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(投稿:by 僻地の産科医)
医療事故調・厚生労働省の制度設計の二つの欠落
北海道大学大学院医学研究科医療システム学分野 助手
中村利仁
JMM [Japan Mail Media] No.507 Extra-Edition
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title22_1.html
医療事故の調査を行うための第三者機関についての議論が行われています。しかしながら、制度設計の上で二つの大きな欠落があります。医療自体が多くの医療専門職種の専門知識に基づいて行われるものであるため、一度これが不幸な結果に終わると、その原因の分析と再発防止の議論もまた専門家の深い関与が必要となります。予想外に患者さんが亡くなり、あるいは重篤な後遺障害が発生したとなると、これまで、わが国ではその詮索は医療従事者の個人的努力に任されてきていました。組織的・制度的枠組みが無い中で行われているが故に、患者さんやそのご家族の納得が得られることなく、紛争化し、時に民事訴訟や刑事訴訟に至ることもありました。訴訟という制度的枠組みの中では、患者さんやその家族はもちろん、誰よりも医療従事者自身が納得できる結論が得られないことがあります。
これをひとつの原因として遂に医療崩壊とまで呼ばれるほどの状況に陥ったことにより、厚生労働省は国家予算を投入して医療事故調査のための第三者機関を創設する準備を始めています。
しかしながら、年間1万件とも2万7千件とも言われる診療関連死亡に対して、厚生労働省の想定している調査件数は年間2千とも1千とも言われています。数の大きさを甘く見て、あるいは度外視した制度設計を行い、予算制約を守るために必要な国民からも行政の援助を奪うという事態は近年の厚生労働省に頻々と見られる落ち度ではありますが、この医療事故調査を巡る制度設計では、それよりも拙劣な二つの欠落が見られています。
現在、議論の結果は平成20年4月に公表された「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・. 再発防止等の在り方に関する試案」(第三次試案)と、その法案である同6月公開の「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」、さらにそれらに寄せられたパブリックコメントに対するFAQである「主な御意見と現時点における厚生労働省の考えの公表について」にまとめられています。
医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案-第三次試案-(旧版)
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1030&btnDownload=yes&hdnSeqno=0000037306
医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案-第三次試案-(新版)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/dl/s1009-5b.pdf
医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/dl/s1009-5a.pdf
「主な御意見と現時点における厚生労働省の考えの公表について」
http://www.mhlw.go.jp/topics/2008/10/tp1009-1.html
一読して必ずしも制度設計の欠落は明らかではありません。
ひとつの欠落は筆者自身で気づくことができず、知人の法律家から指摘されて漸く気づくに至りました。
この厚生労働省案では、警察から医療安全調査委員会(?)に対して、調査依頼を行うことができません。正確に言えば、それを想定した条項がありません。調査は病院自身からの通知あるいは遺族からの調査の求めによって開始されますが、いずれでもない場合に調査を開始する方法はありません。警察や他の行政機関からの調査の求めをどうするのか、手続きの定めがないのです。
警察は、たとえ遺族からの求めなど無くとも、捜査に着手することがあります。例示すれば、今年8月に無罪判決の出された「福島県立大野病院事件」では、遺族から警察に対して告訴の為されなかったことが明らかとなっています。それでも警察は捜査に着手し、公訴相当の意見を付して送検しています。
しかしながら、この警察等からの調査依頼を受理するという制度変更を行うとなると、「医療従事者の責任追及が目的ではない」という制度の目的が空々しくなります。警察の捜査は、控えめに言っても、医療従事者個々の責任の有無を明確にすることによって、犯罪の予防・鎮圧・犯人の更生・平穏な社会生活の維持などを実現するために行われるものであるからです。
対して、この法案通りに制度設計が行われると、警察は、医療機関あるいは遺族に対して、事故調査のための通知あるいは調査の求めを行うように働きかけるか、あるいは従前通りに業務上過失犯罪に対する独自の捜査に着手することになります。
前者であれば刑事訴訟法の改正が必要であり、後者であれば、医療従事者の切実に必要としている、医療の不幸な結果に対して故なく逮捕されないという望みが空しく潰えることとなります。また、後者の場合、警察としても、全国の専門家の過半を敵に回すという地雷をいつ踏むかわからないという現状が改善されません。日常的に警察が医療機関に対して業務上過失犯罪防止のために立ち入り、取り締まりを行うという行政警察活動の責任の回避も難しく、やがてはじめられることとなるでしょう。
結局のところ、過失責任追及と再発予防の間に内在する本質的矛盾を解消する努力が全く為されていないというところに原因があるのですが、とにかく、この欠落を埋めることのない制度設計など不可能なのですから、制度設計者にあっては真摯な検討が必要でしょう。個人的には、刑事訴訟法を改正し、警察が医療機関あるいは遺族を通して事故調査依頼を行えるように明文にて定めるのがシンプルであろうと思います。
二つめは、インセンティブ設計の欠落です。
そもそも第三者機関による医療事故調査が必要とされたのは、医療機関自身による事故調査の期待できないとされたところから出発しています。
被害者団体は、医療機関自身の調査結果の信用できないこと、事故の隠蔽や記録の改竄の後を断たないことを広く訴えています。しかしながら、故意にやったわけでもない医療事故で改竄や隠蔽が後を断たないとしたら、それは改竄し隠蔽した方が医療機関と医療従事者にとって都合の良い状況があるということと、正直に申告すれば不利益を蒙ることの両方が示唆されます。従ってこの制度設計においては、改竄や隠蔽が割に合わないだけでなく、正直に申告し、真摯に原因究明と再発防止を行うことが不利益に繋がらず、却って利に繋がるような仕掛けを作り込むことが不可欠です。現在までの制度設計では、改竄を厳しく罰することはしても、隠蔽は黙秘権あるいは自己負罪拒否権尊重の観点から罰することはできず、正直者が報われる仕組みとなると全く存在しません。
これで厚労省に対して調査につながる通知を行う管理者があるとすれば、よほどのお人好しであり…そのような人の良い医療従事者は少なくないと思いますが、であればそもそもそんな善意の医療従事者に対して第三者機関でなければ中立性と公正性が保てないと主張することはできないでしょう。
特に善意の医療従事者が原因究明と再発防止の努力を行ったとき、改善のために必要なヒト・モノ・カネが過不足なく供給される仕組みは、再発防止の現実化のために不可欠であるだけでなく、医療従事者に対する充分な報奨ともなりうるものでもあり、第三者機関の運用経費以上の資源投下が為される制度設計が行われなければならないと考えます。
以上で見てきたように、医療事故の原因究明と再発防止制度の確立は急務とはいえ、現在までの議論が充分にそれを果たしうる水準に達する制度設計に至っているとは思いません。制度設計者にあっては、インセンティブの現状分析とその適正な付与、必要な法改正の洗い出しと行政機関内の調整を行った上で、政府提出法案の見直しを行う必要があると考えます。
米ミネソタ大のレオニード・ハーウィッツ名誉教授、エリック・マスキン米プリンストン高等研究所教授、ロジャー・マイヤーソン米シカゴ大教授などが創設したメカニズム・デザイン理論ですね。
経済主体が情報を分散保有していて、政府や計画者は把握していないため、効率的配分達成のためにインセンティブを与えるという考え方です。
日本人には盗人に追い銭という考え方から実行出来ないそうです。
投稿情報: 近森正昭 | 2008年12 月 5日 (金) 13:56