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(投稿:by 僻地の産科医)
以前、
でも取り上げたのですが、
食物アレルギーの話をアピタルがやっています。
第一話では粉ミルクの話。
乳幼児期発症の場合、重篤症状になるまで、
診断できないことが多く、
また食べさせるものがスゴク大変になって、
「おやつ」から「離乳食」に至るまで、
ほとんど手作りを強いられるので大変です。
ちなみに、私の場合は、忙しい勤務の中、
「お母さんは頑張らねばならない信仰」
があったので、離乳食とか手作りで、
市販を買ったりすることが(自分の中で)許されず、
メチャメチャしんどい思いをしました。
。。。そんなことしてなかったら、
自分が倒れたりはしなかったかな~
。。。今更だけど。
手抜きが出来る人は上手に手抜きをw。
産後うつ病の方々を何人も見てきた
今になっていえることですが、
確かに日本人には「完璧なお母さん」
神話がありすぎるんだと思うんです。
本題からずれましたねw。
アレルギーは死に至ることのある病気ですから、
本当に大変なんです。
子どもの病気 食物アレルギー:1
グラタン一さじで発作
朝日新聞 2012年1月26日
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201201250214.html
こんなに静かに眠り続けるものなんだろうか――。
神奈川県の女性(44)は12年前の出産直後、不思議な気持ちで次男を眺めた。「母乳が足りなそうなら粉ミルクを」という看護師の言いつけ通り、粉ミルクを与えた。大泣きしていた次男は、3時間以上眠り続けた。
退院後も変だった。粉ミルクを飲ませると、おなかに力を入れて真っ青になった。女性がコーヒー牛乳を飲んだ後に母乳を与えると、額に湿疹が出た。皮膚科医に見せたが、乳児湿疹と言われるだけだった。
事件は、生後7カ月を迎えた夏に起きた。当時住んでいた福岡県内の夫の実家で、女性はお盆料理の準備に忙しかった。泣き叫ぶ次男に母乳をあげたが泣きやまず、三つ上の長男用に作ったグラタンのホワイトソースをスプーンに一さじあげた。 その瞬間、次男の口からよだれが、どぼどぼあふれ出した。唾液(だえき)が広がった口の周りが地図のように赤くはれあがり、拭いても狂ったように泣き叫ぶ。 「これはおかしい」。20キロほど離れた病院に車で向かった。到着すると、皮膚の赤みはひいていた。「軽いアレルギーでしょう」と返された。
帰宅途中、コンビニに立ち寄った直後だった。次男の額がみるみる膨れ、体全身がはれあがった。「病院に引き返そう」。次男は途中で意識を失い、血液中の酸素が不足し顔がどす黒くなった。力の抜けた次男を抱いたまま、診察室に駆け込んだ。 医師が次男を刺激するため、体をたたきながら言った。「お母さん、駄目かもしれない」
「起きて、起きて」。次男を抱きかかえ、何度も揺さぶった。その瞬間、「ごほっ」とせき込み、顔色が赤く変わった。医師と一緒に、北九州市の国立小倉病院(当時)に向かった。
「食物アレルギーによるアナフィラキシーショックですね」
初めて聞く言葉だった。2日間入院し、アレルギーを起こす食品を調べる血液検査を受けた。牛乳と卵に高い数値が出た。「今後は、これらを除去した食事を用意して下さい」と医師に言われた。 ほとんどの食事に入っている材料だ。何を食べさせていけばいいのだろうと、途方に暮れた。(岡崎明子)
子どもの病気 食物アレルギー:2
食事が恐怖 もう限界
朝日新聞 2012年1月27日
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201201260199.html
生後7カ月でグラタンのホワイトソースを食べたのをきっかけに、神奈川県の女性(44)の次男(12)は、食物アレルギーと診断された。 女性にとって、「食事」は恐怖の時間となった。すぐに次男専用の調理器具と食器を買い、家族と分けて料理した。体に小さな赤い発疹が出るたびに心配になり、病院に連れていき数時間様子を見ることが続いた。
だが、アナフィラキシーショックの瞬間を見ていない家族からは理解されなかった。当時は福岡県内で、義理の両親らと同居していた。「次男に触る前は手を洗って」と言っても、「神経質に育てるな」と言われてしまう。心労も重なり、1カ月間で10キロ近くやせた。
