(関連目次)→医療事故安全調査委員会 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
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日本救急医学会
「診療行為関連死の死因究明等の
在り方検討特別委員会」による見解
平成20年4月9日
http://www.jaam.jp/html/info/info-20080428_1.htm
上記委員会においては、厚生労働省における「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」による「第三次試案」(平成20年4月3日)そのものには反対いたします。より大所高所からの視点を加えて、よりよい“試案”として作成し直されますよう希望します。以下に私どもが議論しました内容を記載いたします。
Ⅰ中立な第三者機関に対する国民の期待など
医学の進歩・発展に伴い、わが国における医療の質も益々高度なものになり、それは総じて国民の健康と安全に大きく寄与している。しかし残念ながら最善と思われる医療の提供をもってしても不幸な結果となる症例が存在することも事実である。このような症例の原因究明と患者・家族ないし遺族への説明は、そもそもその症例を担当した医師らの責任であることは当然である。しかし、それに加えて、高度で複雑な医療内容の透明性を担保するために、専門家を交えた中立な第三者機関が存在することは、患者・家族ないし遺族と、担当した医師らとの双方にとって相互の理解を図る上で有益である。また、潜在した過失の存在が明らかになれば、その責任が明確になるだけではなく、同様な事例での貴重な教訓となり、その意味で再発の防止にも大きく貢献するものと思われる。
従って、医療の安全性の向上をめざして、医療行為に関連する予期せぬ事象、特に死亡に関して客観的で、公正性・透明性が確保された仕組みが必要なこと、より具体的には学術的な調査・検討機関が必要なことに全く異論はない。また、このためには、専門家集団である各領域の医学関連学会が全力をあげて協力すべきであり、日本救急医学会も例外ではないと考える。
しかしながら第三次試案においては救急医療の現状や特殊性に対する理解、配慮が充分になされているようには見受けられない。本案のままではわが国の救急医療が崩壊することを本学会としては直言せざるを得ない。
Ⅱ救急医療の本質と死因究明等の在り方について
救急医療の本質は緊急性の高い患者に、一刻も早く処置を施すことにある。その意味で救急医療は他の医療分野と大きな違いがある。後者では専門医への紹介などによって診療の対象を自らの専門領域に限定することが可能であり、時間的な余裕のある慢性疾患や計画的な治療・手術等の診療行為が主体となる。
しかし、救急医療では専門領域以外の救急患者に対応することが多々強いられ、しかも緊急性が高く重症であればあるほどその必要性が高まる。例えば上腹部痛を主訴とする急性心筋梗塞に消化器内科医が、あるいは胸痛を主訴とする特発性食道破裂に循環器内科医が対応することなどがある。急速な医療の高度化に伴い内科・外科に限らず、あらゆる医療領域が専門細分化されつつある。あらゆる領域の医療の進歩があまりに急速であるために、自らの専門領域以外の分野の進歩を常に把握することはもはや不可能である。すなわち、それぞれの領域の専門医にとっては「標準的な医療行為」であっても、他の領域の医師にとっては標準的であるとは決して言えないことが多い。
さらにまた、「標準的な医療行為」を行う前提として、必要な人員や設備が全国の病院に整っているという状況ではない。ありていに言うなら、全国的にみれば、救急医学を専門とする救急科専門医などは著しく不足している。つまり、救急医療は、専門診療科を問わない医師らによる、いわゆる応急処置と呼ばれる協力なくして成立し得ない。すなわち救急科専門医でない各専門診療科の医師による、限られた環境と条件の下での救急医療を期待することに留まらざるを得ない。または、そのように留めるべきである。このような現状に対する十分な認識を欠いて第三次試案を導入すれば、「標準的な医療行為から著しく逸脱した医療であると、地方委員会が認めるもの」と明確な定義もなく、また判断基準も曖昧なままに、地方委員会に委ねられる「重大な過失」が捜査機関へ通知される危険性があって、それを冒してまで救急医療に今後も携わり続ける各診療科の専門医師は極めて少なくなるであろう。勿論、救急科専門医にとっても、重症患者が原因不明のまま死亡する、積極的な救命処置を経てその後に死亡するなど、「重大な過失」と隣り合わせの状況に不安を抱かざるを得ない。本試案に則った届出義務が課せられれば、多くの医師が救急医療から撤退することが強く懸念される。
Ⅲ救急医療の萎縮と崩壊についての議論
