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(投稿:by 僻地の産科医)
今日、注目の判決です(>▽<)!!!!
奈良・勤務医の時間外手当請求訴訟
当直,宅直は時間外・休日労働か
注目の判決は4月22日に
Medical Tribune 2009年2月19日(VOL.42 NO.8) p.86
奈良地裁で審理されていた勤務医の時間外手当請求訴訟が2月9日,結審した。判決の言い渡しは4月22日。当直と宅直(いわゆるオンコール)は時間外・休日労働であり,県は規定の割増賃金を支払うべきだとする原告側主張にどのような判断が下されるか,注目される。
背景に過酷な労働実態
この訴訟の原告は,奈良県立奈良病院の産婦人科医2人。2004〜05年の2年間の当直(宿直・日直)および宅直勤務に対する未払い賃金として,県が支給した当直手当との差額分(2人合わせて約9,230万円)の支払いを求めたもので,2006年12月に提訴した。
県立奈良病院は県内の中核的医療施設の1つ。分娩を扱う産科施設が減少するなかで,同院産婦人科の分娩件数は年々増加傾向にある。また,同院は1次〜3次の救急患者を受け入れている。救急患者の受け入れをやめる施設が出たことで同科が扱う救急患者数も年々増え,2004〜05年の時間外救急患者数は年間1,300人を超える状況になっていた。
2004〜05年当時,同科の医師は5人体制で通常業務のほか,当直および宅直を分担してきた。医師たちは年々悪化する労働環境の改善を求め,対応する患者をハイリスク妊娠例と2次〜3次救急に限定することなどを要望したが,実現しなかった。そのため2006年5月,県に医師増員や時間外・休日労働に対する割増賃金の支払いを申し入れた。その結果,医師1人が増員されたが,「当直は時間外・休日労働である」とする主張は受け入れられなかった。
このように,訴訟の背景には勤務医の過酷な労働実態がある。労働環境の改善へ向けた具体的道筋が見通せないなか,勤務医の疲弊は増している。この訴訟は,勤務医の"自己犠牲"がもはや限界に達していることを示す一例であると言ってもよいだろう。
「実態と見合わない手当て」
県は,医師の当直は守衛や学校の用務員などと同じ「監視・断続的労働」であるとして,1回2万円の手当てを支給してきた。宿直を例にすると,「大半が寝ている時間で,労働する時間は少ない」ことが前提となっている。
これに対し原告側は,当直時も分娩や入院患者および救急外来患者の診療に追われることが常態化しており,宿直時の仮眠も短時間しか取れないのが実情であると指摘。「通常業務と同等の労働が時間外に行われていることは明らかであり,2万円の当直手当は労働実態に見合わない。労働基準法に違反している」と主張している。
裁判を通じて,2人の医師が2年間の当直で扱った分娩や救急患者への対応などの具体的件数が明らかにされた。
宅直は医師たちが自主的に始めたもので,県は「命令したわけではなく,職務との関連性がないから労働時間とは認められない」として無給扱いとしてきた。
しかし,当直時に入院患者と救急患者の診療が重なった場合や異常分娩に1人で対応するには限界があり,また危険を伴うため,応援の医師が必要となる。宅直は医師としての職業倫理から始まったものと考えられるが,宅直なしには当直が成り立たない現状がある。実際に呼び出しがあるかないかは別として待機している時間は拘束そのものであり,「労働からの解放が保障されていない以上,時間外労働とみなすべきだ」というのが原告側の主張である。
この訴訟には,従来タブー視されてきた感がある医師の"労働"に対する評価を求めることで,このような多額な割増賃金が発生する勤務医の過酷な労働実態を明らかにし,労働環境の改善につなげたいとする思いがあるようだ。どのような判断が下されるか。判決は原告の医師2人にとどまらず,多くの勤務医に影響を及ぼすことになると考えられる。
時間外手当支払いを求めて提訴したわけ
医師の勤務実態 "県立奈良病院訴訟"の担当弁護士・藤本卓司氏に聞く
聞き手・橋本佳子
m3.com 2008年1月21日
http://www.m3.com/iryoIshin/articleOldId/080121_1/
今年、勤務医にとって注目すべき判決が出る見込みだ。奈良県立奈良病院に勤務する2人の産婦人科医が、時間外手当の支払いを求めて提訴したのは2006年12月。争点は、分娩や救急患者への対応をしていた「宿日直」が「労働」に当たり、時間外手当の対象になるか否かだ。2人の弁護人を務める藤本卓司氏に、提訴の経緯などを聞いた。
