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(投稿:by 僻地の産科医)
今度は、またまた海堂先生の座談会から(>▽<)!!!
この前の講演会の記事をみて、ジャミックジャーナルの編集部から送ってきてくださったんです!
きゃーんっ!ありがとう存じます!!!
アツく語る海堂先生をどうぞ!
病理学会も前向きに頑張っていますけれど、
三上さまからのコメント、
「全国で開始されれば瞬時に日本の病理業界はパンクすると思います。
具体的に最初に起こる影響は、院内&検査会社委託病理診断標本の
診断所要日数が極端に伸びることではないでしょうか。」
はまた現実であろうと思われます。。。。
では、どうぞ ..。*♡ (JAMIC JOURNAL 2006 vol.26 No.10 p10-20) 海堂 私は消化器外科で8年。それから病理に変わりました。本当は外科に戻るつもりだったのに、研究をして顕微鏡をのぞいているうちに外科に戻れない身体になってしまいました(笑)。 岩岡 バチスタ手術は見たことがないのですが、本書では執刀医の義理の弟が病理医で、術中にその場で見て変性しているかどうか判断しますが、このようなことは優秀な病理医ならできるのですか? >海堂 難しいでしょうね。そのあたりは完全にフィクションです。 長谷川 現実には外科医が触ったりした感触で範囲を決めています。バチスタ自体は今はやられていません。今もやられているのは心筋線維を残すやり方で、名前も変わっています。 海堂 そもそも、殺人トリックが術中に入れられたときに誰も検出できないのではないかと、手術場のミステリーを思いつき、手術材料として何を選ぼうかと探しました。トリックを思いついて、殺人現場、場面ができて、外科医と無関係の医師が調査するというのが思い浮かんで、そこでオペが嫌いな神経内科医の田口という設定を思いつき、するするといったというわけです。本当なら、田口が犯行現場から真相究明までいくはずだったのに、だめでした。本人が投げちゃったのです。 長谷川 前半で、手術現場関係者それぞれにインタビサーー・していきますね。看護師の大友は、インタビューの最中に泣き出します。医療の現場の人間は、一生懸命やっているがゆえにほかの人から見たらささいなことを非常に重く受けとめ、縛られています。そこで起こった事件について、自分は何も悪くないのに自分を責めます。事故調査におけるやりとりが現実とダブって、よけいに胸打たれました。本書では犯非にからむ問題ですが、医療現場の事故は基本的には悪意のないところで成立している有害事象です。あえて面と向かって話を聞くと、責められていると誰でも思うものです。しかも本人の仕事に関するいろいろな問題で、根堀葉掘り聞くのは難しいことです。 海堂 まさしくそのせいで手術関係者と分解せざるをえなかったのです。真相を導き出すにはゲバルテイッヒなエリアが必要になってきます。同僚である人や事情をわかっている人がやったらそこまでいけません。どうしても物語が止まってしまいます。現実のなかではもっと止まるのではないでしょうか。 岩岡 私自身も、日常で経験していることです。医療事故の調査委員会の内部調査で、払が委員長として、関係者にインタビューしても限界がありますね。 死亡時画像診断が必要 岩岡 内部調査でうまくいかないと外部調査委員を入れることになりますが、外部の弁護士はどういう人を入れるのか、報酬の問題、日程の調整など、実際にはとても大変です,本書では、白鳥は厚生労働省審議官という設定ですね。本年から、日本内科学会が事務局になって、「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」が始まりましたが、医療関連死をどのように調査・分析していくかは、現在の最も重要なテーマです。本書を書いていらしたとき、医療関連死の今後の方向性について念頭にあったのでしょうか?・ 海堂 関連死調査モデルケースが立ち上がったとき、病理学会も巻き込まれて外科学会、内科学会、病理学会、法医学会で共同声明を出しました。私は、A・Iをベースにしなければ、こうしたシステムの構築は難しいだろうと感じました。なぜなら、解剖は低下傾向が著しく、剖検率は4%以下です。ですからAIで欠けた部分を補っていくしかないのです。