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このままでは「産科医」がいなくなる
女性自身5月22日号 p64-70
「産める病院がない」
いまや、妊娠がわかった時点で“病院探し”に奔走する“出産難民”は珍しくない。
なぜ「産科」は、こんなにも激減してしまったのだろう。
日本は世界一「安心して産める国」だったはず――。
ごく少数の拠点病院に患者が集中し、廊下には出産の順番を待つ妊婦が溢れ返る。なかには破水してすでに生まれかかっている人さえいる。だが、病院は人手不足、急変した母体の処置で、手が回らない・・・。
近未来にはそんな光景が当たり前になるかもしれない。それほど日本の産科医療は追い込まれている。何がいったいそうさせたのか……。
消灯時間はとうに過ぎ、病棟は薄闇に包まれていた。深夜11時。その時間まで皓々と明かりを点しているのは、ナースステーションと、医師のスタッフルームのみだ。
東京都立府中病院産婦人科は、桑江千鶴子部長を筆頭に2人の医長、3人の勤務医、6人の研修医が昼夜を問わず働いている。
その日の当直は光山聡医長。スタッフルームでは、彼の指導で研修医が1人。縫合の練習をしていた。
「今日は平和だな」光山部長がボソッと言う。
外は雨。そこへ大橋まどか先生が報告に来た。
「双子ちゃん、今日は生まれそうにありませんね。明日の明け方くらいかも。雨だし、私もそならくして落ち着いたら、当直室で一休みします」
大橋先生は、当直ではなかったが、担当していた妊婦さんの陣痛が夕方から始まっていた。赤ちゃんは双子。一般的には帝王切開をするケースが多いが、妊婦さんは自然分娩を望んでいる。
大橋先生もその希望に応えようと。勤務時間後も病院に残り、定期的に様子を見ていた。しかし、深夜になっても生まれる気配はない。
自宅は自転車で数分だが、雨に濡れて帰るより、早朝の出産に備えて、当直室で仮眠をとることにしたようだ。
その会話から30分も経たないうちに、陣痛室がにわかに騒がしくなった。寝静まった廊下にバタバタと足音が響く。
「突然、破水して双子の1人の足が出てきています。いま、自宅待機の小児科医を呼び出したところです。到着したら、すぐに帝王切開です」
大橋先生の表情に緊張が走った。当直の小児科医もいるが、救急患者の処置で手が離せない。代わりに緊急で呼び出された小児科医が、白衣のボタンをとめながら、手術室へと足早に消えていった。
ストレッチャーに乗せられた妊婦さんが陣痛室から出てきた。キュルキュル……。キャスターがきしむ。ご主人が身重の妻の手を握る。
廊下の突き当たりにある手術室が浮かび上がった・
手術開始。ものの数分で双子の赤ちゃんが次々と取り上げられた。小児科医が保育器に入れて、吸入。静かな手術室に元気な産声が響く。緊張した空気が一気に弛緩する。
深夜2時半過ぎ。新生児室に移された双子ちゃんを、目を細め、ガラス越しにいつまでも眺めるお父さんの姿があった。執刀した大橋先生にも笑みがこぼれた。
「今夜は泊まるつもりでしたが、無事に生まれたので、帰ることにします」
ホッとした表情だが、疲れも見える。明日も通常どおり朝から勤務が入っている。
産科病棟では、まるで、人気米国ドラマ「ER」のような目まぐるしい日常が、連日連夜、繰り広げられていた。
妊娠4週目にして病院探し……
「出産難民」が急激に増えている
産婦人科の桑江先生は溜め息まじりにこう漏らす。
「産婦人科をとりまく環境は、年々厳しくなる一方です。特に公立病院は深刻で、都立でいうと豊島、墨東病院で産科を休診。大塚病院も産科を継続させるのは厳しい状況です。ここはまだ、産科医の人数もあり、なんとか踏んばっていますが、あと5~6人は戦力になる医師が必要です」
産婦人科医不足は、全国的に深刻だ。厚生労働省の統計によると、日本の医師数は過去50年で約3倍増加したが、産科、産婦人科はともに減少している。特に産科医は80年の半数以下。
産科医が不足して、出産拒否をされるのは私たち女性だ。出産できる病院を探し回る「出産難民」などという言葉も囁かれるようになった。
「妊娠して4週なのに、『診てくれる病院がないんです』と言ってくる妊婦さんもいます。出産前に遠く離れた病院近辺のホテルを借りたり、破水して車で2時間かけて病院へ向かう間、車中で生まれてしまうケースも実際にあります。あ、ちょっと待ってくださいね、電話だわ」