――まず提訴までの経緯をお教えください。
奈良県立奈良病院には5人の産婦人科医がいましたが、その2人が私のところに相談に来たのは、2005年の年末のことだったと思います。過酷な勤務の改善を求めて、医師たち自らが院長と交渉していたのですが、埒(らち)が明かず、私のところを訪れたのです。
まず2006年5月、県に対して、
(1)宿日直といっても、勤務実態を見ると「労働」であり、1回2万円の手当では見合わず、時間外・休日労働に対する割増賃金(以下、時間外手当)の支払いの対象となる
(2)産婦人科医の増員が必要
などについて申し入れを行いました。その後、1回だけ県と話し合いを持ったのですが、平行線をたどるばかりなので、提訴に至りました。「患者の急変に備えているだけで、仮眠も取っているので、宿日直は労働には当たらない」というのが県の言い分でした。
――どんな勤務実態だったのか、もう少し詳しくお教えください。
奈良病院では、産婦人科医5人で通常勤務のほか、宿日直や宅直を担当していました。時間外手当の支払いを求めたのは、2004年分と2005年分です。この2年間の勤務を見ると、1人は、宿日直155日のほか、宅直(オンコール)が120日、もう一人は158日、126日です。未払いとなっている時間外手当は、2人の合計で約9233万円に上ります。
奈良病院は地域の中核的施設なので、宿日直といっても、入院患者の急変や救急患者の対応などで、睡眠が取れる状態ではありません。2人で2年間に、これらの「時間外」に、正常分娩141件、帝王切開などの異常分娩159件のほか、異常妊娠や新生児への対応など産科関係の救急377件、婦人科救急657件に対応したのです。しかし、病院からは、宿日直手当が1回当たり2万円のみ支払われていただけで、宅直に対しては一切の支払いはありませんでした。宅直は、1人体制の宿日直では対応しきれない場合に備えて、医師たちが自主的にやっていたからです。県は「勝手にやっていること。職務とは関係ない」との見解でした。
――県への申し入れ以降、少しは勤務条件が改善されたのでしょうか。
提訴前の2006年7月に1人医師が増えて、産婦人科医は6人体制になりました。
また、2007年5月に、救急患者を診療した場合と異常分娩に対応した場合に限り、実際に診療した時間について、申告すれば時間外手当が支払われることになりました。しかしながら、正常分娩は時間外手当の支払い対象から除外された上、待機時間は含まれないので、十分とは言えません。
われわれの本来的な目的は、時間外手当の支払いではなく、勤務条件の改善です。時間外手当が発生しない体制にしてほしいということです。今の業務量であれば産婦人科医10人、せめて7-8人で対応すべきだと思います。
――裁判の動向をお教えください。
2007年1月に初公判があり、これまでに4回開かれています。判決は今年の夏ごろになるのではないでしょうか。
やや時間がかかっているのは、実はどれだけ時間外勤務を行ったか、その実態がなかなか分からなかったからです。これが一番、苦労した点です。タイムカードも、勤務記録もありませんでした。そこで診療実績を立証するために、裁判ではまず診療記録を開示請求しました。病院側が2年間分の記録を準備するのに2-3カ月かかり、それをわれわれが1枚1枚見て、2人がどのくらいの勤務し、どんな診療行為をしていたかを点検するのに、さらに2-3カ月費やしています。
時間外手当をめぐっては、2002年に最高裁判決(1)が出されています。ビル管理会社の従業員の「泊まり勤務」が時間外労働に当たるか否かが争われた事案で、「不活動仮眠時間であっても、労働からの解放が保障されていない場合には労基法上の労働時間に当たるというべきである」と出ています。厚生労働省の2002年の通知にも(2)、「救急医療が頻繁に行われるなどの労働実態は、休日および夜間勤務を断続的労働である宿日直勤務として取り扱うことが適切でない」とあります。これらに照らせば、明らかに今回の件は、時間外手当の支払い対象になります。
なお、提訴後に分かったのですが、2004年12月に労働基準監督署から、時間外労働の件で、奈良病院に指導が入っていたのです。県はこれを無視して対応していなかった上、われわれが県と話し合いを持ったときにも、一言も言及しませんでした。
――弁護士のお立場から見て、医師の勤務実態をどう思われますか。
