(関連目次)→ADRと第三者機関 目次
(投稿by suzan)
これを読んでくださったなら、先日投稿した「医師を待ち受ける責任追及の落とし穴」を再読していただくとよいかと思います。ADRについて考えさせられます。
The Mainichi Medeival Journal January 2008 Vol4 No.1 P78-79
小児科クリニックからみえる日本の医療 第5回
医療従事者の救済策
百々 秀心(どど・ひでみ)
こどもの木クリニック(横浜市都筑区)
1956年生まれ。東京医科大学大学院終了後、東京大学小児科学教室助手。
88年にトロント大学付属心臓血管研究所へ留学。
トロント小児病院小児循環器科、UCLA循環器科各クリニカルフェロー、国立成育医療センター循環器科科長を経て06年4月に横浜市都筑区で開業。
前回、医療訴訟のことを書きました。医療事故が起きたときには、訴訟という手段以外にどのような形で患者の救済ができるか、また医療(者)への攻撃をどのような手段で回避あるいは軽減できるのでしょうか。
犯人探しより原因究明を
今、「無過失医療補償制度」と「医療ADR(裁判外紛争処理)」という制度が試みられようとしています。現時点で「無過失医療保障制度」は、訴訟と事故が多い産科からの導入が検討されています。しかし筆者の持論ですが、本当に無過失なら補償する必要はないと考えます。医療は完璧ではありません。我々はそれを知っています。どんな医療行為でも、絶対間違いは起きないとはいえませんし、どんなに簡単な手術でも100%安全とはいえません。しかし、患者側は医療を完璧だと思っています。我々は神ではない。もちろん、完璧を目指し、100%に少しでも近づこうと毎日毎日努力しています。しかし、必ず事故は起きます。どんなに医療が進歩しても事故が起きることは避けられません。我々は、医療行為が危険であることを十分承知して、それを最小限にしようと努力しながら、危険な行為を行っています。
事故が起きたとき、大切なことはいくつかあります。最も大切なことは、事故がなぜ起きたかを究明し、そのような事故が次に起きないよう対策を立てることです。そこで「なぜ起きたか」を究明するのと同じくらい大切なのは「誰がやったか」を追求しないこと、であると思います。犯人探しは、正直な証言を妨げます。誰もが、自分の保全を考える。当然のことです。自分に不利だと思われる報告をきちんとできるシステムを作ることが、今後の対策において大きなポイントとなります。
スウェーデンに成功例
成功例の1つに挙げられるスウェーデンの「無過失医療補償制度」はPCI(Patient Compensation Insurance)と呼ばれています。患者の訴えを受けて、医療補償を審査します。小松秀樹氏の著書「医療崩壊」で紹介されているPCIの説明から抜粋すると「スウェーデンでは、患者が不満を持ったときに、患者あるいはその家族が口頭でPCIに申し込むだけで審査が始まる。医療従事者が被告になるわけではない。「避けられた障害」かどうかが議論される。訴訟と異なり、早く補償される。訴訟費用もかからない。医療従事者の過失を証明する必要もない。広く補償されるが、補償額は安い。もちろん患者側がPCIの決定に不満があるときはクレーム審査委員会に異議を申し立てることができる。それでも患者側の意向が通らないときは裁判になる。スウェーデンでPCIがうまくいっている1つの理由として、裁判制度を利用する際の障壁が日本より大きいからである」とあります。この制度は、うまく機能すれば大きな合併症や続発症を抱えた患者にとって大きな救いとなると考えられます。それ以上に不必要な負担を、医療側より軽減するように働く可能性のある制度だと思います。
医療における裁判外紛争処理
