(関連目次)→医療事故安全調査委員会 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
女子医大事件と大野病院事件の二つの共通点
院内調査委員会の報告書が警察捜査の発端
医師逮捕の衝撃も
m3.com 2009年3月30日
橋本佳子編集長
http://www.m3.com/iryoIshin/article/94461/
すべては院内事故報告書から始まった――。
3月27日に東京高裁で、業務上過失致死罪に問われた佐藤一樹氏に無罪判決が言い渡された東京女子医大事件(「院内事故調が生んだ“冤罪”、東京女子医大事件」を参照)。
一方、2008年8月20日に福島地裁で判決があった、福島県立大野病院事件(『無罪の根拠は「胎盤剥離の中止義務なし』を参照)。業務上過失致死罪に問われた産婦人科医は無罪となり、検察は控訴せず、一審で確定した。
いずれの事件も、医師法21条に基づく異状死の届け出はされなかった。病理解剖も行われていない。警察の捜査の発端になったのは、「事故の原因究明」の名目で設置された院内事故調査委員会の報告書だ。報告書にはいずれも、医師の過失を示唆する記述があったからである。
警察の捜査後、「医師の逮捕」を経て、起訴に至ったことも共通点だ。報告書などを基に警察による医師をはじめとする関係者への事情聴取が行われ、カルテなど関係書類も押収されたにもかかわらず、である。本来、逮捕は証拠書類を隠蔽するなどの恐れがある場合に行われるものだが、「もはや何も隠すことはない」と思われる状態での逮捕。医療事故での医師の逮捕は異例だけに、両事件ともマスコミで大々的に取り上げられた。
院内事故調査委員会の結論は裁判で否定
女子医大事件で、患者が死亡したのは2001年3月5日。「死亡原因調査委員会」の第1回会議は2001年6月30日に開催された。メンバーは、当時の副院長(泌尿器科教授)のほか、同大の麻酔科教授と、付属青山病院院長(専門は循環器内科)の3人。報告書は、約3カ月の検討を経て10月3日にまとめられた。
続く2002年4月18日には、学外の立場から公平な検証を行うことを目的に、「医療安全管理外部評価委員会」が設置された。メンバーは4人。北里大名誉教授(元日本医師会副会長)の小児科医が委員長で、弁護士2人(元福岡高検検事長、元日本弁護士連合会副会長)、テレビ局解説委員という顔ぶれ。「中間報告」は同年8月16日に公表された。
2002年9月22日に初公判。業務上過失致死罪に問われた佐藤一樹氏については、2005年11月30日に一審判決、2009年3月27日に控訴審判決があり、それぞれ無罪が言い渡された。
2つの事故調査報告書、2つの判決における死因を要約すると、以下のようになる。
「死亡原因調査委員会」(2001年10月3日)
死因は脱血不良による脳循環不全による重度の脳障害。その原因は、(1)吸引ポンプの回転数を上げたままで人工心肺が作動していたことによる脱血回路内の圧上昇、(2)陰圧吸引補助脱血回路のフィルターの目詰まり、の2つであるが、(1)が基本で、(2)は促進因子。
「医療安全管理外部評価委員会」(2002年8月16日)
「学内調査委員会(=上記の死亡原因調査委員会)の報告書を検証したが、その結論を否定ないし疑うべき事実は認められない」とした。付加事項として、「手術時、胸骨部分小切開を選択したことが、術野の狭さや脱血カニューレ挿入位置の問題も生じさせたことが挙げられる」などと記載。
刑事裁判・一審判決(2005年11月30日)
脱血カニューレの位置が浅すぎるなど、カニュレーションに不具合があった可能性は低く、人工心肺回路内に発生した水滴等によるガスフィルターが閉塞したことで脱血不良が生じた。
刑事裁判・控訴審判決(2009年3月27日)
人工心肺回路内が陽圧の状態になったことによる脱血不良の状態が、被害者に致命的な脳障害を発生させる原因となったと認定するのには疑いを抱かせる事情がある。脱血カニューレの位置不良で、上大静脈の脱血不良が長時間にわたって継続したことが原因。
一審で学内の「死亡原因調査委員会」の結論が覆った要因として、佐藤氏の逮捕・起訴とほぼ同時期に日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会の3学会による人工心肺装置に関する検討委員会が発足、実験を重ねたり、裁判所なども女子医大などで脱血不良の原因等について実地検分を重ねたことが挙げられる。
一方、大野病院事件では、病院の設置主体である福島県が事故(2004年12月)後に調査委員会を設置し、2005年3月に「帝王切開手術を担当した産婦人科医が無理に胎盤を剥離したことが大量出血を招き、それが死因である」などとする報告書をまとめている(報告書については「事故報告書は再発防止が目的、法的意味なし」なども参照)。この調査委員会のメンバーは、福島県立の病院に勤務する二人の産婦人科医と、福島県立医大の産婦人科医の3人だった。