最初は、驚きましたね。労基法違反という甘いレベルではありません。労基法を蹂躙(じゅうりん)しています。病院に、法を守る意識はないのでしょうか。こんな実態が放置されていること自体、とても不思議で、理解できませんでした。
例えば、過酷な長時間労働をしているトラックの運転手が事故を起こした場合、その運転手の勤務先である運送会社が監督責任を問われるのは当然のことです。
医療界には、“医師聖職論”があるのも事実です。でも、過酷な労働で疲労困憊の状態で診療を行い、もし間違いを犯したら、どうなるのでしょうか。「過労でどうしようもなかった」という言い訳はできません。患者の命を守るために、心身ともにベストな状態で診療できる体制を整えることが、医師自身、そして何より管理者の役割なのではないでしょうか。
【編集部注】
今回の裁判について、奈良県立奈良病院に取材を申し入れたところ、「この件については、まだ係争中なので、何ともお答えできない」との返答だった。
【参考文献】
(1)最高裁判決2002年2月28日 (PDF)
(2)厚生労働省労働基準局長通知2002年3月19日 (PDF)
1980年慶応義塾大法学部法律学科卒。89年司法試験合格。2002年奈良弁護士会副会長、2007年奈良弁護士会副会長(2度目の就任)。
医師が過労死しても,「知らない人なら他人事である」
『生命の羅針盤』著者 山田恵子氏に聞く
山口 茜
MTpro 記事 2009年4月20日掲載
http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/0904/090445.html?ap
整形外科医の山田恵子氏※1が昨年(2008年)春に自身の父親を末期がんで看取った経験を綴った著書『生命の羅針盤』※2では,医師,患者,患者の家族という三者間でのコミュニケーションの難しさが浮き彫りにされている。コスト至上主義の嵐が吹き荒れ医療を取り巻く環境が刻々と厳しさを増すなか,過労死寸前までハードワークをこなす医師と,そうした状況をほとんど知らず,理解できていない患者やその家族。両者の良好な関係は,果たして成立するのか。この4月からヘルス・コミュニケーション学の最前線を視察すべく米ハーバード大学に短期留学している山田氏に,留学直前,インタビューした。
危機的状況に佇む日本の医師たち
─医師の過剰労働が患者さんやその家族に理解されていない現状をどう思われますか?
医師の過剰労働が問題になっていても,それが自分の家族や近しい知り合いでない限りは,「他人事である」というのがごく一般の反応だと思います。自分の子供や恋人が医師であったら,「可哀想だね,辛いだろうね」という言葉も出て来ると思いますが,何のかかわりもない方にそれを期待するのはやや無理があるというものでしょう。こうした世間一般の無理解は,もはや「ひとりの努力でどうにかなるというレベルを超えている」と感じたときから,一般向けウェブサイトで医療情報をわかりやすく提供したり,本を執筆したりと,マスコミュニケーションを通じた活動を考えるようになりました。
医師である自分が口にしても説得力に欠けるかもしれませんが,今,日本の医師たちは,この危機的状況を理解してもらう手立てをもう少し真剣に考えるべきときが来ていると思います。とはいえ,ほとんどの先生方は毎日の激務で疲れ果てていらっしゃるし,理解してほしいと考える余裕もないというのが現実ではありますが。
―『生命の羅針盤』では,日本の医師が諸外国の医師に比べ過労状況にあることも紹介されています。医学生の医師離れについてはどう思われますか。
私の世代は,留学して公衆衛生学のマスターを取ってきたり,コンサルタント業界に就職するような,いわゆる「医師にならない医大生」のちょうど魁に該当します。そして,最近,臨床に行かずにコンサルタント業界に入った人たちが,そのノウハウを医療の世界に還元しようと数多く戻ってきていることは,吉報ではないかと思います。自分のベースラインは医療であって,そこから一旦外へ出ていたけれども,また帰ってきて何かをやろうとしている―彼らには,非常に長期的な視野に立ち,「敢えて臨床を選ばず,何かを得るために,一度外界に出た」という印象があります。ですから逆に,そういった人たちをきちんと活かさないと未来はないと考えています。
医療をわかりやすく公衆伝達するアプローチの模索
─ご自身もヘルス・コミュニケーションを学びに留学されますね。
