(関連目次)→医療事故安全調査委員会 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
さてさて、多分最初は上・中・下の3回だったのでしょうが、
全5回にわたったキャリアブレインの連載ですo(^-^)o ..。*♡
9月6日に行われたシンポジウムの詳細です!
また、川口さまのレポートもどうぞ!
『横着』の張本人
ロハス・メディカルブログ 2008年09月11日
http://lohasmedical.jp/blog/2008/09/post_1372.php
関連のがこちら M3から
大野事件がこれで終わるとは到底思えない―“医療事故調”のシンポ
事故調シンポ「患者と医療者が手をつなぐには」
熊田梨恵
キャリアブレイン 2008年9月9~13日
(1)http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18098.html
(2)http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18109.html
(3)http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18146.html
(4)http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18165.html
(5)http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18185.html
「患者と医療者が手をつなぐためにすべきことは何か」―。「医療の良心を守る市民の会」(永井裕之代表)は9月6日、「中立公正な医療事故調査機関の早期設立を望む」と題したシンポジウムを東京都内で開いた。厚生労働省が創設を検討している「死因究明制度」について、秋の臨時国会での法制化を後押しすることを目的とした開催だったが、福田康夫首相の辞任表明により、今後の見通しは不透明になっている。こうした中、シンポジウムでは医療者や医療事故被害者の遺族、国会議員、厚生労働省の担当者などのさまざまな立場から、さらに議論を深め、制度の中身を充実させようとする意見が上がった。シンポジウムで出された発言を、3回にわたってお届けする。
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シンポジウムではまず、開催に寄せた舛添要一厚労相のメッセージが読み上げられた。
8月27日に、「医療の良心を守る市民の会」と患者・家族の皆さんのお話を聞かせていただき、「中立・公正な医療事故調査機関の早期設立を望む要望書」を頂いた。各方面の意見を聞いた上で、このような機関を設ける必要があると考えている。厚労省は、4月に医療事故の原因究明と再発防止を目的とした「医療安全調査委員会」(医療安全調)に関する第三次の試案を、6月にはそれを法律案化したイメージに当たる大綱案を発表し、現在国民の皆様からご意見をいただいている。その機関の目的は、医療事故の原因究明をし、事故原因の分析情報を開示し、ほかの医療機関がその情報を活用し、同じような事故が二度と発生しないように努め、医療の質と安全の向上を目指すこと。この新しい仕組みの構築は、医療の透明性の確保や医療に対する国民の信頼回復につながるとともに、医師などが委縮することなく医療を行える環境の整備に資するものと考える。また、起こってしまった医療事故に対して医療機関は「患者中心」を忘れずに、事故発生時の十分な説明・対話など「誠意ある初期対応」をしっかり行うことも大切。そのために医療界・医療者自らが自律性と透明性をより高めることも必要と思う。その機関が設立されたとしても、その運用において、多岐にわたる困難が予想される。医療界・医療者、患者・家族、市民、行政が協力してより充実した立派な仕組みに育て上げていくことが必要ではないか。
次に、各パネリストが登壇。それぞれの立場から主張を展開した。
■医療界が中心的役割担う制度に
佐原康之・厚労省医政局総務課医療安全推進室長
医療事故を調査する機関が必要ということにはどなたも異議はないと思う。一定のコンセンサスを得られるものではないかとして、4月に第三次試案を、6月には「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」(以下、大綱案)を発表した。第三次試案を現実化する際に、法で対応するといいもの、政令や予算で対応するもの、医療法や医師法を直せばいいものなどがある。第三次試案は51のパラグラフがあり、そのうち法で対応する事項を抽出して条文化したものが大綱案だ。
行政処分については、調査結果を出すまでは医療安全調が担い、その後は別の組織が担う。個人の責任追及ではなくて医療安全の向上を目的として実施する。医療機関に対しては、システムエラーの改善の観点から、院内の医療安全体制を見直してもらう。個人に対して処分する必要がある事例については、再教育を重視する。刑事処分については、行政処分の実施状況を踏まえて対応する。
捜査機関との関係については、医療安全調が専門家の視点から、著しく悪質と判断した事例について警察に通知する。警察は医療安全調の判断を踏まえて刑事手続きを進める。
医療事故の原因究明・再発防止を図るこの制度については、医療界が中心的役割を担い、医療の透明性や信頼性を高めるという仕組みにする。医療関係者の責任については、医療関係者が中心となった医療安全調の判断を尊重する仕組みの構築を提案している。ただし、新しい仕組みがうまく機能するか否かは、医療安全調が医療者や患者・家族を含め広く社会から信頼される組織であることが重要。良い制度とするために、まだまだ国民的な議論が必要かもしれないと思うので、よろしくお願いしたい。
■捜査機関との関係「国会内の答弁に拘束力」
古川俊治・自民党参院議員
第三次試案に対する意見で挙げられた主な問題点については、次のように対応できる。医師法21条の改正については、「ただし書き」の形で医療安全調への届け出と重複しないよう法令に明文化する。捜査機関との関係の明文化について、法律を拘束する判断趣旨については、国会内の答弁は拘束力があるので、こちらでこれから対応できる。所管省庁については、厚労省の中に置くのはよくないという意見があるので、公務員削減政策で大幅に人数を増やせない状況でもあるが、内閣府も考慮する。
