(関連目次)→医療事故安全調査委員会 各学会の反応
(投稿:by 僻地の産科医)
中央公論2009年3月号ですo(^-^)o ..。*♡
。
“がんで死ぬ県、治る県”に
「何が書いてあるのかな~」
とおもって買ったのですけれど、
小松先生の論文を発見(>▽<)!!!
> 医療裁判を混乱させている一因は、
> 医療現場の実情から乖離した鑑定にあるが、
> その多くは大学教授によるものである。
> 地に足のついた判断という点では、
> 学会よりむしろ医師会が優れている。
とか、
> 今、必要とされるのは、処分を受ける側の
> 現場の医師による地に足のついた議論
のくだりは、言葉にできなかった私のもやもやを
上手に表してくれた文章だと、感じ入りました!
そして、
最後の
「終わりに」のくだり、私大賛成です
処罰だけでは医療事故はなくならない
医師の適性審査と自律処分制度を導入せよ
(中央公論 2009年3月号 p198-205)
虎の門病院泌尿器科部長
小松秀樹
厚生労働省は、医療版の事故調査委員会である「医療安全調査委員会設置法案(仮称)」の大綱案を二〇〇八年、発表した。この大綱案では、事故の疑いがあるものを含む広範な死亡例の報告が義務付けられ、しかも、調査報告書が行政処分や刑事処分に利用される。これに対し、現場の医師から、医療安全のための調査と医師の処分は分離すべきだとする反対論が強まった。医師の処分については、議論の蓄積が少ない。広範な議論を行う必要がある。
私はかねてより、日本の医療再生のためには、医師の団体が医療の質保証に本気で取り組むこと、特に、その一環として、医師の適性審査と自律処分制度を確立することが必須の条件であると主張してきた。
自律処分割度は、医師、研究者らが参加する「医療の質・安全戦略研究会議」(厚生労働省の資金による)の主要なテーマの一つである。法制度については相当量の情報が収集された。しかし、患者側にどのように評価されているのか、医師にどのように評価されているのか、弊害を含めて医療にどのような影響を与えているのかなどについては、これまで情報を得ようとしてこなかった。
私は、この会議で、具体的な制度の枠組みを提案した。日本の現状を出発点にして、可能な限り立法措置を必要としない制度とした。従来の処分制度はそのまま存続させ、それに自律処分を加える形とした。
国によって異なる自律処分制度
自律処分として、日本の多くの医師がイメーシしているのは、イギリスの総合医療評議会 GeneraI Medical Council(GMC)であろう。イギリスでは、GMCが医師の登録を担当しており、医師として活動するには、GMCに加入しなければならない。GMCは医師の年会費で運営される。卒前、卒後教育、登録、医師の適性審査と処分を責務としている。処分の目的は、患者保護とされる。医療従事者や患者からの苦情を受けて、医師の適性審査を行う。その結果によって、戒告、免許の制限、停止、取り消しなどの処分を科す。
医師の処分制度は、国によって大きく異なる。金沢大学の野村英樹氏は、医療の質・安全戦略研究会議に提出した資料において、医師の質保証の制度設計を、規範設定、医籍び録、調査、懲戒の役割分担から、以下の四つに分類した。
①単一の専門職組織
イギリスではGMCが担当。
②複数の専門職組織
ニュージーランドではニュージーランド医療評議会が規範設定と登録、専門職行動調査委員会が調査、医療専門職裁判所が懲戒を担当。
③行政組織、専門職組織に分散
オランダでは教育機関が規範の設定、保健福祉スポーツ省専門職医療従事者中央情報センターが免許・登録、苦情委員会が調査、医療懲戒臨床医会が設置する懲罰審議会とオランダ医療監察局が懲戒を担当。
④行政組織
ノルウェーでは中央政府による一括担当(国立医療法規監督署)。
制度はそれぞれの国で時々の状況に応じて、歴史的に形成される。ヨーロッパで統一されていないのは、どの国の制度にも利点、欠点があるからだろう。
日本の現状を基礎にした
適性審査と処分の提案
日本で自律処分制度を創設するとすれば、規範の立派さや整合性だけでなく、適切に機能するか、制度設立の合意に達することが可能か、医療提供体制を損ねないかという観点からも議論しなければならない。
本稿を書くにあたって、小松試案「医師の適性審査と処分」を提示する。この試案は議論を開始するためのものであり、最終案として提示するわけではない。論点を明確にするために、意識的に、GMCの対極の案とした。処分は、権力の集中を排するために、一元的ではなく、複数の制度と複数の主体が関わるようにした。欧米の制度の模倣ではなく、日本ですでに実施されている処分をそのまま活かそうとした。病院における処分と保険審査を重視した。
病院における処分は勤務医が対象となる。病院では、公に出ない形で、相当数の医師を実質的に処分している。双方納得ずくの処分はそのまま活かすべきである。また、必要ならば、処分を適正に行うために、第三者による適性審査を処分の前に実施すればよい。
