務上過失致死傷罪を適用するかという点に加えて、医療に精通していない警察が、医療事故を捜査する実態を疑問視する声も多い。厚労省が検討している医療安全調査委員会で、この問題は解決し得るという期待があるが、河上氏と金田氏ともにこの点については否定的だ。両氏とも、「民事・行政・刑事処分のあり方も含めた医療のグランドデザイン」を描く必要性を指摘している。
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――厚労省の第三次試案では、「刑事手続については、委員会の専門的な判断を尊重し、医療安全調査委員会からの通知の有無や行政処分の実施状況等を踏まえつつ、対応することになる」などとしています。
河上 われわれから見れば、厚労省は自分の権限に及ばない部分について、いかにも権限があるように書いており、読む人を惑わしています。
金田 確かに第三次試案は、自分たちの権限がないところまで踏み込んでおり、警察の捜査権を縛ろうという意図が背後に見え隠れします。ところで、刑事処分の目的は応報刑と教育刑の両方があります。現状では、処罰という観点と再発防止という二つの目的を分けずに議論されている気もしますが、その点はいかがでしょうか。
河上 刑事処分を行う側に再発防止の考え方がゼロであるとは言いませんが、捜査機関に浸透しているとは言えません。再発防止はあくまで医学的な見地の話であり、本来、医療行政に委ねられるべき性格のものだと思います。
しかし、厚労省は再発防止の部分から広げて制度を作ろうとしています。これは、「事故調ができれば、(刑事処分をされることなく)平気なんだ」との誤解を医師に与えます。先日、警察庁の刑事局長が国会答弁していましたが(編集部注:4月22日の国会で、「事故調ができても、刑事処分を求める患者や遺族の方々が告訴する権利を封じることはできない」などと答弁)、これは「自分の権限を害された」という考えではなく、「医師に誤解を与えたくない」という趣旨の発言です。
金田 最近、検察の中にも、東京と大阪には医事特殊課があり、医療関連の事件があればここが担当すると聞いたことがあります。これは民事の分野では先行しており、医療集中部が2001年に発足し、かなり充実してきています。刑事処分の目的は何かという点にも関連しますが、被害者側の感情が強く、応報を求める場合もあります。例えば、民事事件で有罪になったものだけを、起訴の対象にする考え方もあると思いますが、いかがでしょうか。
河上 現実的には困難でしょうね。刑事裁判に持っていきたいと考える患者側と、そうではない医師側がいるわけです。医師側は、早く結論を出されたら困るわけですから、裁判は引き延ばそうとする。延ばせば延ばすほど、刑事事件としては証拠が散逸してしまう。刑事事件の進展が望めなくなるわけですから、刑事は別個に進めるべきです。
金田 私自身、その点は逆の考え方を持っています。ある病院における、薬剤の取り違えの事故の例です。院内で調査したのですが、誰が取り違えたのか分からなかった。警察が調査をすれば恐らく分かったのではないでしょうか。院内の調査は素人が行うわけですから限界があります。ある種の事故については、事故直後に現場を保存し、捜査機関が入った方が真相究明に資することはあり得ると思います。つまり、捜査そのものをストップすべきという考え方ではないのですが、起訴要件として民事有責を前提とするのは発想としてあり得ると思うのです。これは唐突な発想なのかもしれませんが、医療集中部はかなり軌道に乗っていて、審理も迅速化しており、大抵2年以内には結論がでます。それから起訴しても問題はないと思うのですが。
河上 取りあえず捜査機関が動いて、現状を保存する。捜査機関は捜査のために現状保存するのですから、後は捜査権限のないところに任せて結果を待つというのは、あり得ません。
金田 そうなると、今の事故調の考え方もおかしいということですか。事故調は警察に届け出てでも、事故調がまず調査を、という発想です。
河上 その通りです。それは、刑事訴訟法を改正しない限りあり得ないわけです。だから、私は厚労省の試案は医師をミスリードするものだと言っているわけです。厚労省は「医学の発展のために、われわれが医師を守らなければいけない。医療事故を刑事事件にしてはいけない」という考えなのでしょう。だから、「事故調をちゃんとやるんだから、警察や検察は口を出さない。安心して医療をやってほしい」と書いているわけですが、安心した途端にいきなり警察が入ってくる、取り調べを受ける可能性があるわけです。そうなれば、厚労省の権威はガタ落ちではないでしょうか。