主に医療界から出ている引き続き検討すべき課題としては、次のように考えられる。「標準的な医療行為から著しく逸脱した医療」などの定義が不明確ということについては、具体的な臨床に即して医療者の作業部会で具体的な基準を作成する。調査結果が行政処分や民事・刑事訴訟に利用されることについては、調査資料をすべて公開するのではなく、調査した部分と医療安全調からの提言部分に分け、提言部分だけを使えるよう利用可能部分を限定することが考えられる。遺族からの告訴権が残っているため、委縮医療が進むと指摘されていることについては、医療安全調を前置するよう、今捜査機関とのやりとりが進んでいる。医療安全調への非医療者の参加を疑問視する声があるが、透明性や説明責任という観点から、当然入らなければいけないと考える。医療過誤の刑事免責については、引き続き検討していかなければならない。
また、大綱案にある報告や届け出義務違反に対する処分では、(1)病院勤務医等の病院等管理者への報告義務違反(2)管理者である勤務医等の委員会への届け出義務違反(3)病院等管理者の委員会への届け出義務違反―があるが、(1)と(2)は1度目の違反で刑事罰となり、(3)は1度目の違反は行政処分、それでも従わない場合に刑事罰になる。(2)と(3)では立場が違うだけで同じ管理者なのに処分が違うというのは均衡が崩れている。また、(1)と(3)では(3)の方が法益侵害が大きいと考えられるため、(1)と(2)が軽い方が法の趣旨に合っていると思われる。
■臨時国会での法制化「ほとんど可能性ない」
鈴木寛・民主党参院議員
超党派議連の幹事長という立場で発言する。医療事故調査機関の問題については、臨時国会ということで舛添厚労相や尾辻秀久議連会長と協力して進めてきた。残念ながら率直に申し上げると、福田首相の内閣総辞職で、臨時国会で質疑が行われる可能性はほとんどなくなった。舛添厚労相は医療界や患者側からも議論が沸騰したこの問題について、果敢に解決しようとした積極的な大臣で、議連の立場としてやっていってほしいと会長に声が掛かっていた。舛添厚労相の留任がなければ、政治状況としては変わってしまうだろう。
原点に立ち返ってみると、医療に関する患者や家族の願いは「救命率や治癒率を上げてほしい」ということ。この問題については、社会保障費2200億円の削減はあるが、医師増でプラス約1500億円となったので、小泉政権以来続いた医療費を切り詰めていく流れは、一回底を打ったと考えていいのでは。これが今後V字カーブとなるか、低位安定になるかは、国民が今後世論をどう盛り上げて、税金の使い方を議論していくかということになる。
医療事故の問題については、事故発生防止のため、医師増や教育の充実、ガバナンスを徹底して、医療事故が起こらないようにしていくことが大事。また、重要な問題として、病院側の隠ぺい体質もある。公立病院のガバナンスは相当に事なかれ主義だ。(福島)県立大野病院、都立広尾病院などもすべて公立。病院長か都・県庁の担当者か、誰が責任を取るかが不透明なので、ここに注目すべき。こうした状況が患者や家族を追い詰めてきたのは事実だ。
医療事故調査機関の設立については、医療者側と患者側の思いは対峙(たいじ)するものではない。だが、「福島県立大野病院事件」や、厚労省の第二、三次試案などをめぐって、本来パートナーであるべき医療者と患者側の関係が分断されているようなイメージが先行していることを危惧(きぐ)すべき。お互いにいろんな誤解があると思うので、それを解いていかなければならず、医療者と患者の関係の再構築が急務。大野事件から浮き彫りになったのは、刑事裁判だけでは患者や家族は救われないということだ。患者・家族の支援の枠組み(づくり)が急務。医療界は自浄能力を発揮する姿勢を示してほしい。
また、刑事訴訟法239条1項に告発の権利が保障されている。告発権を縛れるかどうかということは、法治国家として重要なこと。国会の質疑応答や行政上の取り決めで、刑訴法に定められている患者の権利を制限できない。それが法に照らして正しいかどうかということも、立法府として考えねばならない。
■刑事裁判は真実追究の場ではない
大野病院事件の判決が出たことを受け、医療事故調査委員会について考えることを話す。「大野病院医療事故調査委員会報告書」では、事故の要因として▽癒着胎盤の無理な剥離(はくり)▽対応する医師の不足▽輸血対応の遅れ―が挙げられ、被告だった医師に行政処分が科せられた。だが、裁判で証拠申請はなされず、証拠調べは当然なく、事実認定に全くかかわらなかった報告書だ。裁判では、癒着胎盤の無理な剥離があったというところが理由として起訴されたが、輸血問題については取り上げられなかったということが、刑事裁判の性質を考える上で、極めて大事だ。
判決は、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果であるとして無罪とした。刑事裁判は、検察構図との闘いだ。検察官が理解する「医療事故の事実関係」に基づき、「これなら有罪に持ち込める」と考えた範囲に限った主張での訴状が出され、証拠が取り上げられる。立証責任は検察官にあり、弁護側は検察構図をただ崩すだけの役割しかなく、無罪を立証する責任は法律的にはない。医学鑑定人についても、弁護側は2人の産科医を選定したが、検察側が選定したのはほとんど出産にかかわったことも、胎盤をさわったこともない2人の産婦人科医。ここに、裁判所における鑑定人選任システムがある民事との違いがある。検察側が彼らの判断能力を理解できたのか、最後まで疑問だった。そもそも、医学上の判断を医の素人である裁判所に委ねるのはおかしくないかと思う。ただ、医療側が自ら責任を正してこなかったため、患者側が司法というものに答えを求めようとしたのは当然の結果だ。患者側代理人として医療過誤訴訟を経験してきたが、原告代理人の持っている調査能力には限界があると思われる。刑事事件ではその限界が露呈した。
■きちんとした事実調査だったか
医療事故調査委員会の目的は何か。真相究明と責任追及の両方が可能か、その両方をねだって両方を失うということはないか。裁判を通じてご遺族が一番不満に思われたのは、きちんとした事実調査がどこまで行われたかということだと思う。3つの問題のうち起訴されたのは1つだが、あとは「過失がなかった」と検事が判断したということなのか。調査した範囲はそれで十分だったか。いつも思うことだが、解剖がないような状態で、どうしてまともな検証ができるのか。解剖だけでも足りない。カルテがどこまで正確か、手術経過のビデオ記録を義務付けるのも当たり前であり、解剖を義務付けるという法律改正がないことの方が理解できない。できる限り多くの専門家の意見を聞いても、「これが正しい」という意見を得ることが何と難しいことか。例えば産婦人科といっても、さまざまな専門家がいる状況の中で、専門的な検証ができる制度づくりができるだろうか。その制度がどこまで公正か。そのためには手続きの透明化や、専門医以外の専門家の意見が聞ける調査システムが要る。
