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(投稿:by 僻地の産科医)
Sapio 9/3号
SPECIAL REPORT
金持ちは「健康を買い」、貧乏人は「野垂れ死ぬ」
-「寿命格差」時代が始まった 「医療格差」の絶望現場
[治療断念]「下流医療」が生み出す「寿命格差」/入江吉正
[富裕層]点滴1回1万円から200万円人間ドックまで
セレブ向け「命を救わない医療」大繁盛中
[医師格差]スーパー・ドクターは続々海外流出中!
日本に残るはやぶ医者ばかりなり
[アメリカ]診察1回10万円!
遺伝子に合わせて治療する最高級テーラーメイド医療の現場/武末幸繁
[中国]上海では診療費500元のセレブ病院が林立し、
庶民は3元のドクダミ点滴で死ぬ/鈴木譲仁
[EU]医療費タダだけど長蛇の受診待ち
高福祉国家イギリスから患者が逃げ出している/宮下洋一
[患者]「モンスター・ペイシェント」が病院内を跋扈している
世界の医療格差
(SAPIO 2008.8.20/9.3 p96-98)
【アメリカ】診察1回10万円!
遺伝子に合わせて治療する 最高級テーラーメイド医療の現場
武末幸繁
先進国の中でも医療格差が最も激しい国といえばアメリカだ。公的医療制度の不備がその要因だが、格差が大きい分、病院にも行けない貧困層がいる一方で、治療のためなら金に糸目をつけない富裕層も多い。富める者だけが享受できる最先端治療の現場を覗いてみた。
高額医療費で知られる米国だが、世界最先端の医療を有する国であることは間違いない。
例えばマンハッタンにあるマウント・サイナイ病院。医大を併設したユダヤ系の総合病院で、「テーラーメイド医療(英語ではPersonalized Medicine)」の研究、治療で知られている。抗がん剤は人によって効き方や副作用の度合いが違うため思うような効果が上がらないことが多いが、近年の遺伝子研究の進歩によって患者個々の遺伝子の違いに応じた効果的な抗がん剤投与を行なうことが可能になった。テーラーメイド医療はこれに基づいた最新の治療法だ。
病棟は裕福な人たちが住むマンハッタンのアッパーイースト地区の北端に位置し、病室によっては窓からセントラルパークが見下ろせる。北側は対照的なハーレム地区で、富裕層と貧困層を区切るようにして建っている。正面玄関とロビーは最新の美術館を思わせるような造りで、外観に違わず高級ホテル並みのサービスが売りだ。患者用の特別グルメ・メニューが用意され、細かい要望を聞いてくれるコンシェルジュ・サービスがあり、病室でのビデオの貸し出し、病室への花の配達などもしてくれる。病室でのビジネス・ミーティングも可能で、出席者全員分の会食も準備してくれる。
金はあっても入院せず 高級ホテルから通院
同じくマンハッタンにあるメモリアル・スローン・キャタリングがんセンターはUSニュース&ワールド・リポート誌の2008年度ベスト・ホスピタルのがん治療部門で全米2位に選ばれた(1位はテキサス医大アンダーソンがんセンター)。現在の病院長はレトロウイルスのがん遺伝子が細胞起源であることを発見したノーベル生理学・医学賞受賞者のハロルド・ヴァーマスである。
がんの原因、特にがんの遺伝的な原因の追究に努め、予防のための新しいアプローチ、早期発見と治療には定評がある。またこの病院では「総合治療(integrative medicine)」という、従来の西洋医学を医療の中心としながらも東洋医学や民間療法などの「代替医療」を取り入れた治療を行なっていることでも有名だ。
ここには世界中からがん患者が治療に訪れる。このため「インターナショナル・センター」という特別病棟が設けられている。飛行場までの救急車の手配に始まって、通訳、文書の翻訳はもちろん、患者や家族のためのホテル予約、車の手配、さらには買い物や観光案内までしてくれる。病室は個室に加えスイートルームもある。スイートは広く豪華な部屋と浴室、居間に加え家族や見舞客のためのラウンジや図書室もある。入院中も仕事をする人のためにコンピュータやファクス貸し出し、郵便物の受け取りと発送もしてくれる。身の回りの世話をする同伴者も利用でき、単に治療を施すだけではなく、快適さとプライバシーを第一に考え、家族も含めた総合的な世話をしている。
もちろんスイートは米国人も利用できるが、お金の問題とは別に、入院は手術と危篤の時のみとの考え方が強い米国では、マンハッタンの高級ホテルなどに住みながら、最新の化学療法や放射線治療を受けに通院するといった人が多い。
こうした最新治療が受けられる病院は診察科だけで1回1000ドル(約10万円)ほどで、入院するとなれば1日2000ドル(約20万円)以上かかる。貧困層には無縁の話であり、保険に入っている中間層でも、保険会社はせいぜい半分から3分の1ほどしか払わないため治療を断念することが多い。つまり米国の誇る最新治療は富裕層に限られていると言ってもあながち間違いではない。
