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(投稿:by 僻地の産科医)
公立病院に関して二本の記事がありましたのでまとめて(>▽<)!!!
一本目の記事は、大阪から。産婦人科医会報4月号のものです。
公立病院はいま本当につらいんですよね。。。。
では、どうぞ ..。*♡
医業と医療
公立病院産婦人科統合への新しい試み
大阪大学大学院産科学婦人科学教室教授 木村正
(日本産婦人科医会報 2008年4月1日号 No.697 p12)
はじめに
「医局」制度は崩壊し、今や大学は医師に対する人事権を失った。しかし、公立病院開設者たちの意識は極めて古く、「大学に行って教授に頭を下げれば医師は来る」と未だに信じておられる。大学は本来地域医療に対し何ら責任や権限を持つ(ことができる)組織ではない。しかし、伝統的、習慣的に影響力を持ってきたことも事実である。このような環境の中で産婦人科医療崩壊に抗して大学ができることは、
・公立病院には医師に選んでもらえるように「変わって」もらうこと
・医師には「変わることができた」公立病院で働くことを提案すること
そして安心して働くことができることを提示して若手医師を勧誘し一人でも多くの産婦人科医を育成することだけである。
分娩室集約の必然性
産婦人科、特に産科が崩壊した最大の理由は医療供給体制と患者の期待の相反にある。患者は分娩に際して24時間均一・最高の医療を受けることを期待しているが、産科医療は2時間の電話番程度の勤務を想定した夜間休日当直体制を前提に供給されている。しかし、分娩監視装置は分娩の80%以上に何らかの異常パターンを吐き出し、医学的根拠のない帝王切開30分ルールの司法界での濫用と合わせ、医師には極めて強い緊張が強いられる。また、同じ24時間態勢でも救命センターやICU では外来や予定手術はないが、産婦人科ではこれらにも多くの人員を要する。現在の「無償」オンコール制度は理不尽そのものである。この医療を仮に5人の産婦人科医で行うとすれば部長も含めて月当たり6日の当直と、6日のオンコールを担当する。外来、手術を考えると当直明けの勤務減免は不可能であり、1人の退職や産休で勤務態勢はいとも容易に崩壊する。
大阪府南部の産婦人科医療状況と対応
関西空港のある泉州南部地域は5市3町、最大の市である岸和田市民病院の産婦人科は消滅、この地域5,700件の分娩に対し、公立病院は2カ所(貝塚、泉佐野)、双方とも750分娩と年間400件の手術を5人の医師(専攻医を含む)で取り扱ってきた。双方の病院とも大阪大学の関連病院であるが、大学から約60kmと遠く、専攻医には症例が多い利点があるが指導医層には不人気であり、人員確保に困難を極めていた。その打開策として同地域の公立病院の分娩室を1つにして、医師10人体制とすること、2人当直体制を組める予算を計上すること、周産期医療にかかわるすべての医師の待遇を大幅に向上させること、財源確保のため複数の自治体による広域周産期センターとすることなどを大学から提案した。分娩室の場所はNICU があり、近接して大阪府救命救急センターがある市立泉佐野病院とすることを希望した。両市、並びに周辺自治体と設立協議会で協議の結果、年間1億円の経費の分担について2市は同意せず、3市3町が参加することになった。当初目的とした別組織での独立運営は不可能で、外来は産婦人科として双方の病院で両科を今までどおり行い、婦人科の予定手術・入院は貝塚で、分娩・夜間緊急手術は約7km離れた泉佐野で行う計画とした。双方の医師は勤務表に従って両方の施設で働き、助産師は日々出張の形で貝塚に在籍のまま泉佐野で助産業務を行うことで両市が合意した。分娩料金を適正なものとし、参加する地域内のみ自治体分担金相当額の費用を値引きすることとした。
参加しなかった自治体から「広域小児救急施設では地域外の患者に格差はつけていない」という反発もある。医師や看護・事務職員にとって、移動の手間、カルテ情報の共有など問題は山積している。人員確保が困難なことは他の診療科でも同様で、周産期センター、婦人科センターに値する十分な医療インフラが整備できるかは今後の両市の努力にかかっている。しかし、軌道に乗れば双方の医師にとって勤務環境、条件の大幅な改善につながることを期待している。
おわりに
今回の機能分担・統合は、本来病院規模を大きくすべきだが今はできないための苦肉の策であり、理想的なものではない。筆者が、西欧諸国でみた余裕ある産婦人科臨床の実践にはほど遠いものである。公的病院の開設者が、そこで働く医療者にとって良い病院であることこそが患者に良い医療を継続して提供できる病院となりうることを自覚し、今回の動きが広域で「おおやけ」の医療を支える体制への第一歩となることを願ってやまない。
