(関連目次)→産科医療の現実 女性勤務医の労働条件 目次
(投稿:by 僻地の産科医)
産婦人科女医の現実がここにあります。
上と下、両方の記事を見比べてみてください。
批判するわけではありませんけれど、
結局、女医で当直をできる産婦人科医というのは、
ただ単に環境に恵まれているだけなのだと思っています。
または無理に自分の何かを削り取っているのです。
私もその一人ではありますけれど、
「それが家族にも自分にも、幸せな選択かどうか」
と問われると、
「まったく幸せな選択ではない」
と自信を持って答えられます。
友達の産婦人科医は、妊娠20週後半に、
広汎子宮全摘の手術中に出血し、そのまま切迫早産にて入院。
広汎子宮全摘を組む上司に対して怒りを覚えました。
上司であった女性医師は、妊娠30週前後で、
HELLP症候群となり、出産を余儀なくされ、
あれほど望まれたお子さんは結局、還らぬ人になってしまいました。
今度部下になる女医さんも、妊娠高血圧症にて、
緊急帝王切開になっています。
いずれもギリギリまで自分で背負い込み、
無理をしなければならない「神話」のような強迫観念が、
彼女達にそういった選択をさせるのです。
妊娠は、病気ではありませんが、
正常な状態でもありません。
だからちゃんと、無理すぎる勤務はやめましょうよ?ね?
続かないですよ?
【ちょこっと関連記事】
非人道的医療派遣
ssd's Diary 2009年2月12日
http://ssd.dyndns.info/Diary/?p=3149
産婦人科医としての妊娠・出産・育児について
北海道社会事業協会小樽病院
産婦人科医長
山 中 雅
(平成21年2月1日 北海道医報 第1085号 p17)
私は現在小樽協会病院に勤務している9年目の産婦人科医です。夫は同じ病院の産婦人科部長で、平成19年12月に第一子を出産しました。妊娠中のことは思い出すだけで苦しくなります。当時私の待機当番は月8回程、全館当直は月1回ありました。つわりによる嘔気と全身倦怠感が辛く、全館当直は妊娠5カ月で免除していただきました。当番はお産がメインで特に深夜帯に呼ばれることが多く、つわりの頃は本当に苦しいものでした。妊娠中期になると下肢の浮腫が出現し、手もむくんで両手指半分は痺れて感覚がなくなり、親指を曲げると激痛が走りました。分娩後の縫合に手間どり、手術は主に助手にしてもらいました。
私達は恵まれた産婦人科医4人体制ですが、大学の産婦人科医不足のため、私の産休代理の医師はいませんでした。そのため今後他の医師への負担が大きくなるので、できるだけ長く働き続けることを目標とし、回数は減らしましたが妊娠8ヵ月まで当番は続けました。妊娠33週で血圧が上昇し始めましたが、軽症だったので日中だけ勤務を続け、そのうち血圧はさらに上昇し、羊水は減少して胎児の成長が止まりました。さすがに怖くなり、妊娠35週後半からは降圧剤を大量に服用しながら自宅療養し、妊娠37週までもたせました。その間頭は重くぼーっとした状態で、全身浮腫で顔もぱんぱんでした。胎動がなくなるかも、胎盤が剥かねてしまうかも、脳に出血してしまうかもと毎日不安と恐怖でいっぱいでした。
私の子だから大丈夫という妙な自信がありましたが、私は産婦人科医ゆえに妊娠高血圧症候群の最悪の結末を知っており、それがいつも頭にありました。結局誘発分娩を試み、その過程で胎児心音が何度も低下し、緊急帝王切開にて出産しました。子供は元気でしたが予想より小さく、発症した妊娠33週相当の1972gの未熟児でした。私と夫は産婦人科医でありながら妊娠をなめていました。私のダメ胎盤から満足な栄養ももらえず、少ない羊水の中で子供はどれほど苦しかったことか。自分が我慢すれば良いと思って無理な勤務を続け、実は子供の方が苦しかったのです。もし自分の患者さんならとっくに帝王切開をしていたはずです。現在子供は1歳になり、順調に成長しています。産後は5ヵ月の終わり頃より日中だけの勤務に戻りました。子供は院内保育所で楽しそうにやってます。最初は3ヵ月頃から働くつもりでしたが、未熟児だったためか頻回の授乳がしばらく続き、慢性的な寝不足と疲労で勤務に戻れる状況ではありませんでした。先日テレビの特集で、産科女医が産後間もなく復帰し、人がいないから子供を預けて当直もしているとのことでした。私にとっては考えられないことで、確かに周りの医師に迷惑をかけているとは思いますが、子供より大事なものなんてあるのでしようか。妊娠中自分の子供を苦しめてまで他人の赤ちゃんのために働いたので、今後はもう絶対に子供を犠牲にしないと心に決めています。
