(関連目次)→ADRと第三者機関 目次 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
今度は法人医療制度研究会の中澤先生からo(^-^)o ..。*♡
勤務医の立場については考えさせられてしまいます。
特に、自分自身が弱い勤務医の立場だから。。。
ではどうぞ(>▽<) ..。*♡
「医療の安全の確保に向けた医療事故
による死亡の原因究明・再発防止等の在り方
に関する試案―第三次試案―」の感想
http://www.iryoseido.com/tmp/NPO20080410.pdf
特定非営利活動法人医療制度研究会 中澤堅次
4月3日に厚労省による第三次試案が公表されました。第二次試案で問題とされたことは文章で修正され、ある程度は納得がゆくように変わっていますが、かえって矛盾が明らかになった部分もあり、とても最終案などとはいえない内容です。大きく変わった点は、届け出範囲がかなり絞られ、医療機関の管理者の判断が尊重されること、遺族の代表がはいることになっていた調査機関は中央の「医療安全調査委員会」と「地方委員会」に別れ、地方委員会は医師だけで構成され、中央には医師の団体の代表と法曹界と家族の代表が入る形になり、刑事通告の役割は地方委員会に置かれています。当事者の人権に配慮して調査委員会の質問は強制されないという文言も加えられました。そのほか個人のエラーだけでなくシステムエラーも行政指導の対象になることが書かれています。
1. 中央安全委員会では勤務医の存在は否定されている 大きなポイントは中央の医療安全委員会の役割になりますが、その割にはしっかり定義されていない気がします。この委員会がおそらく司法上の医療水準を決めることになり、行政処分が事実上の水準の強制権をもつことになりそうです。すくなくとも民事裁判の水準を形成することになるでしょう。 2. 第二次試案における主な三つの問題点 私たちは、第二次試案の主な問題点として三つ項目を挙げました。そのひとつは司法、行政手続きにおける“被疑者”である医療者の人権、第二は、両立しない処分と安全対策を一つの委員会が行なうこと、第三は、委員会の介入が家族と医療側との信頼関係を壊すことでした。それらをひとつひとつ検証してみます。 1) 当事者の黙秘権で明らかになった責任追及と安全活動との矛盾 第三次試案では、事故の当事者は調査委員会の質問に答えることを強制されないとかかれており、当事者の黙秘権を認めています。これは刑事訴追までつながる委員会の性格上正しい判断だと思いますが、当事者が真相を語らないことで事故の真相究明ができないという問題が新たに発生します。有効な対策はできず、行政指導の根拠が失われ、遺族が納得するような真相究明ができないことになります。処分と再発防止対策は両立しないという医療安全上の常識に、本案のデザインが根の部分から矛盾していることがかえって明らかになってしまいました。個別性の高い医療事故では真因は当時者の証言から探るしか方法はなく、真相が明らかにならなければ、病院は責任の範囲を決められず、家族への対応が遅れるほか、当事者の情報なしの検討では、適切な改善策は立たないというジレンマに臨床側は苦しむことになります。家族の納得を得るためには別の仕組みを準備することが条件ですが、故意で無い限り救命の意図の中で起きる医療事故の刑事免責は臨床側には譲れない一線です。 2) 委員会のシステムエラーの分析は政府にまで及ぶのか? 第三次試案では個人の責任よりはシステムの欠陥に対する行政指導を重視するとしています。原子炉の安全管理の専門家で、現自治医科大学医療安全学教授河野龍太郎氏のお話では、事故の再発防止は高次のシステムエラーを考えることが有効、中央の事故調査委員会がシステムエラーを検討するのであれば積極的に賛成するといわれます。ご意見を参考に例を取れば、当直明けの医師が事故を起こしたら、医師の勤務体制がシステムエラーになることもあり、医師の労働時間を労基法どおりにするように改善が要求できる。背後要因として医療制度の問題が上がり、国が改善の責任を負うというようになる。間違えやすい薬を認可しないようにすることも出来る。システムエラーを委員会が問題とし、科学的に検証し、政府もそれに責任を負えば、それは本当の問題解決になるということになります。また中央委員会の構成は、安全学の研修を受け、実際の経験を持つ専門家の委員が入ることが必要と言われますが、このように本質的意味でシステムエラーが検討され、政策や制度にまで範囲が及ぶのであれば画期的で私たちも歓迎したいと思います。 3) 第三者機関が間に入ることで家族と病院は対立関係になる 医療の本質は、もともと生・病・老・死という人間の宿命の中で苦しむ人たちの救済で、昔も今も、受療者と医療者は信頼関係で成り立っています。ここに来てその信頼が揺らいでいるのは、世の中の変化で両者の間に理解できないことが出来てしまったことが原因です。手術は、事前に試しが効かず、内容を手にとって見られない、結果には自然治癒や自然死が深くかかわり、技術の差はわかりにくい。人間がやる以上必ずミスを伴い、時には死につながるという現実も存在します。分かり合えることは少ないとはいえ両者の間を結ぶのは信頼関係で、そのためにインフォームドコンセントや説明で信頼関係をつないでいます。高齢化で結果が伴わなくなった現代では、結果が悪ければ疑念が生じ、ミスがからむ死であれば信頼関係は断裂の危機に陥ります。医療関連死はこのような危機的な人間関係の中で起こります。 3. 勤務医の立場は日本の構造的な問題がからんでいる いま勤務医が置かれている立場は、実は日本の精神風土の宿命で、医師数の制限も、勤務医の過重労働も、中医協の決める診療報酬も、理想あるいは架空の水準を現場にいない人たちが規定し、それが現場の生存権利に障るところまできている悩みの中で生まれています。極論すればいじめも、自殺も、過労死も、子供が生まれない状況も、同じトレンドにあり、日本そのものに内在するいわばシステムエラーなのだと思います。弱い立場にある人への追求は歳を追うごとに厳しさを増し、初めからミスを犯さない立場の人たちだけが残り、安心安全は言葉だけの世界、最終的には誰もいなくなるという構図です。 4. 