関係者に対する事情聴取だが、聞かれる当事者が刑事責任を問われると思っていたら、どこまでまともに本当のことを答えるか。仲間が逮捕されると思ったら協力できるか。そのことは十分に検証されなければ事故究明を考える上で大きな障害だ。科学的な原因究明と、刑事責任を受けるような責任追及とは、制度も思想も目的も異なるからだ。
■「先端科学の消費現場」に過失概念はそぐわない
しかし、医療事故に学ばねばならない。医療事故を検証すれば、学ぶものの宝庫を手にする。患者や遺族が納得する事実もあるだろう。医療事故は過失がなければそれでよしとする問題ではない。優れた医療であっても、改善すべき点がないわけがない。医療は常に発展せねばならない。学問であり、先端科学の消費現場でもある。そこを改善する努力を考えず、医療だけに視野を持っていては、まともな事故検証も再発防止もできない。その意味で、いつまでも過失概念に取りつかれた事故検証は時代遅れだ。追及すべきは追及するが、それにとどまらない検証が求められている。それが最終的に患者や国民が納得し安心する、「医療事故の実態に近づく」ということではないか。
■「信頼」得るため、自律機能を持つべき
そのためには、医療者が患者に理解されるようにならなければならない。実際に医療の専門的な部分を調査・検証し、語ることができるのは医療者。いくら自分のスキルを高めても、国民や患者から納得してもらうためには、「信頼」を得なければならない。医療は今までスキルの向上には熱心だったが、「信用」されているだけでは足りない。信頼されるには、スキルではなく、人格として優れた人でなければならない。プロフェッショナルはそういう責務を負っている。モンスターペイシェントという言葉で非常に不安を持たれている(医療者がいる)が、同時にドクターハランスメントや、とんでもない医者も存在している。そういう人たちを臨床現場に残していることが不信や怒りを招き、信頼を失う。「スキルややり方は正しい」と言っても、「うそをつけ」ということになる。医者が自ら、自律機能を果たしてほしい。少なくとも臨床にいる医者は、自律機能を持ってほしい。しかし、医師会も医学会も任意団体。わたしはあえて言いたい。臨床現場に働く医師は、立法措置をもって強制加入の団体に加入させる。その中で自律的に懲罰権を与えて、処罰すること、業務を停止させること、退場を命ずることもさせるべきだ。弁護士会が行っているような機能を一つの参考としていただければ、大きな道が生まれてくる。医師が自律してほしい。信頼を得てほしい。そこから本当の医療事故調が機能してくると思う。
医療界が引っ張らねば機能しない
国立がんセンターがん対策情報センターがん情報・統計部、渡邊清高室長
市民の立場で、厚生労働省案と民主党案の二者択一ではなく、医療の安全と信頼の向上を目指すという視点から医療事故調をどう位置付けるかという提案をしたい。
医療における安全の向上は終わりのないテーマ。医療事故のない医療は、安全で安心な医療とはイコールではないので、医療事故があるということを前提に、どう対処するかを考える。医療事故が有害事象であると同定され、事実関係の確認がされ、当事者に説明や情報提供され、調査・分析がなされ、患者・家族に謝罪や補償がされて、納得がなされ、医療の質の向上に結び付くものでないといけない。刑事責任追及には限界があり、再発防止にはつながらない。真相の断片を知ることはできるかもしれないが、犯人探しの視点では、問題が発生する。個人に責任が集約されてしまい、他の事象が見られなくなってしまい、患者側と医療者側の紛争の発生となったり、「ああならないように気を付けましょうね」という声掛けにとどまったりしてしまい、医療現場で教訓として残らない。
大野病院事件が残した課題については、本当に医療側だけに有利な判決と言えるだろうか。検察側が自白調書重視、鑑定書重視の方針を取ることで、逆に原告側に有利となる医学的な知見や鑑定が集めにくくなってしまったのではないか。これには、医療界の専門職集団が責任を持って、自律的組織としてやっていくしか解決方法はないと思う。
■届け出判断の負担を現場に負わせない
透明性や分かりやすさを考えれば、疑わしきはすべて届け出るということを基本的スタンスとすべきと思う。医療不信の一翼を、情報の非対称性やコミュニケーション不足が負っているなら、過誤の有無にかかわらず、一般の人が予期しない死亡はすべて届ける。それが医療の不確実性や限界について共に考える機会として、医療安全やリスクの共有につながる最も近道ではないかと思う。また、届けるか否かの判断の負担を現場に負わせないことが必要。オーストラリアのある州では、医療における有害事象について、起こった結果と起こりやすいかどうかを当てはめることで、報告基準が分かるようにしている例もある。なぜ起こったのかを明らかにすべく、初期対応と原因究明がスムーズに進んで再発防止に生かされることや、患者・家族や医療者自身も立ち直るためのサポートも必要。協調関係を維持しながら、さまざまな立場で必要な方策を実現していく。公開すべき医療事故の基準や、長期的に見てこのような(医療事故調査機関の)制度が患者の満足度を高め、医療の質を向上させていくのかという視点の検討も併せて必要。
■現状のままなら厚労案、自律組織あるなら民主案
届け出から評価・分析までを一つの流れとして示す厚労省案と、処分と再発防止プロセスは分けて扱うという民主党案。それぞれまだ議論すべきことはある。
この制度を国民のコンセンサスの下で医療界が率先して引っ張っていかねば、十分に機能しない。透明性・公平性を担保するため、(制度の)入り口はなるべく広くする。中身については、医療界の自律的な組織ができる方向性のめどがあるならば、民主党案の方がいいかもしれない。現状のままなら厚労省案のように、届け出に縛りを掛ける方向にせざるを得ない。出口については、規律と処分の関係を示した厚労省案と、医療界の自律を促す制度の余地を残した民主党案。それぞれ具体的になった部分と課題が残った部分があるので、制度設計の議論を進め、検証しながら実践に軸足を移すべき時期にあると思う。
