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(投稿:by 僻地の産科医)
神奈川こどもセンターと青森県立中央病院のNICU特集です(>▽<)!!
朝日新聞から!泊り込みでかなり頑張っての取材だったそうです。
ベッド不足 お産綱渡り
朝日新聞 2008年11月23日
武田耕太
朝6時、PHSが鳴った。豊島勝昭医師(39)が素早く出た。
「29週? 心臓の病気かも。こちらは大丈夫」
11月の日曜。横浜市南区にある神奈川県立こども医療センターの新生児集中治療管理室(NICU)の宿直室。産科の当直医からの電話だ。同県横須賀市の病院が切迫早産の妊婦の受け入れを求めている。赤ちゃんは心臓と気管に病気があるようだ。NICUに入る可能性が高い。ベッドはあるか。その確認だった。
「慌てず、急いで」。人工呼吸器を準備する研修医の肩を、NICU勤務10年目の豊島さんがポンとたたいた。
1時間後、妊婦が救急車で到着した。子宮口がすでに8cm惣開いている。分娩室に横たわる妊婦に夫が付き添う。
「今日は受けられて良かった。2週間前なら難しかった。無事に帰れるよう全力で頑張ります」。豊島さんの説明に妊婦はうなずいた。
2週間余り前、病院に次々と受け入れを断られた東京都の妊婦が死亡したと報じられた。「ここに来られて良かったな」。夫の言葉に、妊婦の目から涙があふれ出た。
県内には、リスクの高いお産を診る総合周産期母子医療センターが、ここを含めて4施設、地域周産期母子医療センターが12施設。NICUは計149床あるが、それでもベッドが足りず、年間70人以上の妊婦が東京など県外に搬送される。
一呼吸置いて、豊島さんが告げた。「落ち善いたら他の病院に移ってもらうかも知れません。次の人に譲ってあげてください」。夫は「そうしないと回らないんですよね」とうなずいた。
こども医療センターにはNICUと回復後に入る病室(GCU)で計43床ある。NICUに入る可能性が高い赤ちゃんを出産しそうな妊婦が、院内の産科などに、この日6人。症状が安定した赤ちゃんに転院してもらい、何とか6床確保してあった。
豊島さんは「今日は外からの搬送依頼は2件が限度。あと1件」と言った。使命感と能力の限界とのはざまで、現場はもがく。
少し落ち善いた午後、豊島さんが言った。「子どもを大切にしない国に未来はあるのかと思う。だから前を向いて頑張りたい」
午後3時、今度は横浜市の産科医院から新生児の受け入れ要請。38週で生まれ、体重2200グラム。呼吸は安定しているが、血糖値は低い。ただ、ここで受け入れれば、次の子は難しくなる。当直のNICU5年目の小谷牧医師は受け入れを見合わせた。電話で搬送先を探し、2ヵ所目で見つかった。「ありがとうございます」。小谷さんはほっとした表情を見せた。
深夜0時過ぎ。早朝に受け入れた妊婦の出産が始まった。妊婦の息づかいは荒い。当直明けの豊島さんと小谷さんは、分娩室の隣の新生児蘇生観察室で待機した。
ところが、ちょうどそのころ、県内の病院が別の赤ちゃんの受け入れを求めてきた。小谷さんは折り返し電話をかけた。先天的に腸管が閉じていて、他の病院では対応が難しい。手術が必要になりそうだが、緊急性は低そうだ。小谷さんは瞬時に判断し、「分かりました」と答えた。最後の1床が埋まった。
次の瞬間、生まれたばかりの赤ちゃんが分娩室から運ばれてきた。「オギャー」。女の子。母親の処置が続く分娩室からも歓声が上がった。呼吸の度に赤ちゃんの胸が深くへこむ。「苦しそう」。豊島さんらは呼吸を助ける器具で手当てを始めた。