「立ち去り型サボタージュ」という言葉に象徴されるように、勤務する医師の確保が困難なために病院は多かれ少なかれ機能を縮小することを迫られている。その際に、まず対象になるのが救急医療である。なぜなら24時間365日の対応を求められる救急医療こそが、勤務医の過酷な労働の元凶であり、また救急医療にまつわる苦情や紛争が勤務医の大きな精神的負担となっているからである。実際に「救急医療を行うと常勤医師が次々と辞めていく」ことを理由に救急医療からの撤退を決断する病院は後を絶たない。
このような状況の中で、第三次試案で示されたように「標準的な医療行為から著しく逸脱した医療であると、地方委員会が認めるもの」と極めて曖昧な定義の「重大な過失」が捜査機関への通知の対象となれば、わが国の救急医療は壊滅するであろう。地域社会に対する責任と義務感から辛うじて救急医療を守っている病院までもが、救急医療が原因で勤務医師を確保できなくなるために、救急医療からの撤退を余儀なくされるからである。
さらには、これらの病院が担ってきた救急患者が救命救急センターなどの三次救急医療施設に集中すれば深刻な状況が生じる。救命救急センターが患者増に対応できないだけではなく、最重症の救急患者を収容するという本来の役割を果たせなくなる。そしてこの徴候は既に出始めている。この救急医療の連鎖的崩壊は止め処なく続き、わが国の救急医療提供システムは壊滅の危機に瀕する。「救急医療は医の原点であり、国民が生命維持の最終的拠り所とする根源的な医療」と位置づけられているが、今やわが国の救急医療提供システムは危機的状態である。第三次試案はその危機を一層高め、救急医療の壊滅を招来することが強く危惧される。
Ⅳ医療安全を構築することと紛争を解決することの違いについて
病院医療において、医療安全そのものを構築する活動と、いわゆる苦情対応ないし紛争処理とが渾然一体となって行なわれていた時期があった。院内に配置されたリスクマネージャーが次から次と疲弊していく実態を分析する過程を経て、現在ではこれら二つの課題は病院医療を展開する中で明確に区分けされている。つまり、医療安全と紛争解決との本質的な違いに関する認識が深まったということである。
今では、関係した個人の責任を問うのではなく、些細な事例でも職員皆が共有し、院内で注意を喚起したり改善策を普及させたりすることを目的として、事故・インシデントレポートが提出されている。急性期病院においては、このようなレポートが100床あたり1ヶ月に40件以上が妥当な水準であると言われていて、例えば500床規模の地域中核的な急性期病院であれば、年に少なくとも2500件程度のレポートが出され、それらを基に医療安全を向上させる活動が展開されることとなる。これとは別に、患者・家族ないし遺族からの苦情などがあれば、またそれらがなくとも解決すべき重要な課題が想定される場合などにも、院外からの識者などを招聘して個別の委員会を開くなどを病院の多くが行っている。
このように、重要な事例では院内外からの情報を収集し、それらを用いながら患者・家族ないし遺族に納得のいく説明を行なうという方法である。年余を経て病院の安全文化はこのように漸次進歩して来たと言うべきである。
以上のような病院医療における経験は、「医療安全調査委員会(仮称)」にとっても貴重で有意義なものであるに違いない。事故又はインシデントを調査する唯一の目的が、将来の事故又はインシデントの発生の防止であるなら、多くの事例を集積せねばならない。その場合に、罪や責任を課すことを同時に行なってはならない。つまり、医療安全を向上させる取り組みは、罪や責任を課すための司法上、または行政上の手続きや調査とは分離されるべきものであることを理解せねばならないということである。再発防止と責任追及とを同時に行なおうとする試みは、本来の再発防止の対策とはほど遠いものである。第三次試案に書かれている通り「責任追及を目的としたものではない」が真にその通りならば、行政処分を行なう機関にも、捜査を行なう機関にも事故・インシデントに関する報告を用いた通知をすべきではない。責任追及を目的としていないことの制度上の担保がなければ、結局のところ、現場の医療者は安心して診療に当たることはできない。ここに救急医療が色濃く含まれるのは前述の通りで、至極当然である。
Ⅴ厚生労働省を超えた広い立場から
「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」において、医療、行政、法曹、患者、警察・検察など多くの立場から様々な意見が述べられている。しかし、議事録を読む限り、議論がかみ合って、合意がみられたように思われない。第三次試案は本質的に第二次試案と異なるものではなく、記載された文章の表現はいかようにも解釈できるものである。実際、医療側に配慮した表現に変更されているがゆえに、元検事からの反論も報道されている。先に、「標準的な医療行為から著しく逸脱した医療であると、地方委員会が認めるもの」と明確な定義もなく、また判断基準も曖昧なままに、地方委員会に委ねられる「重大な過失」が捜査機関へ通知される危険性があることについて言及したが、「委員会で問題となった事例だけ警察で扱う」という文言は、結局単なる“お願いの域”を出ないといっても過言ではない。
