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(投稿:by 僻地の産科医)
今月号の論座から(>▽<) ..。*♡
なんかあまりに正論過ぎて、将来どころか、明日さえ
よくわからない気がしてしまうほどの閉塞感ですが!
ではでは、どうぞ!!!
国民を疲弊させる給付削減からの脱却を
―少子高齢化社会を踏まえた政策構築ヘ
服部万里子
立教大学コミュニティ福祉学部福祉学科教授
(論座 2008年8月 p118-121)
日本は2005年を境に世界で最も高齢化率の高い国になり、かつ総人口が減り始めた。さらに今後100年先までこの人口減少と高齢化は増強するという未曾有の社会に突入している(図1)。
この現実に即した社会の構築や国民生活の安心が求められている。
社会保障政策も転換期に来ている。その原因の第一は、少子高齢社会の進展である。第二は経済の低成長と国民生活の変化、第三は年金、医療、福祉にかかる社会保障給付費の増大である。
このような社会環境の変化に対して、国は医療制度改革、年金制度改革、そして社会福祉の基礎構造改革という形で対応してきた。その内容はいずれも「制度の持続可能性」を目標とし、給付を抑制し、サービスを効率化し、負担を公平化する方向であった。特にこの数年間は、小泉内閣による社会保障費の年間2200億円の持続的削減策が実行された影響が大きい。この数年間で年金への不信、医療の崩壊、福祉が生活の最低限を支えきれない現実が顕在化し、国民生活に不安をもたらしてきたのである。従って、今までの社会保障削減政策の延長線上では国民生活は保持できない。
この世に誕生し、成長し、働くことで社会とかかわり、自分の力を社会に生かし、生活を安定させ、個人の人生を豊かにするという、当たり前の社会が崩れてきたのはどこからであろうか?地域社会や環境が暮らしの安心を培う場から、不安と不信に変わったのは何か原因なのであろうか?
直接的には、1990年代のバブルの崩壊で日本経済が一挙に低成長に転換し、それ以降の赤字国情の発行や政府資金による銀行救済といった経済活性化策が国民生活に疲弊をもたらしたためと考えられる。経済成長を無理にでも進めることが国民生活を豊かにするという経済第一主義政策に問題があった。
具体的には、リストラが中高年齢層の日常的な雇用の不安と生活の崩壊をもたらし、「勝ち組、負け組」という競争原理や成果手技が若い層の育成より個人主義を増長させた結果、職場は戦場と化した。若者に、働くことの楽しさや自分の力を社会に還元する喜びではなく、勝ち残り、サバイバルゲームによる短期消滅のカリスマ的ヒーローと人間疎外をもたらしたのである。
また、労働者派遣法の改正とその運用は、働く人の3分の1を非正規雇用が占める事態を生み出し、若者の貧困層と人材育成の貧困をもたらした。社会にかかわり、新たな技術やサービスを開発する人材という社会の富が地道に開発・蓄積される企業環境は無駄とみなされ、ヘッドハンティングと金で頭脳や人材を買えばいいという短期決戦型の企業体質を助長させた。まだその体質が、株主価値を高めるために利益至上主義を助長させ、法令違反や商品への信頼喪失をもたらした。
商品の高騰下での賃金低迷が家庭の購買力を弱め、コスト抑制を目的とした偽装の土壌を形成している。働く夢をなくした若者の職離れ(フワーターやニート)をもたらし、その結果としての無保険者、将来の無年念者が増加し、非婚現象にも繋がっている。貧困ビジネスが伸展し、社会のマイナスのスパイラルがとまらない。
政府が社会保障の給付抑制をするのは病気や老後の準備、介護が必要になったときの対応は個人の努力でするべきで、国はどうしてもできない貧困者にのみ対応するという考えが基本になるからだと考える。社会保障給付に金を使わずに経済発展に金を使えば、国民生活が豊かになるという理屈だ。
国民はこのような現状をどうみているのであろうか?