現在の枠組みは建物をつくる方向ばかりに動いています。建物があっても、中身にあたる客観的医学情報が乏しければ、実際問題が起きたときにはあまり役に立ちません。おそらくこの試みは厳しいのではないかと思っています。同時に内部調査をベースにすると、おのずと限界があると思います。つまり、システムの設計段階で無理があるのです。 岩岡 予期せぬ突然の死亡があった場合、家族の納得がいかないときは、当院では、すべて異状死として警察に届けています。異状死として警察に届けますと、警察が事件の可能性があると判断すれば、大学の法医学教室で司法解剖を行いますが、解剖の結果については、病院には直接連絡はきません。 海堂 先生がおっしゃる通り、司法解剖を動かすのは警察の関与があってからですから、そこは厳密な意味では、もはや医療ではありませんね。 長谷川 警察に報告し刑事事件で捜査をすると調査内容は捜査上の秘密として警察で囲い込んでしまいます。医療事故の問題は明らかにそれとは次元が違います。すべての医療関連死亡を医師法21条(「医師は、死体又は妊娠4ヵ月以上の死産児を検案して異常があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」)の問題で届ける方向の圧力を感じますが、そうすべきではないと考えます。病院側が社会の状況に負けて、従来なら届けなかったようなことをすべて届けてしまうということは、専門職としての医師自身がネガティブな方向に動いていることの証左で、非常によくないことです。その根源は、今までわれわれ医療者が、亡くなった後、きちんと死因を明らかにしてこなかったことです。臨床医、病理医、法医の共同責任です。そこをおざなりにしてきたところで、社会状況が変わってその圧力にさらされて、いびつな形になっているのが現状です。声明を出すのであれば、その後のことをもっとしっかりやる必要があったのに、腰が砕けてしまいました。 結局、厚労省が1億円かけてモデル事業をつくったという形になっていますが、現実としては10何例やって、しかも1例だけ報告書がオープンになって、術中の大量出血は術者が悪いといっただけの話で終わり、現場の人間にプラスになるものはない状況です。本書がタイムリーであるのは、従来の制度に依存するより、新しい技術を利用して、新たにやれるものでパラダイムを変えていく可能性を示していることです。私がA・Iに大きく期待しているところです。もう一つ、剖検率の低下は、日本人のシンパシーとしての家族にメスを入れるのはしのびない気持ちが根強いということがあります。 海堂 剖検率の低下は世界的傾向です。当然国が費用拠出を怠ってきた、ということがこうした傾向に拍車をかけています。病理学会は長年、剖検の費用拠出を悲願に掲げてきましたが、厚生労働省をはじめとする関係組織の反応は鈍く、長い問、なおざりにされ続けてきました。金も出さないということは社会的なシステムとして認知していないということに等しいのです。解剖などの死亡時医学検索は本人のために行われるものではありません。社会のために行われるので、当然、国費で負担すべきです。その辺りの議論をごまかして小手先でやろうとしても、おそらく解決は無理でしょう。 長谷川 病理にいたのでわかりますが、本当に根深いですね。ボランティア精神でやっているのが現状ですね。 海堂 ところがボランティアでいつまでもできるほど社会がまろやかではなくなってきました。厳しい社会になりましたので、それに対応するには、それなりのコスト負担が必要です。 岩岡 「オートプシー・イメージング学会」という学会も、すでにあるようですが、AIは、日本でどれくらいの病院でやられていますか? 海堂 救急学会の先生方が今春の病理学会特別講演で発表されていましたが、日本で183ヵ所の救命救急センターにアンケート調査をしたところ、6割5分の回答率で、その9割の施設では実際に死亡時画像検索をしているという結果だったようです。 岩岡 私の勤務先も3次救急病院で救命救急をやっていますので、心肺停止状態で来た患者の救命ができない場合、その時点でCTを撮って死亡時画像診断をする場合はありますね。 海堂 何のためにそうしているかというと、保険による費用負担を適用するためです。これは医療の形自体がいびつなのだと思います。保険でこうした費用を負担するというセンスも悪いし、それでなければお金がないというのもおかしい。