いろんな立場の人の合意の上で制度をつくることが大事。そうしないと実効性や効果に不満を残す。「被害者寄り」とか「医療者側に譲歩」という考えでは合意形成は不可能。その意味で市民やメディアも責任あるプレーヤー。オープンな実りある議論をしていけば、初めは完全なものでなくても、こうした議論が医療の将来を明るくしていくものになるのでは。
厚労・民主案、制度目的の違いが最大の相違点
医療問題弁護団・木下正一郎弁護士
大綱案・第三次試案と民主党案の相違点について述べる。個々について小さな違いはあるが、制度の目的が大きく違っているということが根本的な違いだ。個々の論点について同じ運用でも、制度の目的が違えば今後の運用は違ってくるので、立法化していくにも目標をしっかりと立てることが大事。
第三次試案の目的は、医療死亡事故の原因究明・再発防止、医療の安全の確保。大綱案では、「医療事故死等の原因を究明するための調査を的確に行わせるための医療安全調査地方委員会を、医療の安全の確保のため講ずべき措置について勧告等を行わせるため医療安全調査中央委員会を設置し、もって医療事故の防止に資すること」が目的。民主党案の目的は、原因究明制度案では、「患者・家族(遺族を含む)の意志や思いを最大限度尊重しつつ最も効果的に死因・経過を究明する制度」となっており、患者支援法案では、「患者・家族の納得と原因究明」で、再発防止については、日本医療機能評価機構の医療事故情報収集等事業が担い、事故調査組織は行わないとしている。
■民主案、すべてが届け出対象
届け出範囲については、大綱案は死亡例を届けるとしており、第三次試案には一定の届け出範囲があり、そこについて届け出義務がある。民主党案は、死亡事例に限らず、高度障害が残った場合なども含めてすべてが届け出範囲で、「患者・家族が院内事故調査委員会の報告に納得できない場合、または医療機関が必要と判断した場合」に届け出ができるとされており、義務や義務違反はない。一方、大綱案と第三次試案では、届け出義務違反については、医療機関の管理者に対し、行政処分として「届け出るべき事例が適切に届け出られる体制を整備することなどを命じることができる」。また、医療機関の管理者が「医療事故死等に該当すると認めたとき」に届け出義務を負うことになっており、「医師の専門的な知見に基づき届け出不要と判断した場合、届け出義務違反に問われない」となっている。
■「業務上過失致死罪改正、自律的処罰制度の進ちょくで」―民主
刑事捜査との関係については、大綱案では警察への通知について記載されており、
▽故意による場合
▽標準的な医療から著しく逸脱した医療に起因する死亡等の疑いがある場合
▽関係物件の隠滅、偽造、変造
▽類似の医療事故を過失により繰り返し発生させた疑いがある場合
―などとしている。民主党案では、調査組織である「医療安全支援センター」が警察に通知することはないとしている。ただ、民主党の原因究明制度案では、「医療者による自律的処罰制度の進ちょく状況などを勘案しつつ、刑法における故意罪と過失罪の在り方や業務上過失致死傷罪などについて諸外国の法制度などを参考に検討し、必要があれば見直す」としている。これについて少し分かりやすくなるかと思い、足立信也民主党参院議員のコメントを付けるが、「現時点では、業務上過失致死罪を定めた刑法211条の改正は考えていない。患者支援法の枠組みで取り組んで、医療に対する国民の不信感を払しょくし、医療者による自律的処分制度の進ちょく状況などを勘案しながら、検討すべきだろう」。従って、民主党案は医師法21条を削除するとしているため、21条に基づく届け出は不要となるが、それ以外の刑事捜査との関係は現在と変わらないと考えられる。
誠意を示してほしい
医療の良心を守る市民の会・永井裕之代表
「患者中心の医療」と言うときの一番の問題は、医療者は目の前の人に対して、リスクや不慮の事故の可能性について、自分の親や子どもに対して説明するように分かりやすく説明しているだろうか。それがなされていない。患者側の話をまず聞いて、説明相手に分かりやすく順序立てて説明していくということが必要。患者や親族が納得して自己決定し、手術をして、不慮の事故が発生したとしても、説明を聞いて納得できていながら、裁判を起こしたという人をわたしは一人も知らない。
■説明が事実と違う時に、溝が深まり始める
医療事故が起こった時に、患者側が一番悩むのは、今まで説明されてきたことや、自分が経験したことと全く違うことを医療者側が言い始めることだ。実経過と全く違い、「そんな話じゃなかったじゃないか」となると、医療者側と患者側の溝が深まり始める。患者側が「うそを言っている」と、医療者側を責めるようになると、「クレーマー」と言われたり、門戸を閉じてしまったりして、話もしてもらえなくなる。だから真実を知りたくなり、仕方なく裁判をする。そういう被害者を「クレーマー」と言う著名な医師もいるが、もうちょっと被害者の声を聞いてほしい。被害者側の思いは、突然の死について、「何が起こったか真相を知りたい。本当のことを教えてほしい。心から謝ってほしい。二度と同じような事故を起こさないでほしい」ということだ。
医療事故が起こった時に一番大事なのは、誠意を示すということ。誠意とは、▽隠さない▽ごまかさない、うそをつかない▽逃げない―ということ。特に当事者である医療者は逃げないでほしい。当事者をどこかに逃がしてしまって、院長や事務方に説明されても、「あなたたちには関係ない」と言いたくなる。そして事実と違うことを言われては、誠意を示されているとは思えない。
■納得できる問題の方が多いはず
院内事故調査には第三者は絶対に必要だ。事故調査では、患者への報告を優先し、話をよく聞くようにしなければ透明にならない。そうして院内事故調査から再発防止策を立て、徹底させるようになれば、納得できる問題の方が多いと思う。
医療の質の向上は国民の願い。再発防止について真剣に取り組んでもらい、情報開示していってほしい。院内の自浄性や透明性を高めていくために、航空機事故のボイスレコーダーのようなものをどう確保していくかということも大事。医療機関の密室性や隠ぺい性がないようにしていくことだ。中立・公正な事故調査の第三者機関をつくってみんなで育て上げること、歩みだすということが必要だ。
それぞれのパネリストによる発言後、会場からの質問を交えてのディスカッションが展開された。
