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(投稿:by 僻地の産科医)
倫理問題を「個人の悩み」にしないために
板井孝壱郎
朝日新聞 2008年11月10日
http://www.asahi.com/health/essay/TKY200811040193.html
今日の医療現場において「倫理」は不可欠な要素となっています。医療安全管理業務や医療の質向上など、病院機能評価をはじめとする医療マネジメントを考える上でも「倫理」は欠かせない時代となりました。でも、臨床現場での「倫理」問題は、医師や看護師など医療者側の、いわゆる「モラル」の問題だととらえられていないでしょうか。それも大切なことなのですが、「倫理」は実はそれ以上に複雑な問題なのです。例えば、終末期医療で直面する「延命治療の差し控え・中止」という問題は、患者・家族はもちろんのこと、医療スタッフにとっても重大な決定を迫られる、深く悩ましい倫理的問題です。
■「倫理」は現場で役に立たない?
ところが、日常診療の現場で、医師をはじめ医療スタッフが直面する様々な倫理的ジレンマは、いわゆる「医師の職業倫理指針」や「看護者の倫理綱領」等といった様々な「倫理ガイドライン」に記載されている倫理原則を「当てはめる」とたちどころに解決する、というものではありません。そのため、医療スタッフの間で、「倫理はもちろん大切だとは思うけれど、でも具体的に現場でどう生かしていいかわからない……」という事態も起こっています。
こうした批判に応えるために1990年代に登場したのが「臨床倫理(Clinical Ethics)」です。倫理原則を現場に「当てはめる」トップ・ダウンではなく、具体的な個々の臨床ケースからボトム・アップでアプローチするもので、日常診療の現場で生じた倫理問題を同定、分析し、具体的な解決策を提示することを通じて、医療の質を向上させることが目的です。
こうした臨床倫理に精通したスタッフは、医療系・哲学系を問わず、Clinical Ethicist(臨床倫理士)、あるいはClinical Ethics Coordinator(臨床倫理コーディネーター)、Ethics Consultant(倫理コンサルタント)と呼ばれ、欧米諸国では、倫理的症例検討会(エシックス・ケース・カンファレンス)をはじめ、臨床現場に積極的に参画しています。
しかし、日本では、医療専門職ではないProfessional Ethicist、つまり私のような哲学系倫理研究者は、医学生が臨床実習に入る前に、倫理学の基礎理論や法律的側面の教育に従事することは多いのですが、臨床現場への参画という点ではまだまだ不十分です。
■倫理問題を「個人の悩み」にしない
日本でも近年、医療現場をめぐる法的・倫理的状況は著しく変化しています。日々あらたに制定・改定される法律や関連諸学会の倫理ガイドラインを現場の医療スタッフだけでフォローすることは、ただでさえ増大する日常業務に追われていることを考えると極めて困難なのが実情です。
とはいえ、そうした法律や倫理ガイドラインに対する周知の遅れや認識不足が原因となって生じる思わぬ過誤は未然に防がなければなりません。マスコミをにぎわせる、医師の「独善」による早まった呼吸器取り外しや、「尊厳死の宣言書」を無視され「自己決定権」が侵害されたなどという患者・家族からのクレームが訴訟に発展するといったケースがまさにそれです。
こうしたリスク・マネジメントと臨床倫理の総合的理解を促し、教育・支援するような、体系的な「臨床倫理サポート」の体制を早急に確立することが必要なのです。
ぜひとも強調しておきたいのは、臨床現場の倫理問題を「個人の悩み」にしない、ということです。それは、倫理的ジレンマに遭遇した医療者が「独善」に陥らないようにするために不可欠なだけでなく、問題を抱え込んだ医師や看護師が自分独りでなんとか解決しようとするあまりに「バーン・アウト(燃え尽き)」してしまわないようにするためにも重要だからです。どんなに優れた倫理的判断力を持っている医療者であっても、多忙な勤務状態では精神的「視野狭窄(きょうさく)」に陥ってしまいかねません。
■「独善」が引き起こす悲劇