医療現場を支えている医療従事者が見捨てられています。こうした検査は医師に対するセーフティーネットにも相当する部分があると思うのですが、こうした費用を国は拠出してくれません。先ほど医師法21条の話が出ましたが、それほどドラスティックに変えなくても問題解決ができるのではないかと思っています。医師法では医師の基本業務として、検死検案という一項目があります。私はこれを死亡時医学検索と読み替えています。解剖がその代替でした。死亡時解剖は医学の基礎だといわれてきましたが、実は死亡時医学検索こそが医学の基礎で、解剖は死亡時医学検索の強力なツールなのだといういい換えをすることが、ブレークスルーのために重要なのです。 長谷川 亡くなって画像を撮ると、たとえば生前気づかれていなかった病変が見つかり、局所の切開で診断できるなら病理解剖に応じるなど患者家族サイドも選択肢が増えて、協力しやすくなり、死因について納得できるようになるのではないでしょうか。私たち医師はこれまで死亡診断書をいい加減に書いていた歴史がありました。 海堂 解剖に反対されている方でも、画像検索を行うことによって、解剖の必要性を論理的に説得できます。 岩岡 病理学会の既存のえらい先生にとっては、今までやってきたことを変えるのは天変なのでしょうか? 海堂 病理学会でも放射線学会でも、えらい方でもえらくない方でも、賛同する方、反対する方はどちらも一定の割合でいます。上にいけばいくほどネガティブな反応の比率が少し増えるという程度です。こうした枠組みが変わっていくのは時間の問題でしょう。 対話を続ける責任のとり方 長谷川 A・Iが認知されていくことには同意しつつも、医師法21条の問題はA・Iだけではクリアできません。21条に関しては報告する事象としない事象というカテゴリーの整理、線引きをすることさえ困難な状況です。平成6年の法医学会のガイドラインではすべての医療関連死が報告対象となってしまいます。さらに加えて医療行為を業務上過失致死などで刑事訴追するとなるとますます問題が錯綜します。解剖とか、死亡時の検索の問題を超えた一つの法体系、思想の問題にまで広がってしまいます。こういった問題を適切にクリアできないと医師法21条の問題は残るでしょう。 海堂 法理論的にご指摘通りですが、法理論の観点から考えると、もっとさかのぼるべきです。医師法が制定された昭和20年代にGHQの勧告により、監察医制度が敷かれました。当初、監察医制度を7都市に限定して法律を制定したのは、いずれは全国に広げるという目論見があったはずです。医師法21条でも監官医制度が完備していれば、監察医が中立的第三者機関の役割を果たしたことでしょう。そこが不備なのですから、現在の法体系がぐずぐずになるのは当然です。基本的な脚の一本が完全になくなっているのだから医師法21条という椅子が倒壊してしまうのは、あたりまえといえばあたりまえのことなのです。 岩岡 今後、医師のやる気がそがれないようにして、かつ、国民のニーズにも応えるためには、医師に対する不信もあるなかで、A・Iも含めて、どうすれば第三者的に死因を解明していくことができるのでしょうか。具体的な方策はありますか? 長谷川 死因自体の問題とは別に、死因が何であれ、過失があろうがなかろうが、自分の大切な家族が医療現場で亡くなったということに対する何らかの補償が必要です。いくらモデル事業で死因が明らかになっても、お金だけの問題でなく心の問題で誠実に対応する人がいて、対話が続くことがいちばん大事です。本書でも対話ベースのことが盛り込まれていますが、田口のいい方では、手術は失敗ではない、必要なのは患者に対して徹底的に説明すること、患者ときちんと向き合うこと、向き合い続けること、とあります。医療事故で医師にどう責任をとらせるかといえば、牢屋に放り込むことではなく、徹底的に当事者が被害者に向き合い、再発予防を発信し続けることではないでしょうか。今のいちばんの問題は、患者家族と当事者側か対話できなくなるような、司法が介入した場合のシステムで、そこを第三者機関でいくのであれば、応答責任をとらせ続けられるようにするべきでしょう。基本的にはA・Iを導入して、公費で死因を明らかにできるような基礎をつくっておいて、その情報をどれだけ誠実にご家族に伝えていけるかどうかがもう一つの大事な山です。