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(投稿:by 僻地の産科医)
産婦人科の実際
2008年05月号(57巻 05号)から!
特集は
「妊婦感染症を考える」
(妊娠感染症という面では
2007年12月号の周産期医学を
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産婦人科医師不足の問題点と対策
北海道,特に釧路・根室圈における
産婦人科医療の実際
足立謙蔵
(産婦人科の実際 Vol.57 No.5 2008 p837-842)
ここ数年,北海道では産婦人科医師の減少が全国より急速に進み,また産婦人科医師・病医院の都市部集中が顕著なため,道央圏や一部の地方都市を除いた過疎地域では産婦人科の休診や分娩休止など産婦人科医療の崩壊が明らかとなっている。特に釧路・根室圏では,対策として釧路赤十字病院の総合周産期母子医療センターに産婦人科医師の集約が行われたが,広大な地域であるためにその効果は限られたものであり,地域の妊産婦は大きな不安を抱えているのが現状である。
はじめに
わが国では,世界に誇るべき国民皆保険制度のもとに「誰でも,いつでも,どこでも」世界標準の高度な医療を受けられることがまるで当たり前のことになっていた。しかし,国の医療費削減政策の一つとして医学部の定員が減らされ,さらに初期臨床研修制度の導入で地方への医師派遣機関として必要であった医学部教室の体力が低下した結果,医師不足による医療崩壊が全国各地で明らかに進んでいる。一方,周産期医療においては全国どこの地域でも出産が扱えるように体制が整備され,そこに勤める産婦人科や小児科医師たちによる高度な周産期医療によって,わが国の周産期死亡は劇的に減少して世界最低になったが,この盤石にみえた体制は携わる医師の自己犠牲の上に立った砂上の楼閣であり,全国どこでも行える安全な出産は,産婦人科医の過酷な労働条件をものともしない努力によるものであった。
そこで本稿では,全国的に進んでいる産婦人科医療崩壊のなかで,北海道における最近の産婦人科医療の実態と,特に釧路・根室圏で現在進められている産婦人科の統合・集約化について,その渦中にいる一開業医の立場で報告する。
Ⅰ.北海道における産婦人科医療の現状
1.北海道の地域的特徴と医師の地方偏在
北海道は東北6県をも上回る広大な面積を持ち,ほぼ中央には大雪山山系・日高山系が南北に背骨のように横たわっているため,特に厳冬期においてはその東西での人や物資の移動に対して大きな障害となっている。総人口はおよそ560万人であるが,その61.0%は札幌市を中心とした道央圏に集中し,残りが函館市を中心とする道南圏(8.8%),旭川市を中心とする道北圏(12.0%),釧路市・帯広市・北見市を中心とする道東圏(18.2%)に分散している。さらに道央圏と道南圏,道北圏,道東圏それぞれとの間の移動は距離で300~400 km あり,高速道路の整備はいまだ不十分で,鉄道では3~4時間,航空機のコミューターでもおよそ1時間かかってしまう。また各地域の中心都市間はおよそ100 km 離れているため,車での移動には約2時間かかる。このように北海道は一つの行政単位ではあるが,面積・人口を考慮すると大都市並みに人目が集中している道央圏と,その周りのほとんどの地域は他都府県並みの面積に少ない人口が居住するいわゆる過疎地の集合体であるといえる。
北海道には北海道大学,旭川医科大学,札幌医科大学の3医育大学があり,毎年300人を超える新卒医師を輩出しているため北海道の医師数はかつて毎年およそ300人ずつ増加していたが,最近では年間150人前後の増加になってきている(図1)。また北海道の人口10万対比医師数は216.2人で全国平均(211.7人)を上回っている。しかし地域ごとにみると,全国平均以上なのは医育大学がある道央圏の札幌市や旭川市を中心とした地域と室蘭を中心とした地域のみで,最低の根室地域では全国平均の半分にも満たない100.4人である。しかも北海道全体では91.0%の医師が都市部に集中しているため,人口10万対比医師数は都市部では2524人なのに対して町村部では893人であり,北海道のなかでも医師の地方偏在が顕著となっている。
2.北海道における産婦人科医療の動向
北海道の産婦人科医師数は1998年428人から2004年395人(mo%減)と,全体の医師数が増加しているにもかかわらず急激に減少しており(図1),全国の産婦人科医師数の減少(1998年11,269人から2004年10,594人,5.9%減)を上回っている。また総医師数に占める割合も全国4.1%に対して北海道3.5%と全国平均より低く,北海道の広大な面積を背景にして単位面積当たりの産婦人科医師数は全国一少ない。また分娩を担う医師数でみた場合,北海道では必要医師数のおよそ55%しか充足されていないとの報告もある。
