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(投稿:by 僻地の産科医)
本日、控訴期限です。
本当にようやく、大野事件が終結しますo(^-^)o
ですが、すべてはここからなのです。終りではありません。
(※今日のニュースはお休みします)
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患者との信頼構築「最大の課題」 舛添厚労相、大野事件控訴断念で(MF)
日刊薬業 2008年09月02日
舛添要一厚生労働相は8月29日、神戸市内で開かれた日本褥瘡学会学術集会で講演し、検察が控訴を断念した福島県立大野病院事件について「警察が介入したということが1つの問題」との認識を示しながら、「大野病院事件は医師側と患者側双方の言い分を聞いた。特に患者側に大きな不信感があることが大きい」として、今後の医療政策の最大の課題は医師と患者の信頼関係構築にあると指摘。厚労省としては医療安全対策や産科医療の補償制度などで対応していく考えを示した。
大野病院事件・患者遺族への単独インタビュー
遺族の求める“真相”とは…控訴断念でも残された課題
MTpro 記事 2008年9月1日掲載
軸丸靖子
http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/0809/080903.html
無罪判決の出た福島県立大野病院事件で,福島地検は8月29日,控訴断念を決めた。2006年の逮捕・起訴以来,医療界を大きく揺るがしてきた事件は,加藤克彦氏の無罪確定でようやく収束へ向かうことができるといえる。
だが,ただ元の医療界の姿へ戻ることは許されまい。大野病院事件を機に創設への議論が始まった医療安全調査委員会(仮称,いわゆる医療版事故調)は,社会が医療界に求める変革の象徴だ。医療系メディアの多くは無視しているが,大野病院事件の患者の父・渡辺好男氏(58歳)が発するメッセージには,その社会的要求が凝縮されている。それは決して医療界と相容れないものではないはずだ。判決から1週間後の8月26日,記者があらためて渡辺氏に伺った話の一部を紹介する。
「知りたかったのは25日間のプロセス」
渡辺氏は,8月20日の無罪判決後に初めての記者会見を開いた。『残念な結果』『これからも真相を求めていく』などと語る姿をテレビのニュースで観た方は多いだろう。窓のない暗い部屋で渡辺氏が1人で受け答えした会見は,まぶしいほどの日差しの入る部屋で10人近い弁護団に囲まれて行われた加藤氏の会見と対照的だった。
――これまでの公判をすべて聞いても納得がいかず,今後も真相を求め続けるといわれますが,渡辺さんが知りたい「真相」とは何ですか?
「公判は手術中の数分間のことを主要な争点として進みましたが,娘には大野病院で25日間の入院期間がありました。その25日間のプロセスを聞きたいのです。入院となったとき,検査を受けているとき,手術に入るとき。娘が息をしている間にどんなやりとりがあったのか,どんな風だったのか。現場では何があったのか,医師だけでなく看護師や助産師にも聞きたいのです」
「事故直後の12月26日に加藤医師や病院の事務長らが説明に訪れたときにもそのことは要望しました。『1人2人の話ではなく全体の様子をつかみたい,ここにいる人だけじゃ分からないから現場の話も聞かせてくれ』と言ったのですが,そんな時間は取れないという答えでした」
「その後警察が捜査に入って初めて,助産師が加藤医師に高次病院に送った方が良いのではないかと進言していたことや,大学病院の先輩医師が出血多量で苦労したケースがあったと助言していたことが分かりました。なぜそこで加藤医師は止まらなかったのか,なぜ大野病院で娘のケースを扱えると判断したのか,いまも疑問です」
「『医療とはそういうもの』とか『医師の裁量』といわれるけれど,それでは議論が閉じてしまう。医療界に前向きなものが感じられないのです」
――事件に関して,ネット上では医師らによる書き込みが多くされました。なかには「警察に訴えた」「民事訴訟も起こしている」など事実誤認の情報もありました。
「驚きましたよ。そんなことは怖くてやっていません。確かに葬儀の前に警察に届けることは考えました。届けるなら荼毘(だび)に付す前に解剖が必要になるでしょうから。ですが,いろいろな事情を考え合わせて,結局警察には行っていません」
「専門家だけにもっと掘り下げて調査してほしかった」
県の医療事故調査委員会の報告書ができたから病院まで来て欲しいと連絡があったのは,事故からおよそ3か月後。用語説明まで入れてA4用紙で7ページ,本文部分4ページの報告書が提示された。
――どう受け止められましたか?