会場 死因究明制度の第三次試案では、刑事手続きの対象に「重大な過失」が入っているが、どのような事例が考えられ、誰が認定するのか。
佐原康之・厚生労働省医政局総務課医療安全推進室長 「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」(以下、大綱案)では「重大な過失」ではなく、「標準的な医療から著しく逸脱した医療」である場合とした。医療の専門家を中心とした医療安全調が法的な過失の判断でなく、あくまで医学的にどうなのかということを判断していただく。
会場 「福島県立大野病院事件」で亡くなった女性は、手術までの25日間入院していた。その間、(被告だった医師は)助産師から「設備の整った大きな病院に転送すべき」と助言されていた。執刀医の立場だったら、どう対応したか。
古川俊治・自民党参院議員 客観的にこの病院で対応できないと思ったら、そのように対応する。
国立がんセンターがん対策情報センターがん情報・統計部、渡邊清高室長 当時の状況については分からないが、その医療機関でできることや、問題が起こったときの対応にはリスクが伴うことを説明した上で、本人や家族の判断を仰いだと思う。
会場 2人(古川氏、鈴木寛・民主党参院議員)は事態を甘く考えているように思う。大事な問題は中立的第三者機関の構成メンバー。医療者側に何度も裏切られた不信感が、わたしたち患者側にあることを前提に考えるならば、医師を中心とした医療安全調は疑問。
古川氏 医療行為を評価するという専門的なことに関しては、医師が中心になるべき。医療過誤専門の弁護士もいるが、弁護士は法律の専門家。手続きなどの法的な部分を法律家が一緒に見ていくということでは。
鈴木氏 仮に弁護士を中心とした構成にするとしたら、医療事故調の目的や機能、通常の刑事・民事手続きとの整理などを一から違うデザインでやり直すことになる。厚労省案や民主党案ともかなり違う、第三の制度設計になる。現場に本当に必要なら、議論を深めればいい。
会場 (医療事故に関する)高度障害および死亡者に対する賠償額の程度は。支払者を誰にし、財源をどう確保するか。
古川氏 失われた利益の計算方法が民法709条で決まっている。医療過誤を特別の法制度下に置くならば、新たな立法措置が必要。医療以外の分野で過失ある行為によって死亡した場合との比較において、医療だけを特別の損害額で認定するという説明はできないと考える。無過失制度構築については、財源的に許せばあり得ると考えるので、医療機関や公費の拠出による制度運用が考えられる。上限額が決まっていて予算立てをしていくという措置になる。このように無過失の部分は補償として、ある程度抑えられた一律の損害賠償額。過失賠償は遺失利益、あるいはその他の損害の担保という考え方になる。
鈴木氏 民法709条とは別の体系を考えるべきということなら、一から技術的にやり直さなければならないので、相当な作業になる。財源論については、全額というわけにはいかないが、医療界全体の問題だから、一定の公費投入については否定すべきではない。
会場 大野病院事件について、刑事上の過失は別として、医療者側に反省点はないと考えるか。もしないなら、再発防止は考えられないということになる。
渡邊氏 医療者と患者という関係でも課題は残る。どこまで妊娠・出産のリスクを説明するかということ。(体制的に不備のある)その場所で医療行為をせざるを得ないという医療提供体制や、診療報酬の体系についても議論の俎上(そじょう)に載せていくべき。学ぶべきことは多くある。
安福謙二弁護士 ここでの発言に関しては、(大野病院事件の)弁護人だった立場という制約から逃れることはできない。本件裁判では院内事故調が指摘した論点が3つあったが、それで十分だったかどうかは誰も議論していなかったし、今後議論されるかどうかも知らない。検察官は1つ(癒着胎盤の無理な剥離=はくり=)だけ取り上げた。だが、(調査報告書で挙げられた)対応する医師の不足や輸血対応の遅れについては、検察は裁判では取り上げなかった。また、捜査段階での警察側の逮捕理由と、起訴状にある理由では違うところがある。それらも含め、弁護人であるわたしは起訴された事案について申し上げるのが精一杯。それを踏み越えることは弁護士倫理にもかかわってくるので、きょうの段階では答えられない。いずれ時期が来れば、この事件は徹底的に検証されるだろう。産科学会だけでなく他学会など、行政レベルでも大いに議論されるべき。国民にとって医療とは何か。どこまで求めるのか。そう求めるのが可能なのか。そういったことも議論されないといけない。大野病院事件が今日的な問題を凝縮している。患者や遺族のことを考えると、この事件がここで終わったとは到底思えない。
木下正一郎弁護士 直接かかわっていないので、押さえている事実経過に差がある。遺族の方がこの事件をどう思っているか、患者側でかかわる人間として、あらためてお話を伺いたいと思っている。再発防止という観点から反省すべき点はあると思う。知っている事実としてだが、他の医療スタッフから「救援を求めた方がいいのでは」という話があったにもかかわらず、手術が続行されたということについては、もう一度徹底的に調査されるべき。裁判で明らかにならなかった真相究明という点についても見返すべき。
鈴木氏 医療側の現場担当医師や医療者、病院長、(福島)県庁などを含め、反省すべき点は大いにある。わたしが知り得る限りの範囲で述べる。(被害者が)亡くなられた直後から、担当医や病院長、県庁は、家族に納得のいく説明を何度でもすべきだったと思う。なぜできなかったかを検証すべき。医師本人と遺族のコミュニケーションをなるべくさせないように持っていったのは、県庁の担当官の指導だったと聞いている。都道府県庁は事なかれ主義の習性が根深い。わたしが2年間(山口)県庁にいた時、本人と担当課長などがわびに行くのが筋という時に、「出さないでください」ということがあった。また、県庁職員は人事異動があり、(住宅の)立ち退き問題などを担当していた人が医療関係の部に来て、極めて事務的に対応する場面が散見された。そういう問題と医療事故とは本質的に性格が違う紛争。県庁の意識としては、「出先」機関である県立病院の病院長と意見が分かれると、今は違ってほしいと思うが、病院長が赴任して数か月かしかたっていない本庁の担当係の指示命令に折れざるを得ないということがあった。