一方,2004年の北海道における産婦人科医師数(395人)を年齢5歳階級ごとに分析すると,医師数では40~44歳が62人(15.7%)と最も多く,次いで50~54歳が56人(14.2%),30~34歳51人(12.9%)となっている。また女性医師の占める割合も34歳以下で増加しており,25~29歳では半数以上になっている。さらに産婦人科特有の拘束時間の長い当直業務を考えると,今後,産婦人科医療から勇退する日も近いと考えられる60歳代以上は71人(18.O%)であり,50歳代後半も含めると110人(27.8%)もの医師が今後10年以内に出産を扱わなくなる可能性があり,今まで以上の速度で産婦人科医師が減少すると予想される(図2)。
北海道では北海道周産期医療システム整備計画に基づいて,21の2次医療圏に地域周産期母子医療センターが25施設認定されているが,その半数は道央園に集中している。しかし一方で日高圏,根室圏においては未整備であり,さらに最近の産婦人科医師の急激な減少によって5センターが分娩の扱いを休止している。また,六つの3次医療圏ではそれぞれに総合周産期母子医療センターが認定されているが,NICU,MFICUなどの施設基準を満たして厚労省の指定を受けているのは2施設(釧路赤十字病院,市立札幌病院)にすぎない。
そこで2004年度の2次医療圏別の産婦人科医師数をみると44.6%が札幌圏に集中し,次いで旭川市を中心とした上川中部圏(13.7%),函館市を中心とした南渡島圏(8.1%)となっており,残りの1/3の医師でその他の広大な地域をカバーしているのが現状である(表1)。また産婦人科を標榜する病院数は全道で86施設あるが,そのうち24施設(27.9%)が札幌圏にあり,診療所に至っては全道105施設のうち54施設(51.4%)が札幌圏に集中している。また,ここ10年間の分娩中止施設は全道で16病院,17診療所であり,診療所は平均して年間2施設減少しているが,病院は2003年の2施設から始まって,2004年1施設,2005年2施設,2006年5施設,2007年6施設と年々増加してきている。しかもそのうち9施設は道央圏であるが,残りの7施設は他医療圏の中心施設(うち5施設は地域周産期母子医療センター)であり、北海道内でも過疎地での産婦人科医療の荒廃が明らかとなっている。一方,開業による新規の分娩開始施設は17施設あるが,道央圏に14施設,道南圏,道北圏,オホーツク圏にそれぞれ1施設となっており,さらに産婦人科医師の地方偏在も顕著となってきている。
過疎地域に産婦人科医師が不足して周産期医療が危機に瀕しているなか,地域の周産期医療を守るための一つの方策として産婦人科の統合,医師の集約化が現在行われている。道北圏にある紋別市の道立病院には大学からの派遣がなくなり,地域周産期母子医療センターの遠軽厚生病院に集約されて3名体制となった。空知地区においては滝川市,砂川市,美唄市の市立病院に大学から常勤医が派遣されていたが,やはり地域周産期母子医療センターの砂川市立病院に集約されて5名体制となった。上川中部圏では旭川赤十字病院の産科部門が同じ市内の旭川厚生病院へ統合された。また釧路市においては,釧路労災病院に北大から派遣されていた小児科医師3人が釧路赤十字病院小児科に集約されたことに伴って,旭川医大から派遣されていた3名の産婦人科医師も釧路赤十字病院に集約された。その結果,総合周産期母子医療センターである釧路赤十字病院では北海道大学から派遣されている6名と集約された旭川医大からの3名の計9名体制となったが,釧路労災病院では小児科,産婦人科の診療を停止した。この釧路赤十字病院への集約化は,これまで統合,集約化を独自で行ってきた大学の枠を超え,道内3医育大学の産婦人科教室と北海道保健福祉部で設けられた協議会において議論と調整が進められた結果である。
Ⅱ.釧路・根室圏における産婦人科医療の動向