「報告書を見てすぐ『こういうことを聞きに来たんじゃない』と席を立ちました。あれは医師の聖域に対して作った報告書であって,患者に説明するものではない。県が事故調査委員会を立ち上げると聞いたときに,遺族はどんなことを知りたいのかとか聞き取りがあるのかと思っていました。でも一切ありませんでした」
「医療の専門家が医療現場のことを調べたのだから,事故調査そのものに問題があったとは素人としては言いません。ですがこういう事故については,医療の専門家だからこそもっと追求して,掘り下げて調べることではないのかと思います。それこそ医療の専門家にしかできないことじゃないのでしょうか」
――この事件を機に医療版事故調の創設に向けた議論が本格化しました。
「医療界ならば医療事故についてもっと掘り下げて追求して,原因をつぶすことが大事なはずです。再発防止に役立ててもらいたい。それができますか? 医療者自身でそれができる体制が作れますか? と思いながら見ています。医師の処罰などというのではなく,痛みのある調査をしてくださいと言いたいです。原因追及をして事故防止のルール作りにつなげていく。そういう事故調査が必要なのじゃないでしょうか」
「たとえば,このくらい難しい症例ではこのくらいの医師の力量と病院の設備の両方がそろっていなければやってはいけない,といったルールです。力量と設備のどちらが欠けても医療提供のバランスは崩れるのですから。それが医療界も患者も助かるラインなのだと思います」
厚かった医療界の壁,事故調なかったことに驚きも
医療事故の患者・遺族が口をそろえて嘆くのが「医療界の壁」だ。事故が起こったとたん,窓口が閉ざされてしまうのだという。病院内にある情報が当事者である患者・遺族にも出てこない。知りたければ裁判を,と病院側に言われて裁判になる遺族もいる。
――県病院局が示談金の交渉に来たとき,「まだ何も分かっていない」と言って検査機器のデータを出すように要望したそうですね。なぜいきなり検査機器のデータだったのですか? そこで県や病院とのやりとりは途絶えてしまっていますが。
「とにかく病院とのキャッチボールをしたいという考えでした。病院側が対話を打ち切ろうとしているのが感じられるのですが,こちらは何かを知るために対話を続けたい。何か情報をつかみ,それをとっかかりにして問題をつかみたい。(根拠があったわけではなく)思い浮かんだのが検査機器でした。向こうからは話は出てこないのですから,自分から出していかなければと必死でした」
「『医療界の壁』という言葉は聞いてはいましたが,現実でしたね。何とかヒビを入れて情報が入ればと思って質問を投げかけたつもりでしたが(逆に途絶えてしまった)。医療界の厚い壁にドアができるとか,ガラス張りになるとかしてほしい。そのために患者はどんな風になったらいいのかを考えています」
――無罪判決はどんな気持ちで聞かれていましたか?