もし、真にその通りであれば、刑事訴訟法や刑法そのものを変える必要があろう。しかし、これは全く実際的ではない。この部分について医療に携わる者は重く受けとめておかねばならない。このような事情に鑑みれば、この問題が厚生労働省の一委員会の中の議論だけで解決できるテーマでないことは自明である。
また、この問題の本質は、結局のところ、医療自体に内在する“リスク”に関する考え方が、医療と法曹とのそれぞれに携わる者の間で、または医療者と一般国民との間でも異なっていることに起因するように思われる。医療、行政、法曹、患者、警察・検察など多くの立場がこの本質的な議論を積極的に行なう必要がある。それらを経て、行動の規範や思考の過程などにおける違いなどについて相互に理解しあうならば、先の“お願いの域”ではない、また安全の構築と紛争の解決との違いを峻別できている“メリハリの効いた試案”へと進展できるように思われる。
最後に、厚生労働省を超えた広い立場からの議論が是非必要であることに関する、もう一つの意見を追加したい。現在進行している救急医療の崩壊については、その原因の一端が厚生労働省による施策の結果でもあることは周知である。その故に、救急医療に関連した医療事故の中には、救急医療体制の構造そのものに起因する、言わばシステムエラーという要素が関与した事例も少なくない。医療事故を調査する、または医療安全を構築する委員会を厚生労働省の中に設置するのであれば、そこでこれらのシステムエラーともいうべき諸問題を鋭く指摘することはまず不可能に近いと言う他はない。
以上のことから理解されるように、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」に関する議論は、厚生労働省の一委員会としての範囲をはるかに超えている。我が国における行政、司法、立法といった大所高所からの視点が求められ、それは我々の社会のあり方そのものとも強く連動する。そのような議論を避けては通れないことを肝に銘ずるべきである。従って、もし行政府のどちらかにそれなりのリーダーシップを求めようとするなら、重要課題について各省より一段高い立場から「企画立案及び調整」を行なう内閣府こそが相応しいように思われる。
Ⅵまとめ
医療の現場においては、中心静脈の確保などさまざまな侵襲的な処置、副作用のある薬剤の投与、危険を伴う検査・手術などが日常的に行われている。各々の医療行為にはそれぞれに合併症がある。そして、一定の頻度で合併症が発生することは、病院での多数のレポートからも既知の事実である。医療とは後で振り返れば、判断の誤りがいくつも指摘できる医療行為の連続の上に成り立っているという言い方もあながち間違いではない。救急医療とはこれら負の側面を一層強いられる医療であると言うことができる。そして、そもそも救急医療は予期せぬ急病や事故を対象としている。
以上の議論などを経て、日本救急医学会における「診療行為関連死の死因究明等の在り方検討特別委員会」は、厚生労働省における「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」による「第三次試案」(平成20年4月3日)そのものが、現行の救急医療に萎縮医療どころか壊滅的な影響を与える可能性とその懸念について指摘した。
それらをまとめると以下のようである。
1.第三次試案は救急医療の本質的な部分への理解が充分なされているとは言い難い。
2.第三次試案にそのまま則るなら、救急医療に携わる医師は萎縮し撤退を余儀なくされ、救急医療は崩壊する。
3.医療の安全を確保することと、紛争を解決することとは、全く異なるプロセスを必要とする。
4.よりよい試案を作成するには、厚生労働省内の一委員会という範囲を超えて、大所高所からの議論を集約させる必要がある。
中立な第三者機関の設立は是非とも必要であり、ここに書かれた意見などを容れながら、“よりよい試案”を作成することを期待したい。そしてその過程においては、深刻な影響をそもそも受ける可能性がある救急領域の分野からの意見を引き続き聴取し、またそのような委員を議論に加えるなどして、大所高所から“よりよい試案”の作成に反映させることが必要であると考える。
以上
有限責任中間法人 日本救急医学会
診療行為関連死の死因究明等の在り方
検討特別委員会
命を救ってもらったものとして、
今回は医師を救いたい。
この見解に大賛成です。
頑張ってください。
投稿情報: 患者 | 2008年5 月 8日 (木) 08:21