いつも母親教室でお話していることがあります。
それは「帝王切開であっても、とても立派な分娩だ」ということです。
意に染まない経過かもしれない、でもでも
陣痛は赤ちゃんにとって大変なストレスで、それだけでもめげて
亡くなってしまう赤ちゃんもいる。
あなたのお子さんはひょっとしたら、 陣痛に耐えられないお子さんかもしれない。
不必要な医療介入は当院ではしません。だけどもしもの時は
赤ちゃんの命をまもる方向で手を貸させてください。
帝王切開はお母さんには危険です。
痛みもよりつらいし、だんだん安全になってきているとはいえ
それでもなお、普通の分娩よりは危険です。
でもなんらかの事態で帝王切開を選ぶ時、赤ちゃんに格段の安全性があげられる。
ですから、赤ちゃんの危険性・痛みをお母さんが代わってあげる分娩なんです。
本物の医療をおこなっていくには
・医療の安全性を確保した上で
・各自の方法にはこだわらず
・前向きに現実を受け入れていく
・患者さんにも受入れやすいように説明しいたわってあげる
ことが基本なのではないかと思います。
では。コメント欄お楽しみください..。*♡
助産所の安全性確保についての議論
ある産婦人科医のひとりごと 2007/03/15
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2007/03/post_d6f6_7.html
資料ありがとうございます。興味深く読ませて頂きました。以前にも読んだことはあったのですが、いろいろと誤解していました。
院内助産院でも周産期死亡率は2倍ですか・・・。どこに差があるのでしょうね?分娩経過の管理からすると、院内助産院と日本の産科病棟ではさして変わりはないと思われますから、妊娠経過の管理でしょうか?超音波診断を助産師は行えないという状態で妊娠経過の正常を判断できるとは既に言えなくなっていますよね。院内助産院であれば測定自体は技師さんにしてもらえますが、それを判断するのが助産師であれば法律違反には違いないですね。
そうすると助産師外来は医師の外来業務軽減にもならないですね・・・。少しでも役に立てればと思っているのですが。
助産所を単体で残し活用するには、搬送先との提携はもちろんですが、助産師に技能習得を義務づけ、超音波診断等を用い産科の現状の感度で「正常からの逸脱」を発見できるようにする、会陰の縫合も自分でやる、など助産師が本当の意味で正常分娩を単体できるようにする必要があると思います。(教育は誰がするか?今の資格取得者をどうするか?即効性はないし、それで信頼できるかは別問題、等の問題がありかなり困難だと思われます。)
>「しかたないから産科に転院する、帝王切開もうける」
これは正常な感覚であれば誰だってそうです。自分と赤ちゃんが大切にし、自己管理を努力して行っていれば正常からの逸脱は心配だし、残念と感じるのは自然な感情でしょう。その気持ちに寄り添って「帝王切開に前向きに取り組もう」「帝王切開だったけど母子共に元気で良かった、この施設にきていいお産ができた」と思えるようにするのが産科での助産であり看護です。
異常なまでに助産院にこだわり、医療の介在を一切認めないと言い張る方については本人のパーソナリティーと搬送前の場所での教育に問題があると思いますが。
助産師を辞めさせない方法について一つ。
病棟の助産師たちに「辞めようとした時思いとどまった経験」の雑談アンケートの結果、全員が辞めようと思ったことがあり、思いとどまった理由は「産婦さまにありがとうと言われたこと」が全員一致で複数の経験があると回答されました。
ちなみに辞めようと思った理由は「妊娠・出産」「重症例に当たった」「先輩、医師との人間関係」「夜勤がきつい」「給料が毎年下がる」等雑多でした。
ほんとに単純ですよね・・・。お金もかからないしみなさん試してみてはいかがでしょうか?
>「しかたないから産科に転院する、帝王切開もうける」。これは正常な感覚であれば誰だってそうです。自分と赤ちゃんが大切にし、自己管理を努力して行っていれば正常からの逸脱は心配だし、残念と感じるのは自然な感情でしょう。その気持ちに寄り添って「帝王切開に前向きに取り組もう」「帝王切開だったけど母子共に元気で良かった、この施設にきていいお産ができた」と思えるようにするのが産科での助産であり看護です。
最初に「しかたないから~」と思うのは当然かもしれません。
ただ残念だというだけでなく、そこから一歩踏み込んで「帝王切開したから、元気な赤ちゃんを抱けた」と思える風潮だったらもっと幸せなのではないでしょうか。
助産院で産んでお子さんを亡くされた方のことを知って、自分は病院で帝王切開をできて本当にありががいと思った、という感想を読んだことがあります。
「自然」をもてはやすばかりでなく、医療によって救われている命があるんだということを、マスコミがもっと報道すべきだと思うのです。分娩方法にこだわる以上に大切にすべきことがあるのではないかと感じています。出産は新しい家族の始まりにすぎないのですから。