(関連目次)→ 医療政策 目次
(投稿:by 僻地の産科医)
先週?のAERAからですo(^-^)o ..。*♡
AERA 2008年7月7日増大号
発売日:2008年6月30日
特集は「産めない国ニッポン」
女性 2人目はもう産めない
収入高いほどほしくない
貧困 開設1年「赤ちゃんポスト」子捨て親の事情
現場 横浜産科次々閉院
「お産難民」大量発生
出産集中でがん手術2カ月待ち
雇用 ハケンは一人も産むなという最悪環境
医療 医療崩壊は国策で誘導された
「こうのとりのゆりかご」特集ですo(^-^)o!
1年になるんですね。
開設1年「赤ちゃんポスト」
「17人」の親たちの事情
賛否渦巻く議論の中で『赤ちゃんポスト』が開設されてから1年。
預けられたのは男児13人と女児4人。病院には「相談』も殺到している。
(Asahi Shimbun Weekly AERA 2008.7.7 p35-36)
《育てたい、かわいいという気持ちはあるが、今は育てられません》
ある赤ちゃんの傍らに残されていた手紙には、親のそんな心情がつづられていたという。
熊本市の慈恵病院が、親が育てられない赤ちゃんを匿名で引き受ける「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を昨年5月に開設して1年が過ぎた。
蓮田太二理事長は「年に1人いるかどうかだろう」と踏んでいたが、1年間に預けられたのは17入。想像以上に育児を放棄せざるをえない親たちの存在が浮かんだ。
病院によると、17人の内訳は新生児14人、1歳未満2人、就学前の幼児1人。男児が13人と多くを占め、女児は4人だった。行政上は「虐待」の中の「育児放棄(ネグレクト)」に分類されるが、幸い身体的な虐待の疑いがある子はいなかったという。
また、17人のうち6人には、名前や生年月日、謝罪の言葉などが書かれた父母らの手紙が添えられていた。予備のおくるみ、お守り、オモチャなどが置かれていたケースもあったという。
9人については、その後、残された物などから身元が判明した。いずれも親の居住地は県外で、関東、中部、中国地方が各2人、残る3人が九州だった。5人の親とは連絡も取れた。
そのうちの何人かに会った蓮田理事長は言う。
「安全な場所だと信じて病院に託してくれた。それは決して安易な子捨てではないと私たちは考えています」
全国から育児相談殺到
預けた理由の多くに共通するのは、「経済的な困窮」だ。
蓮田理事長によると、
▽女性が妊娠して働けなくなったときに、一緒に生活していた男性が姿を消した
▽女性の金を持って男性が姿を消した。女性の精神的な打撃は大きかった
▽自宅で出産した女性が途方にくれて預けた
――などの事例があった。「いつか引き取りたい」と話した親もいたという。
実際に、親が思い直して引き取った赤ちゃんが1人いた。障害がある子だったという。
「生まれた赤ちゃんの障害を目にして気が動転し、お金もないから育てるのはとても無理だ、という気持ちが強かったようです」
蓮田理事長が病院で治療できることを説明すると、親の気持ちが落ち着いたという。
一方、身元がわからない8人については「棄児(捨て子)」として熊本市が戸籍を作った。戸籍の作成日が「誕生日」。熊本市長が名付け親になった。
赤ちゃんポストが注目を浴びたこの1年。病院には、育児相談などが全国各地から殺到するという現象も起きた。
田尻由貴子・看護部長を中心としたスタッフで2000年に「SOS赤ちゃんとお母さんの相談窓□」を設けて電話相談に応じてきたのだが、07年度の相談件数は前年度の26件から一気に501件に増えた。たとえば、こんな相談だ。
「あのう、生まれちゃったみたいなんですけど。どうしたらいいんでしょうか?」
大半はシングルの女性
勤務を終えて帰宅した田尻さんの携帯電話が鳴ったのは午後10時40分ごろ。消え入りそうな声の主は近県に住む10代の専門学校生だった。自宅2階の自室で産んだ直後で、階下にいる親は知らないという。親に相談できないの、と尋ねると、
「親に言ったら、わたし自殺するから」
田尻さんは最寄りの駅を聞いて待ち合わせ、自分の車で駆けつけ、そのまま母子を慈恵病院に運び込んだ。
「相談者の大半はシングルの女性。ワケがあって表ざたにできず、健診も受けていないから病院で出産を断られた末、ここを頼ってくる。そんな『お産難民』の人たちばかりです」
中には、妊娠30週を過ぎた中学生の娘を引きずるように連れてきて、「どうにかして下さい」と泣き叫ぶ母親もいた。
「私たちは生まれてくる赤ちゃんを何とかして救わなくちゃいけない。押し入れや路上に捨てさせないために必死です。生まれた後のことはみんなで考えましょうよって、説得します」
病院への相談のうち、「ポストの利用を考えていた」というケースが75件あった。このうち36件は親が「自分で育てる」と思い直し、25件は病院が特別養子縁組を仲介、5件は乳児院に引き取られたという。
赤ちゃんポストの開設にあたっては、「無責任な親の子捨てを助長する」など様々な反発もあった。当時の首相や厚労相も「子どもは親が育てるべきだ」「大変抵抗を感じる」と批判的な発言をした。
もちろん、批判は今もある。
佐賀県では、望まない妊娠をして中絶可能な時期を過ぎた女性が、「赤ちゃんポスト」に預ければよいと考えて一人で出産。赤ちゃんが死んでいたため、駅のコインロッカーに遺棄するという事件も起きた。
児童相談所を知らず
妊娠しても育てられない場合は、出産後に身元を明らかにした上で理由を説明し、児童相談所に託す。それが行政による本来のセーフティーネットだ。だが1年間の経験を積んで、田尻さんは改めて強くこう思う。
「名乗れない事情もあるし、出産したことさえ隠しておきたい人もいる。匿名だからこそ赤ちゃんが捨てられずに助かるケースが実際にある」
同時に、行政の窓口の知名度の低さも痛感したという。
「望まない妊娠などギリギリの悩みを抱えた人たちに、最も必要な情報が届いていない。相談先がわからず、とりあえずテレビで見たから、聞いたことがあるから、とこの病院に相談してくるんです」
実際、病院への相談の6割は県外からで、ほとんどの人が地元の児童相談所の存在を知らなかった。児童相談所の「敷居の高さ」に尻込みしたり、児童相談所に門前払いされたりした人もいたという。
病院は、赤ちゃんが預けられた日の天候や気温、健康状態、表情、着ていた服、手紙、一緒に置かれていたものなどをすべて書面などにして残している。児童相談所などに居場所が変わってもずっと引き継ぐようにするという。
「いまは身元がわからなくても、将来、本人が自分のことを知りたいと願ったとき、わずかに残された品々やリストが命綱になるかもしれない」
蓮田理事長はそう考える。
「引き取りたい」244件
慈恵病院には、「赤ちゃんを引き取りたい」という申し出がこの1年間で244件寄せられたという。育ての親が見つからない赤ちゃんは全国にいる。慈恵病院は、相談窓口の連携とともに、養子縁組制度の国内ネットワーク作りを進めている。
コメント