(関連目次)→連載 弁護士が語る医療の法律処方箋
(投稿:by 僻地の産科医)
MMJ2009年3月号からですo(^-^)o ..。*♡
医師不足解消へ診療科に定員制 適正配置求め財制審提言
日本経済新聞 2009年5月26日
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090526AT3S2300K25052009.html
とか、
医師配置、新機関で…厚労省研究班が提言
読売新聞 2009年5月25日
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20090525-OYT8T00227.htm
とか、また変な説が出てきましたので!
しかしまぁ、強制配置でなんとかなるんなら、
やってみろといいたいところです(>▽<) ..。*♡
研修医制度ですでにパンドラの箱は開いたとおもうのですけれど。
だから、その後医師になる人たちが、
自ら『自分の教育に悪い場所』を選ぶとは思えません。
最後の一兵たりとも使い尽くす場所で、
さらに医局制度のように次の場所が保証されていなくて。
キチキチの場所に行くわけないと思いませんか?
勉強のためなら、定員を越えてでも、
たとえ無給でも働きたがるのが、
むかしから『医療職』ですもの。
医局制度の崩壊がこの事態を
もたらしたということが
わかってないなぁ。。。。(笑)
医師を配置規制してもよいのか
井上 清成 弁護士
(MMJ March 2009 Vol.5 N0.3 p184-185)
朝まで生テレビ!
テレビ朝日系2009年2月28日放映の田原総一郎氏の「朝まで生テレビ円で、医療崩壊がテーマとして取り上げられた。医師不足、医療費抑制などが議論されたが、一般視聴者に対してインパクトの強いものであったと思う。『誰が日本の医療を殺したのか』(洋泉社刊)の著者でもある本田宏医師の独壇場であった。
特に印象に残った点は、次のようなことである。
①厚生労働省は十分な情報を開示しておらず、医師数や医療費に関する不利な情報や統計を国民に知らせていないこともあったこと
②医療費亡国論は誤りであり、医療への投資は国民経済的観点から見ても、強い景気対策効果を有していること
③一般視聴者の多数意見としても、今や医療費の適正化が望ましいと考えられ始めたこと
などがテレビを通じて一般に伝わったことであった。
医師不足解消までの間は?
ところで、医師不足解消までの問は、当面どうすればよいのであろうか。この点については、ともすれば、「それまでの間は都市と地方に人数枠を作って、医師を計画配置すべきである」とか「診療科の間の偏りをなくすために、研修医を計画配置して教育すべきである」などという傾向の議論が生じかねない。「計画配置」という美しいネーミングで、国家による配置制限(規制、統制)が正当化されかねないのである。
何もわざわざ、国家・地方自治体による医師の配置制限を導入する必要はないと思う。逆に、一度でも導入してしまうと、,医師不足が解消されても、恒久的に配置制限は解除されなくなる。ちなみに、現在の研修医の都道府県枠の施策導入の動きは、配置制限への第1歩であろう。危うい動向かもしれない。
弁護士過疎の解消策が参考に
もしかすると、地方の弁護士過疎の解消されつつあるプロセスが参考になるかとも思う。それは、第1に、弁護士数の増加による効果が大きかった。第2に、各地の弁護土合や弁護士たちの自律的な動きと工夫に起因する。
つまり、根本的には、医師不足が解消しさえすれば、おのずと道は開けると思う。ただ、医師不足解消には時間が必要だが、ここで焦って将来に禍根を残す制度(たとえば、医師の配置制限)を招き入れてはならない。過渡期は、医療費増加とそれを利用したインセンティブの創出、そして、何よりも各医師や医師団体の自律的な動きと工夫でしのぐべきであろう。決して、厚生労働省や文部科学省の他律的な計画に頼り切ってはならない。
職業選択の自由
法原理的に考えると、医師には、職業を選択する自由が日本国憲法第22条1頂によって保障されている。医師という職業を選択する自由には、当然に、医師という選択した職業を遂行する自由も含まれているが、これを事業活動の自由(医業の自由)という。
医師の配置制限は、医師の基本的人権を制限するものである。したがって、それが「公共の福祉」の要請だというためには、十分に必要性があり、かつ十分に合理性がなければならない。ムード的な公共の福祉観や抽象的な公共の福祉論では足りないのである。
ちなみに、最高裁判所は昭和50年に薬局開設許可に地域的制限・距離制限をしていたことに対し、日本国憲法第22条1頂に違反するという違憲判決を出したことがあった。法律の世界では有名な判例である。それと類似する「医師の配置制限」を設けようというのであれば、よほどその必要性と合理性を検証しなければならないであろう。
より人権制限的でない代替手段
そもそも医療はきわめて公共的である。そのため往々にして、公共の福祉の名の下に、国家的統制がかかりかねない。現在までも、医師数抑制、医療費抑制、病床数制限など挙げると切りがなかった。
しかし、医師の配置制限はまだない。医師の基本的人権の制限に直結すると考えられたからである。もしも仮に導入するとしたならば、より人権制限的でない代替手段の手立てが尽きた場合に限るべきであろう。たとえば、医療費増加策や、インセンティブ政策や、医師・医師団体による自律的な活動・工夫は、より人権制限的でない代替手段である。各医師自身が国家に頼らすに自律的にこれらの代替手段を十分に模索し、それらの採否につき議論を詰めていくことがまずは期待されよう。
職業選択の自由に関して、昭和50年最高裁判決は規制の合憲性判断において、消極目的の規制と積極目的の規制ととにわけ、消極目的規制は規制の必要性・合理性の審査と、より緩やかな規制手段で同じ目的が達成できるかどうかの検討が必要であると明示した。消極目的規制とは主に国民の生命及び健康に対する危険を防止もしくは除去ないし緩和くするための規制です。
上記理由で医師配置規制は消極目的規制と判断し、他の手段を用い、つまり新臨床研修医制度の見直し等により立法目的が達成されると考えられ、私も医師配置規制は違憲と考えます。
頑張って下さい。
投稿情報: 吉田 俊平 | 2009年5 月29日 (金) 19:49