日本では、保険診療が適切に行われているかどうか、都道府県ごとに、社会保険事務所で審査している。この保険審査では、包括医療を除いて、日本で実施されている大部分の診療内容がチェックされている。○八年六月、作り置きの点滴で腰痛患者が細菌感染のために死亡した事件が報道された。点滴静注は経口摂取ができなかったり、脱水になったりした患者のためのものである。あるいは、多くの抗癌剤のように、投与経路が静脈内に限定され、投与に一定時間をかける必要がある場合である。私には、腰痛の治療に点滴が必要とは思えない。保険審査では診療機関ごとの治療行為が把握できるので、腰痛患者の大部分に点滴が実施されていれば、簡単に気付く。この報道が真実だと仮定しての話だが、保険審査を医師の適性審査につなげることで、この事件は防止できたはずである。
保険審査でこれまで処分の対象となってきたのは不正請求である。実際に実施していない診療に対し医療費を請求するもので、金銭上の問題である。県の社会保険事務局が処分を決定してきた。保険医登録取り消し処分を受けると、実質的に医師として働けなくなる。
小松試案では、診療内容に問題があり注意をしても改善されないときは、保険審査担当医師が、適性審査委員会に審査を求める。審査委員会は、医療に問題があると判断した場合、問題の程度によって、審査結果を公表する。不適切な診療行為を制御することができるよう公表方法を工夫する。
保険医登録についての処分は慎重に行う必要がある。社会保険事務所が医療費削減の道具として処分を濫用すれば、医療を荒廃させる。また、保険審査は私的な制裁手段ともなりうるので、政治的対立や個人的対立がないことを確認して、人権侵害が生じないよう注意しなければならない。
医道審議会による処分は、小松試案の適性審査とは切り離している。医道審議会は厚労省医政局が事務局を担当し、事務局主導になっている。慈恵医大青戸病院事件の報道の嵐の後、厚労省は、実質的に、刑事事件の判決を待たずに処分することを医道審議会に指示し、医道審議会は抵抗することなくこれに従った。過熱報道で安易に基本方針を変更するとなると、処分機関としての信頼性、安定性を欠く。医道審議会に大きな役割を与えることは危険を伴う。従来どおり刑事裁判の判断を踏襲する形で、処分を行うにとどめるべきである。しかも、福島県立大野病院事件で、医療に対する刑事処罰の考え方が揺れ動いている。刑事司法が落ち着く前に、医道審議会の役割を変更しないほうがよい。
試案の最大の論点は、適性審査を通しての医師免許の取り消しなど重い処分がないことであろう。規範として立派にみえるものにするためには、明確な排除の規定が欲しくなる。医道審議会を専門職団体が取り仕切る、あるいは、医道審議会を廃止して、新しい強力な自律処分制度で、医師の排除処分を整備するのも一つの案である。ただし、大きな制度改革が必要であり、結果として新たな権力を生む。うまくいかなかったときの弊害も大きい。
○八年十月十九日、東京で、前英国医師会会長ブライアン・ジャーマン卿が、専門職の質保証について講演をした。この講演スライドの翻訳と専門雑誌の記事からうかがえるイギリス医療の状況を通じて、GMCの処分制度が、イギリス医療崩壊のI因になっている可能性が高いと思うに至った。
試案では制度改革を小さくすること、軽い処分を中心にすることを念頭においた。小さい制度にはそれなりの利点がある。制度を創設しやすく、変更もしやすい。また、処分として重いものを中心におくと、手続きがそれに引きずられて重いものになる。また、処分の重さのために、必要な処分が避けられることになりかねない。
適性審査対象の中核をどこに想定すると、医療の改善幅が大きくなり、弊害が小さくなるかを考える必要がある。いずれにしても、適性審査は復讐ではなく、医療の質を保って患者を守ることが目的である。被害のない事例も処分の対象となる。戒告―再教育と処分の公表を組み合わせるだけで相当な効果が得られよう。
医道審議会はそのまま残る。医師免許の取り消しは、医道審議会で実施すればよい。免許取り消しは医師にとって極刑である。この重さには、刑事裁判の重い手続きがふさわしい。
実現に向けて
自律処分制度を創設するには、自律を担う団体が必要である。現在の日本医師会は、開業医の利益を主張する団体とみなされている。日本医師会が自律処分の担い手となることを勤務医が受け入れるとは思えない。逆に、学会の連合体が適性審査を担うとすれば、開業医が受け入れるとは思えない。適性審査には、理性に裏打ちされた自立した個人の判断が必要になる。しかし、学会や大学では、ときに、実体を伴わない規範が一人歩きする。医療裁判を混乱させている一因は、医療現場の実情から乖離した鑑定にあるが、その多くは大学教授によるものである。地に足のついた判断という点では、学会よりむしろ医師会が優れている。