古川氏 報道や判決内容など極めて限られた情報しか知らないが、今回の判決は刑事判決としては妥当と考える。本来は民事で処理されるべきものが、刑事告訴されたという点で、おかしいと思っていた。わたしは外科医だが、(通常の医療でも)過失がなくても、もっとうまくできたのではと悩み、考えることが医師にはある。そういうプロフェッショナルの考え方をつくっていくことこそ医療界の役割。そうして反省することで、わたしは少なくとも1年目より10年目の方が間違いを起こす可能性は少なくなっている。
会場 行政処分は(厚労省の)医道審議会で行っているが、実質は刑事処分の確定を受けたもので、独自に行政処分を受けたものはほとんどなかったと思う。再教育を中心に、医師免許の取り消しや停止を行うには現行の医道審議会では難しい。刑事処分を前提とせず、それに先行する行政処分について患者と医療者の双方の納得・理解を得られるよう、医道審議会を発展・改組し、強化すべき。英独を参考に原則刑事処分を行わないようなことを法文化すべきでは。
佐原氏 現状はご指摘の通り。他の分野ではまず行政処分があり、それでも著しく問題があるものに刑事処分が科される。医療分野はいきなり刑事処分という大なたが入らざるを得ないという特殊な状況。このため、第三次試案の中でもその順番を見直すことを提案している。医道審議会での審議の在り方について見直していかねばならない。
永井裕之・医療の良心を守る市民の会代表 「東京都立広尾病院事件」の場合は、行政処分を都が行った。その後、医道審議会で刑事事件にかかわった人の処分が出た。都の行政処分には強い違和感があった。「誰が悪い」と、臭いものにふたをする感じだった。医療事故は個人の問題にすべきではなく、その背景について「なぜ」と問うべき。大野病院事件についてもそうだったと思うが、医師のミスなどとして、ふたをしてしまおうという感じ。行政だけでなく、仲間内でもそうなっていると思う。事故をなくすにはシステムをどうするかを本気で追究してほしい。医療者が医療安全に真剣になっていない。処分よりも再発防止が重要だ。
司会 医療事故調査機関について、最終的に「こう仕上げるべき」という提案を。
■二者択一の時期は過ぎた
国立がんセンターがん対策情報センターがん情報・統計部、渡邊清高室長 厚生労働省案と民主党案のどちらが良いとか、個別に取り上げる時期は過ぎていると思う。第三者機関をつくるということにはある程度コンセンサスは得られているので、どういったものをつくりたいか、つくるべきかという議論をしていくべき。例えば、死因について医学的に細かく調査しても、遺族から「そんなことを調べてほしいのではない」と言われたとする。その際に何が食い違ったかということを明らかにし、患者・家族の納得につなげて再発防止に結び付ける。次の医療を良くしていくために、一つの悲惨な出来事から学ぶことを生かしていける仕組みにすべき。
■事故調査は再発防止と切り離せない
永井裕之・医療の良心を守る市民の会代表 (厚労省案、民主党案などの)最低の共通案でもいいから早く立法化してほしい。法制化しても施行まで3、4年はかかる。その間に医療界は自浄作用の発揮に自らの病院でチャレンジしてほしい。そこが良くならなければ、医療事故調をいくらつくっても医療は良くならない。民主党案で、(患者・家族が院内事故調の説明に)納得したら、(第三者機関に)届けなくていいとあるのは、この目的には合わないと思う。医療事故を起こしたところがしっかり調査をし、再発防止にどう取り組むか。事故調査と再発防止を切り分けるのはまずい。
■第三者機関が院内事故調のレビューを
木下正一郎弁護士 医療事故調査を真相究明につなげ、それに基づいて再発防止をしていくことが目標として掲げられなければならない。事故原因分析に基づいた説明がなされなければ、表面的に「亡くなった」という説明では、誰も納得がいかない。なぜ亡くなったかを確実に知りたいと誰もが考えている。再発防止については、大綱案の内容より広くできた方がいいと思うが、運用を考えれば制約を設けないといけないこともある。届け出範囲を広くし、医療者を中心にして専門性を重視し、自律的に行う制度設計が必要。院内事故調査がうまく行われる病院には徹底的に行ってもらい、第三者機関の医療事故調が結果をレビューするという形に持っていければ理想的だと思う。
■信頼得るため、客観的医療記録を
安福謙二弁護士 どのような制度であれ、インフラが整備されていなければ、お題目だけで終わる。もしくはとんでもない機能を間違った方向に進めてしまう危険がある。裁判の場では法律論争をしていると思われているかもしれないが、民事では判断枠組み、刑事では公訴事実など、「事実は何だったのか」という事実認定について議論している。このため、判決は事実認定が先に生まれる。医療事故調でも、結局どういう事実があったかを押さえることが先決。現在の医療事故調議論はそういう意味でのコンセプトがどこにあるか分からない。例えば、事故調査というときに何を調べるのか。手術に直接関与した執刀医、助手、麻酔科医、その下にいる看護師などにヒアリングするのは大切だが、刻々と変わる緊張感の強い場面について、記憶に頼って事実を明らかにするのはむちゃな話だ。だから、客観的な証拠を集めることが何よりも大事になる。カルテの記載と事実が違った場合、うそとみるか正しいとみるか、そこから始まる。カルテが改ざんされ、正しいことが書かれていないと患者側が思った瞬間から、事故調査をやっても議論が進まなくなる。それが、医療者が信頼されていないということについての一つの理由。それを解決する方法は、客観的な医療記録を残す工夫をすることだ。そのインフラをつくるため、カルテの電子化は急務だ。カルテの記録を現状よりもっと効率的にするシステムを開発し、ビデオ記録と一体化させることも可能だろう。また、医療者同士のピアチェックを現場でやらせる良い方法は、患者にカルテを持たせ、カルテをポータブル化することだ。医療機関は常に患者にカルテのデータを渡すようにし、どこかを受診すれば、その医療機関もデータを見ることができる。そうすれば嫌でもピアチェックは進む。
■病理医、法医、監察医制度のインフラも
あと3、4年の期間で医療事故調が実現するとしたら、その間にインフラ整備はできるはず。病理医、法医、監察医制度もそうだ。秋田県の「豪憲(ごうけん)君事件」(2006年に秋田県藤里町で、畠山彩香さん(当時9歳)と米山豪憲君(同7歳)が殺害された事件)を思い出してほしい。きちんと検証されていれば、女の子が橋から突き落とされたのか、川で転んでおぼれたのかの区別が付かないわけがない。法医学の鑑定の結果、誤ったことが出ているなら、日本の法医学は悲惨な状態だ。また、多くの病理の先生は定刻に帰るが、患者が亡くなって病理科学をしたくてもできない状況。病理の先生も専門はさまざまであり、法医の先生は死体の専門家ではあっても臨床の専門家ではない。こういうインフラ整備をどうしていくのかという問題意識が必要。
