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(投稿:by 僻地の産科医)
中部ブロックDMAT実働訓練講演会に行ってきましたo(^-^)o ..。*♡
富山県の高岡市というところであったのですけれど、
ちょうど東海北陸道を降りたスグのところで、
時間的には全然かからず。拍子抜けするほど!
今回は中部ブロックの8県37チームのDMATが参加して
200名を超える大きな講演会、
開場は御礼満員で熱気むんむんでした ..。*♡
(以前勤めていた病院Dr、当院のDrまでみかけてしまいました。)
私自身はDMATには興味あるものの、
これ以上のナニかはとても無理!ということで、
中越沖地震被災時の経験を聴きに行ったのですが、
とても面白かったです(>▽<)!!!!
●DMAT●
http://www.dmat.jp/
Disaster Medical Assistant Teamの略称。
災害急性期(災害発生後約48時間)に活動できる機動性を持ち、トレーニングを受けた医療チームのこと。病院ごとに医師・看護師・業務調整員(薬剤師や事務職員など)が5人程度のチームを編成。厚生労働省、都道府県の要請を受けて出動する。現在、全国の病院に600チーム程度が登録されている。
では、どうぞ ..。*♡
(スライドは現物ではなく、私のメモが添付されています)
2007年中越沖地震の経験から
JA新潟厚生連 刈羽郡総合病院院長 小林勲先生
中越沖地震は平成19年7月16日、この日は海の日の祝日だったのですが、この祝日の午前10時13分に起こった地震です。
マグニチュード6.8
震源の深さ17キロ
柏崎市、刈羽村、長岡市、長野県飯綱町で震度6強
が観測されました。
ちょうど休日中でしたので、私は長野県飯綱町でこの地震にあいまして、同じくらい揺れたのですが、でも病院のある柏崎や刈羽での被害が大きかったのは地盤などのせいかと思っています。
で、当日、長野でしたから地震直後から一生懸命帰ってきたのですが、渋滞が酷く、病院に着いたのは18時頃でして。。。休日の当番組や先ほどしゃべらせていただいた整形外科の津吉Drなどが、たまたま地震直後に院内にいて、もうその頃は戦闘状態だったわけなんですね。申し訳ないから、院長室にこっそりと最初からいたふりをして。。(笑)
その間に何が起こっていたかというと、休日体制ですから院内には医師が10人程度。看護師さんたちも少ない状態。 カルテ棚は倒れて散乱、カルテが見つからない。医師たちは白紙の2号紙に所見を殴り書きながら診察。 薬も割れる、散乱する。
医師の一人は、本箱が倒れてきてドアを塞ぎ出られない状態。(廊下から救助)電気・ガス・水道・空調などのライフラインは全て止まり、 (地震そのものが起きた時に、手術中・透析中の患者さんがいらっしゃったのですがそれはなんとか最後まで出来て幸いでした) 病院の地下室が陥没。。。
病棟の患者さんに被害が出なかったのが幸いで、これも院内に残っていたDrやたまたま居合わせた開業医のDrなどが状況把握に努めてくださり、これがなければ外来対応はほぼ不可能だったと思われます。
最初はボツボツだった来院患者さんは瞬く間にロビーにあふれて、でも6-7割の職員や病院OBまで自力で登院してくれ、 近隣の開業医さんたちも、自分の医院が倒壊しているのに協力しに病院までやってきてくれたのが大きかった。
休日夜間診療所当番の先生も手伝いに来てくれました。
幸い、病院に市、消防、警察が常駐してくれて、この方々の情報力はすさまじいものだったので、現場にいる我々が何も知らされず、情報弱者になって不安でいっぱいだったのが、とても助けになりました。特に消防の人たちは衛星ラジオ・無線のような強い情報収集武器をもっているので助かりました。
また他にも消防はすぐに病院前にすぐに野外テントを張ってくれて、そこで診察をできるようにしてくれたり、搬送用に救急車を回してくれたりしてありがたかった。 夏でしたし、暑くて、電気がその日のうちに復旧したのだけが助けになりました。
あと苦労したのが水で、透析には一人1回120リットルの水が必要なのですが、透析を休むわけには行かない。
全然足りなくて、柏崎市にお願いしたのですが市民にも回るからかほとんど来なくて、最終的に自衛隊にお願いしたら、なんと富山湾からタンカーで水を運んできてものすごい量の水を供給してこの問題も解決しました。いろいろな体制が整って透析を再開できたのは2日後の19日です。
エレベーターも大きかった。
患者さんを6階に入院させるにも、担ぎ上げなきゃいけない。
職員が何か取ったり連絡するのに、階段を一々上り下りしていたら疲弊してしまう!
あと意外だったのが非常食がいっぱい来たこと。
カレーとか、カップめんとかじゃなくって、いろんな非常食が今はあるんですね。私も一週間、病院に泊り込みで食べ続けましたが、まぁ食べれるというか、結構おいしかったです。
医療職のみんなは、病院で頑張らなきゃいけなかったけれど、職員もみんな被災者で、うちが倒壊していたり、家族が心配だったり不安をかかえてやっている。
きちんとした情報を集め、伝えること。
被災後、48時間でDMATが帰ってしまったあとにも、混乱した状況をどうやって日常生活に戻し、疲弊した彼らをケアしていくか、ということも大きな問題でした。
普段は大学はなかなか頼んでも人を送ってくれませんが、このときの後の1ヵ月くらいは、もう何を頼んでも当直でも日勤でもなんでも、頼んだら人を送ってくれた。本当にありがたかった。
あれだけスムーズに送っていただけるのであれば、もう一回地震が来てもいいと思うくらいです(笑)。
冗談はそれくらいにして、
今回の中越沖地震ではDMATは成功しました。
しかし、
・被災地域が狭かった
・この地域の災害指定病院が当院だけで支援・連携がしやすかった
・発生時刻が休日の昼間(普段のdutyがない)で迅速な出動が出来た
・自動車通行道路の損傷が比較的少なかった
などの理由がありますので、人口が多く、病院も多い、大都市型地震の場合にはなかなか当てはめにくい成功例だということも知っておいてください。
今回の中越沖地震では原発で火災があったということもあり風評被害がありました。我々にはなかなか状況がわからないから、もう何のどういう事故でもいいから、「発電所周辺全体」の放射能漏れの情報だけでいいから早く情報が欲しかった。
が、なかなか発表されず、念入りに念入りに原子力施設の人は「調べている」というだけ。最初に県や国に報告するよりも、地元にきちんと情報を伝えるシステムを確立すべきだと思います。またこれからの災害では、複合汚染ということも念頭に入れていかねばなりません。そういったマニュアルや知識を身につける必要があると思います。
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