女子医大と院内事故調査委員会の責任者を訴える
二つの事件は、医療事故の原因を医学的に調査することの難しさ、また目的が曖昧な、安易な医療事故調査の危険性を改めて浮き彫りにした。
「患者にいかに説明するかの以前の問題として、死亡原因は何かを明確に同定する必要がある。女子医大は、心臓外科医を故意に外して調査を行った。これは非常に問題。人工心肺装置はかなり専門的なものであり、専門家の手によって原因究明がなされなければならない。これは患者に正確に報告する、また再発防止のためにも当たり前のこと。これがなされなかったのは、女子医大は何か“無理なパワー”を働かせたためではないか、と私は感じている」(佐藤氏)。
佐藤氏は東京女子医大と、「死亡原因調査委員会」の委員長を相手取り、一審判決後の2007年2月、損害賠償を求めて提訴している。一方、大野病院事件では、県は否定しているものの、担当医の所属医局の教授は、「県が遺族への補償を行うための院内調査報告書(「佐藤章・福島県立医大教授が判決直後の真情を吐露」を参照)」としている。報告書は、担当医の過失と受け取られかねない内容になっていた。
昨今、医療事故の原因調査のための第三者機関、“医療事故調”についての議論が進んでいるが、第三者機関の必要性と同時に、院内での調査の必要性は多くの医療者が指摘するところ。しかし、(1)どんな事例について、院内事故調査委員会を立ち上げるか、(2)委員の人選など運営体制をどうするか、(3)組織の利害などを超えて、いかに医学的に中立・公正な調査を行うか、(4)その目的や結果の扱いをどうするか、といった点についての幅広い関係者によるオープンな議論はあまり行われていない。
現在、厚生労働科学研究「院内事故調査委員会の運営指針の開発に関する研究」が進められているが、今年1月24日の「中間報告」の時点では、班員の間でも意見が分かれ、問題の難しさが伺える(『“院内事故調”の厚労省研究班、中間報告が「個人案」』を参照)。本研究の報告書は4月上旬にまとまる予定。この報告書、さらには今回の女子医大事件や県立大野病院事件などの教訓を生かし、議論を深めることが重要だ。
控訴審で一審同様に無罪判決
事故調・一審判決の死因は否定
m3.com 2009年3月30日
橋本佳子
http://www.m3.com/iryoIshin/article/94460/
「無罪判決を言い渡した原判決は結論において正当である」
3月27日、東京女子医大事件の控訴審判決で、東京高裁はこう判断、医療事故で業務上過失致死罪に問われていた医師、佐藤一樹氏に無罪判決を言い渡した。
2005年11月30日の一審判決と同様に無罪だった控訴審判決の最大のポイントは、患者の死亡原因が一審判決と異なる点だ。
弁護人の二関辰郎氏は、「推測」と前置きした上で、一審と控訴審の判決の相違について、こう語った。「この事件の執刀医は証拠隠滅罪で有罪になっている。自分の犯罪の隠滅ではこの罪は成立せず、佐藤氏の業務上過失致死罪が成立することで有罪となる。この判決を出した裁判所自体が、『実は執刀医が悪かった』とは言えなかったという構図がある」。
控訴審では院内事故調査・一審とも異なる死因
東京女子医大事件とは、2001年3月、同大の日本心臓血圧研究所(心研、現在は心臓病センター)で当時12歳の患者が心房中隔欠損症と肺動脈狭窄症の治療目的で手術を受けたものの、脱血不良で脳障害を来し、術後3日目に死亡したという医療事故。
人工心肺装置の操作ミスが原因であるとされ、操作を担当していた佐藤氏が業務上過失致死罪で、また医療事故を隠すためにカルテ等を改ざんしたとして執刀医が証拠隠滅罪で、2002年6月に逮捕、翌7月に起訴された。執刀医に対しては、2004年3月22日に懲役1年執行猶予3年の有罪判決が出ていた(控訴はなく確定)。
佐藤氏の起訴事実は、「人工心肺装置を高回転で回したことにより脱血不良を来し、その結果、脳循環不全が生じ、重度の脳障害で死亡した」というもの。
しかし、一審判決では、水滴等の付着による回路内のガスフィルターの閉塞が脱血不良の原因であるとしたが、その機序は予見できなかった(予見可能性の否定)とし、佐藤氏に過失はないとした。
さらに、控訴審判決では、上大静脈の脱血不良は、ガスフィルターの閉塞ではなく、「脱血カニューレの位置不良」であり、それが原因で循環不全が起こり、頭部がうっ血し、致命的な脳障害が起きたとされた。この「脱血カニューレの位置不良」は、人工心肺装置を操作していた佐藤氏の行為に起因するものではなく、その責任は執刀医にある。
