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(投稿:by 僻地の産科医)
昨日、講演会にいってきました(>▽<)!!!!
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「死亡時画像病理診断は絶対必要だ!」海堂尊先生 講演(>▽<)!!!!
ロジカルモンスター白鳥!のイメージの重なってしまう海堂尊先生ですが、 でもやっぱり中身は、アツい元外科医w。 「死亡時死因究明をもっとちゃんとやりましょうよ!」 今日は日経メディカルのブログから! 実は、本の出版でさえ戦略的であったという海堂先生の 国会議員の「死文化発言」に途方に暮れている いろいろ予告していたネタの下書きは終わっているのですが、もっとすごいネタが次々と出てくるので、どんどん先延ばしになってしまいます。 今回は「日経メディカル オンライン」が展開している「どうなる?医療事故調」に関するコメントを。一番衝撃的だったのは、やはり大村秀章議員の「医師法21条は死文化します」発言でしょう。この発言を引き出した野村記者の功績は、ジャーナリズムとして素晴らしいと思います。議員の発言は「医療事故調査委員会を作れば、医師法21条は死文化」。そうでなければ「21条はもっと強力にいく」という現職国会議員からの恫喝にさえ読み取れます。 そもそも、法律を遵守すべき立場にある現職の国会議員が、「現行の法律を死文化する」制度を作るということは、国家の大原則に対する背信行為でしょう。国会は立法府です。国会議員の本義は、世の中に対応した法律を作ることのはず。それなのに、現行の法律である医師法21条を死文化するということが、政権与党である自民党の国会議員のコメントとして公表され、このことをメディアは誰も問題視しない。とんでもない世の中です。 死文化を提唱するということは、とりもなおさず、医師法21条に問題あり、と国会議員や法律家が認識していることにほかならない。それなのに問題がある法律の改正に着手しようとせず、その上にごまかしの建築物を立てることで、死文化しなくてはならないような悪法を温存する。これは法律家の怠慢です。 なんで、メディアは誰も問題視しないんだろう? 医師法21条が悪法だ、ということは多くの市民が認知し始めている。21条が悪法だという主張理由は簡単。「異状死は警察に届出しなさい」と法律で規定しながら、その「異状死の定義」が法律上規定されていないからです。こういえば、法律の素人の専門家ではない一般市民でさえ、5秒の説明で理解してしまいます。ところが驚いたことに、法律家や国会議員の多くはこうした論理を理解できないようなのです。 もしも立法府や法律専門家がその悪法を死文化することでしか解消できないというのなら、それは、法律家は自らの過ちをただす資質がないということになり、それでは社会を先導する立場には立てない、ということでしょう。今の世の中が偽装社会になってしまったのは、実は現状に即して法律を変える努力を怠ってきた法律家の精神が、社会の土台に据えられているせいなのではないでしょうか。 つまり、今の日本は「法痴国家」なのです。 大村議員に一言。国会議員は、自らの経費領収書添付問題に関して、クリアカットな解決を行うことができませんでした。医療問題と比較すれば、議員事務所の経費に対する領収書を添付するなんて、やろうと思えば簡単にできること。民間なら誰でもやっています。 領収書を付けられない出費は自腹で払えばいい。そのために国会議員には高い給料が支払われているわけですから。そんな自主規制の法律も作れないようなモラルの低い国会、特に自民党に、医療最前線の問題を解決する新しい制度構築なんてできるとお考えなのでしょうか。誤解されては困るのは、だからといって私が民主党を支持している、というわけでもないんですけどね。私自身は、現在支持政党なしの無党派です(笑)。 厚生労働省の室長の発言(「医師法21条、現状維持でいいんですか?」)にもあきれました。元来、医師法21条が戦後間もなくの混乱期の死因不明遺体の処理のために作られたものであることを認め、さらに、それを拡大解釈して医療事故にも適用したのが、厚労省の独断である通達にあることを認めた上で、現在の混乱についての責任を追求されると、「こうなってしまった以上、その点を議論しても仕方ありません」とおっしゃる。無責任の極みです。 さて、そんな人たちが牛耳っている「第11回診療行為に関連した死亡に係わる死因究明等の在り方に関する検討会」を傍聴してきました。ここでは今、医療事故調査委員会の創設について、議論がシフトしています。それぞれの立場の主張を見ていきましょう。 まず大前提。今回の議論の場では一度も、エーアイのエの字も、画像診断のガの字も、出ていないということを確認しておきます。つまり、彼らはいまだに画像診断の導入は視野に入れていない。つまり、彼らの認識する死亡時医学検索は、「検案→解剖」という従来の制度に則っている、というのが大前提です。そして日本の解剖率は現在2%台。これは事実です。 以下に、各代表の主な主張とそれに対する私の意見をまとめました。 ○医師代表の主張 私の意見 全く妥当な主張です。この医療事故調が「検案→解剖」という制度の下に作られるものである以上、医師がこう主張するのはもっともです。そうしないと、証拠なしで裁かれるケースが生じてきます。これは医師が一市民でもある以上、市民として到底容認できないことでしょう。客観的医学情報なしに、印象だけで裁判されるようなものですから。解剖なしの症例も対象にするなんて応じたら、法治国家の大前提が瓦解します。 ○遺族代表の主張 私の意見 全く妥当な主張です。解剖した症例だけに限定されては、今の解剖率2%の現状では、ほとんど対象外になります。だから遺族としてこう主張されるのは、当然でしょう。ただ、この時に奇異なことが起こっています。当然、解剖がダメなら画像診断を使って、という提案を以前なされていたので、もう一度おっしゃるかと思ったのですが、やはり画像診断に関しては一言も触れませんでした。遺族会は画像診断なしで、解剖制度を下に制度を作ろうとしている、と誤解されかねない意見陳述でした。ま、それならそれでもいいんですけどね。 ○法律家の主張 私の意見 やはり、画像診断のことは一言も触れません。そうなると、法律家の主張は当然、判断は解剖症例だけに限定する、と主張するのかと思いきや、解剖以外の症例にも対応すべき、と矛盾することを主張しています。これは明らかに論理破綻しています。法律家が論じる原則は、法に基づいた論理のはず。いったいどうしてしまったのでしょう。 さて、この無責任状態のパズルの回答はただ一つ。実はこの制度設計には、Ai(エーアイ)が暗黙のうちに組み込まれている、と考えるのが正しいのではないでしょうか。それならすべては円滑に解決します。それでは、どうして官僚や法律家はそのことを言わないのか。 それは、こうした後から責める制度設計をすれば、モラルの高い医療現場は、自らAiを行うだろう、と考えているからです。今、この検討会でAiのことを持ち出せば、費用拠出を考えなければならない。でもここを乗り切れば、Aiの費用は医療現場からの持ち出しに押しつけることができる。ちょうどそう、現状の病理解剖のように。要は、医療現場から行政制度への経済資源の簒奪(さんだつ)、という目論見が、Aiについて検討会で言及しない、という中に隠されている意図なのです。これを座視すれば、医療崩壊はさらに加速することでしょう。 議論の原則に立ち返りましょう。この検討会が現状の議論のままで医療事故調を立ち上げるなら、その制度は、解剖を行った症例のみに適用、とするしかありません。そうでないことを遺族会や法律家が希望するなら、代替案であるAiについて議論の俎上に載せなければ、整合性が取れません。つまり遺族会代表が解剖以外の症例についても対応を要望し、検討会がそれに応じようとするのなら、画像診断の導入という提案をしなければ、おかしいのです。それは、解剖率が2%しかないのが現状だからです。 厚生労働省は、パブリックコメントを広く求めました。その中にはAiの導入を求めたものもあると聞きます。それなのに、そのコメントを広く検討しながら、Aiについては、いまだに厚労省からは一言も発言されません。この経緯が明らかになった以上、医療現場のディフェンスとして、費用拠出されない検査には対応できない、という原則に基づき、大学病院以外の病院での病理解剖は停止する、くらいの荒療治的な対応が必要になります。当然、Aiも停止する、という対応が考えられます。 国家が医療従事者にタダ働きを強制する制度を構築しようとしているのです。 医療費は、生きた人の治療に使うべき費用です。 死亡時医学検索は医学の費用です。だから長年、保険からの費用拠出はなされてきませんでした。医学に、特に現場での医療の土台になる実践的な医学に、国家として投資すべき時に来ています。それこそが、死亡時医学検索、すなわちAiと解剖なのです。 医師のみなさん、解剖費用とAi費用の拠出が国家により決定されるまでは、病理解剖を停止し、死亡診断書に死因不明と記載しましょう。もう、そうやって医療の現状を社会に突きつけるしか、問題を是正する手段は残されていないのです。そこまでいけば、医療問題には勉強不足の大メディアも、真実に気づき始めることでしょう。 さて、余談です。先日、テレビ朝日のスーパーモーニングで「時津風部屋親方、傷害致死で逮捕」という報道をやっていました。そこで、警視庁嘱託鑑定医の法医学の先生がいろいろコメントをしていましたが、実に興味深いことが分かりました。 フリップが作られ、死因の欄に「病院→心不全」、「警察→虚血性心疾患」と一括りにされていて、「事件性なしと判断」と一つにくくられていました。 ―心不全というのは、書いてはいけない診断なんですよね。 ほら、ね。解剖をしなかった場合、死亡診断書に死因不明と記載しないと、みなさんが知らない所で、医師に対する不信感がメディアによってこのように一方的かつひそやかに醸成されてしまう、という証拠です。そして同時に、法医学者が医療には無関心で、よりよい捜査についてだけ考慮して、医療現場の実際も知らないのに発言している、ということをあからさまにしてくださった放映でした。生放送って、素晴らしい。 