モデル事業でも看護師や医師がADR(Alternative Dispute Resolution=裁判外紛争解決手段)をしようというところ、教育プログラムをしようというところまではうたっていますが、実践するにはほど遠いのです。その部分がないとまったくうまくいかないでしょう。 海堂 長谷川先生のご意見には概ね賛同ですが、根本のところで反対部分があります。おっしゃる通り、ADRのようなシステムが必要だということには全面的に同意します。しかし、それを死因究明と切り離して考えるべきだという部分に関しては反対です。患者と対話して共感を確立するためには、ベースには客観的医学情報がなければ難しいと思います。現状でADRをすると死因情報が不確定の場合、うまくいいくるめるようなテクニックが必要とされるようになります。それは決していいことではない、と思います。ですからこうしたことには、確立する順番があり、まず、死因情報をきちんと確立し、次にメディエイトする組織をつくっていくということが重要だと思います。 不定愁訴外来が必要 長谷川 本書で、病理医である鳴海は病理診断をするにあたって、臨床情報から分離したところでやりたいというスタンスをとっていました。病理診断のとき、情報が十分なところで病理医に診断させるというカンファレンスが多いけれど、実はいろいろな臨床情報とは別に、プレパラート1枚から得られる情報として究極の病理診断は考えられるものでしょうか。そういうスタンスがおありですか? 海堂 私は臨床情報でバイアスがかかりすぎると教授に怒られたタイプです。鳴海は病理医ですが、そのモデルは絶対に私ではありません(笑)。私は、診断は社会的な情報も加味して変わっていくものだと思っていて、そういっては、よく純粋な病理医の先生には怒られたものです。病理医の格としてはおそらくそちらのほうが上なんでしょうけど。 岩岡 内科医にはこれだけ多くのサブスペシャリティーがあるにもかかわらず、病理医は病院に1人か2人です。全部診るのは大変です。 海堂 おっしゃる通りですが、日本の病理学会は、コンサルテーション・システムがとてもしっかりしています。専門的な病理医の情報をみんな知っていて、そうしたスペシャリティーの先生方にコンサルトすると、皆、とても親切に対応してくれます。 岩岡 日本の場合、病理医、総合診療科医、放射線治療医、感染症科医のような「横断的な分野」の医師が少ないですね。病理医はもっと必要だと思います。 海堂 もうじきその問題が吹き出てくるでしょう。私か病理医に転じたのは8年前ですが、その頃は、これから病理畑に人が増えていくだろうから先にいっていよう、と思っていたのですが、読み間違えて、ちっとも人が増えてこないのです。 長谷川 私は98~99年に、ピッツバーグに病理で留学したのですが、女性医師が増えていました。生活時間がきちんとできるので、ライフスタイルを大事にするためには病理医はいいようです。放射線科医や病理医は向こうでは一般の臨床科医よりステイタスが高く、尊敬されていました。トレーニングはハードですが、中身はフィールドが広いしおもしろいですね。日本では裏方、ド請けのイメージがあり、希望者が少ないとも思われます。 海堂 表面上立てられているのと現実の地位の間に大きな落差があります。臨床の先生方は病理を尊敬はしてくれるのですが、院内のいろいろなことを動かすときに直結するかというと、それはないのです。診断場面では尊敬されるので、空回りのような感じです。私は臨床医と病理医の両方を経験しているので、そのあたりの空気というものはとてもよくわかります。 長谷川 先生がおっしゃっていることはよくわかりますね。病理医自身のキャラクターのような問題はないですか? 海堂 ありそうですね(笑)。純正病理医は信念の方が多いような気がします。ここは信頼されるところでもあるし、煙たがられるところでもあります。診断という真理の追究となると、政治力とメンタリティー的に離れるところがかなりあります。 長谷川 特に大学病院のような大きな組織では、それなりの意思決定力を持ったポジションにつくのは政治力ですね。真理追究の純粋性より周りを見ていかに上手に□をきけるかでしょう。本書では、大学病院のことが実に的確に書かれていると思います。 岩岡 感心した部分は、ネズミの実験を田口が頼まれて、大学においては、ネズミの死骸を、いかにペーパーに転換できるかという能力が大事だとあります。