刑事事件における過失は、簡単に言えば、死亡原因と医師等の行為との間に因果関係が存在するか、因果関係がある場合に予見が可能であったか、という論理で判断される。控訴審判決では、予見可能性を議論する以前に、患者の死亡と佐藤氏の行為に因果関係がない、とされたのである。
一審では、佐藤氏と執刀医の公判は最初は一緒に行われ、途中から分離した経緯がある。しかも、執刀医の判決は、佐藤氏の一審判決よりも約1年半早く言い渡されている。
この事件の発端は、女子医大が設置した院内事故調査委員会の報告書(「女子医大事件と大野病院事件の二つの共通点」を参照)。この報告書を基に、警察の捜査、起訴が行われた。「脱血カニューレの位置不良」と患者の死亡との間に因果関係があるとしても、執刀医に業務上過失致死罪が成立するかどうかはさらなる検討が必要だが、仮に最初の院内事故調査で「脱血カニューレの位置不良」という結論が得られていれば、また別の展開になったはずだ。
「事故調査では当事者の意見聴取は必須」
「そもそも因果関係なし」とされた控訴審判決を受け、主任弁護人の喜田村洋一氏は、判決後の記者会見で、「裁判所に『因果関係がない』と判断されるような、誤った起訴を検察がしてしまったことが、本件の最大の問題。無罪になったものの、2002年の逮捕・起訴から、約6年半も経過した。長い間、被告人という立場に置かれていた。無罪になったものの、依然としてマイナスの状態」などと問題視、検察に慎重な態度を求めた。
また、佐藤氏は次のように語った(主要なコメントを抜粋)。
「一審の無罪判決後、ブログで主張してきたことがほぼ100%認められた判決。医療事故においては、原因究明と再発防止が非常に重要だが、そこまで踏み込んだいい判決文だと思っている。。
裁判長が最後に『医療事故にかかわった一人として、またチーム医療の一員として、この事故を忘れずに今後を考えていただきたい』と言った。裁判長が言う死亡原因に対する再発防止についてはブログでも主張してきた。また今年10月の日本胸部外科学会の医療安全講習会の講師を私は務める。『院内事故調査報告書について』というテーマで、心臓外科医として死因はどうであったか、今後の再発防止にはどうすればいいかを学術的にも発表していく」
「“医療事故調”のことをよく聞かれるが、大きく二つ、細かいことで一つお話したい。まず医師の自立”と“自律”が求められていること。医師にとっては自分たちの仕事に没頭して、一生懸命に患者を治すことが美徳であり、当たり前だった。しかし、社会の構成員としての立場は取ってこなかった。何かあるとすべて厚生労働省に丸投げしてきた。“医療事故調”はその最たるもの。丸投げしたために、厚労省がやっていたら、こうした事態(長年、検討しても議論が前進しない状態)になってしまい、混乱している。これは医師の自立性がなかったことに端を発している。
また、『原因究明は医師だけに任せられない』という話になっているが、本来、医学の専門家である医師がやるべきものだと思う。それに対して異議が出されているのは、医師の自律性が社会に認められていないことの表れではないか。われわれの反省として、この“自立”と“自律”に対して真摯に考えていかなければならない。
もう一つは、“医療事故調”そのものの問題として、目的があまりに大きすぎること。原因究明、再発防止、患者への説明、事故への制裁、すべてが一緒になっている。私が逮捕された前後の時期、メディアで医療事故が多数報道され、しかもそれを書けば喜ばれた。次第に『それはおかしい』とブログなどで医師が声を上げるようになった。今に至っては、医師、法律家、メディアなどのコミュニケーションが様々な場で行われるようになった。それにより、恐らく刑法、特に業務上過失致死罪で医療事故を再発防止したり、社会的に制裁を加えるのは適切ではないとの判断を皆がするようになった。
こうした中で、厚労省の“医療事故調”の検討会(2007年4月に発足)の座長に就任したのが、刑法の専門家の前田先生(首都大学東京都市教養学部長)。これは検討が始まった時点から設定がおかしいと思っている。
厚労省の“医療事故調”の大綱案(2008年6月の「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」)で唯一、これだけは守ってもらいたい、いいことが書いてあると思ったのは、第21(「地方委員会は、医療事故調査を終える前に、当該医療事故死等の原因に関係があると認められる者及び当該医療事故死亡者等の遺族に対し、意見を述べる機会を与えなければならない」と記載)。私の事件も、大野病院事件もそうだったが、院内調査委員会報告書や外部調査の報告書では、かかわった医師の意見を聴取することはなされていない。私の場合、報告書を作成すること自体、知らされていなかった。知らされたのは、患者のご家族に渡された後のこと。したがって、細かいことだが、第21の部分だけは評価できるという立場を取っている」