変わらなければならない国民の死生観との関係 診療関連死の問題は国民の死生観に大きく関係しています。これから老化と死亡による激動期に入る医療現場において、医師も国民も死生観を考える時代です。今の問題は医療事故が犯罪として取り扱われている法的運用の問題だけであり、診療関連死は、これから死生観も含めて時間をかけて、医師も国民も、すべてが向き合わなければ解決しない問題まで含まれています。新しい合意をこれから探らなければなりません。大げさで問題の多いシステムを立ち上げる意味はありません。 5. おわりに 診療関連死は、病者との信頼関係、ミスと自然死との関連、被害者への補償、再発防止など複雑な問題をふくみ、第三次試案はその大きな問題を扱っています。試案はこの問題を解決するというよりは、刑事訴追を回避するために作られたという印象があります。第三者機関を当事者の間に入れるという構造がまずあって、構造上生じる多くの反対意見や難点を、むりやり安全対策の問題にすりかえて修飾し、法律という形に整えようとしていると感じます。原型がわからないくらいの変更ですが、法案になった段階では修正点が消されるかもしれず、どのように使われるのかわからないところにリスクを感じます。システムエラーの改善が現場がやるように、行政の責任も含めて理想どおりに検討されれば進歩かもしれませんが、根本の思想が違うからそれだけで全体が変わるとも思うのは無理かもしれません。デザインにこだわらず根本の問題が深く検討される必要を感じます。 提案があります。皆様の職場で五、六人の小集団で、第三次試案をよく確かめて理解し、現実の診療との間でどのような意味を持つのか考える機会を作っていただきたいと思います。その時に亡くなった人と家族の立場は重要な要素となるのでいつも頭に入れてください。管理的な立場にある方、実務で診療関連死を扱ったことのある方はこの活動をサポートしてください。その結果をどこかに集約することを考えましょう。仮置きは手上げ方式でどこでもよいでしょう。病院勤務医の問題は病院勤務医の手で解決するという気概を持っていただきたいと思います。いまのところ私たちは選挙の一票で意志を示すしか方法がありませんが、それでもないよりは格段の進歩だと思います。 文責:NPO法人医療制度研究会 中澤堅次 参考資料
14 ページに図示された中央安全委員会の構成を良く見ると、この論争の縮図を見ているような気がします。推進する人たちは審査する側に回り、事故の当事者である医師、多くは勤務医ですが、彼らの位置は書かれていません。よく考えるとその位置は地方委員会のデスクに広げられた紙の中ということになりそうです。構成員である学会代表は医療の水準を高める立場で、そのまま審査する立場になれば実際とは異なる厳しい水準で審査が行われるリスクがあります。病院会は勤務医の使用側で、医師会は死に関係する治療はしない、有識者は失われた命を第一に考えます。
死につながる診療を業務とし、ミスが死につながる危険な現場にいる医師と看護師の立場は、このシステムでは罪を犯す罪人で、再発防止の検討からは遠い存在になっています。
また、本案で新しく付け加えられた“医療機能評価機構に報告された事例を委員会に提供する”という仕組みにも触れ、再発防止のためのシステムエラーの改善が目的であれば問題ないが、個人や責任者の処分が目的であれば、インシデント報告制度は完全に死んでしまい、安全文化の最も重要な要素である「情報に基づく文化、報告し続ける文化」に壊滅的な打撃を与えるといわれます。ここでも再発防止と処分との矛盾がはっきりしてきますが、二者両立は考えられないので、どちらでいくのか最初から決めてかからなければならないと思います。
医療事故が起きた場合、家族の関心は医療ミスの有無にあり、求められるものはミスの存在を明らかにすることです。委員会の目的は再発防止だといってごまかしても、ミスの有無は誰かがはっきり言わないと信頼をつなぐことにはなりません。試案では故意の事故、隠蔽・改ざん、リピーター、重大な過失に限るとしていますが、結局はミスの有無を検証しなければなりません。学問的な検討に使われる医療水準は、常識的な医療水準とは異なることについて、試案ではその旨を明記して報告するようにとしていますが、同業者が「学問的には問題だが常識としては妥当」と回答してはたして家族は納得するでしょうか?ミスの判断が下れば当事者である医療側は窮地に陥り、ミスがないといえば家族は同業者の判定に疑問を持つ、最悪の人間関係になりそうです。同業の第三者が間に入る構造では、人が誰であれ、目的が何であれ、切れかかった信頼関係は対立関係に変わると思います。院内調査はしっかりやれば家族との信頼回復に有効ですが、第三者の介入は院内調査の意味を失わせ、最後の糸もあえなく切断となるでしょう。
「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案―第三次試案―」に対する意見募集について
1)、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」における議論にうちては、厚生労働省ホームページの次のURLをご覧ください。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/i-anzen/kentou/index.html
2)、NPO法人医療制度研究会の診療関連死取り扱い法案に対する緊急のお知らせ(08年1月)
http://www.iryoseido.com/jimukyoku/tmp/200803310511.pdf
3)、弁護士「医療と法律研究会協会副協会長」河上和雄氏に聞く。警察はあくまで医療事故を独自に調査“事故調”第三次試案に異議、厚労省の権限強化に過ぎず
http://www.m3.com/tools/iryoishin/080408 2.html
なお、意見募集について、意見書(個人用、団体用)等の他の関連資料は、厚生労働省のホームページをご覧ください。http://www.mhlw.go.jp/ なお、多数の意見が公開されていますが、割愛させていただきますのでご了承ください。
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