それからスーパーモーニングでは、Aiのことには、その場の誰も一言も触れませんでした。おそらく画像診断のことを誰も知らないのでしょう。実は私は、週刊朝日にも週刊現代にも、事件と同時期に死因不明社会についての関連記事を掲載させていただいたのに。どうやら大メディアは現在Aiに関しては完全黙殺の様相です。 医療従事者のみなさんは、映画「チーム・バチスタの栄光」をご覧になることをお勧めします。あの映画は、ある部分では私の原作を越えてさらに過激になっていて、単なるエンタテインメントではありません。そこには時の為政者が怖れる何かがある、のかも知れません。そして、それを知ることは、現在の医療崩壊を食い止める方策のヒントになることでしょう。 実は答えはもう出ています。映画の感想ブログに「どうしてやらないんだろう、エーアイ」という言葉が散見されるようになりました。Aiは必ず行われるようになります。私の今の活動は、その費用拠出をきちんとしてもらう制度設計をしていただくために行っています。それは、医療現場をきちんとしていくための活動でもあるのです。このままでは、官僚と癒着した一部学会上層部のみが利益を得て、実際の医療現場がAiをボランティアでただ働きさせられる制度設計にされてしまうのです。しかも、そのボランティアをしないと懲罰までされてしまうというオマケつき。
口調は朴訥としていらっしゃいます。
という主張の影に、医療の崩壊への危機感が隠れています。
戦う医療現場の主張が隠れています!
昨日の記事があまり、自分でもまとまっていなくて
もったいないな~と思うんですけれど、
ぜひぜひ生の声に接して読んでみてくださいませ!
生の声が聴けるかもしれません。
日経メディカル オンライン 2008. 2. 13
1)http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/kaidou/200802/505500.html
2)http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/kaidou/200802/505500_2.html
3)http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/kaidou/200802/505500_3.html
4)http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/kaidou/200802/505500_4.html
5)http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/kaidou/200802/505500_5.html
これは国家原則を揺るがす、とんでもない発言だと思います。
この議論展開は、社会保険庁の年金問題の議論と全く同じ構造です。混乱の責任を作った自分たちの過去の行状に関しては無反省、その穴埋めのために、自分たちの有利なシステムを新たに構築する。要はマッチポンプなわけです。こんな人たちに、医療現場でのたうちまわっている最前線の医療従事者を裁く原則が作られてしまうなんて、全くお笑いですね。
医療事故調査委員会の届出対象は、解剖を施行した症例に限定してもらいたい。
解剖を行った症例以外にも対応してもらいたい。
こうした医療事故調査委員会の判定は、客観的なエビデンスに基づいて判断されるべきだ。そして、解剖された症例以外でも対応すべきだ。
そこでの法医学者のコメント。
「問題は、臨床医が書いてはいけない診断書を書いた、ということです。解剖しなければ体表からでは分からないはずなのに」
「厚生労働省はそのように指導しているはずです」
ここで突然コマーシャルの挿入。話が途切れたタイミング。多分、言ってはいけないことを言ってしまったので、ディレクターズカットされたのでしょう(笑)。
私は見ておりませんが、ある友人によれば、ニュースJAPAN(フジテレビ系)という報道番組でも、死因不明という言葉を連呼しながら、やはり解剖医の必要性だけが説かれ、エーアイのエの字もなかったのだとか。こうなるとこれは、Aiという言葉はメディアにとっては忌み言葉で、報道統制が行われているのではないか?なんて被害妄想まで浮かんでしまいました。
さらにいえば、時津風部屋の親方逮捕の流れは、年明けからメディアの世界では流されていました。その発表をわざわざあの日にしたのはなぜでしょう。実は逮捕日は、映画「チーム・バチスタの栄光」公開前日でした。ひょっとして、官僚はあの映画が広く見られることをすごく警戒しているのでは? まあ、いくらなんでも考えすぎですね(笑)。でも、少なくとも大相撲初場所の興業への配慮がなされた逮捕劇だったことは、誰もが感じていることでしょう。そうした意図がないのなら、大相撲の初日に逮捕すればよかったのに。
これが今の社会の実相です。
これでもまだあなたは、死亡診断書に「死因不明」と記載することをためらいますか?
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