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(投稿:by 僻地の産科医)
2007年11月14日に行われたシンポジウム
「なくそう!医師の過労死」の内容について
まとめられた小冊子です。
購入できますので、ぜひぜひ読んでみてください。
では、弁護士さんの原稿から(>▽<)!!!
勤務医の「壊れた」労働現場と過労死・過労自殺
松丸 正
(壊れゆく医師たち 岩波ブックレット No718 p55-62)
氷山の一角でしかない
私は大阪・堺市で弁護士をしております。大阪という、東京に比べたら場末ですけれども、そこで四件の医師の過労死の事件を担当しております。ある市立病院に勤務する内科部長がくも膜下出血で亡くなった事件、県立病院の二○代の研修医が心室細動でに亡くなった事件、国立大学の大学院生の医師が前日の勤務に引き続いての徹夜での手術をしたのち、今朝、関連病院に行く途中で交通事故死。この事故は加重な勤務のなかで注意力が散漫になり、その中で起きたということで、国に対しての損害賠償を起こしている事件です。それから、二OO七年五月ニハ日に大阪地裁で判決が出た事件ですが、市立の総合病院でニハ歳の女性の麻酔科医が自殺をした事件。これら四件の医師、研修医の事件を担当しています。
私は、過労死弁護団が把握している事件は(表参照)、医師の過労死の事件としては氷山の一角ではないかと考えています。
労働基準法が壊れている医師の現場
これら事件を担当するなかで、弁護士として、医師の勤務条件の何が法的に問題なのかと問われたら、医師の労働現揚は、労働基準法の視点からは、完全に「壊れている」としか言いようがない現場であることです。そして、労働基準法が壊れている現場を修復してそれを守らせようとしたら、逆に今度は医療、が壊れてしまう、非常に自己矛盾をはらんだ状況になっています。
厚生労働省の調査でも、勤務医の一週間当たりの勤務時間は六三時間です。小児科、産婦人科については、ほぼ七〇時問に至っています。同じく厚生労働省が定めている過分死の認定基準は、発症前一カ月間に一○○時間の時間外勤務があった場合、あるいは、発症前ニカ月ないし六カ月(二カ月ヽ三カ月ヽ四カ月、五カ月、六カ月のいずれか)の期間で、月平均八○時間の時間外勤務があった場合は、業務と発症との関連が強い、即ち「過労死ライン」であるとしてします。医師は、平均の勤務時間でも「過分死ライン」を上回っている特異な業種だと思います。長距離トラックの運転手も、その多くは「過労死ライン」を超えて働いていますが、.医師や長距離トラックの運転手が過労死した場合、その多くは労災認定される勤務時間です。
勤務医には労働基準法がない、労働基準法がほとんど壊れているということにつき、四つの点からお話をしようと思います。
労働時間が把握されていない
まず第一の点は、勤務医の労働時問が把握されていないことの問題です。過労死・過労自殺の労災認定をしようとした時に、一緒に勤務していた医師から聞くと、遅くまで勤務をしたという話は出ますが、それを示す客観的な証拠はどこにもなし。タイムカードもなければ、自分で労働時間を申告することすらされていいない。労働基準法の労働時間の定めは、時間が適正に把握されていなければ意味がありません。勤務医については、病院として勤務時間をほとんど把握していません。
労災認定をするため、どのようにして勤務時間を弁護士が把握するかというと、例年は、病院へ出入りする時のポケベルの受け渡し記録だとか、電子カルテが導入されているところでは電子カルテヘのアクセス記録とか、手術記録・麻酔記録の時間、そういう記録から間接的にしか勤務時間を把握することができないのてす。使用者である病院によって勤務時間が把握されていないということが、勤務医の過労死を隠し、長時間勤務を生み出している元凶と言えます。
三六協定の歯止めの抜け穴
二番目の問題は、三六協定についててす。労働基準法は、労働時間につき原則として週四○時間、一日八時間の枠を定めています。これを超えて労働時間を延長しようとする時は、労働基準法二六条にもとづいて時間外・休日労働時間の限度時間につき労使間の協定を結ばなくてはいけません。この協定は三六(サブロク)協定と言われています。三六協定の限度時間については、歯止めがあります。厚生労働省の告示によって、限度時間の枠は月四五時間、年問三六〇時間までと定めているのです。月四五時間の時間外労働の限度が守られていたら過労死が生まれることはないでしょう。にもかかわらず、勤務医では過労死ラインを超える勤務時間が常態化しているのはなぜでしょうか。
勤務医の場合、これについても技け穴があります。一つ目は、三六協定か、医師については締結されず、労働基準法を無視した長時間労働が野放しとなっているケースです。看護師とか技師等の他の職種については三六協定があるにもかかわらず、医師だけが技けている三六協定がたくさんあります。
二つ目は、三六協定が医師についでも結ばれていても、厚生労働省の告示が定めている月四五時間、年間三六〇時間という枠は、勤務医の場合はそれを守れるはずがないにもかかわらず、告示の枠内の限度時間を定めているケースです。形だけ定めた枠のため、守られないことが現場の常識になってしまっている。
三つ目は、正直協定とも言うべきものです。正直に医師の勤務実態にもとづく三六協定を結ぼうとしたら、例外的に告示の枠を超えた限度時間が認められる特別条項を定めなくてはなりません。ある県の日本赤十字社療センターの三六協定は、特別条項で、医師については、月一五〇時間、年一一七〇時間を限度として定めています。月一五〇時間といったら過労死ラインのほぼ二倍の時間外労働です。
しかし、私はこの病院を責めようとは思いません。これが本音であり実態なのです。勤務医に三六協定を守って勤務をさせようとしたら、このぐらいの限度時間枠を決めておかなければ、勤務が成り立たない、それが現状なのでしょう。勤務医の実態に正直な病院であると私は思っています。