民事訴訟とは別の医療紛争処理方法といえる医療ADRは、2つのタイプに分けられます。①裁判準拠型ADR②対話自立型ADRです。①は、裁判や法的解決こそが本来あるべき適性な解決方法であり、その手続きを簡略化することによって、それをより広く普及、浸透させようという考えが根底にあります。これは、裁判となんら違いがなく簡略化という弊害によって、”簡略”的訴訟は増えるであろうと考えます。②は、裁判や法的解決では達成しえない目的や満たしえない当事者のニーズに、自由で柔軟なスタイルで積極的に応えていくという概念で作られたものです。このシステムは患者側から求められた場合に手続きが始まります。患者側および訴えられた医療側が、事実に対して検証したり、賠償額について交渉を行うときに、ADRの仲裁者(メディエーター)は、意見を述べたり、判断を示したりすることはありません。対話の制御による感情的問題と合意形成の援助提供に努めるだけです。患者側からの申し立てにより、医療側を仲裁センターに呼び、弁護士等の仲裁人・斡旋人が和解を斡旋したり、仲裁判断をしめしたりして紛争の解決をするものです。
仲裁人はあくまでも中立の立場で、事実関係等をわかりやすく進行させるものであり、患者側あるいは医療機関側というそれぞれの立場に味方して主張するものではない、と。これがADRの売りの1つですが、中立の立場で仲裁などできるのでしょうか?私には、はなはだ疑問です。また、最終的に話し合いがこじれて仲裁がうまくいかない場合は、弁護士を斡旋するとなっていますが、仲裁センターに持ち込まれるような医療訴訟がらみのこじれが、そんなにうまく解決するのか大いに疑問です。早期解決もメリットの1つとして挙げられています。しかし、仲裁センターのパンフレットをみると、話し合いの期間は申し立て日から約3週間後に、2回目以降もなるべく2~3週間隔で行うとしています。最近の解決事件のうち半数が3回以内の期日で解決していて、解決事件の67%が申し立て後100日以内に解決している、とうたっています。しかし、医療事故に対する申し立てが、そんなに早く解決できるものでしょうか。安価をうたっていますが、仲裁センターの手数料は決して安くはありません。実際、医療事故関係でどれほどADRが利用され、どのくらいの日数がかかり、どれほどの費用が最終的にかかったのか、それ以上にそのくらい和解成立成功率があるのか、データを見てみたいと思います。
医療事故調査委員会
2007年11月30日に出された「医療行為に係る死因究明制度のあり方に関する試案」、いわゆる厚生労働省の医療事故調査委員会に関する記事を読んで、医療の萎縮に拍車をかけるものだと感じました。その趣旨に書いてあることとは正反対の内容となっているように思います。
その趣旨には、「事故の原因究明・再発防止をはかり、医療の透明性・信用性を高める」「医療リスクに対する支援体制を整備し、医療従事者が萎縮することなく医療を行える環境を整える」などがうたわれています。しかし、「届け出および捜査」「民事手続き」「行政処分との関係」「刑事手続きとの関係」の項を読むと、少しでも医療行為が関与したと疑われるケースは、すべて訴訟の対象となり、この委員会がその土台をつくり、厚生労働省が判断する、というような内容に感じます。すでに医療訴訟の件数が増加する傾向にある中で、積極的な治療はやれなくなるでしょう。患者側(国民?)の要求を満たす法案を作ることで、逆に医療の本来あるべき姿「医療側と患者の信頼に基づく医療」がくずれる方向に向かうのではないかと疑問です。
「診療関連死の届け出を義務化し、怠った場合はペナルティを課する」としていますが、これが法律家されれば、とんでもない数の届け出がなされるのではないでしょうか。
2007年12月23日の新聞に「解剖医3年で15%減」という記事が載りました。法医学の専門家が減り、法医解剖医が1人という県が増えており、すでに1人もいない県もあるということです。届け出は増えるが、それを法医学的に検討する医者がいない。こうした状況は現在の何倍にも増えるでしょう。法医解剖医だけでなく、日の当たらない、採算の取れない医療現場で、奉仕の精神と義務感だけで頑張っている医療従事者を救済する方策のほうが、はるかに重要と考えます。
コメント