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2本目はM3から。
実はわたしが以前勤めていた病院は、
長さんにはお世話になっていました。
要するに典型的な地域の赤字病院、
・医師は減る
・病床利用率も減る
・新築したばかりの立派な病院(借金返し中)
ちょっとかなりつらい状況であったことを思い出します。
公認会計士・長隆氏(東日本税理士法人)に聞く
安房医師会病院に見る経営譲渡の難しさ
勤務医は自治体病院の「改革プラン」の動向に注目を
聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080514_2.html
この4月、経営難に陥った安房医師会病院(千葉県館山市)が、亀田総合病院などを運営する医療法人鉄薫会の関連の社会福祉法人太陽会に譲渡され、「安房地域医療センター」として再スタートを切った。医師会立病院だが、公的補助金を受けて新築した経緯があるなど、公立病院の譲渡に近い事例。折りしも、この4月から総務省は公立病院の改革に着手しており、本ケースから得られる教訓は多い。今回の譲渡を主導し、総務省の「公立病院改革懇談会」の座長を務めた、公認会計士の長隆氏(東日本税理士法人)に、話を聞いた。
――譲渡直前の今年3月、県の担当者と地元医師会会長や先生が出席した会議はかなり荒れたそうですね。
はい。既に地元の館山市長も加わった選定委員会で、社会福祉法人太陽会(千葉県鴨川市)に安房医師会病院(149床)を譲渡することが決まっていました。その最終段階で、「社会福祉法人の定款変更を認めることは不適切です」と県が言ってきたのです。法的根拠はないのですが、戦後、済生会や日赤を除き、社会福祉法人による新規の病院経営は認められていなかったからです。だから「前例がない」と。後で調べてみると、前例はあったのですが。
確かに社会福祉法人は法人税が非課税であるなど、病院経営には有利な面があります。しかし、今回の安房医師会病院は、8年前の新築時に、公的な補助金が投入されているため、医療法人などに譲渡することが難しかったのです。この地域の医療を守る唯一の方策が太陽会への譲渡であり、県知事にも事前に相談をしていました。後述しますが、3月末が譲渡のギリギリのタイミングでしたから、太陽会への譲渡以外に選択肢はなかったのです。それなのに、県の担当役人は認めないという態度だったので、「この南房総地域の医療を崩壊させた張本人は県である、と記者会見する」と啖呵(たんか)を切りました。結局は、その場で、定款申請の書類を受理してもらいました
――そもそも今回、どんな経緯で安房医師会病院が経営難に陥り、譲渡に至ったのでしょうか。
安房医師会病院は、1964年の開設であり、医師会立病院としては歴史があり、約8年前に新築移転しました。その費用は約50億円で、千葉県と館山市からそれぞれ10億円、国から3億円、計23億円の補助金を受けています。2次救急医療や小児医療などの不採算医療を行うことが条件でした。土地は館山市の無償貸与です。
2003年度までは黒字だったのですが、2004年を境に急速に経営が悪化しました。医業収益は、2004年度が約39億円、2005年度約38億円、2006年度約33億円と年々減少、当期純利益も2004年度はマイナス約9300万円、2005年度がマイナス約2億3000万円、2006年度がマイナス約2億9600万円という状況でした。。 医師は千葉大に頼っていたのですが、2004年の卒後臨床研修の必修化で、引き揚げがあり医師不足に陥ったのが経営悪化の一番の原因です。看護師の集団退職などもありました。2006年秋には一病棟を閉鎖しています。
――先生は、2007年9月に発足した同病院の「経営改革委員会」の委員長を務められましたが、打診があったのはいつごろですか。
2007年9月のことです。安房医師会の会長から直接電話がありました。当時、借入金が、短期と長期を合わせて約10億円あり、現会長、前会長、前副会長の3人の医師の個人保証になっていました。このまま倒産すれば、この3人が10億円の債務を負う危険があったわけです。 病床稼働率は50数%、外来は紹介制を取っていましたので1日200人程度でした。「医師さえ確保できれば」と考えていたようですが、そのめどが立たず、行き詰っていたのです。
経営改革委員会のメンバー選定は一任されたため、可能な限り「関係者以外」、つまり千葉県、医師会、千葉大学などを除いて選びました。聖マリアンナ医科大学理事長の明石勝也氏、東海大学脳神経外科教授の松前光紀氏、この3月まで沖縄県の北部地区医師会病院院長だった高芝潔氏のほか、県の病院局長、安房医師会長、私の計6人です。こうしたメンバーにしたのは、この地域の医療がどうあるべきかを利害関係なく、公正な目で議論してもらうためです。議論はすべてオープンでやりました。