そういう部分はあると思いました。また、田口は出世競争にまったく興味がないのになぜかサバイバルしている特殊な才能の持ち主という設定ですが、こういう人物は現実にいそうですね。 海堂 ふつうに考えると精神科になるのですが、精神科だと内科の現場とはやや距離があるので、そうすると医療現場から離れた診療相談になってしまいます。それで神経内科かなと。 岩岡 ミステリーは読後感が暗くなるといやですが、本書は終わり方が明るく、読み終わって、ハッピーな気持ちになれるところがいいですね。 海堂 爆笑したという感想もありますが、どうして爆笑されるのか、自分ではよくわからないんです。白鳥はとんちんかんに見えますが、セリフだけ抜き出してみると真面目ですし、べつにおちゃらけてもいないし、田口はすねているだけで真面目ですし。それでも一部の方たちは、どうも確実に爆笑されているらしいのです。 海堂 発売後3ヵ月くらいまでは、すごくうれしかったんですけれど、今はもう私のものではないみたいな感じがします。私の手の届かないところにいってしまった感じです。 岩岡 バチスタ手術は、今、名前を変えて改良してやっているようですが、心臓外科の友人には、「心臓外科医は、こんなにあきらめは早くないです」ともいわれました。 ルールは破られるためにある 長谷川 大学病院院長である高階の会話で、「ルールは破られるためにある。ルールを破ることが許されるのは未来に対してよりよい状態をお返しできるという確信を個人の責任で引き受けるとき」とあります。このようなセリフは思いつきで書くには非常に深いですね。人は何か過ちを犯したときにいかに責任をとれるのか、哲学的、思想的な問題でもあります。その一つの回答として、応答責任があります。たえずその問題についてかかわりを続ける、究極的責任のとり方です。医療界が社会の問題に対して萎縮して悪い方向にいっていることの一つは、法的な言葉、法的な問題に拘束され、それにすがってしまっている医師が多いことです。医療現場の生死にかかわる問題、医療倫理の問題では、既存の法をはるかに超えて高い次元の思考と判断が求められているのに、そこで参照項として法とか判例を持ってきてもだめなのです。むしろ自分たちが考えてこうあるべきだということをきちんと発言しなければならないのではないでしょうか。医療は一つ間違えば、法との共犯関係で強靫な権力機構になります。ハンセン病の問題のように、歴史のなかで医療と法がからんでとんでもない抑圧機構としてはたらいてきた歴史があります。それを考えたときに、高階のセリフには深い重みと同時に大きな危険とが含み込まれています。 海堂 ルールを変える必要があると思ったときには、多くの人の反対があるでしょう。それでも変えたほうがいいと思ったとき、ある意味でその決断には傲慢な部分が生じます。その傲慢のツケをどこかで収支を合わせる必要があるのではないかな、と。そこはかなりよく考えて書きました。でも、今の長谷川先生のお話を伺っていると、どうも自分が考えた以上に深く読み込んでいただいているように思います。 長谷川 社会のなかで生きていくとき、すべての法体系やルールを知っているわけではなく、医療に間する法でさえ全部知っているわけではないのに、社会のなかでわれわれが適切に行動しているというのは神秘です。たえず新しい情報を入れながら、よりよいものはどうかということを考えてわれわれは動いています。ときにそれは古びた法に抵触することがあって、場合によっては法を変えていかなければならないのですが、法というのはある種の強制力を持った国家に密着した仕組みなので、摩擦が生じます。大変な労力も必要です。そこをどうやって変えるかというと確かに難しいのですが、過去の判例に縛られることなく、人間として医師として、守っていかなければならない良質なものをくみとって、アクションを変えていかなければならないのです。そのためには現実に適切に向き合う必要があります。それを失って、ある種の権威を基準にして意思決定、判断を行う方向にいくのは萎縮医療につ^ながる悪い流れだと思うのです。 海堂 たしかに萎縮医療は問題だと思いますが、今の状況だとデイフェンシブにならざるをえないところがあります。われは法なり、の気概は表に出しにくく、医師にとっては不幸な時代です。