幸い、公益法人制度改革関連三法が○八年十二月一目に施行された。公益法人は不特定多数の利益の増進のために活動しなければならない。日本医師会の従来の活動は、不特定多数の利益の増進のためだったとは言い難いと考える。それでも、日本医師会はこれまでの組織形態と活動を継続するという意思を明らかにしている。
日本医師連盟は日本医師会のいわゆる「政治部門」であり、特定政党に献金を続けてきた。○八年十二月時点で、役員は日本医師会と完全に一致している。日本医師連盟が、総選挙で自民党を支持することを発表した○八年九月十八日の記者会見は、日本医師会館で行われた。日本医師会常任理事の文章によると、役員数についての三法の要求を表面上満たした上で、日本医師連盟は今までと同じような政治活動を継続するという。これが社会に通用するとは思えない。開業医の利益を組織的に主張するとなれば、公益社団法人ではなく、一般社団法人に移行せざるをえないのではないか。
公益法人としての医師の新組織創設のチャンスである。新組織は利害を主張せずに、質の高い医療の公平で継続的な提供のためだけに努力する。この組織が、医療の質保証の一環として、医師の適性畜舎を引き受けると納まりが良い。新組織を作る過程には、開業医、勤務医、病院団体、日本医師会、学会が参加することになる。医師全体に聞かれた議論を通して合意を形成しなければならない。
公益法人は、適性審査を引き受けるにしても、強制力を持てない。ただし、工夫すれば、新たな立法措置なしに審査することも可能である。病院の内規で医師の適性審査を審査機関に依頼するような形がありうる。雇用契約で、必要に応じて公益法人の適件審査を受けることを医師に求めてもよい。聴き取り調査に応じなかったことの公表も行動の制御方法になりうる。
仮に、法律で調査権限を付与するとしても、委員の人選は行政から離して、公益法人が担うべきである。ただし、可能な限り立法に頼らず自律で対処するほうが、社会からの介入を受けにくいので、安定的な運用ができる。
今、必要とされるのは、処分を受ける側の現場の医師による地に足のついた議論である。現場を離れた安全地帯にいる医師が立案した処分割腹は、語義からも自律処分制度ではなく、説得力と正当性を持ちえない。研究者の役割は、医療における正義を先頭に立って主張することではなく、議論を尽くすために必要な材料を、偏ることなく準備することにとどめるべきである。
現場の医師と研究者では、ものの見え方がかなり異なる。研究者はしばしば翻訳者であり、日本に特有の現象まで、英語に当てはめてから理解しようとしがちである。欧米の制度を、状況が全く異なる日本にそのまま持ち込もうとすることもある。イギリスの医療、アメリカの医療が全体としてみれば日本よりはるかにひどいという事実をしばしば忘れる。イギリスの医療の悲惨な状況を見ているイギリス在住日本人や、アメリカ医療で天文学的金銭を請求されて奈落に突き落とされた日本人には信じられないことに違いない。
考え方の変遷
私はここ数年医療について考え続けてきた。医師の処分については、『医療崩壊「立ち去り型サボタージユ」とは何か』(朝日新聞社 二〇〇六年)に書いた内容と、考え方を変えた。当時、事故調査委員会の調査結果を使って、多様な背景の委付か協議し、行政処分を適切に決定すると安易に書いてしまった。甘い期待を排除しきれていなかった。人間の政治行動は、歯止めがなければ必ず暴走するという歴史的事実を前提に組み込んでいなかった。調査権、処分権は強大な権力を生む。激しい対立構造の中で、問題を一元的に解決することは、圧制の原因になり、医療を壊す。制度が設計時点の期待どおりに機能することはめったにない。害が少ないことを第一に考えるべきである。そのためには、制度を大きくしすぎないこと、権力を集中させないことと、チェック・アンド・バランスを常に働かせることが肝要である。
裁判所が立法、行政から独立しているのは、権力の横暴を防ぐためである。裁判の重い手続きは、基本的人権を守るためである。行政処分や、自律処分では、重い処分を下すための手続きの正当性を担保するのは難しい。重い処分はこれまでどおり、裁判所に任せるほうが、害が少ない。裁判所の判断に問題があるのなら、現場で医療を担っている保守本流の医師が、現場の実情を伝えて、裁判所の判断を支えるべきである。このような活動を、公平性を担保しつつ、手助けするのも、新しく創設される医師の公益法人の役割であろう。
終わりに
自律処分制度は、諸刃の剣であり、医療の発展と破壊のいずれの原因にもなりうる。害を小さくするためには、小さな制度をとりあえず立ち上げて、その後、多段階で少しずつ修正していくべきである。自律という観点からは、可能な限り立法措置にたよらない制度が望ましい。
こまつひでき
一九四九年香川県生まれ。東京大学医学部卒業後、山梨医科大学(現・山梨大学医学部)助教授などを経て、九九年より現職。二〇〇六年『医療崩壊「立ち去り型サボタージュ」とは何か』で病院医療の危機を訴え、話題に。近著に『医療の限界』がある。
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