実は、一般によく強調されるような「倫理的な医師」とは、「やさしさと共感性にあふれた人格高潔なる医師のことである」といった、個人の人格と品性の陶冶(とうや)のみに期待するような「倫理」観こそが、医療現場における倫理的問題をめぐる様々な「悲劇」を繰り返させる構造的な因子となっていると言わねばなりません。
確かに「共感的姿勢で善意から患者に接する」というモラルは、重要なことです。しかし、同時にそこには大きな「落とし穴」があります。
例えば、ぜんそくの発作を起こした患者の呼吸器を抜き去り、さらに筋弛緩(しかん)剤を投与したとして殺人罪に問われ、一・二審で有罪判決を受けた川崎協同病院の女性医師(上告中)のケースにおいて、この医師は、「私生活を犠牲にしてまで意欲的かつ献身的に医療に携わっていた」と裁判官にも評価されるほど「善良な医師」でした。しかしその「善良さ」から発した善意が「独善」に陥ってしまったことに、この事件の悲劇があると言わねばならないでしょう。
■「独善の罠(わな)」に陥らないために
医療専門職に求められる倫理性ということを考える上で、確かに「共感的姿勢で善意から患者に接する」という医療専門職の「モラル」は重要なことです。しかし、一人ひとりの医療専門職が「患者のために高潔なる人格性を高め、献身的・自己犠牲的に努力すること」のみを要求する「倫理」観だけでは、かえって責任感のある医療スタッフほど倫理的問題を自分独りで解決しようと抱え込み、「独善」に陥る傾向性を助長してしまうリスクが高いことに留意しなくてはなりません。いわゆる「真面目で患者思いの『善良な医療者』」ほど、この「独善の罠」に陥りやすいのです。
医療現場は今、マンパワー不足で多忙なうえに医療事故防止で懸命になっています。精いっぱいの努力を重ねているスタッフもたくさんいます。正義感が強く、「患者さんのために」と必死に頑張る医療者ほど、身体的にも精神的にも追い詰められ、「何のために、誰のためにやっているのだろう」と、達成感のないまま目標を見失い、燃え尽きて辞めてしまうことも少なくありません。
■医療者をサポートする「臨床倫理コンサルテーション」
いわゆる「マジメ」な医療者が一人で抱え込んでしまないようにするための、組織的なサポート体制が欠かせないのです。例えば英国では、2001年より、Clinical ethics networkという倫理問題に遭遇した医療者をサポートする「倫理コンサルテーション」のシステムが存在しています。日本にはまだ同様のシステムはないのですが、そのプロトタイプ(基本型)として宮崎大学医学部内に2002年9月より常設型の倫理コンサルテーション・ルーム「喫茶☆りんり」を開設し、「臨床倫理サポート」という仕事を本格的に始めました。
倫理問題が発生したときに、法的・倫理的ポイントを整理し、多忙で視野が狭くなりがちな現場スタッフを支える「臨床倫理サポート」、それは、現場の「医療スタッフを支える」ことで医療の質向上に結び付けていく、そんなスタンスでアプローチする役割を担うものです。
こうした「倫理コンサルテーション」をはじめとする医療者に対する「倫理サポート」のシステムの構築なしに、いわゆる「倫理」を医療者に押し付けるだけでは、本当の意味で臨床倫理の諸問題を解決することにはならないと考えています。
◇
(いたい・こういちろう) 97年、京都大大学院文学研究科博士後期課程(倫理学専修)研究指導認定退学。京都府立医科大非常勤講師、京大リサーチ・アソシエイトなどを経て02年4月に宮崎医科大(現・宮崎大医学部)専任講師。現在、宮崎大医学部社会医学講座准教授(生命・医療倫理学分野)と医学部付属病院遺伝カウンセリング部の臨床倫理コーディネーターを兼ねている。
02年、医学部内に全国初の倫理コンサルテーション・ルーム「喫茶☆りんり」を開設。「臨床倫理コンサルテーション」を行っている。病院スタッフらに臨床現場の倫理的ジレンマを気軽に相談してもらうのが目的で、コーヒーを飲みながら話し合う。電子メールや電話による個別の倫理相談を受け、場合によっては学内外の医療現場に赴く「出前」コンサルテーションも。共著書に「臨床倫理学入門」(医学書院、03年)、「医療情報と生命倫理」(太陽出版、05年)など。
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