取材の間も、桑江部長の院内PHSには、患者や妊婦の急変を知らせる連絡が次々と入った、緊急の帝王切開、子宮外妊娠。そのたびに桑江部長はテキパキと指示を出す。
「出産年齢の高齢化に伴ってハイリスク出産が増えています。若くてもスラッとした体型の人が増えて、骨盤がひっかかって分娩が進まないケースもあります。不妊症でやっと授かった赤ちゃんも多く、妊婦さんのお話を聞いたり、医師の説明義務もありますので、一人一人時間がかかるようにもなっています」
妊婦側からの要望も強くなった。産む子どもの数が少ないだけに。一人の出産を大事にしたいというのもまた、時代の流れだ。
しかし、決して変わることのない産科特有の特徴もある。
「ハイリスク出産ばかりでなく、健全な妊婦さんにも突然、劇的な変化が起こることは日常的にあります。その意味で、産婦人科医療は非常に特殊で、常に緊張を伴うものです。勤務は過酷になり、ほかの科に移ったり、医者そのものを辞める人が多いのです」
産婦人科医は女医さんがいいという要望から、最近では若い世代の産婦人科医の3人に2人は女性だが、その女医さんたちが自分の出産を機に離職。医師不足を加速させている。
桑江部長は「女性医師の継続的就労支援のための委員会」の委員長も務めているが、それらは桑江部長自身、迷いながら産婦人科を続け、2人の子どもを育てたからだ。
「長女はゼロ歳児から近所の保育園に預けました。当時は都内の大学病院まで。通勤に1時間20分かかり、朝の開園時間まで待つわけにはいかずに眠ったままの子どもを毛布にくるんで、近所のおばさんに預けて、保育園まで連れていってもらったんです。その後、荒川病院に移ってからは、私が車で迎えに行ったのですが、赤いファミリアに乗っていたので、娘は、保育園の前を赤い車が通るたびに『赤いブーブ、赤いブーブ』と言っていたそうです。せつなくて涙が出ました』
毎日、お迎えはいちばん最後。幼い長女は保育士さんと2人っきりで、ママのお迎えを待った。実家の父母にもずいぶん世話になったそうだ。
「2人目のときは、病院のトイレで泣きながら母乳を搾って捨てていました」
学校の授業参観の日にかぎって緊急の手術が入る。手術の合間に、急いで遠足のお弁当を作ったこともあった。
「私自身何度、辞めよう、いつ辞めようかと、ずっと思っていました。皮膚科に転科しようとか、外務省医務官に応募したり、スウェーデン留学を考えたことも……。いま思えば、逃げたかったんだと思います。生活が辛くて、別の何かに活路を見いだしたかったのかもしれませんね」
踏みとどまらせたのは、教師をしている夫の一言だった。
「本当にそれでいいのか?子どもが大きくなったとき、私のためにお母さんは好きな仕事を辞めたなんて、きっとイヤだと思うんじゃないか」
そして、戦場のような医療現場に踏ん張って立っている。
「今日は9時前から血管造影室に入って、夕方まで進行がんの手術があるんです」
産科だけじゃない。婦人科の患者さんも大勢抱えている。
「昨日、陣痛誘発剤を入れた妊婦さんの逆子の出産も控えていて、場合によっては帝王切開になるかもしれません」 桑江部長はそう言うと、緑色の手術着の上に着た白衣の裾をひるがえし、颯爽と階段を駆け下りていった。
10万人に6人、母体死亡率の低さは世界でもトップクラス
桑江部長に限らず、ここの医師たちは誰も皆、歩くのが早い。エレベーターは使わず、階段を上り下りしている。エレベーターを待つのももどかしいといった風情だ。
午前9時。女医の本多泉先生(27)の外来では、8ヶ月の妊婦さんの定期健診が行われていた。
「前回の健診では、はっきりわからなかったから、今日、男の子か女の子かわかればいいなと思って。上が女だから、男の子がほしいんですけど」
本田先生がエコー画面を見ながら、説明を始めた。
「これが心臓、肝臓、腎臓、ここが足。うーん、あまりよい向きをしていないなぁ。内股で閉じちゃってるから……」
そのとき赤ちゃんが、お腹のなかで動いたらしい。一緒にモニターをみていた妊婦さんが声をあげた。
「先生、これ、そうですか。いまの、そうですよね!」
オチンチンが見えたのだろう。笑顔いっぱいで帰っていく彼女の後ろ姿が焼きついた。
これが本来の産科の姿だ。生まれてくる我が子を感じながら、幸せをかみしめるお母さんが溢れる場所……。
1年前、そんな産婦人科での衝撃的なニュース映像が流れたことがあった。福島県立大野病院の医療事故である。
赤ちゃんは無事に取り上げられたものの、前置胎盤で癒着した胎盤をはがそうとして大量出血が起き、お母さんが亡くなった。