「……どうしようもないですからね,これは」
――判決後の記者会見では,裁判になって知りうることがあったのが収穫,とおっしゃっていましたね。
「そうです。真相究明を求められる場がないなんて,娘の事故があって初めて知りました。なんでそんな体制ができていなかったのかと。医療はもっとしっかりしているものだと思っていました。ところが裁判しかなかった」
「こういう事件になってから事故調査機関創設の動きになったのが残念です。娘が生きているうちにこういうものは確立しておいて欲しかった。ただ,機関を作っただけではダメです。それが機能しているかのチェック,機能評価もしなければならない」
――判決後,福島県に「医療事故再発防止のための要望書」を提出されましたね。
「第三者機関を作るのであれば,被害者として細かいところにアドバイスが出来ると思うのです。ただ,私は医療界というものに文句は言えない。大きいですから。まずは県レベルでやって欲しい,そのための発言はしていきたいと思っています」
ご遺族の要望である、事故を未然に防ぐための対策とは、術前に癒着胎盤を100%見出せる診断法の確立、ということになると思われる。
現状では、加藤先生の慎重な対応によっても、術前に診断できなかった、ということで、ご理解をいただくしかないようです。
投稿情報: 苦渋医師 | 2008年9 月 3日 (水) 09:57
いい記事ですね。
ご遺族の主張としては典型的なものが並んでおり、事件発生時はともかく、現時点に至るも福島県病院局が組織的対応が全くできていないというのは実に驚くべきことです。
同じ福島県内でも民間病院の多くであれば当然に既にできるような組織的対応すら全くできていません。
これでは、ご遺族としては気持ちが収まらないのは当然と思います。
投稿情報: rijin | 2008年9 月 3日 (水) 11:49
大野病院事件とは、産科医師が引き起こした事件ではなく、検察と警察が起こした冤罪事件です。
真相究明というなら、今後、この冤罪事件に対する真相究明がなされるべきです。この事件にはあまりにも不自然な点が多すぎます。
・なぜ、逃亡の恐れなどあり得ない、診療中の産科医が逮捕・拘留されなければならなかったのか?
・なぜ、わざわざ産科医師の奥様の出産にあわせたようなタイミングで逮捕したのか?
・産科医師逮捕が富岡署の表彰につながっているが、警察側に人権とは全く別次元の出世欲などの意識が働かなかったと言い切れるのか?
・外部からの何らかの圧力が検察・警察に働いた可能性は本当にないのか?
これらに対する明確な説明・証明がなされない限り、私たちもまた検察・警察権力への不信感をぬぐい去ることはできません。
僻地の産科医先生が書かれるように、すべてはここからだと思います。
投稿情報: 地方小児科医 | 2008年9 月 3日 (水) 12:46
ご遺族、特に実のご両親にとって、入院してから亡くなるまでのすべてのことが知りたかったのですねぇ。
この記事を読んでふと、私の施設で各利用者さん用の支援記録のようなものがあればよかったのかしらんと思いました。
病院の看護記録がどんなものなのかはわかりませんが、施設の個別の支援記録には職員と交わした会話とか、しぐさとか、読み取れる心情とか、家族との話し合いのやり取りとか、どう支援して結果がどうだったのか結構具体的に細かく書くので、施設で亡くなられた利用者さんのご遺族の方は、それを読んで納得される方が多いのです。(記録者によるけれども)重要な事柄ですと、会話(やり取り)を細かく書くように指示されます。
入院していた期間の、生きていたときの日々のすべてと、なぜここに入院することになったのか、なぜ手術をすることになったのか、どんな過程を経て亡くなったのか、入院して亡くなるまでの間の事を、目の当たりにしたい そのすべての日々をそばで見つめていたかのごとく知りたい、そんな思いだったんだろうな と思いました。
投稿情報: ばあば | 2008年9 月 3日 (水) 13:12
昔、利用者さんが施設と病院を出たり入ったりしながら闘病生活をし、亡くなられたケースを思い出しました。
入院中は家族が付き添えないので、職員が交代で付き添いましたが、職員間の連絡用に病室にノートを置き、病院とのやり取り・利用者さんの様子などを細かく書いて、利用者さんが亡くなるまでに5冊ほどの入院記録ができました。
利用者さんが亡くなられてから、ご家族が不信感を抱かれたので、病院の担当医・看護師からの説明もあわせて、この5冊の入院記録をお見せしたところ、納得していただきました。
たぶん、5冊の入院記録がなかったら、厄介なことになっていたのでしょうね。
投稿情報: ばあば | 2008年9 月 3日 (水) 13:28