(関連目次)→医療事故安全調査委員会 大野事件
(投稿:by 僻地の産科医)
MMJ 2008年9月号から!
今月は大野事件関係が2件、新臨床研修制度について1件。
わりとそういった日本の事についての記事はMMJでは少ないのが特徴で
とても珍しいですo(^-^)o ..。*♡
いつもどおり海外文献の紹介にも徹していて、
面白い記事が多いのも特徴。
MMJ、メディカル朝日、日経メディカルと比べると、
実は圧倒的にMMJが大好きです(>▽<)!!!!
(毎日新聞は信用していないけれど)
毎日新聞はつぶれてもいいけれど、MMJだけ残らないかな~。
では、どうぞ!
患者、医療者のために納得のいく体制作りを
毎日新聞社論説委員 青野由利
(MMJ September 2008 vol.4 N0.9 p798-799)
今月、書くべきテーマは、なんといっても「福島県立大野病院」の判決だろう。医療界を震撼させた「事件」であり、関心は高い。ただ、実を言うと、私自身はこのケースについて詳細を自分で取材したわけではない。弁護側の言い分は聞いているが、それだけで全体を語るわけにはいかない。
医師を逮捕するような事業ではなかったと思う。一方で、無罪確定で一件落着という気分にもなれない。このケースから学びとるべきことは何なのか。今回は、新聞各社の社説を読み比べることをきっかけに、考えてみたい。
各紙社説の論調は
8月21日の各紙社説は、一斉に大野病院の医師が業務上過失致死罪などに問われた福島地裁の無罪判決を取り上げた。日々の社説のテーマは往々にして新聞社によって異なる。ある社が書くテーマを別の社は書かないということもある。物事が起きたとたんに書くか、一呼吸置いて書くかの判断の違いもある。一般記事に比べると、かなりバラつきのある面だといっていいだろう。
だが、誰が考えても必須というテーマもある。大野病院の事件は、そういうテーマであったことは間違いない。
ます、経緯を簡単におさらいしておくと、発端は2004年12月にさかのぼる。大野病院で帝王切開手術を受けた29歳の女性が死亡した。それから1年以上を経た06年2月、福島県警が執刀医を業務上過失致死罪と医師法違反の容疑で逮捕した。3月には福島地検が起訴している。
女性は、数千人から1万人に1人といわれる癒着胎盤だった。検察側は、剥離を続ければ大量出血の恐れがあるにもかかわらず、剥離を中断して子宮摘出手術に移行することなく、クーパー(手術用のはさみ)を使って剥離を続け、失血死させたと主張した(業務上過失致死罪)。さらに異状死の届け出を義務付けた医師法21条に違反したとして医師法違反にも問われた。
福島地裁は、業務上過失致死罪について、周産期医療に携わる現場の医師らの証言などを元に、「剥離を開始した後は、出血していても剥離を完了させて子宮収縮を期待し、それでもコントロールできない場合は子宮を摘出する」という方法が標準的な措置であると判断した。また、医師法21条違反についても、このケースは「異状死」にあたらないとの判断を示した。
“医師逮捕"に批判
前置きが長くなったが、改めて各社の社説をみると、次のような見出しがついている。
「公正中立な医療審査の確立を」「医療再生のきっかけに」「医療界にも課題は残る」「医療を萎縮させぬ捜査を」「産科事故判決が教えるもの」「医療安全調査委の実現を懸け」
中身をみると、警察が医師を逮捕したことについては、多くの社説が疑問を呈した。「懸命に救命を図った医師に手錠をはめることが社会正義にかなうとも考えにくい」(毎日)、「捜査するにしても、医師を逮捕、起訴したことに無理があったのではないか」(朝日)、「そもそも、医師を逮捕までする必要があったのだろうか。疑問を禁じ得ない」(読売)、といった具合だ。大野病院事件が、結果として医師の産科離れにつながったことについても、多くの社説が言及している。
ただ、医療事故一般に対する捜査を否足しているわけではない。東京女子医科大学で心臓手術を受けた少女が死亡した際のカルテ改ざん事件のようなケースや、東京慈恵会医科大学付属青戸病院で技術も経験も不十分な医師らが前立腺がんの腹腔鏡手術を実施したケースのように、悪質なケースは別だろう。この点は、「刑事責任を追及する対象は、明らかな犯罪行為や常識からかけ離れた医療好意などに限定すべきだ」(毎日新聞)、「慣れない手術でまるで練習台のように患者を使う。カルテを故ざんする。そうした悪質な行為については、これまでどおり刑事責任が問われるべきだ」(朝日)、「逮捕せすに書類送検で在宅起訴して刑事立件する捜査手法もあったはすだ。ただ、今後、医療過誤に対する捜査も縮するような事態は避けたい」(産経)といった指摘に現れている。
医療側対応にも問題点
逮捕の是非や、無罪判決への評価を避け、医療側の対応の問題点を強調している社説もある。「医療事故は後を経だない。そこで問題になるのは、患者や家族に十分な説明をし、同意を何だかという点だ」(日経)、「無罪になったとはいえ、医療側が反省しなければならないのは、事故後、遺族への説明を十分に行わなかったことだ」(東京)
これは、今回のケースに限らす気にかかる点てある。突然であるうと、長い経過をたどった末であるうと、家族を失った遺族は、「何が起きたのか、なぜ死亡したのか」を知りたい。特に、それが医療事故による突然の死亡であれば、なおさらだ。7月号の本欄「『謝る』医療」で紹介した「真実説明・謝罪マニュアル」も、患者側に対する医療側のコミュニケーションがいかに大事かを繰り返し説いている。
たとえ、事故直後に詳しい説明ができないとしても、ある時点で、なぜ事故が起きたかをきちんと説明してもらうことは、家族にとっては非常に重要なことだ。担当医1人がそうした対応まですべてを引き受けることが難しい場合もあるだろう。その場合には、患者の信頼に足る医療従事者が説明するというシステムも必要ではないだろうか。患者側がたずねたいときに医師との間をつないでくれる窓□も欲しい。
ただ、こう書きつつ思うのは、「患者への説明」に必要な医師の時間も、システムを支えるべき医療スタッフも、足りないに違いないということだ。「この激務の中で、どうやって実現しろというのか」という医療関係者の声が聞こえてきそうだ。
一朝一タにはいかないが
医療事故の対応策として、各紙が言及しているのは厚生労働省が検討中の「医療安全調査委員会」だ。この委員会については、改めて考えてみたいと思うが、それと並行して、患者に納得のいく説明を尽くすための体制作りが必要だろう。一朝一タにはできないことは分かっているが、医療事故がゼロになることがない以上、患者のためにも、医療者のためにも、それを目指さざるをえない気がしている。
9月号を見て、これまでの号より読みやすいと感じました。単に、他の医学雑誌に付き物の紹介記事(提灯記事)や、広告のページがなくなっていることが原因ではないでしょうか。他の雑誌でもどうかはわかりませんが、専門雑誌ではありかなと思います。学会誌の中の広告もうっとうしく感じますから。
投稿情報: ミヤテツ | 2008年9 月29日 (月) 15:04