(投稿:by 僻地の産科医)
先日のニュースでお伝えしましたとおり、
大分県立病院の総合周産期母子医療センターに
両陛下がお成りになりました(>▽<)!!!!
「うちにも、陛下がおなりになったときに備えて、
どのような様子であったか教えてください ..。*♡」
という要望に飯田先生がお答えになった
「天皇皇后行幸日記」ですo(^-^)o ..。*♡
以下、どうぞお楽しみください!!!!
飯田先生、ありがとうございます!!!
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9月26日に天皇皇后両陛下が田舎の県立病院NICUをご視察あらしゃりました。滞在時間は全体で1時間ほどでしたが、その準備に数ヶ月前から、県事務方(行幸班)、県警、宮内庁と入れ替わり立ち代り訪れました。事務方が一番大変だったかなと思います。こちらはその頃は眺めているだけでした。
1ヶ月前と前日に予行を行い、立ち位置、歩き方、看護師はお茶だしの練習などを行い本番に備えていました。私たちはお祭り気分で学芸会のようなノリでした。
ご休憩される場所はNICUと同じ階にある看護師休憩室となりました(医局は散らかりすぎて却下)。前日には荷物を全て出して、流しを張りぼての壁で隠してしまいました。ソファーは県病の中で一番いいものを配置。茶器は深川製磁の湯飲みと杵築茶を県病が準備しました。職員用トイレ2箇所が天皇皇后用となり、棚が取り付けられ、職員は使用禁止となりました。その間は階下のトイレまで行かなければならず、看護師からはかなり文句も出ていましたが。基本的には県がもてなすという形で全て県の予算で手配することになっているらしく、新しいものは何も買ってもらえませんでした。これを機会にいろいろと、と思っていたのですが残念です。
当日:
天皇皇后、宮内庁関係、県庁関係、警察関係、報道関係と100人ほどの団体でお見えにならしゃりました。同じ白バイでも大分県警より品川ナンバーの皇宮警察はかっこよかったです。ナンバープレートが菊の御紋だけという御料車もかっこよかったです。
本当はNICU・GCUの中に入っていただく予定だったのですが、両陛下より院内感染を起こしてはいけないとお申し出があり、廊下からのGCU視察になりました。(というより、テレビ移りを気にした宮内庁がカメラに近い廊下だけにした、というのが本当だろうと思います。)
天皇皇后両陛下は一言で言えば、いまだかつて見たことがないほど非常に上品なおじいさま・おばあさまでした。窓から覗き込みながら「かわいい、かわいい」と言って歩いておられました。事前には施設の説明を、と言われていたのですが、結局「あの子はこういう子、この子はこういう子」と言う話になってしまいました。
スタッフも患者・家族も普段どおりでいいと言われていたのに、いつの間にか窓の近くに並んで手を振っていました。Wilson-Mikity症候群で保育器内酸素投与されていた児がいつの間にか窓のまん前まで出てきて手を振っていたのには笑ってしまいました。両陛下が、何もつけずにコットにいる児、マーゲンチューブをつけている児、経鼻酸素をつけている児をきちんと区別しているのには感心しました。
7分程で廊下を往復し、1階の小児科外来に降りていきました。そこで外来患者との歓談があったようです。一緒に降りて見たかったのですが、事務方から降りてきてはいけないときつく言われてしまいました。
その後、再び休憩所に戻ってこられ、そこでお茶会となりました。これは両陛下側からの御もてなしということだそうです。両陛下が指名をして呼ぶということで、直前まで誰が呼ばれるか分からないというドキドキの状況でした。事前に看護師は誰それがいくと内内に決めていたようですが、結局、病院事業管理者、院長、副院長と私の4人が呼ばれ、お茶を飲みながら20分ほど歓談しました。
天皇陛下からは、なぜ医師が減ってきたのか、看護師や助産師はどうなのか、医師の当直はどのくらいなのか、院内感染はどうなのか、など結構突っ込んだ質問が出されました。当直回数は当院では月6から8回、多い病院では10回以上になるところもあるとお答えしました。ただ、「回」というのがピンとこなかったようで、「日」と答えた方が良かったかと反省してます。
皇后陛下からは、低体重児が生まれる原因や、早産は働く女性が増えてきたことと関係があるのかと尋ねられました。全てではないが関係している部分もありますとお答えしましたが、正しかったでしょうか。どうすれば早く生まれることを防ぐことが出来るでしょうかと尋ねられましたので、それは教育だろうとお答えしました。学校教育の中から教えていくことが大事だとお話したことろ、皇后陛下から地域の助産師が学校で教えたりできればいいですねと返答があり驚かされました。皇后は非常に賢い方のようです。
こんな機会は二度とないと思い、好きなだけしゃべっていました。茶飲み友達になったウィッシュ!というところでしょうか。
去られた後に残ったのは、トイレの棚2つでした。
何が変わるわけでもないでしょうが、都会から田舎までどこのNICUも大変な中頑張ってますよということは伝わったかな、と思います。
PS: 後日談です!!!
昨日、お礼ということで、和三盆のお干菓子を頂戴しました。
菊の御紋をかたどった干菓子でした。
思わずデジカメにとってからいただきました。
とってもおいしかったです。田舎者はこんなものでも喜んでいます。
今から30年ほど前に、身体障害児療育施設の総婦長さんから聞いた話を思い出しました。
皇后陛下が皇太子妃だった頃 確か日赤の名誉会長だったそうで、その大会の時だったかに「私の名前を使えばとおる話であれば、どうぞ私の名前を出して下さい」と、仰られたんだそうです。
総婦長さんは「あの方は平民の出だから、下々の世事に通じてみえるのよ。普通はあぁは行かないんだからぁ。やっぱりあの方は違うわぁ」と、実にうれしそうに話していましたっけ。
投稿情報: ばあば | 2008年10 月 3日 (金) 13:08