【中国】
上海では診療費500元のセレブ病院が林立し
庶民は3元のドクダミ点滴で死ぬ
鈴木譲仁
「荊房変商場、医生成奸商」(薬局は金儲けの場に、医者は悪徳商人になった)。「要手術、送紅包。不送銭、不開刀」(手術を受けたければ謝礼をよこせ。金をくれないと手術はしない)。これは、いま中国の庶民たちの間で囁かれている言葉だ。金のない人間は病気になっても医者は助けてくれない。社会主義を唱える国家にあるまじきこの不条理に、中国の多くの市民はやり場のない怒りと不安を抱えている。
1980年代の改革開放以来、人民公社や国有企業が支えてきた医療保険制度を政府は大きく転換させた。医療費の財政支出高騰を抑えるため、患者の負担率増と病院への補助制限を実施した。現在、財政補助が10%にも満たず、市場原理が導入された医療現場では、公立病院も厳しい独立採算制を強いられるようになっている。その結果、病院の安定収入は処方する薬の収入と医療検査費に大きく依存している。
医者の基本給は1500元前後と安い。処方した薬の売り上げ歩合や、手術1回当たりのマージンがこれに加算される。1か月の処方箋のノルマ設定がある病院も多い。例えば上海のある産婦人科医院は、中絶費用1件50元、初診科10元あたり2元、夜勤1回160元の歩合がつく。結果、富裕層が多い都市部には最新の大型検査装置や専門医を配した大型総合病院が林立し、地方都市や農村部には簡素な診療所しかない、という現象が広がっている。
そして、専門医医療割増制度などに便乗した「賄賂」の常態化だ。著名医師は謝礼の額もどんどん高騰する。医薬品業界からの接待、賄賂も医師の拝金主義とモラル低下を加速させている。薬価基準も不透明。高すぎると批判されれば違う高い新薬が出る。
このような拝金主義が横行する中国の医療体制から完全に疎外され見捨てられつつあるのが、農民や中小企業の労働者、出稼ぎ農民の民工、失業者などの保険医療を受けられない人間や、高い手術費や謝礼を出せない低所得者たちだ。
社会科学院の調査では、医療費を保険でカバーできている国民は、役人や大企業労働者など全体で35%程度。2008年中には全農民をカバーする、と政府が宣言する「新型農村合作医療制度」も、実態はまったく機能していない。インフルエンザや食あたりでは保険は利用できず、入院を必要とする重医療に限定しながらも上限が設定されているからである。
おまけに農村部では高度な医療施設がなく、都市部の病院に行けば保険の対象外。これを医療保険とはいえないだろう。
四川省で、誤って農薬を飲んだ4歳児を抱えた農民が病院に駆け込んだ。医者は800元(約1万2800円)の治療費を前金で要求。払えなかった農民を追い返した。翌日、子供が死亡、これに住民が激怒して暴動に発展している。この他にも、広東省で治療費2万元を払えない入院患者が道端に捨てられるなど、医療倫理の荒廃は凄まじい。都市部の病院も前金が原則だ。
こんな現状だから、低次元の医療事故も多発している。地方都市などでは地元衛生部と癒着した無免許医が横行。村営診療所などと看板を出して堂々と診察している。2006年、風邪などの症状で受診した金のない農民たちが1回3元程の安い劣悪な漢方「ドクダミ」点滴を投与され死亡するケースが200件以上も発生した。私が取材した東陽市の4歳の少女もこの点滴を受け脳死状態に陥っている。
果たしてこの医療格差の現実を中国政府は解消できるのだろうか。経済発展の恩恵を受ける上海では1回あたりの平均治療費は500元(約9000円)にも及ぶという。しかし、医師数約153万人に対し、看護師は約130万人あまり。ある病院では医療サービスヘの不満から暴力を振るう患者に備えて看護師はヘルメットを着けている。
2007年、衛生部は2010年までに都市、農村部を平等にカバーする基本医療体制を確立すると宣言した。しかし、二方で財政部の社会保障基金は数兆元の歳入不足とも指摘されている。世界の老人人目の5分の1が中国人でありながら、養老年金は全労働人目の25%しかカバーしていない。
この歪な構造を抱えながら、五輪後さらに大型公共投資で経済の再浮揚を狙う中国政府。「国民切り捨て型社会主義」によってしか維持できない空洞化した社会保障制度は、まさにこの国が抱える最大のリスクのひとつといえるだろう。
【EU】医療費タダだけど長蛇の受診待ち
高福祉国家イギリスから患者が逃げ出している
宮下洋一
ゆりかごから墓場までと評されるほど社会保障が充実している福祉大国・イギリス。しかし、住む者みなが無料で診察を受けられる自慢の医療制度も綻びを見せ始めている。全国民の約1割、650万人がわざわざ民間の医療保険に入っているという。その理由とは?
