(関連目次)→大野事件 医療事故安全調査委員会 医療政策
(投稿:by 僻地の産科医)
8.20大野病院事件、無罪判決について思うこと
庄和中央病院副院長
地域医療懇談会代表・医療制度研究会会員
、
洞ノ口佳充
、 日経メディカルオンライン 2008.11.27
(1)http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200811/508678.html
(2)http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200811/508678_2.html
(3)http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200811/508678_3.html
1) 無罪判決、加藤先生ご苦労様。やった、多くの医師たちの声が届いた。
8月20日、福島地裁は、2004年帝王切開手術での妊婦死亡事件に関する、業務上過失致死と医師法21条違反容疑で起訴されていた加藤医師に無罪判決を下した。そして、その後、検察は、控訴を断念した。県は、後日、加藤医師の復職を決定した。
この無罪判決は、全く当然の結果である、と私は考える。
20日は、平日にもかからず、福島地裁前に多くの若手医師たちが貴重な休暇をとり、集まって判決を見守った。かつて、これほど多くの医師たちが一つの課題の下に現地に集まったことがあっただろうか。25枚の傍聴券を求めて788人が列をなしたのだった。
たしかに、この裁判をめぐっては多くの学会の声明が出されてはいた。しかし、最初にこの裁判のおかしさを取り上げ、インターネットを通じて情報を広め、支援の会を立ち上げながら実際に行動したのは、医療現場の第一線で働く若手医師たちだった。地裁前に集まった医師たちであった。彼らの取り組みを先頭として、声は医療界全体に広がっていった。この力こそが、まちがいなく無罪判決を後押ししたのである。
「この裁判が、5年前のように、医師たちの声が上がらない状況でだったら、判決は今回と同じにはならなかったと思う。前田雅英氏(刑法学者の第一人者、事故調・制度創設検討会座長)が言う、『判決は国民の規範意識が反映する』、というのは今回のことです。」(井上清成弁護士)とも言われているのである。
医師たちは、このとりくみをとおして、無罪判決とともに自分たちの行動の手ごたえを、しっかりと掴んだのだ。
2) 「無罪判決でよかった」、で済まされるだろうか
そして、検察が控訴を断念せざるを得なかったのは、この裁判自体はもちろんのこと、その逮捕、勾留、起訴にいたるまで全くでたらめなものであり、公判を維持することなどできないと判断したからだと思う。この点を考えると、無罪になったから、控訴されなかったからよし、で済む問題ではないのである。逮捕した警察官、拘留を続けた検察官は「特別公務員職権乱用罪」(刑法194条)に当たるとして、刑事告発すべきだという声(木ノ元弁護士)もあるのである。
そもそもこの事件は、加藤医師個人が裁かれるような問題ではなかったのである。県立大野病院の管理責任者、病院職員の雇用主である県病院局、そして現場に犠牲を強いてきた政府の医療構造改革、これらの責任こそが問われるべきである、と私は考える。さらに、裁判後に、舛添厚労大臣は「だからこそ、第三者機関が必要」などと、言っている。これは、自らの責任を棚に上げ、強引に第三者機関の設置を図るものであり、許されるものではない。
3) 不当な逮捕、勾留、そして起訴
2004年12月17日、前回帝王切開の女性(29歳)に帝王切開の手術が行われた。執刀医は加藤医師、助手は外科医、麻酔科専門医の管理下で、輸血5単位(1000cc)の用意で行われた。術中非常にまれな後壁癒着胎盤を認め、出血が止まらず、濃厚赤血球10単位発注、さらにもう10単位発注。子宮摘出に移行、止血はできた。が、その後の腹壁縫合時に心室細動が生じ、懸命の治療にもかかわらず母体は死亡という結果になってしまった。(加藤氏は、一人で産婦人科診療をしており、いわゆる「一人医長」である。)
事件の後、2005年3月、県は、「事故報告書」を作成し、その中で、加藤氏が無理に癒着胎盤を剥がしたために起きた事故としたのである。病院の責任者も、県病院局も、自らの管理責任を問うことなく、責任を加藤氏一人に押し付けたのである。
内容に異議をはさんだ加藤氏、および彼の派遣元である、福島大産婦人科の佐藤教授に対して、病院管理者・県病院局は、「賠償金を保険会社が出すためには、ミスとするのが必要」と押し込んだのである。この事故報告書は、問題がありすぎて、検察側の資料、証拠としても後日の公判で取り上げられていない。この報告書が新聞報道されて、それをもとに、警察の捜査が始まったのである。遺族からの告訴はなかったにもかかわらず。
そして、2006年2月、県警捜査一課と富岡署が加藤医師を逮捕した。加藤医師は事件以来1年3カ月診療をつづけており、当時10人余の入院患者と、30人ほどの外来患者を診ていて、当日も、朝回診を終えて帰ったところだった。彼の妻は、当時妊娠中で、彼の逮捕後間もなく出産している。県の調査もすべて終わっていた。逃亡、証拠隠滅のおそれなど、逮捕の条件は何もなかったのである。