「なぜ亡くなったのかを知りたいという思いを、裁判所が示してくれたことは、ご家族への礼儀になったのではないかと思う。女子医大が作成した内部報告書は、患者さんの死因を科学的に考えなかった、あるいは根拠なく書いてしまった。その態度を女子医大に反省していただきたい。僕も同じ病気(心房中隔欠損症)だったのであり、子供を亡くす親の気持ちははかり知れないものがある。せめて今回、死因が分かったということに関してはご家族にもほんの一部だが、納得ができたのではないかと思っている」
「医療者と検察官に大きな宿題を投げかけた判決」
m3.com 2009年04月01日
橋本佳子
http://mrkun.m3.com/mrq/top.htm
先週3月27日、東京高裁で、東京女子医大事件で、心臓手術時の医療事故で業務上過失致死罪に問われた佐藤一樹医師に無罪判決が言い渡されました。
昨年8月に福島地裁で判決が出た「福島県立大野病院事件」の弁護人の一人、安福謙二弁護士(「スペシャル対談(佐藤教授・安具福弁護士) 」などを参照)から本判決についてコメントをお寄せいただきましたのでご紹介します。
「福島県立大野病院事件」の弁護人・安福謙二弁護士より
東京高裁が、このような判決を書くことに、言いしれない感動があります。時に「東京地検の後見裁判所」「東京地検高裁出張所」などと陰口を言われてきた東京高等裁判所刑事部が、かくも適切かつ知見にあふれた思考方法を取り、検察的思考方法や証拠評価方法を退けたところに感動を覚えるのです。
この判決は、検察官に対し、「何をやっているんだ。おまえは!」と言っているようなものです。すなわち、患者の死因と被告人医師の行為との因果関係を否定した、その前提として死因を医学的に検討し、その理由を丁寧に検証した跡がうかがわれるからです。
その結果、死因に結びつく医療行為があるとしたならば、それは、術野での脱血カニューレの処置にあったとしました。これは、言い換えれば、しっかりとした医学的検証を行えば、起訴時点でも言えることでしょうが、遅くとも、検察は控訴段階では、この程度の検証はするべきであったし、できたはずということです。あるいは、それは認識したのに、いつもの甘えで控訴したか、認識することもできないほどに愚かなレベルに検察があるのかということです。
私は以前、ある勉強会でこの地裁判決を取り上げたことがあります。同時期に慶応大学病院で使われていた人工心肺装置と比較して、女子医大のそれがお粗末なものだった、というが記憶にあります。
欠陥車を運転していた人が、欠陥車であるという認識を持つ間もなく、事故を起こしたとします。それを、運転の過失として起訴したような馬鹿馬鹿しい事件との記憶です。今回の高裁は、傍論ですが、丁寧にこの点についてもまた検討し直していますが、これを指摘されたことで検察は、二重に見識のなさを指摘された感があります。
この判決は、検察だけではなく、医療者に対しても大きな宿題を投げかけました。
福島県立大野病院事件もそうですが、医療事故調査の恐ろしさを改めて感じるとともに、そのような調査報告を出した方々への問いかけ、あるいはなぜ、そのような報告書が出たのか、その事情の検証が必要でしょう(編集部注:二つの事件ともに、院内事故調査報告書をきっかけに警察による捜査が開始)。
何のための事故調査か。このような調査報告では、遺族に対しても重大な裏切り行為ではないでしょうか。
また、その報告書を書かれた方が医者、医療者である一方、それを刑事裁判で弁護人が反論し、裁判官が間違いと断定したわけですが、皆、医療の素人であった。ということは、やはり、「医療事故調査は医者には任せられない」ことを意味するのでしょうか。これは患者・家族のためにもそうですが、何より「医者を守るため」にです。
医学者、医者、医師会、医学会の方々へお尋ねしたい気持ちです。「仲間を守るために医療事故を隠してきた」との批判がありますが、いったい何を守り、何を隠してきたのか。そして、何を調べてきたのか。
佐藤医師も加藤医師(県立大野病院事件)も医者仲間により、刑事被告人席に座らされ、苦しい人生の一時期を過ごさねばならなかった。その不当な状況から救い出したのは、司法です。現在、“医療事故調”の議論が進んでいますが、そのきっかけの一つに、医療事故が刑事事件化することへの懸念があります。しかし、今回の判決は、医療事故の刑事事件は意義がある、従来の形での医療事故調査と裁判システムの方がまだましである、ということを意味しかねません。同時に、今のままの議論での医療事故の調査制度では、再び刑事被告人を作り出すことになりかねないことを示唆しています。
コメント