担当医は業務上過失致死容疑で刑事告訴され、刑事がドカドカと病院まで押しかけると、担当医の頭からコートをかぶせて連行。そのシーンがテレビで大々的に流された。
「あのニュースに、産科医はみんな震え上がったんです。裁判が始まったばかりでハッキリとは言えませんが、事件の概要を知る限り、医師に過失があったとは思えません。亡くなられた患者さんは本当にお気の毒ですが、スタッフが揃った大学病院でも救えたかどうか難しいケースです。過失がないのに逮捕されたとなると、いっそう、産婦人科を希望する医者はいなくなるでしょう。産婦人科はただでさえ、訴訟率が高いというのに」(桑江部長)
先進国を含めた世界の平均では、10万人のお産に対してお母さんが亡くなるケースは400人。日本でも、昭和30年代の自宅出産時代までは、ほぼ同数の母体死亡があり、“お産は命がけ”といわれていたが、現在は、6人にまで減少。世界トップクラスの母体死亡率の低さだ。
「お産が安全だと誰もが思うようになりました。しかし、健康な妊婦さんであっても、赤ちゃんの心音が突然下がったり、産後、子宮から蛇口をひねったように大量に出血し、分娩台で意識が遠のくケースもあります。そのような急変がものの2,3分で起きる。どんなに全力を尽くしても、残念ながら救えない患者さんもいるんです」
期待と結果が180度違うことも産科ならではである。そのため、医療事故訴訟率は、産婦人科は群を抜いている。
朝日新聞の報道によれば、04年度の産婦人科医1千人あたりの医療事故による訴訟数は11・8件、外科は9・8件、内科は3・7件だった。
「産科への訴訟の特徴は、民事裁判の訴訟額が高いこと。それは平均寿命から賠償金を割り出すからですが、平均寿命をあげたのは、赤ちゃんの死亡率が劇的に減ったことが大きいんですね。それは産科医の努力の賜物ですが、現在の訴訟の多さは、皮肉にもそれが仇となっているのです」(日本産婦人科医会・宮崎亮一郎先生)
大野病院事件は、民事だけでは収まらず、刑事事件にまで発展したケースだ。医師の逮捕に疑問を持っているのが、三重大学の木田博隆先生である。
「産婦人科のみならず、外科の先生などからも疑問の声があがりました。起訴をしないように、約800人の実名入りの声明書を関係各所に提出したんですが……。この裁判の判決は全国の医師が固唾を飲んで見守っています。産婦人科だけでなく医療界に大きな影響を与えるでしょう。このまま医療崩壊に繋がると見ている医師もいます。ちょうど現在のイギリスのように」
イギリスの医師不足はすでに末期的状況で、風邪で病院へいくと「5日後に」、肺がん手術も「3ヵ月後に」と言われるそうだ。
日本も、近い将来そうなってしまうのだろうか。
医師には産婦と誕生の喜びを分かち合う時間すらない
それにしても、府中病院の外来患者はひっきりなしだ。
「一度外来に入ると、9時から夕方5時まで休みはいっさいありません。一日50人くらいの患者さんを一気に診ますから、ノンストップ外来です」
小池和範医長(40)はそんな軽口を叩きながら病棟を回り、2階にある陣痛室へ妊婦さんの様子を見に行った。逆子を出産予定の妊婦さんだ。
授乳室から、キャスター付きの保育器を転がして、お母さんが出てくると、気さくに声をかけた。
「まだちょっと肌が黄色いけど、サクッと生まれてよかったね。よく寝てるよね」
そして、指先で、気持ちよさそうに眠っている赤ちゃんのうなじをなでた。
「赤ちゃんが寝ているあの顔を見ると、ほっとする。これがあるから、産科は大変だけど、辞められないんですよ」
午後には2件の手術が入っている。その小池医長の助手を務めるのが、冒頭で双子の帝王切開をした大橋先生だ。
その日大橋先生は、当直明け。前の週末から京都で学会があり、帰った翌日から通常勤務についている。外来の途中で、受け持ちの逆子の出産もあった。自然分娩でスムーズにお産できたが、医師の方は気が抜けない・赤ちゃんを取り上げると、昼食もとらずに外来へ戻る。
夕方ようやく昼食をとり、そのまま当直。翌日、午後から2件の手術というわけだ。
「本当は午前中に、70代の患者さんのカテーテルによる抗がん剤治療が入っていたんですが、患者さんの体調が悪く中止になったんです」
急遽あいた時間も、休んではいられない。たまったカルテの書き込みに精をだしていた。しょぼしょぼしてくる目を押さえながら、それでも大橋先生は明るく言う。