内閣府が06年、全国の成人1万人を対象に実施した世論調査によると「国民生活に悩みや不安を感じている」が過去最高の67・6%であった。その内容のトップは図2のように「老後の生活設計」であり、「自分の健康」や「家族の健康」より上位にある。また「今後の収入資産の見通し」が4番目にあがった。政府への要望でも「医療・年金等社会保障構造改革」が72・7%で、「景気回復」の50%を大きく引き離しているのである。
特に働くことができなくなる老後が長くなる時代では、高齢期の生活保障(年金)や医療や介護といった福祉は国民の政策要望であり、これらの充実が家庭の安定や家族や地域の暮らしの安心に繋がっているのである。
国は保障レベルを明示すべき
しかし、現実の医療・福祉は崩壊の危機にある。救急病院の閉鎖、分娩を受けられない産婦人科、そこに75歳以上の診療抑制と保険料負担の将来的増強が始まった。国民の悲願でもあった介護保険は、保険料の年金天引きや給与からの天引き徴収システムが整うと、規制強化による利用者の削減へと政策が変化し、給付の制限や報酬の引き下げが実施された。
福祉の現場は、自己負担の増加に耐えられない低年金世帯の増加や介護職の不足がサービスの継続性の危機をもたらしている。介護織は「人にかかわるやりがいのある仕事」から「働きたいけど生活できない仕事」に急速に変化してきた。
冒頭に述べたように、日本は少子高齢社会への対応をどうするかが問われている。特に、高齢者世帯は独居あるいは老夫婦のみ、子どもとの二人暮らしが7割近くを占める(図3)。家族による介護をあてにできない状況があったからこそ、介護保険制度を創設するにあたっては40歳以上の国民から死ぬまで保険料を徴収する仕組みを作ったのである。
ところが国は06年度に介護保険法を改正し、認定者の中で最も多い要介護1の基準を変更するなど給付の抑制策をとった。そして介護度が軽減する率に合わせて通所サービス事業者に「成果主義」を導入した。また、軽度要介護者の福祉用具の利用を規制し、医療保険でのリハビリテーションの抑制策もとった。
これらが利用者に自費でのサービス利用をせざるをえなくなる事態をひき起こし、低所得者層や介護家族を追い込んだ。サービス利用者が減少する中で、基準人員を配置していない法令違反が明らかになったコムスンは事業撤退に追い込まれた。ほかの訪問介護事業者も、利用者の減少と介護職の退職で事業経営が悪化し、廃業するところが増加した。
また、国は重度要介護者向けの介護療養型医療施設の廃止を決めた。待機者があふれている現実にもかかわらず介護ベッドを減らすのは、介護給付の抑制策の遂行にほかならない。認知症の高齢者が増加し、介護ニーズが高まっているにもかかわらず、報酬単価の引き下げと利用抑制が行われている介護保険は制度の危機にある。
00年から6年間、介護保険は黒字であり、剰余金は「介護給付費準備基金」として内部留保された。06年度の収支がいまだ公表されていないこと自体、問題であるが、保険料を24%引き上げる一方、利用者が前年より減少した事実を考えれば、大幅黒字であることは明らかである。
会計検査院は、介護保険財源から「財政安定化基金」として積み立てている分がたまる一方で問題であると指摘している。介護保険料は3年ごとに値上げされ、年金から天引きされている。にもかかわらず来年の報酬改定に向け、さらに要介護2までを予防給付にする案と、要介護2までのヘルパーによる生活援助を保険対象から除外する案、および軽度者は2割負担する案が財務省から提示されている。前者では認定者の61%が介護給付から外れ、後者では対象者のホームヘルプサービスの半分以上が保険外になる。
図4は国民所得に対する税と社会保障の割合を示している。日本の社会保障比率はイギリス、ドイツ、フランスと比較して低い。今後、国として、医療福祉サービスをどのレベルまで保障するかを明示すべきである。国民が将来的な生活設計ができるようにすることだ,そのうえで、そのための負担額を算出し、税金、保険料、自己負担をどう組み合わせてその財源を確保するのか、国民が論議できるようにすることが大切だ。
高齢者も「負担しない」とは言っていない。また、「若者だから」「高齢だから」と年齢で分けるのではなく、世帯別ではなく基本は個人別、企業別である。所得が高いものは多く負担し、低所得者の負担を少なくすることをベースにして負担を決めることが妥当だろう。誰もが貧困になりたいと思ってはいない。経済の貧困から自己喪失に追い込む環境を改善しなければならない。それが社会保障であり、人間の尊厳にかかわるからである。
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