気概を持ってやったときのリワードは少なく、だめだったときはたたかれる。それが萎縮医療の最大の原因です。社会が医療を見る目がギスギスしすぎています。この小説を書き上げるときに意識したのは、医療現場は、悪いやつがいても検出しにくい環境である、ということです。たいがいの医師、9割9分の人は、患者がよくなってはしいと思っています。ふつうの読者は、犯人のような悪人が混じると検出できないことと、そういう悪人はほとんど医療現場にはいない、という矛盾した二つのことを同時に感じてほしいのです。そうした理解をしていただいて初めて、われわれ医療従事者は、萎縮医療に対抗する鍵を手にすることができるのではないでしょうか。 長谷川 本書のなかの記者会見場面で示されているのが、病院という組織内で病院を監査するというやり方ですね。トカゲの尻尾切りで下手人をつくり出してその1人を罰して辞めさせて終わりにするのでなく、あえて当事者を残して応答責任を果たし、立ち向かえる状況を続けていきましょうということです。事故調自体、外部委員を入れることが必ずしもいいとは思えません。外部委員を入れてやるようなファンクションを組織の内部で持たせることが実はいちばんよい解決ではないでしょうか。調べて原因を明らかにし、かつ、再発しないようにするにはどうすればいいかを検討し、しかも病院のパフォーマンスを変えることが大事です。外の人を入れるコストを考えたら内部でやったほうがいい場合もあります。 海堂 たとえば内部委員でやって気家族などを調査委員会にオブザーバーで参加させるのも透明性を確保する手ですね。 長谷川 家族をすべてのところに同席させるのは、感情的な問題がからむので不可能です。多少のテクニカルな隔離は必要でしょう。しかし方針としてそういうことはもっと考えてもいいですね。 長谷川 外科、病理をやっている人間としてはわかるところもあると同時に、臨床医としては難しいと思いながら聞きました。 海堂 事故調査委員会なるものをつくり、医療の透明性を社会にアピールしていこうというおつもりなら、そこまでドラスティックなことをやる必要があるかもしれない、ということです。医療をやっている人間は自分たちの診断、治療行為の質を高めることにもなるのだから、問題は少ないはずです。 ただ、単純に今の枠組みではとてもしいでしょう。でも、考え方を変えてそういうものをやろうとしたら、必要経費はあまり変わらず、コスト増はほとんどなしで変えられるのです。 長谷川 事故の分類の整理をすると一つ目は薬の取り違え事故のような単純ミスで、これはシステムの問題です。二つ目は、レントゲンの見落としのようなことで、医師の力量のレベルの問題です。三つ目は、治療はうまくいったけれど、患者が怒っているケースで、紛争として発生するケースで感情の問題です。これらを整理して対処すべきです。質管理の次元のことでは、診療科を超えたところでのピアレビュー、横につなぐ感染制御など、対策を強化しなければなりません。もう一つの紛争処理の問題は、間接的にわれわれのパフォーマンスに影響し、萎縮医療につながります。先はどの診断センターという制度をつくることによって質の管理や紛争処理の軸は解決できるといいなと思って問いていました。 岩岡 おもしろいですね。確かに、読影、診断能力など差があるので、チームで経験豊富な人をインストラクターとして、経験の浅い人は単独でできないとか、そのように管理していくといいですね。胸部X線の読影でも、放射線専門医と呼吸器専門医がダブルチェックするとか、専門医の維持のための試験をするとか。ピアレビサーーや専門医制度も含めた質の管理ですね。ケア型のADRのための担当者も必要です。 海堂 これは早急にやらなければならないことです。医学情報の分離によってADRのほうも楽になるはずです。感情同士の激突を抑えるために、論理的思惟が存在します。医療ミスがなくても遺族の感情が荒れて紛争になることもあります。ディスカッションしても埓があかないことだってあるでしょう。そのときに、公正と認知された、分離された組織からの中立的な意見が提出されれば、遺族感情を和らげることにも役立ちます。ただし、死亡時医学検索をきちんとやるには、現状では総体的マンパワーが足りません。そこで地域センター化を勘案すると、それなりに間に合うのです。 長谷川 地域の話はすごく大事だと思います。