3次医療圏の釧路・根室圏は岩手県に匹敵する面積(12531km2)を持ち,人口は釧路支庁267,961人,根室支庁84057人で計352,018人(2006年)である,この釧路・根室圈における分娩可能な施設は,筆者が開業した1982年当時,市立釧路総合病院,市立根室病院,釧路赤十字病院,釧路労災病院,町立中標津病院,町立別海病院,標茶町立病院の各病院の他,開業医は釧路市に12施設,厚岸に2施設,根室市と中標津町に1施設の計16施設,さらに助産所が2施設あって非常に充実していたといえる。ところがその後,開業医院の廃業,産婦人科医師の引き上げ・減少による分娩取り扱いの休止などが続き,現在では市立釧路総合病院,釧路赤十字病院,町立中標津病院,町立別海病院,標茶町立病院の5病院と助産所1施設のみとなった。また産婦人科・医師数は1989年には32人であったが,現時点では総合周産期母子医療センターである釧路赤十字病院に9人,市立釧路総合病院4人,町立中標津病院2人,町立別海病院,標茶町立病院にそれぞれ1人,釧路市の開業医(筆者)1人の18人であり,筆者以外の17人が分娩を扱っている。一方,この地域の出生数は年々減少を続け,1989年には4,233人であった出生数が2005年にはほぼ2/3の2,778人になっているが,現在ではそのうちおよそ1,500件が釧路赤十字病院に集中している。
釧路・根室圏で大きな問題となっているのは,地元に産婦人科病医院がなくなったことで通院に時間がかかり,妊婦に多大な身体的・精神的負担がかかることである。またそのように出産に対する不安を妊婦が常に抱えることによって,地域の出生率がさらに低下する可能性もある。実際,根室市の妊婦は市立根室病院で週に2回の産婦人科外来が聞かれているので妊婦検診は地元で受診可能であるが,分娩の際にはおよそ1時間かけて町立中標津病院もしくは町立別海病院に行くか,およそ124 kmの距離を2時間以上かけて釧路市に来るしかない(図3)。
現状では根室市の妊婦は約半数が釧路市で,残りが別海町と中標津町で出産している。また釧路赤十字病院産婦人科のアンケート調査では,根室のような遠隔地からの妊婦が抱える不安として,通院時間が長くなることや上の子どもを連れて通院することの不安,緊急事態への不安が強いことが明らかになる一方で,計画誘発分娩の割合が遠隔地からの妊婦の出産ではおよそ35%と,釧路面周辺部の妊婦の場合(13%)に比較して割合が高くなっていることを報告している。このように地元に分娩施設がない妊婦が抱える不安は計り知れない。
Ⅲ.まとめ
産婦人科は厳しい勤務体制,長時間に及ぶ拘束時間もあって新卒医師から敬遠され,特に分娩を扱う医師の減少は顕著である。また北海道では派遣医師の引き上げによる休診,産婦人科医院の廃業などによって地域医療は壊滅的なダメージを受けており,その対策として少ない医師で効率よく医療を行うために統合・集約化を行っているが,「通院時間が長くなる」「緊急事態には対応できない」など妊産婦にかかる負担や不安は大きく,その効果はもはや限界に来ている。近年、わが国は出生率の低下から世界で最も少子高齢化が進んでいるが,このように周産期医療が崩壊して妊娠・出産に不安がある社会では出生率が上がることはまったく期待できない。今後,様々な対策が取られて,すべての女性が安心して妊娠,出産できるような社会が作られることを願ってやまない。
おわりに
筆者は1980年に生まれ故郷の市立釧路総合病院産婦人科科長として赴任し,2年間勤務医として過ごした後,1982年に実兄とともに現在地で「足立産科婦人科医院」を開業した。当院の年間分娩数は1984年から1990年にかけて800件を超え,ピーク時の1987年には1,077件となって当地域の分娩数のおよそ22%を取り扱っていた(図4)。
その後,出生数の自然減や出産方法の多様化などによって分娩数は次第に減少し,1998年に実兄が他界して,その上2003年から派遣医師の引き上げもあったが,年間250件前後の分娩数は維持していた。しかしついに2007年4月で当院も分娩の扱いを取りやめた。筆者も還暦を迎え,一人院長として常に拘束され外出もままならない生活に疲労困憊したというのが表向きの主な理由ではあるが,福島県立大野病院の事件が明らかにした司法介入の不安と産婦人科医療の高い訴訟リスク,また横浜市の開業医で発覚した看護師内診事件も大きなきっかけとなったことは否定できない。そして現在では当院が釧路・根室地方で唯一の開業医となってしまい,産婦人科の新規開業の話はここしばらくまったく耳にしていない。この地域の産婦人科医療の行く末が心配な毎日である。しかしそのなかで一筋の光明が,灯ったばかりの小さな光が見えている。現在,筆者の子どもたちが産婦人科医を目指して研修しているのである。父親の背中を見て産婦人科医を志望したのかは本人たちに開いていないのでわからないが,もしも彼らが故郷に帰ってきたら,この地域の産婦人科医療に少しでも貢献できるようになることを期待している。
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