このように医師については、長時間勤務に歯止めをかけられるはずの三六協定が、歯止めの構造が完全に壊れている。それが過労死ラインを優に超えた勤務時間をつくり上げている大きな理由です。そもそも、月一五〇時間というような過労死ラインをはるかに超えるような協定を受理する労働基準監督署(労基署)にも問題があります。このような長時間の時間外労働を認めた三六協定が締結された病院で、仮に過労死が生じたときには、病院だけではなくて、その協定を結んだ労働組合も責任が問われるのではないでしょうか。さらにいえば、協定を受理した労基署、すなわち国も責任があるのではないでしょうか。
勤務医のダダ働きに支えられている日本の医療
三番目の問題として、勤務医の長時間労働を生み出している構造というのは、賃金不払い残業、即ち「サービス残業」です。ダダほど安いものはないわけですから、いわば、勤務医のタダ働きによって、高い水準の日本の医療が辛うじて支えられている構造があると思います。
厚生労働省は、賃金センサスという統計で、職種別の賃金の構造を調べています。これによれば、勤務医の月当たりの超過時間は、月平均わずか一〇時間です。月一〇時間しか時間外労働の賃金は払われていないのです。一方で同じ厚生労働省の統計では、勤務医の残業は週当たり六三時間、月当たりにしたらハ○時間から一〇〇時間になっていることは先にお話ししたとおりです。賃金センサスの月一〇時間との時間の差が、賃金不払いになっている。無償の労働であれば、コストの点でも歯止めがなくなってしまいます。
宿日直の法的な問題点
四番目は、他の報告者からお話のあったに宿日直の問題です。宿日直の問題については、厚生労働省が出している通達があります。一定の条件の下に宿日回勤務は監視・断続労働であるとして労働時間としてカウントしなくてよいとしています。宿日直勤務が労働時間にカウントされなくてもいいというのは、宿日直勤務時においては、ほとんど、勤務らしい勤務がないという前提なのです。お医者さんの宿日直勤務は、急患、あるいは、入院患者の病状の急変があれば直ちに対応することが求められている時間であって、これは労働時間です。最高裁判所は、警備員の仮眠時間について、労働時間として認めています(二〇〇二年二月二八日、大星ビル管理事件判決)。なぜかというと、仮眠時間でも警報や電話等があったら直ちに対応しなければいけない時間であり、労働からの解放が保障されていないから、それは労働時間ですと、言っているのです。この判決からするなら、勤務医の宿日直時間は仮眠時間中も含めて労働時間です。病院が、宿日直について、労基署から労働時間としてカウントしなくてもよいとの許可を取っていたとしても、最高裁の基準からするならば、労働時間として評価されます。
その実態を見ないで、宿日直勤務についての労基署の許可が多くの病院ではなされています。この許可は一度下されると将来も期限がなく効力があり、二○年前、三○年前の許可が、いまもずっと続いているのです。ニ○年、三〇年前の宿日直時の救急対応が少なかった時期に下された、旧態依然とした許可がいまでも通用しているというところに大きな問題がある。現在の勤務医の宿日直の実態を踏まえないで、その許可がそのまま認められている。これが四番目の大きな問題です。
過労死をなくしていくために
厚生労働省への勤務医の勤務条件改善について申し入れの際、同省が二○○六年に医療保健業(医療機関並びに薬局等)に対して労働基準法に基づく監督を行った結果、その約八一%に何らかの労働基準法違反が認められた、とのことが述べられました。私は、違反率八一%というのもまだ低いかなと思います。過労死が生じた医療現場を見たら、労働基準法違反の山のなかで勤務医らの命が奪われているとしか思えません。
過労死の生まれる構造には、患者のために、会社のために、生徒のために、なと「……のために」という聖職意識が背景にあります。そして、日本の医療もその意識のもとに、辛うじて支えられている。こういう脆弱な基盤に支えられた医療というものは、放置することはできないと思います。医療を壊すわけにはいきませんが、労働基準法をしっかり守らせることによって、勤務医の勤務条件を改善するということを、過労死弁護団としてもぜひ取り組んでいきたいと思っています。
日本では、医療の現場のみならず、多くの会社でも、会社の門を入った途端に、労働基準法でなくて、会社における労使合意が、労働基準法に優先する規範になってしまっています。病院の場合では、労働基準法が病院側のみならず、勤務医の頭のなかにあるのかどうかすらあやぶまれるような現揚になっています。
医師の勤務現場を変えるためには、労働時間の意識、何時から何時までが自分たちの勤務時間なのだという意識がないと、労働時間に歯止めは生まれません。三六協定も、その労働時間意識があってこそはじめて歯止めとして有効に機能するのです。労使がともに、勤秘医は「聖職」という側面も持った労働者であり、労働時間の管理が必要であるという当然のことの単語からはじめざるを得ない現状だと思います。そのうえに立って、労働基準法がしっかり守れるような現場にするにはどうしたらよいか。いますぐに労働基準法をきちんと守り、長時間労働や「サービス残業」を是正しようとしたら、医療は、勤務医不足と医療費抑制政策の下で間違いなく崩壊します。しかし一方では、こんなにたくさんの過労死が生まれているし、患者の立場からしても、疲れ切った勤務医の下では良質な医療が提供されない。そこをどうしていくのか。法律家として考えても限界があります。医療関係者と、法律家と、そして勤務医の過労死・過労自殺の被害者とが、いま力を合わせて、これからの勤務医の勤務条件を改善するための出発点に、今日の集いがなってほしいと考えています。
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