私か栃木県でやりたいと思っているのは、そのレベルのことを医師会、警察、弁護士会とも合議のうえで、十分に納得してもらったうえで医学的な死因究明をまず先行させ、結果として出た情報を共有し影響力のある機関をコーディネーションすることです。 海堂 とりあえずはA・Iセンターでいいでしょう。検索して、2次的に剖検センター、医事紛争の事務局など、広げていけばいいのではないでしょうか。 岩岡 日本はCTもMRIも世界一普及した国ですから、それを使わない手はないですね。 海堂 現場の声を聞くと、検査に少しでもお金がつけばモチベーションになるといいます。 長谷川 医師の能力の向上にもつながります。地域のセンターをつくることによって、向上心のある日本の医師は、もっと勉強するでしょう。勉強の場所、チャンス、時間、お金などを提供できる制度設計が必要ですね。 岩岡 安全管理をする人の情熱や勉強を、トップが認めてくれないと困りますね。 長谷川 この高所院長は抜群に優秀ですね。 岩岡 こういう院長の下で働きたいと思う医師は多くいるのではないでしょうか,日本では院長の意向か大きく院長がどう考えるかによって変わりますからね, 海堂 A・Iは、院長の鶴の一声で施行できます。 岩岡 昨年出版された『100万人のオートプシー・イメージング(A・I)入門』(篠原出版新社)『オートプシー・イメーンング(画像解剖)(文光堂)等の参考書籍を読み、私の勤務先でもいかにA・Iを採り入れるかを考えています。 A・Iはミステリーではない 海堂 『チーム・バチスタの栄光』は実は、ミステリーとしては少し足りない部分がある、という評価を受けています。医療の現状をよく知っている人は最後にA・Iをすることにびっくりするはずなので、一般の人もびっくりしてくれるだろうと思って書いたのですが、「びっくりした?」と聞くと、「え、A・Iって、一般的には行われていないんですか?」と、遂に聞き返される始末で、一般の人がA・Iをまったく抵抗なく受け入れている様子に、こちらはびっくりしてしまいました。ですから、一般の人はあの本を読んで、AIを一般的な検査だと思い込んでしまうので、ミステリー要素が薄くなってしまうのです。作品受けとしては少々残念ですが、遂にA・Iの普及という面から考えれば、これはものすごい朗報だと思っています。つまり、A・Iは社会的に受け入れられにくいだろう、と考えている抵抗勢力の方たちが学会や役所には散見されるのですが、こうした事実が認知されれば、こうした圧力をかける人たちの抵抗は少なくなるでしょう。そうなると、もうA・Iはほとんどわけなくできるようになります。現在、某大学で非常勤講師として授業を行っていますが、学生に意見を聞いてみると9割5分、AIはやって当たり前の検査で、自分たちが医師になる頃にはそういうシステムになっていてほしいと答えます。こうしたことを施行する施設としては、大学病院が最も難しいと思っていましたが、実は、千葉大ではもうすでに、こうしたシステムが確立されています。ガン患者では、解剖なしでは、最後の病状が把握できません。また、解剖を行ってもそれまでの経過画像と、異質なので比較できません。その意味でもA・―画像は、医療現場には存在していて当然で、なかったことのほうがおかしいのだと思っています。 長谷川 今は緩和医療が進んできたので、ガンの最期は写真も撮らないで亡くなっていきます。その診療過程で悩んだことがどうだったのかはっきりすれば、臨床医や看護師も得るものがあるし、家族の納得も得られるでしょう。インフォメーションの意味は大きいと思います。 k海堂 興味深い具体的な話があります。肺ガン脳転移症例で、亡くなる1カ月前から腰が重いと訴えていました。医師と看護師で意見の相違があり、看護師は麻薬を使ったほうがいい、医師は座薬でいいと意見が対立していました。死亡時にA・Iを行ったところ、腸骨転 長谷川 非常に大事なことですね。最終的に病院としての診療の費を上げることになります。 海堂 実費としてはあまりかからないので、病院のリスク管理として拠出しても、剖検費用より安上がりです。ここまで一般の人に認知が広がれば、A・―にすら対応できない病院は、患者主体の医療に本腰を入れていないと判断されてしまう時代になるのではないでしょうか。
(本当は10ページからですけれど、
私の体力が持たないので12ページ目からとさせていただきます!)