また、「福島県立大野病院事件」が見事に示しているが、医療事故調の議論は限られた人たちだけで大丈夫か。広く皆の意見を聞くため、刑事・民事裁判は公開されている。実況生中継をして、専門家から批判を受けるべきだ。インフラをつくり、事実認定に間違いが起こらない制度をつくってほしい。
司会 超党派の議員立法で調整するというシナリオはあるのか。
古川俊治・自民党参院議員 当然ある。内閣提出による立法と議員立法によるものがあり、後者の方が制度を普遍的なものとする観点から望ましい。
鈴木寛・民主党参院議員 そのためにこの1年間、(超党派の「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」の幹事長として)努力してきた。舛添要一厚労相からも「議員立法で検討し、解決を」と承っている。それに向けて最大限の努力を、国会議員のネットワークづくりからさせていただいている。
司会 法制化までの時間は、最短距離の過程をとったとしてどうか。
古川氏 小さくつくって大きく育てるということでご理解いただけるなら、比較的早期に枠組みを何とかしたい。今、皆で理想についての声を上げ、議論を尽くすべきという意見もあるが、そうするとあと20年たったとしても新制度はできないだろう。
鈴木氏 臨時国会で舛添厚労相が留任しているという前提で言う。医療事故調をつくることや、患者や家族がいつでも使える機関にすること、院内事故調を設置すること、医療者と患者の対話を促進すること、というあたりのコンセンサスは得られていると思う。警察への届け出や通知、範囲、業務上過失致死の定義などの問題は議論が分かれ、やればやるほど難しいので、アイデア段階ではあるが、付帯決議でそこをきちっと盛り込み、法学や政策学の関係者の協力を得て議論の枠組みを設置し、残された課題を引き続き議論していく。この形なら、この臨時国会での成立も可能ではなかったかと思う。8月31日までは厚労相とそれを目指し、わたしはその下働きをしてきた。しかし、こういう状況なので、臨時国会についてどうなるかは不透明。しかし、国会が正常化した暁には、速やかにこれらのことを再開できるようにしていくというのが、われわれ議連150人の意思だ。
古川氏 木下氏から、厚労省案と民主党案で制度目的が違うという指摘があった。医療事故調の目的が原因究明か再発防止かという話では、新制度の重点を再発防止に置くのはおかしい。自民党でもここを理解していない議員は多い。民主党からはそういう案が出ているので、歩み寄る余地はある。再発防止については、院内事故調査を徹底してやり、日本医療機能評価機構の医療事故情報収集等事業をもっと充実させていく方が合理的だ。
司会 最後に一言を。
■最終的には立法府で議論を
佐原康之・厚労省医政局総務課医療安全推進室長 厚労省としては、13回にわたる検討会で議論し、試案を一次から三次まで出し、その間パブリックコメントを求めたりしてきたが、なかなか溝が埋まらないところがたくさんあった。最終的には立法府でご議論いただくということが、いずれは必要ではないかと思っている。きょうはその芽が見えたのかなと思う。3年間ほど霧の中でやってきたが、一筋の光が見えた気がする。
■いかに自浄作用ある制度にするか
古川俊治・自民党参院議員 ようやく医療事故調ができる機運ができてきた。地域医療の崩壊は訴訟リスクが原因の一つとよくいわれるが、医療が崩壊されたら困るということで政治も動きだした。それぐらい医療界は患者から厳しい目で見られている。それをわきまえながら一刻も早くこの制度を立ち上げ、いかに自浄作用のある制度としていくか。医療界が動かなければこの制度もできないから、真価が問われている。プロフェッショナルとしての自浄機能を果たしてこそ、国民に今後、医療に投資することで合意してもらえると思う。
■事故調成立だけで医療安全できない
鈴木寛・民主党参院議員 この議論が進む中で、医療界でいろいろないいことが起こりつつあると感じる。医療メディエーターについては、額は少ないが来年度予算として設けられたので、大きく広がっていく契機になると思う。これは皆様の活動の表れなので、さらに運動を起こしていただきたい。医療事故調法案の成立だけで医療安全はできない。医療者や患者の皆様が手を携えて医療安全共同行動という国民運動をしていくため、資金的には税金投入もあってしかるべき。医療現場を担う人が自ら身銭を切ってでも取り組んでいただきたい。そういう議論が出てきたのはいいことだと思う。議論が熟すということがすべてにとって大変重要だ。
■医療者と法律家の「刑事責任」イメージ違う
木下正一郎弁護士 小さく生んで大きく育てるということで早く実現していただきたい。ただ、箱物をつくってもどうしようもない。運用については今後、早急に詰めねばならず、医療者が中心になり、透明性を高めるためには法律家などが入ることも必要。また、医療者が医療事故調創設について反対するのは、刑事責任の問題が切り離せないからだ。しかし、さまざまな議論の場でも、法律家が考える刑事責任についてのイメージと、医療者が考えるイメージがだいぶ違うと思う。わたしたちは決して何でも刑事責任を問えばいいとは考えていないし、公正な刑事責任の問い方があるだろう。意見の違う方とそういう点についてもっと話したいと思う。
■患者の医療者に対する気持ちを取り戻したい