幸い同僚の医師達は協力的で夫も同じ職場ですし、私は非常に恵まれていると思います。夫もそれなりに育児に参加しており、忙しい朝も手伝ってくれるので助かります。それでもやはり、子供は私の後を追って甘えてくるので、家事がなかなか終わらず毎日眠い日々が続いています。仕事と育児の両立は大変で帯状疱疹になったりもしましたが、仕事は育児の息抜きであり、現在の環境であれば十分にやっていけそうですので、今後も頑張ろうと思います。
<北海道新聞掲載記事抜粋>
太田医師(44)はこの日、午・前は外来診療、午後は2件の帝王切開手術を手がけ、合間に入院患者の検査に走り回った。「体力的にはもちろんきつい。でも、それは男性医師だって同じでしょ」と笑う。同病院は昨年4月に常勤医がゼロになり、産婦人科を休診。今年4月に太田医師と若手の女性常勤医二人が着任、分娩を再会した。太田医師には9歳と6歳の二児がいる。月10日の休日・夜間当番があり、うち4、5日は病院に呼び出されるという。残り20日間も緊急手術などに備えて待機するが、一晩に3回呼び出されたことも。休日は月に2日程度だ。「…医師としては頑張れても、母親としては罰点…」。子供に夕食を作ってあげられるのは週末くらい。育児の大半は同居する義母に頼る。
「夫婦だけで仕事との両立は無理。でもこれ以上、家族に負担をかけられない」近年、女性医師の割合は増えているが、中でも産婦人科医での割合は高い。道内の20代の産婦人科医に占める女性の割合は2004年が24人のうち15人、激務が敬遠されて産婦人科医自体が減った2006年は9人中8人に上った。全国でも20代の産婦人科医の女性の割合は今年初めて7割を超えた。だが、日木産科婦人科学会の昨年の調査では、女性産科医の約半数が、経験15年以内に、自身の出産や子育てなどを理由にお産現場を離れた。(略)
現在は産婦人科医として通常通りの勤務をこなし、当直も緊急呼び出しも全部男性方と同じようにこなしています。
私たち夫婦には子供がいません。だからと言って、子供がいなければ好き放題にできるわけでもありません。結婚して家庭があれば、自分一人だけ好きにしていればいいわけではなく、家庭に対しても責任を持たなければなりません。
先生がおっしゃる通り、私が最前線で勤務できるのは単に環境に恵まれているだけだと思っています。仕事を、私の責任というものを、十分に理解してくれる夫がいるから続けられているのです。子供がいなくても、結婚したとたんに当直勤務などができなくなってしまう女性医師もたくさんいるのです。
今後子供が授かった場合は、今と全く同じ強度で仕事を続けることは無理でしょう。というか、今でもいろいろな犠牲を払いながら最前線に立っているわけですから、これ以上の犠牲を、と言われても無理なんです。
医師も人間なんです。
投稿情報: べんべん | 2009年2 月17日 (火) 17:29
ありがとうございます。
しんどい時代ですよね。
男性でもぽろぽろ抜けていく職場で、より条件の厳しい女性医師が続けていくことって、本当に大変です。
投稿情報: 僻地の産科医 | 2009年2 月17日 (火) 18:54
人並み以上に頑張れる人でなければ働けないような職場は、代わりの人材が豊富にいる条件下では継続可能で組織も活性化するのでしょう。
最近の産婦人科医療の人不足の状況では、そのような職場は人が流出するために、要求される『頑張り水準』が高くなるばかり。そのために更に人が逃げていくという悪循環です。
結局は、普通の人が普通に働ける職場に、人が集まってきますね。
投稿情報: kame | 2009年2 月17日 (火) 23:04