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(投稿:by 僻地の産科医)
医療・介護の崩壊防ぐには正確な実態の開示が必要
大森彌・東京大学名誉教授
東洋経済オンライン 08/09/27
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おおもり・わたる
1940年生まれ。東京大学教授、千葉大学教授を歴任。社会保障国民会議委員として、医療・介護・福祉分野の提言取りまとめの責任者を務める。
――首相の辞任で、社会保障再生の取り組みへの悪影響が懸念されます。
社会保障に関しては、未曾有の少子高齢社会への対応という、誰が総理大臣であっても、決して否定できない中長期的な課題が存在しています。その課題にどう取り組むのかについては、国民の賛同が得られなければならない。福田総理の下に設置された社会保障国民会議(以下、国民会議)では、医療・介護の機能強化のために、そのあるべき姿を描きつつ、今後必要な財源総額の推計作業に着手しようとしていました。そのさなかに、総理が突然辞任の意思を表明したのです。
辞任表明翌々日の9月3日に国民会議が開催されました。その場で総理からは、「10月中旬くらいまでに、最終報告をまとめてもらいたい。医療・介護の費用の将来推計については、今後の社会保障の将来像を考えるうえで必須のデータとなるもの」との発言がありました。
これを聞いて少し安堵しました。間もなく総理が交代しますが、国民会議は閣議決定で設けられていますので、次の総理がその閣議決定を廃止するとおっしゃらないかぎり、作業を続行して取りまとめたものを次期総理に出せるそうです。9月末から10月上旬にかけて推計の取りまとめを行ったうえで、最終報告書を提出することになります。
こうした流れを踏まえると、総理の交代はそれほど大きなダメージにはならないのではないかと思います。どなたが総理になられても、社会保障問題については真剣に取り組まないかぎり、国民の信頼と支持を失いかねない。そのくらい重大な政策課題なのです。
――推計とおっしゃられましたが、これは、国民が安心できる医療や介護の体制を整備するために、どれだけおカネが必要かをシミュレーションするということですね。具体的には、何を念頭に推計作業を行うのでしょうか。
基本的なポイントは、医療・介護の需要と供給の変化を見定め、単価の伸び(経済成長・医療技術革新・サービスの質など)を掛け算することです。その際に望ましい政策介入のあり方を考えることになります。供給体制については、相当の劣化が起きていることを重視する。たとえば、医師や介護職の不足が起きている。必要な供給体制をどのくらいのレベルに見込むかということが大きな要素になります。
供給体制の面では大きな変更がありました。6月に閣議決定された「経済財政改革の基本方針2008」(以下、「骨太の方針08」)では、厚生労働省事務当局がこれまで認めなかった医師不足の事実を政府が公式にて認め、医学部の定員を「過去最大程度まで増員する」とともに、「今後の必要な医師養成について検討する」と明記されました。大きな転換です。介護では人材の確保のために、介護報酬の引き上げ、言い換えると介護職員の労働条件をどれくらい引き上げるべきかが焦点になります。需要面については、医療・介護サービスがどこでどれだけ伸びていくかを、推計しなければならない。
今までの議論で判明していることは、医療費の伸びは経済成長率と高い相関関係があることです。そのほかに、75歳以上の高齢者がどれだけ増えるとか、平均寿命がどれだけ延びるかといったことも考えなければならない。しかし、医療需要の推計では、それらの要素では説明できない「残差」がある。それは、医療機器や新薬の開発など医療技術の発達に伴う医療費の増加です。
――救急医療や産科・小児科の立て直しに必要な額も試算に加えるのですか。
はい。現在、救急医療の崩壊が起きています。また、急性期病院への資源の投入が非常に手薄になっており、病院医療の現場はひどいありさまです。先進国の中で、急性期病院で産科と小児科、麻酔科の医師がいない国など考えられない。少なくとも、早急に足元から直さないといけない。ここを何とかするために、救急医療や急性期病院のあるべき姿を描く。現在以上の医師や看護師が必要になる。その一方で、病床数や入院日数を減らしていく。急性期後のリハビリテーション病院はどのくらい整備が必要か、療養病床はどうなるのかといったことも試算の前提となります。また、介護施設や居住系施設をどう整備していくかも念頭に置かなければならない。全体の方向としては、できるだけ在宅医療や在宅ケア確立に向かって、「選択と集中」の改革を行っていくという道筋となるのではないでしょうか。