――医療者は、医療に精通しない警察が捜査することを懸念しています。
金田 今の医療は専門化が進んでいて、例えば、腹腔鏡による手術において、手技上のミスがあったかどうかは、実際に手術経験のある医師でないと、しかも事実関係が分からないと判定できません。しかも、医師によって意見が違うのは、別に珍しいことではありません。しかし、警察が意見を聞くことができる医師は限られていますから、一部の医師、時には専門外の医師の意見に頼ってしまう。それにより捜査を進めることが、一番問題だと思っています。ですから、もう少し医療の中身を分かった人に判断してもらえるような体制ができると大変ありがたいのですが。
河上 確かに医師に話を聞くと、異状死を届け出ると、警察が「お前がやったんだろう」と病院に入ってくることが不満なのは分かります。こうした姿勢は改めるべきでしょう。しかし、医療側にも問題があり、警察が入ってきただけで、きちっとしたことが言えなくなる、時には証拠を隠すといった場合もあります。捜査に対する「免疫」のようなものが、もう少しあってもいい。従来、あまりにも医療と法律が無関係すぎた。医療事故があっても、「われ、関せず」だった。厚労省の第三次試案は認めませんが、少なくても医療者が法律に対して問題意識を持ったという意味では評価します。
金田 警察・検察も同様で、医療に対する問題意識をきちんと持ってほしいと思います。患者からの訴えで、いきなり院長室に入り、「お前がやったんだろう」などと尋問することがないよう、捜査官を育てる必要があるのでは。例えば、警察が突然病院に来て、カルテをすべて押さえると大変困るわけです。その時に、任意提出にするだけでも助かります。こうした形の捜査であれば、医療側も過剰に反応しなくても済むようになるかもしれません。厚労省には、医療の専門家が原因究明を行い、民事や刑事、行政処分に活用したらどうかという発想があると思うのです。もっとも、私は事故調の能力、レベルには懐疑的です。全国各地にきちんとした体制を整えるのは、人材が必要で、コストもかかる問題であり、一朝一夕には実現しません。
河上 確かに言葉の上ではきれいですが、どこに予算があり、人をそろえられるのかと思いますね。
金田 では、警察に医師などの専門家が入ることが現実的だと。
河上 専門家が入ることは必要だと思います。殺人を担当する刑事一課があり、二課が役人の不正行為を扱い、三課がスリなど、四課が暴力団を担当しているのですから、七課か八課が主に医療を扱うという発想もあるでしょう。しかし、医療事故が刑事事件化するのはわずかですから、そこまでの体制を組めるのかという問題もあります。
金田 東京と大阪の地裁には「医療集中部」があるのですが、東京とそれ以外の地域では、鑑定人確保の容易さが全然違います。東京では「カンファレンス鑑定」を3人の医師で実施しています。ところが、大阪でも3人の確保は難しい。地方ではなおさらです。こうした格差の存在を考えても、医療の結果が悪かった場合、過失を問うことが国民全体にとってメリットがあるのか。これは医師自身の問題ではなく、萎縮医療の問題も含めて、広い目で見たときに本当にメリットがあるのかという視点から、もっと国民全体で議論すべき問題だと思います。医療の社会的コストも含めて、医療そのものをもっと広い観点から議論していくことが非常に重要だと思っています。例えば、民事裁判では費用がかかり、賠償金の支払いも必要になります。こうしたコストはダイレクトに医療費に反映されていませんが、いまや無視できないコストになっています。
もう少しこの辺りに目を向ける。その論点の一つとして、刑事処分や行政処分をどのように適用するかも絡めて、国民にとって望ましい形で医療をどうデザインしていくかを議論していただきたいと私は思います。
河上 私が関与している「医療と法律研究協会」は、そうした発想からスタートしたものです。同様の組織も増えています。ただ、医療について発言しても、現時点ではあまり重みがないという問題があります。はっきり言えば、マスコミがこれまでは乗らなかった。テレビも新聞も取り上げてこなかった。
金田 グランドデザインを描ける人が、もっと議論を深めていくことが不可欠でしょう。
河上 厚労省の事故調について言えば、厚労官僚が入ってもいいでしょうが、裁判官、検察、学者などが加わって、ある程度の規模で、少なくても20数回か30数回重ねるくらいの議論をしないと、世間をリードすることはできないでしょう。
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