県警は、逮捕の当日マスコミに情報を流し、自宅からフード帽をかけられ、犯罪人として連行される加藤氏を大々的にテレビ放映させたのである。この報道は、多くの医師たちに、驚きと、怒りと、ある者には無力感を感じさせた。その後も彼が警察の主張を認めなかったがゆえに、約1カ月拘留がつづけられた。保釈に際しても、地裁は、条件の3番目に、「福島県立大野病院関係者とは連絡してはいけない」を付けた。このために佐藤教授ほか医局員たちは加藤医師と連絡が取ることができなかったのである。
そして、福島県警は、富岡署を、医師逮捕の件で功労があったとして表彰までしたという。
4) 一挙に進んだ産科医療崩壊
14回の公判では、「癒着の程度、クーパー使用の是非」など医師の診療上の判断の領域が争点として、検察の主張したい角度からのみ問題とされた。不当な逮捕と、公判で正当な医療行為すら結果責任を問われるという事態に、福島県のみならず全国で、産科医が分娩から撤退、「産科医療の崩壊」を促進したのである。この裁判がもたらした産科医療へのダメージは計り知れない。
都立府中病院産婦人科部長、桑江千鶴子氏は、著書(『医療崩壊はこうすれば防げる!』本田宏<編著>第3章「絶滅危惧種」産科の崩壊を防ぐ現場からの提案)でこう述べた。
「初めて福島県立大野病院の事件についての新聞記事を目にしたとき、それを切り取り、何度も繰り返し読みながら主治医の気持ちが迫ってきて涙を流した。出血が止まらなかったとき、どんなに怖かっただろう。たった一人ぼっちで誰も助けてくれる産婦人科医がいないところで、『誰か助けてくれ!輸血を早く!』と叫びたかったに違いない。多くの産婦人科医が同じ思いであったと想像する。もしも、福島県立大野病院の裁判で医療者側が負けた場合には、うちの分娩取扱をやめるか、安全に分娩できるであろう数まで分娩制限するつもりである。」
これは多くの産婦人科医たちの共通の思いであった。
5) 輸血供給体制の不備、一人医長体制を放置した病院管理者・県病院局
この事件は、事故原因究明の点からいって、加藤医師個人に問題があるわけではけっしてない。産科医療に現場で携わるほとんどの医師たちは、「帝王切開をしてみたら、癒着胎盤であった場合、大量輸血の準備がなく、麻酔科医も常駐していない病院で、産婦人科医一人だけでの対応であれば、だれが執刀しても母体死亡となる可能性が高い」というのが今回の事態に対する一般的な意見なのである。その条件のもとで、加藤医師は、精一杯のことをやったといえるのである。設備、体制の整った周産期センターであっても、母体救命は保証できないケースだったのである。
全国の産科医たちは、極めて悪い条件のもとで、診療に携わり、世界で最も安全な分娩を支えている。たとえば、産科診療の現場で輸血を10単位用意するのも至難の技なのである。
現場からの要望に対し、病院長、県病院局は「一年に一度起こるかどうかのために血液を常備することは経営上できない」「不良在庫を抱えれば病院の赤字はさらに増える」など、経営上の圧力を医師にかけるということが至る所で起こっているのである。(今回、実際は5単位が用意され、報告書では10単位用意すべきだったなどと書かれている。)
また、一人医長体制は、加藤氏が選んだものではない。佐藤教授によれば、加藤医師は当初は、大野病院ではなく、隣町の「双葉厚生病院」へ派遣の予定だった。そこは産婦人科医がすでに一人いて、小児科医も2人いたのだった。だが大野病院の移転・新築の際、県病院局は「小児科医も来るから産科医も欲しい」と、加藤医師の派遣を要請したのだった。実際は、小児科の派遣はなく、彼は大野病院では、一人で母体の管理に加え、本来は小児科医の業務である新生児の管理もしていたのであった。
輸血在庫の抑制と、一人医長体制はあきらかに県病院局・病院管理責任者が強制してきたものなのである。
また、起訴理由の二つ目、医師法21条の届け出違反についても、事件が、仮に「異状死」としても、県立大野病院の内規では、届け出義務は病院長にあるのであって、この件で加藤医師を逮捕するのは間違っている。
6) 政府の医療構造改革・改革ガイドラインによる公立病院切り捨てをあらためよ
こうした病院管理者・県病院局の姿勢は、厚労省の医療政策・医療構造改革、財政政策に関係しているのではなかろうか?
政府は「骨太方針2002」の「三位一体の財政改革」によって国庫負担金、地方交付税を削減した。そのため、地方自治体の財政は一挙に悪化した。例えば、その60%以上を社会保障費に使っていた国庫負担金の削減は、地方自治体の公立病院経営に大きな影響を及ぼした。福島県においても、県立病院は、経営改善の名の下、現場に、人不足、仕事量の増加、安全性を無視した経費削減を強いたのである。
そして、今総務省は、「公立病院改革ガイドライン」によって、地方自治体に対して公立病院の徹底した経営改善策を求めている。「赤字」病院には、コスト削減を迫り、民営化や、閉鎖を勧告している。そのため、医療現場は大変な人手不足になっている。とりわけ産科診療での医師不足は顕著で、日本の分娩取扱施設3056のうち、1401施設、実に46%が、加藤医師と同じ一人医長体制なのである。大野病院での事故は、全国どこでも起こりえたのである。
舛添厚労大臣は、判決を受けて、「医師の気持ちもわかるが、国民の医療不信もある。両者を調停するのが「第三者機関」だと言った。これは、医療崩壊をもたらした、したがって医療事故の要因を作り出した自分の責任を、ごまかすものだと私は考える。
ほらのぐち よしみつ氏○1984年金沢大医学部卒業。獨協医大越谷病院外科助手、庄和中央病院 外科・副院長を経て現職。
コメント