次男が1歳3カ月のとき、夫(45)に転勤話が持ち上がった。神奈川県内に引っ越すと、翌日から激しいせきが出るようになった。食物アレルギーに加え、小児ぜんそくとの闘いも始まった。 年に5~6回、重い発作が起きると近所の病院に入院した。病院はアレルギー対応食を用意しないため、入院中は朝、昼、晩とお弁当を作って届けた。
合間にアレルギーの血液検査を受けるたび、ソバやゴマ、イチゴなど、様々な食品で高い数値が出た。数値は低かったが、「牛乳や卵が駄目なら、牛肉や鶏肉も駄目だろう」と食べさせなかった。
治療法を求め、買い集めた本や冊子の中に、アレルギーが出やすい食品の一覧表が載っていた。豚肉や、赤身の魚、野菜もトマトやナスなどは、アレルギーを起こしやすいという。 この一覧表の教えを忠実に守った。肉はウサギとカエルと馬肉のみ。魚はタイやキスなどの白身魚だけで、料理を作った。新鮮な魚を求め、毎日漁港まで買い出しに行った。次男は常におなかをすかせていた。
長男(15)にもつらい思いをさせた。誕生日のケーキは次男の目につかぬよう、隣の家で食べてもらった。
もう限界だと思った。次男が3歳のとき、思い切って主治医に相談した。「どこを目標に治療しているのかわかりません」
返ってきた医師の言葉に、絶句した。「医師を信じるか、信じないかは、宗教と同じです」
【おススメブログo(^-^)o..。*♡】
社会が押し付ける「良い親であれ」というプレッシャー
yuhka-unoの日記 2011-10-09
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20111009/1318152312
【おススメ記事】
〈放射能 本当のことを知りたい〉
三重大生物資源学部准教授 勝川俊雄氏 規制値内でも蓄積注意
中日新聞 2012年1月21日
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120123132615965
−食品による内部被ばくが心配です。公表されたデータや、勝川さんが調査した結果から、どんなことに気をつければいいといえますか。
「今起きていることは、チェルノブイリの後のヨーロッパと似ています。食物ではキノコ、ナッツ、ベリー類、淡水魚など、警戒すべきものはだいたい分かっている。淡水魚は普段イオンが少ない環境にすんでいるので、海水魚に比べてイオンを排出する仕組みが弱く、(水中でイオン化している)セシウムもたまりやすい。店で売っている魚は大丈夫でも、(福島周辺で)釣った魚を食べてしまうことで思わぬ内部被ばくをするおそれがあります」
「ただ1キログラム500ベクレルの川魚やギンナンを少量食べても被ばく量はしれています。セシウムは6万ベクレルの摂取で1ミリシーベルトの被ばくに相当します。年間の内部被ばくを0.1ミリシーベルトにしたいなら6000ベクレルが目安になる。ベクレルの総量を知ることが大事です。ほとんど食べない食品はあまり気を使わなくていい。コメのように年間60キログラムも食べるものは、規制値に収まる1キログラム100ベクレルであっても、年間6000ベクレルの取り込みになります」
−食品の放射能規制値が下がります。問題点は?
「食品の検査体制は見直しが必要です。放射線の量が小さくなるほど、検査のハードルは上がる。正確な測定には外部の放射線を遮断できるような専用の機器が要ります。検査には十分から20分かかり、測定する試料をミンチにしないといけない。機器も人手も限られているのだから、従来のように牛肉ばかり調べるのではなく、注意しなくてはならない食品を重点的に検査すべきです。国は、自治体任せにするのでなく、専門家を集めて効率的な検査体制を構築してほしい」
「汚染された地域は限定的です。食材や産地を選べば、内部被ばくは低い水準に抑えられそうです。どこまでリスクを避けるかは個人の判断であり、価値観の問題です。どう判断するにせよ、信頼できる情報が必要です。国や自治体は国民の食生活を守るという観点から、情報公開を拡充してほしい。生協や消費者団体が独自検査を始めています。公的機関とは独立の情報を市民の側から発信していくことも重要です」
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