「一番心配するような状態ではないようです」。豊島さんの言葉に、赤ちゃんを抱いた母親が鳴咽を漏らす。赤ちゃんは呼吸が荒く、急いで人工呼吸器を着ける必要がある。保育器に入れられNICUへ向かう我が子に、母親は分娩台から手を振り続けた。
専門医、病院に年100泊 人手足りぬ地方の拠点
体重千グラム未満の赤ちゃんが生まれる割合が全国一(06年)の青森県。10月の夕方、青森市の県立中央病院の新生児集中治療管理室に入院中の赤ちゃんに、同病院の産科を退院した30代の母親が、数十キロ離れた町から夫と会いに来た。
「お父さんとお母さんですよー」。看護師に保育器から出してもらった赤ちゃんは、人工呼吸器を着けたまま、父の胸に抱かれた。体重千グラムあまり。母親は赤ちゃんの小さな5本の指に自分の人さし指を握らせ、名前を呼んだ。
父親は「願いは、元気に帰ってきてほしいということだけ」。緊張感が漂うNICUに穏やかな光景が同居した。
この夫婦が4年前に授かった最初の子も千グラムに満たなかった。県内の別のNICUに2ヵ月間。助からなかった。
「新たな赤ちゃんの搬送があれば、転院をお願いするかも」。面会の数日前、網塚貴介・新生児集中治療管理部長(48)は夫婦に告げた。
大きな病院がいくつもある都会と違い、県内に総合周産期母子医療センターはここ1ヵ所。未熟児やリスクの高い妊婦の受け入れを求められたら、何があっても受けざるをえない。NICU9床、回復期の赤ちゃん用の後方病床(GCU)15床は慢性的に満床だ。状態が安定したら地域の病院に送り返し、ベツドを空ける。そうしないと次の患者が入れない。
母親は「改善したうれしさ半分、一番手厚い病院から離れる不安が半分」と話した。
新たな赤ちゃんが運ばれてきて、走り回る医師と看護師。頻繁に鳴るPHSの着信音に緊張が走る。
「ああ、人手が足りないのかなと思う。当事者になってみないと分からなかった」と母親は言った。2週間後、赤ちゃんは地元の病院のNICUへ。体重はいま1700グラムになった。
壁に網塚さんの勤務表があった。7月8回、8月9回、9月8回。当直を示す「〇」がほぼ3日おきに並ぶ。年間約100日、病院に泊まる計算だ。時間外勤務が215時間に達した月もある。網塚さんは「地方の大きな問題は専門医の不足」と言う。
大学が医師を引き揚げるなどしたため、今年3月までの半年間、定員5人のNICUの医師は、NICU経験が1年未満の3人と網塚さんの計4人だった。でも、患者が減るわけではない。新生児の場合、24時間、呼吸状態や血圧などの細かい変化を読み取り、処置しなければいけない。気を抜ける瞬間はない。網塚さんは「新生児の治療は全力疾走でつなぐリレーじゃなきゃいけない」と思う。
全国で最悪だった青森県の新生児死亡率はここ10年で上向いたが、医療を支える人々の負担は限界に達している。
深夜、照明を落としたNICU。当直の網塚さんは保育器を一つひとつ見て回った。黙々と採血をし、水分量をチェックし、記録した。
これほど大変な新生見科医を続けている理由を聞いてみたいと思った。
「悔しい」。網塚さんはポツリと話した。「医師がもっといれば、もっといい医療ができるのに」。全力でリレーをつなげる日がいつかくる。そんな日を夢見ている、と。
10月、NICU経験者が入り、医師は5人に。でも、年明けにはまた1人減る。
呼吸状態が不安定なことを知らせるセンサーが鳴った。網塚さんは落ち着いて保育器に近づき、両手で赤ちゃんの背中を優しくさする。しばらくすると、正常に戻った。
「ここにあるのは声なき声。それを聞こうとする世の中になってほしい」
保育器の中で、静かに眠る赤ちゃんが、泳ぐように小さな手足をばたつかせた。
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