――医療については、06年の医療制度改革の中心に、「医療費適正化」が据えられました。これは、医療費の抑制をベースにしたものですが、06年改革の抜本的な見直しにつながるのでしょうか。
06年改革は、社会保障制度の持続可能性をより重視しました。それと同時に、社会保障機能の充実強化が重要な課題となっています。先ほど述べましたが、医師不足問題については、「骨太の方針08」で方針が転換となりました。しかし、大学で養成した医師が、医療現場で活躍し始めるのは、8年とか10年先です。当分の間は、医師、看護師などの専門職の役割分担の見直しが必要でしょう。また、医療・看護の必要度が違う患者が混在することを前提にした診療報酬の決め方も、見直す必要があるのではないでしょうか。
――医療や介護の機能強化に、どれくらいの追加財源が必要ですか。
はっきりした額は、試算してみなければわかりませんが、医療・介護費は自然体でも伸びていきます。財政の基礎的収支(プライマリーバランス)の黒字化のために、毎年度、社会保障費の2200億円の削減が求められていますが、これは自然に増えていく分を切れということです。今後、75歳以上の高齢者の増加に伴い医療・介護費の増大は避けがたい。介護では、在宅介護のシステムが確立しうまく機能すれば、施設・療養病床依存が強い今より経費はかからなくても済むかもしれない。全体としては、今の見通し(下グラフでの「04~06年改革実施」の場合)よりも増えるということは間違いないでしょう。わが国の場合、高齢化度の高さに対する給付水準の低さは異常に近い。
――財源確保の必要性を、国民はどう認識していますか。
イザというときの安心を確保するためには、自然増を含め、これくらいのおカネが必要ですよ、と言った途端に、その財源をどこから調達するかが問題になる。一般論としては、社会保険方式を採っているからといって保険料を限りなく上げることはできない。しかも、他の政策分野の歳出削減で捻出できるかどうか。もしできないとすると、税負担のあり方を議論せざるをえない。ところが、世論調査を見ても、国民は増税を簡単に認めてくれそうにありません。
内閣府政府広報室が7月から8月にかけて実施した「社会保障に関する特別世論調査」(図参照)からは、社会保障に対する国民の複雑な意識が浮かび上がってきます。社会保障への不満が非常に強い一方で、「給付水準を保つために、ある程度の負担の増加はやむをえない」という人が4割います。しかしこれは、社会保障費が自然に増える部分についての負担増を表しています。「給付水準を保つ」といっても、機能強化に伴う大幅な負担増はやむをえないと言っているのではないのです。国民の意識は分裂した状態にあるといえます。
国民の多くは、医療や介護を充実してほしいと思っており、ある程度の負担増も構わないと考えているでしょう。しかし、社会保障制度の担い手である国の行政機関には非常に強い不信感を抱いている。社会保険庁問題は本当に大きなダメージです。それが政権政党への不信につながっている。国民は、簡単に新たな負担増を認めないでしょう。
――このジレンマを克服するには何が必要でしょうか。
国民に実態をきちんとわかりやすく説明し、国民の健全な常識に訴えるほかありません。たとえば、このところ低所得者対策が話題になりますが、保険料の軽減や高額医療・高額介護合算制度の創設など、低所得者の負担の免除・軽減策は相当にきめ細かくやっているのですが、縦割り行政の迷路の中で極めてわかりにくい。病気になったり、要介護状態になったとき、家計全体でどのくらいの負担に耐えられるのか、負担の上限を再設計すべきです。健全な常識といえば、医師の過酷な労働の実態を知るようになった住民が、現場の医師を守るための活動を起こし始めているのは注目すべきです。
――財源については、どこまで踏み込んで提言を行う考えですか。
必要な財源を保険料の引き上げで吸収するには限度がある。国税のさらなる投入が必要になるかもしれない。しかし、国民会議は増税を目的にやっているわけではない。最終的に、国民に対し負担増をお願いするのは国会と政党です。
問題は、社会保障が国民生活の安心の根幹にかかわっているだけに、それが劣化しているということは、民主政治のレジティマシー(正統性)が減衰するということです。このことを国政にたずさわる政治家はもっと深刻に受け止めるべきです。
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