3か月ほど,ハーバード大学(ボストン)でヘルス・コミュニケーションの現場を見て来ます。
ヘルス・コミュニケーションとは,基本的にはヘルス・インフォメーションをどうやって一般の方々に獲得させるかというストラテジーを立てる学問です。例えばある情報を,知っている,理解している,実行できるという段階に層別化したときに,ある一定の人たちを「知っている」という状態にするためにはどうしたらよいか。さらに一歩進んで,「知っていて,実行する」というところにもっていくには何が必要か。一般的に,みんなで国家を作り上げようという意識が強く,「国家のために」と言うと協力が得られやすい土壌で知られる米国はこうしたサーベイの先進国であるといわれ,ヘルス・コミュニケーションの分野に関しても,研究が一歩進んでいます。
─日本におけるヘルス・コミュニケーションはどのように捉えていますか。
どこかの各国別ジョーク集にも出て来るのですが,日本人は,「隣がやる」と言えばやる国だと(笑)。これは実感的に,ある意味正しい見解だと思います。実は,この本をドキュメンタリーとして出すことにも,親しい人たちの間で多少の反発がありました。人の死を表に出すことをよしとしない発想も世の中にはあるわけですね。誰もしていないことを行うことに対する反発があることも実感しました。恐らく,どのような反響が返ってくるのか予測できないという懸念のためかもしれません。このように国民性が違うなかで,日本人に合った手法を探らなくてはならないことは確かです。
医師と患者のwin-win関係は果たして成立するか
─医師と患者がわかり合える日は来るのでしょうか。
立場の違いで「わかり合えない」とするならば,日本人と米国人はわかり合えないし,男と女はわかり合えないということになってしまいます。しかしそれでも,個々の立場や属性を超えて,もっと根本で人を揺り動かすものが何かあるのではないか,と考えていたときに,父の死を経験しました。肉親の病気や死という共通体験を通してであれば,患者さんも医者も関係なく,心を動かす力になるものがあるのではないかと思ったことが,『生命の羅針盤』を書く最初のきっかけになっています。医師も患者もお互いに幸福な「win-win関係」を構築すべく,こうした活動を今後も細々とでも続けていきたいと思っています。
─今後医師に必要とされる資質とはなんでしょう。
医師は,言わば『生命の羅針盤』の舵取りではないかと考えています。人生はしばしば航海にたとえられますが,航海にせよ,飛行機で空を飛ぶにせよ,そこに目的地があって辿り着くまでにはなんらかの方向性が必要であり,終着点が見えたとき,どのようにランディングすべきかを,より明確にしなくてはなりません。最後の瞬間をどう迎えるのか,理解して,説明できて,自分なりにどういう方向性を持っているか,お話できる…生命を扱う職業である以上,そうした存在でないと,患者さんや患者さんのご家族の皆さんを納得させることは難しいのではないかと感じています。
人間を含め生命には必ず限りがあり,人の一生は時間に支配されています。生命を終えてしまったら,そこに残るのは無機質な物体でしかありません。どれだけ愛情を注いでいたとしても,どれだけ大切だったとしても,その記憶は生きているものにとって代わられてしまう―それは,残念ながらですが,私自身にも身にしみて言えることです。全ての記憶は風化します。だからこそ,あらゆる愛憎と執着をもって,「今,そこにいる」ということこそが重要だと考えています。少し脱線したかもしれませんが,実はこうした感覚こそ,医師に最も必要な感覚ではないかと考えています。
編集部から:山田恵子氏によるハーバード留学記の連載を近日中に開始する予定です。
※1 プロフィール
東京都生まれ。整形外科医。東京大学医学部医療情報経済学客員研究員。東京大学医学部卒業。東京医科歯科大学大学院にて医療政策学修士課程修了。勤務医として働くかたわら,医師になってからハードワークに体を壊してしまった経験を踏まえ,情報サイトAll Aboutにて女性の健康をサポートする情報を発信。さらに医療サイドと患者サイドの良好な関係構築をめざし,2007年より病院検索サイト「Dr.玄白」を運営する。2009年4月よりハーバード大学(ボストン,米国)研究員としてヘルス・コミュニケーション学の最前線を視察中。
※2 『生命の羅針盤』
講談社 2009年1月
税込価格:1,470円
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