安福謙二弁護士 わたし自身は身体障害者だが、今から考えれば明らかに医療過誤だった。弁護士になった約30年前、脳外科の手術で、患者が手術室から帰ってきたまま亡くなられたケースがあった。その際に医療事件に強い関心を持ち、自身の体験も含め、医療問題に深くかかわるようになった。この事件はトラウマになった。脳外科医はわたしが付き合った限りでは、一生懸命なまじめな人。刑事責任は追及されなかったが、勤めている病院を辞めざるを得なくなり、その後の医師としての人生も、決して幸せなものではなかった。それを知った時、その医師に対するつらい感情が残った。その後、さまざまな事故や医師にかかわってきた。とんでもない医者は確かにいるが、一生懸命にやった医師がきちんと評価されていない。そして医療事故の責任が医師に押し付けられていると感じざるを得ない場面もあった。医療機関の顧問もやるようになり、医療機関側から医療事故を見ることも増えた。患者側の代理人を続けながらも、医療側の立場ということで、心が動かざるを得なくなった。特にここ数年、医療従事者の方々が刑事責任に対して、恐怖心に近い状態でおびえている。「あなたのような人が逮捕されることはないよ。そんな事故を起こすわけはないよ」と言っても、「いや。分かってもらえないよ」と、小さい声でしょんぼり言う医療者に何人も会った。いろんな人にヒアリングする過程で、医療現場での法的刑事責任に対する恐怖心は皆さんが考える以上に深刻だと感じた。末端へ行くほどそうで、寝る暇もなく働くお医者さんが、事故を起こした途端に「警察」の2文字が頭をよぎるような状態。彼らを助けなければ本当の意味で医療事故を防げない。医療事故を防いで、良い医療をつくっていくためには、お医者さんが自信を回復するしかない。お医者さんが元気になるには、患者さんからの「ありがとう」の一言だ。今は、「ばかやろう」の言葉がしょっちゅう返ってくる。患者さんからの医療者に対する気持ちをもう一度取り戻したい。このシンポジウムのタイトルを見た時、思わず涙した。永井裕之さん(医療の良心を守る市民の会代表)がいつも言っている「患者と医療者が手をつなぐためにすべきこと」。医療現場の最も大事なステークホルダーである両者が手をつながねば、患者のためにも医療者のためにもならない。そのためには、やはり患者にはお医者さんのことをもっと理解してほしい。そのためには、医者が自ら患者さんに信頼してもらえる生き方をしなければならない。患者さんに対する言葉、説明の仕方一つを取っても、患者さんに向き合う日々の姿がすべてを決める。その意味で、臨床現場で「いては困る」という人を医療者の中から放逐する制度をつくってほしい。
■医療事故調は手段であって目的ではない
国立がんセンターがん対策情報センターがん情報・統計部、渡邊清高室長 現場の医療者や患者の悲鳴にも似た「これではどうにもならない」というところから議論が始まった。当初はお互いが塀の向こうにいて、見えないまま石を投げ合っている状態だったが、垣根が低くなり、同じテーブルで議論できるようになったのは大きいこと。リスクが「あってはならない」ではなく、「ある」ことを前提にどう向き合うかとなると、アイデアがわき出してくるので、それをいい方向に育てていく。それを行政や立法、市民がサポートすることが大事。多少問題がある制度の仕組みかもしれないが、今後議論を詰めていくプロセスそのものがとても重要だ。医療者の中でも診療科を超えた議論が十分できていなかったので、ピンチをチャンスに変え、ここでの議論をこれから医療をどうするかということにつなげなければ。医療事故を調査して、臨床上不可避である有害事象が存在するということを、厳しい言い方だが、患者側には理解をしていただく。それを説明していく責任が医療側にある。医療事故調制度は手段であっても目的ではないので、取り違える議論にならないよう気を付けねばならない。中立・公正な第三者機関をつくってきちんと機能させ、厳しい批判を受けることも含め、建設的な議論を進めていくことが必要。医療事故調をつくることが目的にならないよう、現場が理解できるところから始めていくという視点から考えるべき。
■「医療崩壊」の旗振らず、自信を取り戻して
永井裕之・医療の良心を守る市民の会代表 「医療崩壊」という言葉を著名な先生方や現場の先生が言い過ぎだと思う。先輩が後輩に対して自ら「医療崩壊」という言葉を使い、被害者や患者が(裁判で)訴えることを「クレーマー」だと言う。なぜ自ら「医療崩壊」の旗を振るのか。わたしの息子も医者で、勤務医として大変な仕事をしている。しかし、今の「多臓器不全」的な日本の医療の中、やらねばならない問題がいろいろある中で、なぜもう少し自信を持って後輩を指導しないのか。「医療崩壊」に自ら旗を振るのではなく、どう立て直すかだ。それが大きな問題だ。クレーマー患者やとんでもない医師もいるが、それはごくわずか。それよりも、医師や看護師など医療者が患者にしっかり説明する機会を設けず、(コミュニケーションを)シャットアウトしている事例がかなりあることの方が問題。医療者側と患者側はどう手をつなぐかということを真剣にやらねばならない。国民は医療安全について、診療時に自分の名前を確認することや、薬をどう扱うかといったことを小さいころからもう少し考えていくべき。「医療者」「国民」と(分けて)言い、国民の中に医療者がいないように先生方が話をするのもおかしい。皆が医療のお世話になり、医療者もお世話になる。その医療をどうするかということを、国民全体でやっていきたい。皆様にもその活動をしてほしい。「福島県立大野病院事件」について、被害者のお父さんが福島県に要望書を出した。その要望書は、医療のあるべき姿を提言している。福島県にお願いしたが、国でできるものもたくさんあるので、挑戦してほしい。被害者は「再発防止」をこういうふうに考えているということを表したものだ。
シンポジウムの閉会のあいさつの中で、司会者は来場していた「福島県立大野病院事件」の遺族の渡辺好男さんに発言を求めた。
■不信感取り除く取り組みと、真実知れる環境整備を
2004年12月17日、福島県立大野病院で最愛の娘を亡くした。「一言」と言われ、何を話していいかと迷った。自分はこの間、いろいろなことを知ることが多かった。本当に多くを知らされた。娘が亡くなるまで、医療には絶対的な信頼感を持っていた。娘が亡くなってからは、医療に対しては不信感を深めるばかりだ。この間、いろんなことを知った中で、県の方に要望書という形で出させていただいた。当初から、自分は娘が大変(な病状)だということもそんなに聞いていなかった。だから真実を知りたいと求めてきた。その中で、病院側とのすれ違いがあり、追及できない状況だった。娘(の事件)が裁判になったことで、娘が何か悪いことをしたのかと悩まされた。いろんなことを学ばされ、知ることができた。医療界は不信感を取り除く前向きな取り組みを見せていただきたい。真実を知ることができる環境整備もしていただきたい。家内とも話していたが、自分らは医療に手を差し伸べてもらわなければならない。医療者側と患者側ということで考えながら、真実を知りたいと、いろいろ進めてきたつもりだ。医療者側には前向きな取り組みをしていただきたい。その2点のお願いが結論だ。自分の気持ちを伝えさせていただいた。
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