「事件性はなさそうだ」という警察からの非公式の連絡のみです。また、病理解剖には移行しませんので、その死因については不明のままで終了してしまいます。これでは、医師も遺族も納得がいかず、両者に不満が残ります。
司法解剖と病理解剖は、まったく別個で、法医学者と病理学者は別カテゴリーになっていますが、両者の連携・連続性の確立は難しいのでしょうか?
長谷川 倫理的には許されないことですが、死亡宣告する前にCT室に運んで全身スキャンして死亡原因を調べるケースもあるでしょう。
解剖を死亡時医学検索のメイン・ディッシュに据えれば、Aiもそれに並ぶ重要な検査である、という形で整合性がとれます。医師法に則って検死をきちんとやるためにA・Iを行い、問題があれば解剖に回す。その後、問題があれば医師法21条に則って異状死として届けるというように、医療の範囲を拡大することで、こうした混乱はかなり解決できるのではないでしょうか。このような、検死、A・I、剖検という流れをつくれば論理的ですし整理しやすいと思います。こうした考え方は、新しい流れですが、不自然ではありません。生前の診療とアナロジーで考えてみれば、ごく簡単に理解できます。
また、内科医として、不定愁訴外来は重要だと思いましたが、神経内科医はプライドが高いので、いちばんやりそうもないですね(笑)。これは、あえて神経内科医にしたのでしょうか?大病院の外来では、不定愁訴外来の存在は必要なのですが、誰もやりたがりません。
岩岡知り合いの真面目な弁護士に読んでもらったところ、ただ一点だけ、「厚生労働省に、白鳥みたいな人はいないと思う」と指摘されました(笑)。本書は20万邦を超えた大ベストセラー作品です。著者として、すごくうれしいでしょう。
地域単位にAiセンタ-をつくる
中立公正な事故調査委員会は、日本では、航空機事故の事故調がよい意味でも悪い意味でも一つのモデルになります。これは業務上過失死亡に対する考え方にも通じていきます。航空機事故の問題とリンクさせて、司法に対してシステムアプローチではこうだという問いかけをし続けるのがいいやり方ではないでしょうか。毎回 医療面でも構想が必要だということはわかります。ただ、事故調査委員会を地域限定でつくるのはなかなか難しいでしょう。ここ一つ試案があります。それは、診断と治療の完全分離です。診断にかかわる医師を地域診断センターに集中させ、そこに事故調の機能を持たせる。診断センターは、剖検センターおよび、オートプシー・イメージングセンターを兼ね、死亡時医学情報の集積も行う。その中立性、オープン性を確立しておけば、たいがいの問題は医療内部で解決できるのではないでしょうか。刑事事件に訴えるかどうかはその組織で公正な議論をして判定すればいい。医療の責任範囲をできるだけ後ろに持っていき、なおかつ人員配置を変え、適正化するのです。今そうした業務にかかわっている医師の人数を考えると、論理的には実施可能です。
移が発見されました。その情報があったことで、看護師さんは自分の見る目が正しかったと自信を持て、医師はそういうケースもあると学ぶことができる。こうした事象の積み重ねが、医療の費を高めていくことにつながることは間違いないと思うのです。
岩岡 第2作の出版予定はありますか?
海堂 第2作は、東城大学医学部小児科を舞台にした、「ナイチングールの沈黙」というタイトルで、10月に刊行予定です。やはり、白鳥と田口のコンビ物で、第3作、第4作と続く予定です。
岩岡 それは吉報ですね。白鳥と田口のシリーズ化か楽しみです。氷姫の登場にも期待しております。本日は貴重な意見交換ができたと思います。海堂先生、長谷川先生、長時間にわたり、どうもありがとうございました,
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