――最終的に「病院の譲渡」という方向性を打ち出した理由は。
私自身、この地域の医療事情を知る前は、同じ安房医療圏に亀田総合病院があるため、「廃止という選択肢もあるのでは」と考えていました。しかし、この病院がなくなると、2次救急を必要とする患者は、車で1時間弱かかる亀田総合病院まで行かなくてはいけないことなどから、やはり2次救急医療を担う病院が必要だという議論になりました。その上、廃止であれば、補助金や借入金の返済なども問題になるという事情もありました。
最終的に、2007年12月にまとめた答申では、
(1)責任と権限が不明確である
(2)合議制のため意思決定が遅く、急激な時代の変化に対応できない
(3)医師会長と病院長の2つの指示系統による混乱した状況である
(4)経営と運営が分離しているため、運営している現場の意見が経営層に反映されていない
(5)安房医師会病院の経営に非協力的な医師会員の存在が、他の協力的な医師会員のモチベーションまで下げてしまう
(6)医師・看護師の確保ができないため、経営不振に陥っている(人材育成能力の限界)
という理由を挙げ、短期間に思い切った改革を断行しない限り、財政的破綻があり得るとしました。その上で、「第三者に経営譲渡することが必要である」との結論になりました。 譲渡の際には、職員に退職金を支払う必要があるわけですが、手持ちの現金・預貯金は徐々に減少しており、退職金を支払って譲渡できるギリギリのタイミングが2008年3月末でした。この時点での残高は約5億円と見込んでいました。
――公募したところ、手を上げたのは太陽会のみだったわけですね。
はい。公募は昨年末から今年初めにかけて行いました。亀田総合病院などを運営する医療法人鉄薫会が本来なら譲渡先になるのが妥当でしょうが、そこで問題になったのが、新築移転時の、補助金の扱いです。補助金の返還条件などは明記されていなかったのですが、そもそも補助金交付の際に、「病院の譲渡」という事態は想定していないわけです。ただ、民間の医療法人に補助金で建設した病院を譲渡すれば、場合によっては住民訴訟が起きる可能性も否定できない。でも3月は迫っている。 そこで、関連の社会福祉法人太陽会への譲渡となったわけです。経営改革委員会のメンバーと館山市長で構成する選定委員会で決定しました。条件は無償譲渡(貸与)です。 ところが、最終局面になって、県が「社会福祉法人の定款変更は認めない」となったので、冒頭のような顛末になったのです。
――病院の譲渡といっても、受け手が見つかるか、さらには受け手が見つかっても様々が制度的な制約があり、スムーズには運ばないことが多いわけですね。そもそも改革方針が容易には決まらないという問題もありますが。
譲渡という方針がスムーズに決まったのは、前述のように、利害関係者を排除した委員会で議論したからです。またこうした委員会には、「住民も入れるべき」という意見もありますが、私は入れなくてもいいと思います。医療提供体制がどうあるべきか、病院を存続させるべきか否かといった議論は、高度に専門的なものです。住民の声を聞くのであれば、議会に諮ればいいわけです。 また何らかの方針を決定する際には、意思決定機関を一本化すべきです。そもそも安房医師会には、「医師会理事会」と「病院理事会」の2つがあり、これが責任者不在の経営の一因でした。行政が、経営改革に口を挟んでくる場面もありました。 さらに言えば、行政には公立病院の改革を行う際には、誰のために行うのか、その原点を考えていただきたいですね。今回の場合、県が定款変更を認めなかったら、病院は経営破たんしていた可能性が高いのですから。もちろん、改革は地域住民のために行うものです。
――これから自治体病院改革の動きが本格化します。そこに勤務する医師をはじめとする医療従事者にメッセージがあれば、お願いします。
公立病院からの医師撤退などのニュースも流れますが、開業しても苦労が多いのは事実です。鹿児島の県立病院をはじめ、公務員の職務専念義務規定を外し、既にフレキシブルな勤務体制を導入するなど、改革に成功している事例もあります。だから「あきらめないでください」と申し上げたいと思います。総務省は昨年、「公立病院改革ガイドライン」を作成、それを基に現在、各公立病院は「改革プラン」の策定を進めています。6月には総務省が全国の取り組み状況を公表する予定です。9月ごろには改革プランが出揃う見込みになっています。役割、ビジョンを明確化している公立病院は生き残るでしょう。どんなプランが出るか、それを待って今後の進路を決めてもいいもではないでしょうか。
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