「3年前は大学病院にいましたが、そのときはいまより当直が多くて、月の半分近くやっていました。1週間、着替えをしない、お風呂に入らないということもよくありましたよ。家に帰る気力もなくて、医局のベッドに倒れこむ。本当、下着を洗うヒマもないくらい(笑)。だから大学病院からこの病院に移るとき、餞別にパンツをもらいました」
その日のお昼過ぎには、桑江部長が気にしていた逆子の赤ちゃんの出産があった。
外来を一時抜けて、分娩室に入ったのは光山医長だ。
「おっ、いいね、いいね。そういう感じでね」
妊婦さんに優しく声をかける医長の声が響いてくる。待合室では付き添ってきた妊婦さんの叔母がそわそわしながら待っていた。
張りつめた空気を破ったのは、分娩室からの拍手と、光山医長の声だった。
「生まれましたよ~。女の子。よかったね」
漏れ聞こえる産声に、叔母は両手で目頭を押さえながら、誰にともなくつぶやいた。
「よかった、よかった……」
叔母は分娩室に入ると深々と頭を下げた。産婦さんも、とめどなく涙を流していた。生まれたばかりの赤ちゃんが、ママの枕元にそっと置かれる。ママがそのちっちゃな口元に指を運ぶと、さっそく吸いつこうとして口を尖らせた。
しかし、残念ながら、光山医長には、そこでともに喜びを分かち合う時間はあまり残されていないようだった。
「外来の患者さんを待たせているんで……」
笑顔で言い残すと、駆け足で外来診察室へ戻っていった。
使命感を持った産科医をこれ以上減らさないために
産科をめぐる諸問題には、勤務医だけでなく、開業医もさらされている。
神戸大学産婦人科学教室の山崎峰夫准教授らの調査では、兵庫県内の327人の産婦人科開業医・勤務医のうち、分娩を扱っている医師は59%だった。しかも、3割が10年以内に分娩をやめると答えた。開業医の高齢化も進み、予測できないリスクを抱えた分娩は、体力的に困難になっている。
結果、出産は大病院に集約されざるをえず、妊婦は出産難民になり大病院に勤務する産科医はさらに多忙になるという悪循環が起きている。
連続36時間勤務などということはザラ。府中病院の週の労働時間は過労死ラインの60時間を軽く超え、80時間になることもある。しかし認められる時間外手当は1ヶ月8時間まで。激務のうえに高給でさえなく、重い責任だけを過剰に問われるのだ。
民主党・枝野幸男衆院議員は不妊治療の末、昨年双子の赤ちゃんを授かったこともあり、産婦人科問題には熱心だ。
「訴訟リスクを軽減し、産科医の待遇を改善することが急務です。産科にはそれなりの待遇をもって、医師をキープするしかありません。ダイレクトに税金をつぎこまなくては、いい方向に転換していかないと僕は思っています」
問題は山積みだが、対策は崩壊のスピードに追いつけるのか。まだ、悲嘆にくれる時間もないほど医師たちは多忙だ。産婦人科は、扱う患者が多岐にわたるというのも大きな特徴だろう。「股がかゆい」などと、コンビニ感覚で救急車で飛び込んでくる若い患者もいるそうだ。
「『お腹が痛い』と少女が深夜、やってきました。幸い子宮外妊娠ではありませんでしたが、性に関する知識がまったくなく『性交渉は何人とした?』と、聞いても通じない。『エッチした人は?』と聞かないとダメなんです」大橋先生は苦笑した。
一度も検査を受けず、いきなり分娩で駆け込んでくる妊婦もいる。桑江部長も複雑な顔をした。
「望まない出産の結果、自分の子どもと認めない母親もいます。その場合は乳児院に手配することになります。そういった身の上話を聞くことも、私たちの仕事の大きな部分を占めているんです」
大橋先生は、専門の産科医になるためにシニアレジデントという研修制度で府中病院に来た人だ。
なぜこの逆境のなかで茨の道の産婦人科を選んだのかと聞くと、大きく笑った。
「なんででしょう。子どもからおばあちゃんまで、内科も外科も診られるし、若いお嬢さんの性教育もできる(笑)。
後はわりと大ざっぱな性格なので、検査の値だけでキチッキチッと決められない、計画通りにいかない産婦人科が性にあっているのかも。妊婦さんのお腹をなでているときが、一番幸せを感じるのかもしれませんね」
小池医長は「365日、24時間臨戦態勢」と、笑顔で言い残して手術室へ向かった。桑江部長もきっぱりと言った。
「決して逃げない。いまでも自分に言い聞かせています」
情熱と使命感に燃えた産婦人科医をこれ以上減らさないために――。私たちにもできることは、きっとある。
←今月のお言葉は『挫折禁止』がかわいくてわらえます(>▽<)!!!!!
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