1948年から始まった国民医療サービス(NHS)による、英国のかかりつけ医制度は、高福祉国家の医療費増大を抑制する画期的な成功例であった。患者はまず登録したかかりつけ医(総合医)で診てもらい、その後専門医が紹介される仕組みで、無駄な病院通いを防いで国全体の医療費を抑制。それによって国民の自己負担「原則無料」を実現する制度であったからだ。
今年から始まった高齢者の医療費抑制を狙った日本の後期高齢者医療制度でも、糖尿病など一部疾患の患者について、英国からヒントを得た独自のかかりつけ医制度が導入されている。
しかしこの英国が誇る制度も、近年、崩壊の道を辿っている。かかりつけ医1人につき住民約2000人弱を受け持つため、初診の段階から予約なしの即日診察が受けられず、翌日以降に予約するのが普通だ。さらにその後の専門医の診察まで平均6か月待ち、手術までに2年の順番待ちもザラだという。このため政府は外来、入院とも初診から3か月以内を目指してきた。
こうした“治療待ち”被害が相次ぎ、患者たちは、ここ数年、欧州連合(EU)圏内の国に移動し、治療を受けるといった「観光医療」が一般化している。
高齢者を中心とした英国人患者は、英国ポンド高を利用し、“治療待ちなし”あるいは“ハイテク医療”環境が整っているフランス、ドイツ、スペインといった国々に移動する。
2002年から英国政府は、かかりつけ医の長期治療待ち問題の解消を狙い、患者を海外で治療させる対策を実施してきた。国にとってのメリットは、旅費から治療費すべてを国(社会保険)がカバーするのだが、それでもなお、国内治療よりも安上がりになることだった。しかし、これがブームになると、対応しきれないケースも出てきた。
こんなデータもある。昨年、5200人の英国人を対象に行なった調査によると、無料だが待たされるNHSと、すぐ診てもらえるが高額な私設歯科クリニックのどちらを選ぶかという問題で、5人に1人の市民は、選択肢外の「治療を受けない」という選択をし、このうちの300人は、自ら歯を抜く“自己治療”を選んだという。
かかりつけ医の長期治療待ち問題解消を狙い、本末転倒の結果になった例もある。昨年10月、英国内の3病院で、主に高齢者90人の患者が、クロストリジウム・ディフィシル菌に感染し、死亡するという出来事だ。専門調査員たちによると、「待ちリスト減少ばかりに力を注いでいた多忙な医師・看護師たちが、手洗いなど、衛生面での規則を守っていなかった」ことが最大の原因だったとしている。
また、かかりつけ医制度での待ち期間の長さに悩まされたロンドン在住の日本人女性は、こんな話をしている。「生まれた長男の頭の形がおかしく、検査して結果をもらうまでに1年かかりました。その結果を待って専門医に相談したら、『もう少し早ければヘルメット治療が出来たのに』という返事でした」。治療のために長期間順番を待つか、高額な私立病院で早期治療をするか、考え物だという。
出産についても、英国は完全無料で医療技術が一流であるといわれるが、出産から退院までの時間が、最短で2時間、最長でも24時間であることに女性たちは不満を抱いている。私立病院に身をおきたければ、7000ポンド(日本円約160万円弱)の料金を支払う覚悟がなければならない。
ハイテク医療が発達しているスペインの私設クリニックでは、観光医療を目的とするEU各国の患者が米国同様の最新技術の治療を安く受けられるよう、各国の医療保険会社と提携している。このため06年には、長期間待機の被害に遭う英国人を中心とした1万人以上の患者が海外治療の恩恵を受けた。・
バルセロナ医師センターのフェルナンド・エチェバルネ会長は、「米国は、クリニック同士が金額競争しているが、われわれは各医師団体や公共機関がお互いに協力している。英国人患者も長期待機を免れる」と話す。
日本で一部導入されたかかりつけ医制度は、英国とは違い緩やかな仕組みだが、やがて厳格化されれば、英国のように長期治療待ち問題が発生する危険性もはらむ。近い将来、日本人でも割安で迅速なハイテク治療を海外に求める観光医療が一般化するかもしれない。
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